元祖 ゲテモノ車

 レギュレーションと技術革新は、言ってみれば 親の躾 vs 子供の悪戯 のような関係で、ちょっと目を離すとすぐに何か

やらかす。そして兄の真似をして度の過ぎた弟に雷が落ちるのだ。

 技術革新について言えば、最初の発案者よりも、それに迎合した二番煎じの方が、より極端な構成を考えるようだ。

F1に羽根が生えたのは1967年の事だが、1970年にレギュレーション改正となるまでの3年間に様々な派生型を生んだ。

遠心力で失われた内側後輪の接地力を回復しようとした例では、左右二分割されたウィングが操舵装置と連動させて、

旋回中に内側の翼が外側の翼よりも大きな迎角をとるようにしたクルマ(日本グランプリーでは日産の R381 が試みた)が

出現した。また、サスペンションとリンクしてバタバタと羽ばたいた物もあった。

 

 

 第一次大戦でもあるまいに複葉機にしてしまったのが、ロータス49B(この車は様々な空力部品を試したので派生型が

多いが同じ名前で呼ぶので紛らわしい。要は同じ車体を使っていたという事なのだろう)である。ブラバムも同じく複葉機を

作った。1969年のスペインGPである。

Lotus 49B

  このロータス 2台とブラバムは、コース上の同じ地点でリア・ウィングを圧し折って事故を起こした。ロータスの事故原因は

解明されなかったが、事態を重大視した当局は次のモナコではウィングの装着を禁止してしまう。その後、レギュレーション

の改正で空力部品は認めるが、あちこちとやかく口を挿むようになった。

  下の写真が、事故当時のリア・ウイングの状態だが、今にして思うとフロント・ウィングで発生した随伴渦(注:グラウンド・

エフェクトの項で後述)に叩かれた事がすぐに解る。飛行機の場合は、尾翼が小さいので主翼で発生した随伴渦の円錐

に尾翼がかからない上、主翼と尾翼の取り付け位置の高さが異なるし、輸送機に至ってはT型の尾翼を採用している。

 ロータス 49B の場合、正面から見ると前後のウィングの横幅がほぼ等しく、取り付け位置の高さも前後で大きく変らない。

そのためリア・ウイングは、フロント・ウィングで発生した随伴渦に叩かれたと考えるのが妥当だろう。

 読者の中には、きっと、こう言う輩が居るだろう。

 「クルマの場合、ウィングはダウン・フォースを発生しているのだから、渦の巻き方は逆だろう」

確かに水平面を正常に走っていれば、その通りである。しかし事故発生の現場は上り坂の頂上付近である。つまり、

この状態ではウィングの迎角が +角となるから、この瞬間に限り、翼は浮き上がろうとしたはずだ。(グラウンド・エフェクトも

ニューブルク・リンクの上り坂頂上で離陸事故を起こしている)リア・ウィングもフロント・ウィングと同様に浮き上がろうとしたに

違いない。とすれば、随伴渦の巻き方も納得がいくだろう。それに、このウィングの端には今や常識となっている垂直の

整流板が装備されていないから、随伴渦を抑制する手立ては何もない。リア・ウイングは中央で浮き上がる力が、そして

翼端では自分が発生した随伴渦に加え、フロント・ウィングで発生した随伴渦で、上から下に力がかかったと考える。

ウィングの支柱は上から押し付けられる力には寛容だが、下から掬い上げる力には非常に弱い(下から掬い上げる力を

前提として設計していない。そんなゆとりを与えるくらいなら軽量化にしのぎを削る)特に柱を横殴りにする力は論外で

ある。そのため、支柱が内側に倒れ込んだのだろう。

(Fulcrum 著)