1987年11月20日 須坂市公民館にて100名を超す参加で発会す <趣旨> 須坂の顔たる、須坂藩関係や製糸業にまつわる建造物を保存せよ! 以前の須坂郵便局、江戸末期の須坂藩奥方の建物を代表として どんどん建造物が消えていった。危機感を覚えた様々な職業の 人が語りあって発会。その街の顔をきちっと守るなかでのまちづくり を目指すべきだ!江戸時代から大正時代にかけての建造物がまだまだ 残っている!須坂らしい顔を残してゆくなかでの活性化こそ! 初代会長に:越統太郎氏 <経過> 1988年〜 この地に住んでいても歩かないとわからないのだ。とにかく郷土の 町を歩いて良いところ、悪いところを発見しよう−と「町並み発見」 を呼びかけて市民と「町並みウオッチング」を何度も開催。 町内に残る江戸時代の「町屋」の原形保存、江戸上屋敷閉鎖に伴う須坂への 急な武家屋敷新築の建物。などなど須坂の顔となる建造物を保存する よう市の社会教育課や議会に陳情。以来、市でも町の顔の保存に協力して くれ専門家の建造物調査がはじまる。日本観光資源保護財団、そして 翌年には文化庁の調査が引き続いて行われる。やはり土蔵はいたる所 にあるが、蚕糸など須坂らしい独特な様式をようしている−との力強 いお墨付きをもらいました。そこで、ご無理をお願いして住まう家を 町並みフェストと題して「民家をこの2日間だけ開放」してもらった のです。回数を重ねる事に市外や県外からのお客様も見えるようになり ました。思えば須坂の市街地を歩く人などとんとおられなかったのです から、えらい変わりようです。奥深い町並みの有り様をわかってもらえたようです。 1994年 全国町並み保存連盟主催「全国町並みゼミVOL17回」を須坂で開催す。 もちろん、開催まで持ってくるにはいろいろな問題がありましたが市や友好 団体の全面的協力を頂く中で意味のある大会を開けました。 全国各地から500名の参加を得ました。開催が夢でしたから、かなえられた 素晴らしさは、第2段として何をしてゆくかに移っていきました。 1995年 着実に、町並みを歩く人が遠方からも来られるようになってきました。 1998年5月 かねてより暖めてきた−来られた客人に対する、心意気を述べた 「東山魁夷氏の−訪れる人にやすらぎを、去りゆく人に幸せを」という 詩碑が建立できました。もっとも、その原典となる「馬車よゆっくり 走れ」という彫字ではありましたが。 1998年10月 予定としてJRのディスティネイション信州−−これは今回信州にスポット をあててJRがPRしてくれるというので、秋10月下旬には開催予定です。 内容 1、アートパークにある移築保存された建物を中心にして 茶席等さまざまなイベント。 2、10月31日〜11月3日にかけて駅前から「町並み案内 ガイド」が1時間ごとに旧市街地を案内します。 3、旧市街地とアートパークは2Km程離れていますので 循環バスを出す予定にしています。 1998年12月 少しずつ、須坂の町並みを歩く方が増えてきました。トイレも少しずつ 整備され、歩きやすくなってきました。 2000年5月 毎年5月に開催される「信州須坂町並フェスト」をミレニアムフェスト として連休の3日4日に今回はしました。他団体の強大な力もお借りして 昨年よりもずっと賑わいをみせました。 2000年7月 近畿ツーリストや阪急関係の団体さんがバスでやってこられます。 我らボランティアガイドは大忙しで根をあげそう。 2000年11月24日 みのもんたの「おもいっきりテレビ」の「今日は何の日」 に「町並みの会」が15年前発会したということで登場。 2000年11月27日 まちづくり団体自治大臣表彰受賞(麹町会館) 2001年 1月27日 受賞祝賀会(須坂迎賓館) 信州須坂町並みの会が加入している「 全国町並み保存連盟」へのリンク