ダ・ヴィンチのアイデアは、ライト兄弟が実現し・・・
結局のところ、何処から始まったかはハッキリしない。つまり、古くから知られている事象でも、役に立ちそうにないと
拾う事をしないのが人間のようだ。
現在、500馬力を超える航空機用エンジンは、すべてジェット・エンジンとなっている。新型機を開発するには
事欠かないが、ゼロ戦などの古物の復元は1000馬力のレシプロ・エンジンが見つからないために苦労するそうだ。
ジェットつまり噴流の反作用を用いたエンジンの起源は、紀元前 250年あたりにギリシャ人の数学者ヘロンの考案に
よる。しかし、1800年の後半までは特筆に価するトピックは殆どない。
1888年にサンフランシスコにてサンフォード・モスなる人物が、圧縮空気中における燃焼の研究を始めた。1900年に
作成したとされる彼の博士学位論文のテーマはガス・タービンだった。その後、ゼネラル・エレクトリック社に入社し、
1907年にガス・タービンを作動させたが、性能が非常に悪くて採用には至らなかった。
一方、1916年にフランス人のオーギュスト・ラトーは排気ガス駆動のターボ過給機を開発した。このエンジンで
2年後、初飛行にしゃれこんでいる。しかし実のところ、この当時はタービンに使えるような耐熱合金が無いために
耐久性が乏しい上、キャブレターとの整合が悪かったなど・・・つまり、実用にはほど遠い状態だった。
さぞ悔しかった事だろう。前出のサンフォード・モスは1921年にターボ過給機の改良型を製作した。この改良型過給機
こそ第二次大戦中に成層圏飛行をやってのけた高高度戦闘機や大型爆撃機に搭載されたターボ・チャージャーの
起源である。おそらく最初の応用例は、1928年にリバティ型エンジンの改良である。尤も、やったのはジェス・ビンセンス
らしいが。
蛇足だが、この時期にラトーのターボを日本陸軍が輸入して、試作三型戦闘機を試作した。結果はうまく回らなかった
ので試験飛行には至らなかった。日本人は短気だから、この時にターボを放り投げて、結局はB29の言いなりになった。
似たような例では、物干しのような形のテレビ用アンテナを別名ヤギ・アレィと呼ぶが、あれは基を正すと東北大学の
八木教授が考案した世紀の大発明である。どうしたものか日本では評価が低く、捨て置かれたが、これをパクッたアメリカ
はレーダーという革命的新兵器を発明し、情報戦で日本を打ち負かしたのである。
(Fulcrum 著)