歴史の背景
技術戦争の真っ只中にあって、何故コスワースDFVは15年もの長寿を全うしたかといえば、70年代初頭、
オイルショックなる大事件が勃発した。加えてアメリカが例のマスキー法なる決断を下したため、各自動車
会社は市販車における大幅な燃費改善と排ガス対策に対応すべく、相次いでグランプリを撤退していった。
ホンダも例に漏れずグランプリを退いた。この長すぎる沈黙の間に、あのCVCCを完成させたのだ。当時
ホンダに在籍していた後藤 治 氏によれば、燃費改善も高出力化もけして相反する課題ではなく、結局は
ガソリン1cc当たり発生する馬力の問題なのだそうだ。とにかくF1経験がCVCC開発の原動力となった
ことは間違いない。
大手の各自動車会社が不在のレースは、いわばかつてのクライマックス時代の再来であり、ほぼワン・メイク
に近い状態だった。もっとも、この15年間にコスワースDFVは目覚しい成長を遂げ、デビュー当初 380馬力
だったが、1982年に至っては 500馬力を超す実力を備えた。
ロータス 49(コスワースDFV) 1967年
しかし 90゚V8 3リッターというコンセプトには変更が無く、性能向上に伴う変更部品は、今で言うなら
上位互換が確立されていた。そのためユーザはバージョンアップ・キットを既存部品と交換することで、常に
第一線の戦力を手に入れた。ただし時代は移り行くもので、その後 ターボの到来とともに姿を消していく。
(Fulcrum 著)