魔法と様々な力



この世界にはいわゆる「魔法」をはじめとした、
超常的な力があふれています。

物知りなだけれども、どこか胡散臭い魔法使い。

魔法が得意で、いたずら好きな小人たちや、
幸運を授けてくれると言う妖精たちが棲む森。

そして、誰もがその身に備えるささやかな"奇跡"


この世界には、"常識"では図ることのできない
さまざまな"不思議なこと"が満ちています。
なぜ、そのようになるのか、どうしておきるのか、
その理由の大部分が明らかになっていません。

しかし、それらと長年向き合っていくうちに、
人はそれらのうちごく一部ではあるものの
それらを操る術を少しずつ見出してきました。
"魔法"に限らず、ここで紹介するものの多くは
そのようにして生み出されたものがほとんどです。
しかし、これらの力の多くは
理屈では推し量ることのできない"法則"によって成り立っており、
どれだけうまく扱えるかというのは
研究や本人の努力だけではどうにもならないため、
急速な発展を遂げるところにまでは至っていません。

そもそも、"魔法的なもの"がありふれている
この世界にの住人たちにとって"魔法"というものは
取り立てて特別なものではありません。

もちろん、自分たちでは到底できないようなことをやってのけたり、
強大な力をふるうのであれば、特別視されるでしょう。
しかし、それはあくまでも"魔法"だから特別、というわけではないのです。








 神言魔法




神言魔法とは、神言という"ことば"を使って
世界のありようを変化させる"魔法"です。

この神言は世界を創造する際に用いられたともいわれる
"力在ることば"であり、自在に神言を操ることができれば
まさに神にも等しい力を手に入れることができるといわれています。

ただ、神言は人が理解するには、あまりにも難解すぎる"ことば"で、
第一に、動詞、名詞共に前後関係によって千差万別に活用が変化し、
またその語彙も凄まじいまでに細かく細分化されています。
例えば、普段、私達が使っている「水」という言葉がありますが、
神言では、「水」に相当する単語だけで(分かっているだけで)百近くにのぼります。
そのような代物のため、長年の研究にもかかわらず、
未だに神言の”文”を望みどおりの形に組み立てる方法は確立されていません。
神言魔法が人に伝えられてから千年近く経ち、
確かに少なくない数の”新しい魔法”が人の手によっていくつか見出されていますが、
それは偶然の産物として生まれたものがほとんどです。
("聖誓の礎"の始祖であるシャノンが"忌まわしき冬を終わらせるために"聖誓の丘で発したとされる"誓い"は
人が無から紡ぎだした数少ない神言です。これは音としては一息で発することが出来るようなものであったとされますが、
その内容を解釈し、共通語で示した"祓冬記 補章"という書物は十数巻(いろいろな版があるため不定)にのぼる分量を誇ります)

さらに、"神言"は音として顕れるものがすべてではなく
発言する者の精神に描かれるイメージ、動作などなど、さまざまな要素が一つとなったものであるため、
音韻だけをなぞったとしても魔法の効果は発揮されません。
実際に神言魔法の"詠唱"を表記する際には以下のような形で記されます。
(ただし、表記する人物によって同じ魔法でも表現がばらばらになる場合がほとんどです。
また、書物の中には神言そのものを"記した"ものもあるといわれていますが、
どのようにして神言そのものを書物に記し、それを伝えるのかについては謎です。)


”朝露を帯びた葉の色が天頂の太陽まで昇り
陶器のつぼの中で真夜中の月の音と溶け合う様を思い浮かべよ。
それと同時に"野槌の印"、"黒猫の印"、"極光の印"を間断なくきり、
"Nouveaeu dictenaro marukuhar Oilmiach Ingerna Lac"と唱えるべし。


このような神言の発露でどれだけの結果を導くことができるかどうかは
個人の素質によるところが大きく、
一人前と呼ばれるだけのだけの魔法の使い手はそこまで多くはないため、
神言魔法の使い手が世にあふれているということはありません。

また、いわゆる”神言魔法”の知識の中には、神言を用いて魔法陣を描く方法も含まれており、
(この場合も"神言そのもの "を書いているわけではありませんが)
それによって、大規模な魔法の行使も比較的容易になっています。







