小田原建築探偵   
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ミュンヘン館への道 (行った日06.10)



朝1番の新幹線に乗っても到着時間は午後1
時半位と思われた。もしも到着が遅れたりした
ら折角行っても到着時間によっては入れない
可能性もあった。



事実、連絡時間が殆ど無い岡山駅での乗り
換えに手惑い、危うく乗り遅れる処だった。
で、乗り遅れていたら多分アウトだった事だ
ろう。



この路線の時刻表に見る数字の密度は、か
なり薄かった。今日と言う日を目的としなけれ
ば多分、訪れる事も無かったであろう亀の甲
をスルーし、て。



到着したのは津山駅。ここからはバスとなる。
車内はそれ程、混んでいない。一体此処から
幾つ目のバス停が目指す 日本原駐屯地前な
のだろう?アナウンスが聴き取り難いので降り
損ねを考えると居眠りも出来ない。



果たして同じバスで降りたのは私の他に僅か
に1名。多くの方は既に会場入りしているか車
で来ている様子だ。



もう1人の方は当然元ミュンへン館を見に来
た訳ではなさそうだ。服装や身に付けたアイ
テムから推測するに軍事関連のマニアの方
であると思われた。



基地内では万博マニアよりも軍事関連のマニ
アの方の方が当然多かった。軍事関連と一口
に言っても、そのカテゴリィは細分化されている
様に思える。



何とか辿り着いた駐屯地。入口を入り少し歩く
と何ともアッサリとミュンヘン館の建物が見え
てきた。折角時間をかけて訪れたのだから、も
う少しタメと言うか勿体ぶって現れてくれても
良かった。(勝手。)



”広大な駐屯地を必至に探したが、その姿は
一向に見えてこない。本当にこの駐屯地なの
か?それとも既に取壊されてしまったか?



嗚呼...折角岡山まで来たのに....。諦めかけた
その時....見覚えのあるそのフォルム。やっと
見つけた...。駐屯地の片隅にその建物はヒッ
ソリと建っていた。”なんて感じに...。




以前伊丹”千僧”駐屯地内にある”地方自治
体館食堂大和”を”伊丹”駐屯地の広大な敷
地に”無い...おかしい無い...では..ないか..
一体何処に行ってしまったのだ?”


”時遅し、既に解体されてしまったか?”と..
演習風景には目もくれず、基地を歩き廻って
しまった事はある。



現存する地方自治体館食堂


意を決し「あのぅ、大阪万博の時の建物が..
此処に残っていると小耳にはさみ、わざわざ
見に来たのですが...」と自衛官の方に訊くも
「大阪万博の建物ですかぁ?はぁ?解りませ
んねぇ」と言われる始末。



地方自治体館食堂大和はあまり認知されて
いない様子だ。



10人目位の方がやっと無線で「広報、広報
本部応答願います。どうぞ。」



「はい、こちら広報本部です。」



「大阪万博の建物を探しにこられた来場者が
おりますが、ご存知でありましょうか?どうぞ」



「お、大阪の何の建物でありますか?もう一度
お願いします。どうぞ」



「おおさか ばんぱくの時の建物と言っております
ど う ぞ。」



「おおさか ばんぱく?の建物ですか?どうぞ」



「そうです。おおさか ばんぱくの建物です。どうぞ」



「おおさか ばんぱく... の ですね。どうぞ」



「そうです。おおさか ばんぱく... の です。どうぞ」



「少々お待ち下さい。どうぞ」


沈黙。


「おおさか ばんぱくの建物の問合せの件
ですが どうぞ。」




「おおさか ばんぱくの建物の件 お願い
します どうぞ。」



「おおさか ばんぱくの建物は此処には無い
そうです。どうぞ」



「えっ..此処に無い...」(私)



「此処では無く、千僧(駐屯地)にあるそうです。
どうぞ...」


「千僧ですか。解りました。ありがとうございます。
どうぞ...」



「と言う訳です...。折角お出でいただいたのに」



千僧の基地祭りは今日では無いそうだ。


自衛官の方は、此処から千僧までの地図を書い
てくれた。




「此処から歩いて30分位の場所です。」


「お約束できませんが、どうしても見てみたいの
ならば行ってみて尋ねてみて下さい。」




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