先駆者の生い立ち
ルノーは知っての通り自動車史の最初から携わっていた老舗で、世界初のレースから5年後の事である。
1899 〜 1909年にかけて数々の記録的な成績を残すが、ルノーはサーキットから姿を消してしまう。
その後、二つの大戦を挿んで40年が過ぎた頃、ルノーは国有化され、小型乗用車4CV 注)を開発する。
4CVでレースに参加していたジャン・レデールは、4CVのシャーシーにオリジナルのボディを載せた
スペシャル・カーで数々のレースで成績を残す。このクルマの市販版がアルピーヌ・ブランドの1号車 A106
である。その後、アルピーヌはラリーを中心に活動するが、1973年にルノーのレース部門として吸収される。
アルピーヌ・ルノーの初の大仕事と言えば、オープン・2シーターのスポーツ・プロトタイプがA440だ。
A440に搭載したエンジンは、ルノー・ゴルディーニ社のフランソワ・キャスタンが設計した1997ccのV6
エンジンで、285HP/9800rpm、勿論、自然吸気型である。このエンジンは A441 になるに従い能力を向上
させた。このA441(正確には、このクルマに搭載されるエンジン)にギャレット・エアリサーチ製のターボを
1基装備して500HP/9800rpmとなった。尤も1978年にル・マンで優勝したのは、後のA442Bだが。
ルノーのF1プロジェクトは1976年からスタートしており、A442用のV6を1492cc にサイズダウンした
EF1エンジン(500HP/11000rpm)を開発し、EF1エンジンを搭載した試作車 A500 でテストを始めた。
RS01 は A500 を発展させた実戦用のモデルで、初陣は1977年7月のシルヴァー・ストーンである。
やはり予想通りとは言え、各予選は イギリス:21位 オランダ:10位 イタリア:20位 アメリカ東:14位
決勝は出走はするも、すべてリタイヤ。カナダに至っては予選不通過と、話にならないほど成績不振が続き、
等価係数を見直すべきとの声が上がるほど、戦闘力が低かった。
(Fulcrum 著)
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注)小型乗用車4CV
戦後、日本でもライセンス生産される。年配者はお馴染みの日野4CVである。日野はトラックのメーカー
だが乗用車の生産もしていた時期があり、自社ブランドの乗用車コンテッサーというのがあった。細かい点は
別だが、今日見てもモダンなデザインの洗練された小型車だ。コンテッサーと聞くと涙を浮かべて懐かしがる
輩も多い。