■ 神言魔法の起源


神言魔法はそもそも、小さき民が、みずからその操り方を編み出した物ではありません。
TRPGの舞台となる時代(世界暦2000前後)から1000年ほど前、
後に"嘆きの夜"と呼ばれる時代に、魔物たちの脅威に翻弄される、
地上の人々を手助けするために、御使いたちがその使い方を伝えたのが起源とされています。

その後、その知識を独占しようとした人間達もあらわれましたが、
どういうわけか、そのような試みはことごとく失敗し、世界中、特に人間族のあいだにひろまりました。





■ 神言魔法の使い手たち


一般に、「魔法使い」と呼ばれる者達のほとんどはこの神言魔法の使い手です。
基本的に、この魔法の使い手になるには魔法使いに弟子入りしたりして、その使い方を学ぶことになります。
また、国の首都クラスの大きな町なら、
魔法を教えている学院などがある場合もあるので、そこに通って、魔法を学ぶこともできます。
ただ、このような場所で魔法を学ぶ場合、かなりの費用がかかりますし、
(だいたい、学費のみで年8000ktほど。この世界の標準的な月収が
675kt〜800ktですのでどれくらいの大金かが分かるかと思います)
入学のための条件もかなり厳しいので、(紹介状などが必要です)
一般の人間がこのような場所に通う機会に恵まれる事ははあまり多くありません。
大きな町にある魔術師達によって作られた組織でも、同じように魔法を学べる所がたまにありますが、
やはり高額(上記の方法ほどではないにしても一般庶民にとっては十分高い)のお金が必要です。
結局のところ、いちから学ぶのなら、個人的に師匠を探すのが一番でしょう。
ただ、神言魔法を習得する過程というのは埋もれた才能を掘り出すための過程に過ぎない、とも言われ、
最終的にどれだけ魔法をうまく使いこなせるかは個々人の才能によるところのものが大きいようです。
そのためか、"魔法使い"を志しながら、その道半ばで挫折する者も少なくありません。

また、あまり多くはありませんが、
才能に恵まれた子供が後継者や弟子を求める魔法使いに見出されて
魔法を学ぶことになることなどもあるようです。



ちなみに、神言魔法として伝えられる魔法の中には、
『邪悪な』魔法、例えば、《死人使い》、《悪霊召還)、《疫病》、《奴隷》などの魔法も少なからず存在しています。
これらの魔法は『まともな』魔法使いの間では、忌み嫌われているため、
普通、上にあげたような『まっとうな』ところでは学ぶことができません。
これらの魔法を学ぶには、『まっとうでない』師匠を探す必要があるでしょう。



さらなる例外として、家のどこかでご先祖様の遺した魔術書を見つけて、独学で学んだとか、
蔵の奥に眠っていた魔術書に宿る精霊に、魔法の使い方を手ほどきされたとか、
もしかしたら、そういう魔法使いもいるかもしれません。



この世界の魔法使い達のなかには、
魔法使い同士の組織を作っている者もいますが、
これらの組織は大きな街にしか存在しません。
また、これらの表立った組織とは別に、
人々目から隠れて存在している魔法使い達の集団も少なくありません。
これらの組織の役割は、主に、魔術師の統制、指導、情報交換
その他雑多な相互扶助の場の提供、生活の保障などです。
また、魔術師につきものの”あやしげな”トラブルの解決も請け負うことがあります。
また、どこかの廃墟や地下洞穴で、魔法の品や、
おおががりな魔方陣などが発見されて、調査に向かう場合など、
どこか世間からずれている魔法使いの代わりに人員を集めたりするようなこともするでしょう。

これらの魔法使い達による組織で
一般の人々にも知れらている有名なものとしては
魔法使いの町として名高いレニードの街を中心に活動する"銀の鍵"や
ベルアルートの都ディアスに本拠地を置く"六精(りくせい)の天秤"
ファルナローンを全土にわたって活動する"追憶の匣(はこ)"なとが有名です。



魔法使いが生活するためにお金を稼ぐ方法は少なくありません。
魔法を学ぶ課程で得た知識を活用すれば、教師になれるでしょうし、
それ以外でも、魔法使いが必要とされる場面というのはいくらでもあるでしょう。
(うせもの探しから、探索の手伝い、警備の手助け、魔法の品や魔方陣の製作まで)
ただし、戦闘的な魔法のみに特化した魔法使いは、ちょっと珍しいようであまり見かけません。
(どちらかというと、そのような魔法の使い手は聖誓の礎に属する者のほうが多いようです)
いるとしたら、魔法使いの「傭兵」ぐらいでしょうか。



