真夜中
の闇を照らすの光さえとどかない
森の暗闇の中を、ひとりの少女が走っていた。
足元のおぼつかない闇の中、つまずいてんでも、
枝に引っ掛けて体中が傷だらけになっても
それでも、少女はひたすらり続ける。

破けたはとっくに、ようをなさなくなり、
その隙間からはだらけになった足がのぞいている。

と、またかに、足をとられ派手に転んでしまい、
まともに顔から地面に突っ込んでしまう。

だが
ここで立ち止ってしまったら
そのいが彼女をて、再び足を前へと進ませる。
すでに彼女は自分何処を走っているのかさえ分からなくなっていたが、
そんなことは、少女にとってはどうでもよかった。
ただひたすらに進むだけ。
そんなことをしても
目的の場所に辿けるはずもないのだが、
恐怖疲労が彼女から正常な判断力を奪っていた。




まだ、森の出口は見えそうになかった。





巡礼街道
から外れた
人通りのほとんどない街道。
そこに、焚き火をたきながら休んでいるひとりのがいた。

茶色い髪に、茶色
らされるマントの影からは、鉄片鎧(スケイルメイル)が見え隠れしている。
それに、を携え、を背負っているところからすると、いをなりわいとする者なのだろう。
そもそも、日もとっくに暮れたこんな時間に
人里はなれたく、い森のそばで休もうという者は普通いない。
それでもこういう事をやるのは
無謀なだけの愚か者か、
自らで払うことのできるのどちらかだ。

フレイド。フレイド・アスバーンという。
傭兵ギルドに所属する戦士である。


彼は一人、焚き火のそばで、
ぼんやりと闇を照らす炎をながめていた。
がはぜるぱちぱちとという音以外で、
フレイドの耳にはいってくるのは、
どこからともなく聞こえてくるフクロウの声と
かすかなの鳴き声だけ。

何もやることがなければ、さっさと寝てしまえばいいものだが、
フレイドは半刻(一時間)ほど前にどこかへ出かけてしまった
旅のつれが帰ってくるのを待っていた。

が帰りを待っている
そのつれ
いまや、彼にとってかけがえのない同行者であったが、
ときどき、も言わずにどこかへふらりと行ってしまうという
った性癖を持ち合わせていた。
こうやって野宿をするときに
どこかに行かれると
おちおち寝ることもできないということを
あれも、重々承知しているはずなのだが・・・。

かれは、の中でそんなことをぼやきつつ
なんとなく焚き火から目を離して
星空をなんとなく眺めていた。

四半刻(約三十分)ほどそうしていただろうか、
何の前触れもなく、正面にたっている木の枝の上に、
かの影ががもなく降り立つのが彼の視界の隅に映る。

その姿は一見、人間(の女性)のようであったが、
その背中の
そのさを感じさせない立ち振る舞いは
その人影が人間でないことをいに物語っていた。

背中にある透明と、った銀髪

彼女はエルフと呼ばれる妖精族の一員であった。


青白いに照らされたその姿
ひどく人間離れしていて、現実感に欠けるしさにみちていた。

だが、フレイドはその姿に見とれることもなく、
ただ一瞥しただけで、焚き火のほうに視線を戻す。
そして、

 「助かったよ。一晩中帰ってこないんじゃないかと
  ひやひやしてたよ。」と、

その女性に声をかける。

そう彼が言うと、
その人影

風エルフの女性
は悪びれた風もく、
軽く微笑んで

 「そんなに大げさに言わなくても
 くを一回りしてきただけですよ。」

と、答え
自分が降り立った木の枝の上にふわりと腰かける。


フレイドが待っていたつれとは彼女のことであった。
本来、風エルフに行動することなど普通ないのだが、
どうやらこの二人普通ではないようであった。

しばらくの沈黙ののち、
フレイドが焚き火のほうに目を向けたままび口を開く。

「なぁ、セラ
。」

「?」


いや、やっぱりなんでもないよ。」


なにやら、諦めたような表情になり
フレイドは、風エルフの女性
セラと呼ばれているらしい
に何か言おうとするのをやめてしまう。

フレイドは彼女に、どこか行くときは
自分にひとこと言ってほしいと言おうとしたのだが、
もう今までに、じようなやり取りを
何十回とくりかえしていた事を今更ながら思い出して
そのことをいうのをやめたのだった。
何度同じことを言っても彼女の
というかエルフ特有
性癖が直ることが無いのはもう分かっていたからだ。

