小田原建築探偵〜大阪万博編      
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ミュンヘン館への道 (行った日2006.10)



残存数僅少の大阪万博のパビリオンたち。

ミュンヘン館は岡山の自衛隊日本原駐屯
地で生延びていると言う。





見たいと思っていても遠方と言う事と、簡単
に入る事が出来ない場所と言う理由でなか
なか見る機会に恵まれなかった。





ここに入る為には基地祭りの日に照準を合
わせなければ入る事が出来ない。基地が
一般に開放されるのは年1.2回程度。





目指す日本原駐屯地は乗ってる時間だけ
でJR岡山から電車で1時間更にバスに揺
られて1時間の場所に位置する。岡山と言
っても走っている車に鳥取ナンバーも多い。


遠い。気が遠くなりそうな位遠い。大体、本
州では神戸より西に行った事が無い。ミュン
ヘンと言って真先に思い浮かぶのは1972
年放映のテレビ番組”ミュンヘンへの道”だ
が2006年私の”ミュンヘン館への道”は
結構長い。





基地祭りと言うのは終日行われている訳で
は無く大体2時半位には終了してしまうもの
らしい。前日からの岡山入りが都合が悪く日
帰りでの強行軍となった。





写真は万博開催当時のミュンヘン館の姿。
縦約63メートル、横約28メートルの長方
形の建物でエキスポランドの敷地内にあり
ミュンヘンオリンピック関連の展示がしてあ
ったが殆どがミュンヘンビヤーレストランが
大部分を占めていた。




協会発行の会場内食堂スナックガイドを見
るとミュンヘンビヤーレストランは通常100
席〜200席が多い会場内のレストランに於
いて収容人数を600席を有した大きな建物
だった。





子供の比率が高いエキスポランド敷地内に
何故か建てられたビアレストラン。





ちなみに会場内で最も収容人数を誇った
のはソ連館のレストランモスクワの993席
だったそうだ。





パビリオンの形としては特徴的なデザイン
は無いが移築して再利用するのには全て
のパビリオンの中で最も実用的な形をして
いたと言う事が上空からの写真で解る。





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