最後に、これらの例外として、
いわゆる”魔法使い”以外の神言魔法の使い手についてふれます。
数はあまり多くありませんが、”魔法使い”でない、神言魔法の使い手、
例えば、魔法を使う盗賊、魔法を使う商人という者達も存在します。これらは、どちらも、凄まじく厄介な存在です!
盗賊にとって、有用な魔法はいくらでもありますし、
(警戒が厳重なところには、それらの魔法に対する対策もされていますが。)
幻覚や、精神に関わる魔法を使える商人はいくらでもあくどい事ができます。


まっとうな”魔法使い”、あるいは上に挙げたような組織に所属している”魔法使い”などは
そのような魔法の使い方を好まないか、禁じられているので
彼らのもとで、このような者たちが魔法を学ぶことができません。
(もしかしたら、落ちこぼれた魔術師がそのようなことに
手を染めることがあるかもしれませんが・・・。)
ですから、基本的に、代々伝えられてきた知識を
その親や師匠から弟子や子へと伝えている場合が多いようです。
ただ、そのような環境では後継者は才能に恵まれない場合も少なからずあるため、
途中でその知識が途絶えてしまうことも少なくないようです。


ちなみに、神言魔法としてひとくくりにして
ここでは取り上げていますが、もとは”神言魔法”であったものが
地域独自の伝承、知識、その他の”力”を扱う術(すべ)と交じり合い、
独自の色を帯びて発達したものも少なくありません。







 聖誓流術法




聖誓流術法とはその名のとおり
聖誓の礎に属する者達が行使する"魔法"です。
ただ、聖誓の礎はその名前とはうらはらに
いわゆる”宗教的集団”ではありません。
そのため、聖誓流術法もいわゆる”僧侶”が使うような
神の力を借りて行う奇跡などではありませんし、
当然、教会の人間や一般の人々も
聖誓流術法が"普通の"の魔法とは違う”奇跡”であるという
認識を持っている訳ではありません。








■ 聖誓流術法の起源


聖誓流術法は聖誓の礎の始祖、シャノンが”御使い”より
その使い方を授かったのが起源とされています。


今(世界暦2000前後)から800年ほど前、”忌まわしき冬”の只中にあった
世界の状況を見かねた御使いたちが
人が自らの手で世界の行く末を変えていくために
シャノンにお告げをもたらしたといわれています。
そして、そこに属する者達が役目を果たす手段の一つとして
聖誓流術法の起源となったものがもたらされたのです。

この聖誓流術法の中には、日常の生活の中で
役に立つ魔法も少なくないのですが、
教会が掲げている信条とはうらはらに
聖誓流術法の中に戦闘的な魔法が多く存在しています。
これは、教会が世界にあふれる”魔物”から人々を守るという使命を負った
集団という一面を持っているからであり、
そして、教会が開かれてか800年が経った今も、
教会が魔物に対抗する最強の集団でありつづけている理由の一つが
この聖誓流術法なのです。








■ 聖誓流術法と神言魔法


聖誓流術法はこの世界において
日常の読み書き喋りのために使われている
イルム(共通語)と神言を織り混ぜて
詠唱が行われる事が特徴であり、
この世界で最も一般的とされている魔法の”神言魔法”と
一部共通点があります。
といっても、神言は”現実”を変容させる力を持っている”力ある言葉”であり、
同じ言葉とはいえイルムとは全く別のものです。

普通、神言魔法の常識ではこのような詠唱を行っても
魔法が発動する事はないと考えられていますし、
実際に全く同じ詠唱を神言魔法の使い手が行ったとしても
魔法が発現する事はありません。
そのため、聖誓流術法には”マナ”や詠唱以外にも
何らかの要因が絡んでいると考えられています。
(魔術師のあいだでは教父や教母が日課としている祈りが関わっているとか、
彼らが何らかの”儀式”を通じてその力を身につけるのだ、と言われています。)
ちなみに、聖誓流術法の使い手達自身も
なにが自分達の魔法の力の源なのか、それをはっきりと知るものはほとんどいません。

