小田原建築探偵   
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ソ連館のテッペンの行方。


ソ連館のシンボル言えばパビリオンの頂上約104メー
トルにあった”カマとハンマー”。

高さ6.5メートル、幅7メートル重さ4トン電飾554個を
散りばめた国章は万博会場の一番高い場所にあった。
 

その行方が最も気になるパビリオンのパーツ。


万博誌に載る取り付け風景と少年誌に載っていた取り
外し風景。


パビリオンの1部で、その行方が一番気になっているの
がこのソ連館のてっぺん。万博会場の高い場所で作業
している人の写真を何枚か見た事がある。


エキスポタワーのてっぺん。太陽の塔黄金の顔。古河
パビリオン七重の塔。虹の塔。大阪万博高層建築。


その頂に立ったのは極僅かな人々でしかない。その中
には黄金の顔に立てこもった目玉男も含む。


そしてこのソ連館のてっぺん。クレーンと国章をワイヤ
ーでつなぐ為に登った人の足元を見てみると木のハシ
ゴが見える。怖い。


この雑誌によれば地上に降ろされた国章はコニャック
をかけられ歓迎されモスクワに帰って行ったとある。


実物を近くで見たり触ったり出来たのは極僅かな人たち
でしか無いだろう。


ソ連館のシンボルはモスクワに帰ったあと、どうなった
のだろう?保存されたとすればモスクワの何処に据え
られたのだろう?

赤の広場周辺が最も可能性が高いと思われるが
その消息は全く不明だ。

以前ロシア大使館に問合せてみた。

当然返事すら無かった。


まさかこの21年後にソビエトが崩壊するとは
あの時、誰が想像しただろう?


国章で無くなってしまった”カマとハンマー”。

ソ連館のシンボルはこの写真を最後に消息を絶った。


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