飛行機の恩返し

 第一次大戦初期の飛行機は、自動車から転用したエンジンを使い、やっとの思いで飛んだ粗末な出来だった。

大戦後期ともなると、武装を施した重量の嵩む戦闘機の水平速度は時速250キロに及び、その後、自動車との

速度は開くばかりであり、航空技術は自動車技術よりも遥かに高く、深遠なものに成長していった。

 そして、気圧が低くなる高高度における出力低下を補うべく、予め圧縮した空気をシリンダーに押し込む

過給手段が開発されていくのは当然の流れであろう。

 ただし、航空機用エンジンを手がけた多くの生産施設が、ベンツロールス・ロイス、またはルノーなどの

戦前のクルマ屋だったから、戦後の平和の御世となれば航空機用エンジンのノウハウを自動車用エンジンに

移植するのは、たわいの無い事だった。この次に起きる戦争の形態が大規模な工業戦争になる事を予想した

各国の指導者達は、自国の工業力こそ形を変えた軍事力となる点を見逃さなかった。国家がスポンサーと

なる自動車競技は、正しく他の手段を持ってする政治の延長に他ならない。ケネディ時代のアポロ計画が

合衆国を上げた月面旅行だったように、最も速いクルマを開発し所有する事が、国家の威信を保つ事だった。

 特に総統閣下はお熱のようで、ドイツ政府は自国のチームに年間 45万マルク(単純に4500万円としても

昭和8年当時の時価を思えば、とてつもない金額)を軍資金として提供した。ドイツの威信にかけて優勝する

クルマを作れ! 御命令である。

 好きに食わせていないで、餌を喉の奥に押し込んでやれば、フォアグラの一つも出来るだろう

レーシング・カーのエンジンに過給機を積み込んだのは、きっとこんな発想から始まった事だと考える。

なにもドイツに限った事ではない。                          (Fulcrum 著)