流線型って、どんな形

 20世紀の初頭、絵画や彫刻に代表される作風に、立体派、シュールリアリズム、それにフォービズム

などの各前衛流派が活動を極めた。それと平行して未来派といわれる主張があった。イタリアを中心に

絵画のみならず、演劇、写真、あるいは音楽など多方面に及ぶ。未来派の連中は、自動車こそが環境を

物理的に変化させ、人間の世界への知覚を覚醒させるとし、自動車を近代性とテクノロジーによる、

進歩のシンボルと捉えた。彼らが自動車に見たものは、力の感覚鋭い快さ、そして解放だった。

 第一次世界大戦が4年も続き、その後バブルが有って、次に大恐慌が起こると、当然の流れとして

市民の購買意欲は激減する。大恐慌後の苦難の果て、ある種の気ぜわしさに満ちた生活の中で人々が

求めたファッションは、未来派思考の延長に当たる優雅で抵抗の少ない滑らかな形である。

 流線型は民衆に「新しさ、それ故のすぐれもの」という印象で受け取られ、スピード感を盛り込んだ

スタイリングが、従来の堅苦しい機能性と使用目的の重視にとって代わった。

 というわけで、流線型は日常生活に定着したが、これはデザイナーと呼ばれる芸術家が技術屋の成果を

曲がったかたちでパクッたというわけだ。

 

 経験的なかたちで空気抵抗を減少させスピードを高めようという試みは、19世紀の末から見られるが、

流線型の理論的な研究は、飛行船の形状を決定するためにドイツで推進された。ツェッペリン社では風洞を

使った実験を重ね、「理論的に最良の流線型」を発表した。「累積分布曲線から成る魚雷型で、全長と

円形断面の直径がの比率が6:1」と設定すると、例の空気抵抗係数 Cd 0.04となる。(現在の乗用車は

Cd 0.35 前後)1930年代には、空気抵抗は速度の2乗に比例し、所要馬力は速度の3乗に比例する

なんて事も解ってきていて、同じ努力を払うなら、エンジンの馬力向上よりも空気抵抗低減の方が高速を

獲得するためには有効であるという、現在のセオリーとなった。流線型は結論だったわけである。

                                        (Fulcrum 著)