聖誓の礎法術はその効果が強力なものが多く
教会以外の人間でその力を手に入れようとした者も少なくありませんが、
上に挙げたような理由から、
そのような試みが成功した事はないと言われています。









 ジュナーグ(気操法)




この世界で知られている特殊な"技術"の最たるものとして挙げられるのが
気操法(ジュナーグ)と呼ばれるものです。
この、気操法を会得した者は、本来ありえないほどの運動能力や集中力を発揮したり、
戦いの際に本人の能力以上の殺傷力を込めた打撃をうちこんだりすることができるため、
戦いや命に関わる危険なことを生業とする者たち(戦士や間諜、盗賊など)のなかには
なんとかしてこの"技術"を会得しようとする者もいるようです。
ただ、気操法を修得したとしても、費やした労力に見合っただけの
成果を得ることが出来るのは、ほんの一握りといわれており、
(気操法は魔法以上に才能に左右される部分が多いといわれている)
実際、戦士や魔法使い、間諜などでも"使い手"といえるだけの人物は
そうそう見かけることが出来ません。
また、気操法を修得する訓練の方法は教える者によって
てんでばらばらなのですが、最終的に

・気操法を使うための体を作る基礎訓練 ―走り込みから真冬に滝に打たれるようなものまで
・イメージトレーニング ―行使の際に自分の望んだ結果を"正確に"もたらすための訓練
・気操法を実際にどのように使うかを体で学ぶための使い手との手合わせ(これが一番重要、らしい)

この三つに集約されるといいます。見て通りこのような訓練(特に三つ目)は
道場などでいっぺんに多くに人間に対して行えるものではないうえに、
気操法を人に教えられるほど習熟している者は
(もともと数が多くない)"使い手"よりもさらに稀である、というのも、
気操法の使い手が限られる要因のひとつとなっているようです。

ただ、見る者が見ればある程度気操法の才能があるかどうかはある程度"分かる"らしいので、
魔法使いと同じく、先人にその才能を見出されて…
というのが一番一般的な使い手への道のようです。
また、聖誓の礎には創立の経緯などから、もともと気操法の使い手が多く、
その結果として、現在も聖誓の礎には(比較的)多くの使い手が所属しているようです。
(具体的にどのような者が気操法を教えることができ、訓練にどれくらいの時間がかかるのかはこちらを参照のこと)


気操法は得られる結果こそ劇的ではありますが、
それははたから見ると"気操法による結果"であると分からないことも少なくありません。
気操法の使い手は戦いの中で、自らの繰り出す一撃の殺傷力を高めることができますが、
実際に一撃を加えた際に何か特別なこと(接触面が爆発したり)が起きるということはありません。
確かにその一撃には見えない力が込められ、
行使者の意図した通りの殺傷力を秘めたものとなるのですが、
あくまでもその発露は"静かな"ものです。
そのため、ある程度戦いに習熟した者ならともかく、
素人がみればそれは単なる"すごい一撃"にしか見えないのです。
そもそも、気操法の使い手の間では、
意識して気操法を使っている間はまだまだ半人前で、
あたかも呼吸するようにそれを使うことが出来るようになって
はじめて一人前であるとも言われており
そのことからも、実は気操法というのが、
なかなか"目に見えない"ものであるということができるしょう。
また、気操法によって殺傷力が増された一撃の効果は
地上の理に反する存在に対して"本来"以上の結果をもたらすと言われてます。
同様に地上の理に反する存在に対して強力な力を発揮する"聖別された"武具は
それ自身に世界ありようをあるべき姿に戻そうとする
"力”が込められているため、そのような結果がもたらされるのですが、
気操法によって武器に込められる"力"も
それに似通った性質を持つため、似たような効果をもたらすのだといわれています。



■ 気操法の発祥 ■


気操法の起源はいろいろと取りざたされていますが、
今のところはっきりとしたことは分かっていません。
上古における"黄金のまどろみの時代"において
既にその源流とも言うべきものが存在していたとの話も伝わっていますが、
それ以上のこととなるとまったくもって不明のままです。
ただ、(今現在一般に"魔法"といわれるとそのこと指す)神言魔法の発祥よりも前の時代、
神々が行ったといわれる"魔法"のなかに、気操法と似たものがあったいうような話もあり、
それが気操法の起源になった、という説もあるようです。





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