ナショナリズムの誇り

 とは言っても、その莫大な諸費用を負担しうるのは、特定のメーカーチームであるか、チームが所属する

自動車会社、でなくば関連産業の国内共同体というこの時代では、グランプリ・カーには各々自国の国別色

(ナショナル・カラー)を塗装して出走するという仕来りが強かった。一つにはナショナル・カラーを義務

づける規定があった。

フランス車がフレンチ・ブルードイツ車がジャーマン・シルバーイタリア車がイタリアン・レッド

それ以外では、アメリカは白青の縞である。英国に至ってはブリティシュ・グリーンとはいえ、各チームで

異なる緑を使用した。

 ホンダがグランプリに参加したのは1964年からで、1.5リッター時代最後の頃である。

RA272 1965年 メキシコGP 優勝車

 ただし、このとき日本のクルマに塗るべきナショナル・カラーは無かった。当時、FIA(世界自動車連盟)

の国別下部組織であるJAFには国際事務能力は殆ど無く、ホンダは相談出来る窓口を持たなかった。

 本田社長の意向はゴールド・メタリックだったが、すでに南アフリカ共和国がナショナル・カラーとして登録

しており、第二希望のアイボリー・ホワイトは認可されたが、ドイツ・シルバーと紛らわしいという理由で

日の丸を書き込む事はFIA側の提案だった。                   (Fulcrum 著)