 「それより、なんか変わったこととかあったか?」

 「いえ、特には・・・。」

 「そうか。だったら俺は寝るよ。」

 「ええ。どうぞお先に。」

 「ああ、いつもどおり、適当な時間になったら起こしてくれ。」


そうやって、までに何度となく繰り返してきた会話を交わし
フレイドが寝具の準備をはじめようとしたとき、
何かに気付いたのか、
セラの妖精族に特有なとがった長い耳がピクリとかすかに動く。

彼女はいろいろなことに対して無頓着で
こまかいことは気にしない性質ではあったが、
妖精族の例に漏れず鋭い感覚の持ち主であった。

そんな彼女の様子に気付いたのか
フレイドも手早く、自分のを手元に引き寄せ、
をひそめて彼女と会話を交わす。

 「どうした?」

 「かが走る音がします・・・。」

 「は?」

 「多くないですね、多分一人・・・。」

 「人間か?」

 「ええ。ただ、この足音
 かなりたよりないみたいですけど・・・。」

セラの焦点のずれた表現
いつものことなのだが
が理解できず、呆れ顔で

 「りない?」

と、フレイドは聞いても
あいまいな微笑を浮かべて

 「とりあえず、様子を見てみましょう。」

とだけ答え木から舞い下りる。
そんな彼女の様子をみて、
もう何を聞いても無駄だと悟ったのか
フレイドもため息をついただけで、無言で立ち上がる。
そして、二人でのほうへ気配を殺しながら歩き出そうとしたとき、
今度は唐突に、どさりというきなが二人の耳に飛び込んでくる。

その物音が何であるのか量りかねたフレイドは
意見を求めようと、セラのほうに視線を送ると、
さっきとはうって変わって、警戒もなにせずに
音のしたほうへすたすたと歩いていっているではないか。
そんなセラの様子を見て、フレイドは慌てて彼女を引き止める。

 「ちょっと待ってくれ、
 もういいのか?」

 「ええ、さっきの音は
 足音の主が倒れた音ですよ。
 ほかの足音は聞こえませんから。」

 「それならいいんだが。
 だだ、一応な・・・。」 

だったら、ひとことそう言ってからそうしてくれと
心の中でぼやき、
セラと共に音のしたやぶのほうへと足を進める。


そして、その先で二人が目にしたのは、
憔悴しきってれている少女姿だった。










くさいいやない。
がしい様子に気付き、目を覚ました彼女の鼻をついたのは
そんな匂いだった。
だが、その匂いよりも不快だったのは
にまとわりつく不気味気配
「それ」に触れていると、
どういうわけかたい泥沼の中にいるようなそんな彼女は錯覚を覚えた。

に寝ているはずのもおらず
外からもれ聞こえてくる、誰かの叫び声と人が争うような音に
不安を抑えきれなくなった彼女が
テントの外に出て誰かを探しにいこうとすると
突然、入り口からを手にした父が顔を覗かせる。

 「アゼル!」

テントに入ってきた父の顔にはなにやら
ただならないもが感じられた。

 「さん?が・・・」

普段、剣など持ったことがない父が
剣を手にしているところを
彼女はいったいが起こっているのかねようとするが
父は娘の言葉をさえぎり、
思いもかけぬ言葉げる。

 「いいか、おまえはからさんと一緒にげるんだ。」

突然そう言われ彼女は困惑する。
なぜ、この夜中突然逃げ出さなければならないのか、
この不気味気配はなんなのか、
兄はどこへ行ってしまったのか。
いくつかの疑問が彼女のの中にかんだが、
父は彼女がその疑問を口にする時間さえ与えない。
彼女の手に上着と護身用と思われる短剣を彼女の手に押し付けると
父は彼女の手を引きテントを出ようとする。
だが、二人がテントの外に出ようとしたとき、
はっきりとのものと分かる悲鳴が聞こえ、
それに続いてガスッというが彼女の耳に入る。

そのを聞いた
弾かれたように外にび出す。

父の後を追ってテントの外に出た彼女が
そこで眼にした光景
呆然くす父の姿と、
焚き火の残り火にらしされる黒々とした巨大だった。


それはなんと表現したら良いのだろうか。
に発達した筋肉におおわれた巨大な身体、
全身を覆うがさがさとした
そして頭部にある三つのとねじくれた角。
彼女の目の前にいるその”獣”は
明らかに彼女が今まで目にしてきた生き物とは異質な存在だった。


魔物
彼女の混乱するの中につの言葉が浮かんだ。
物心ついたころから両親やその仲間と旅を続けてきた彼女だが
幸運なことに、今まで一度も”それ”にであったことはなかった。
それは、両親や一緒に旅をする皆が
魔物を避けながら旅をする術を知っていたからであったが、
それでも旅の途中で魔物に襲われて朽ち果てた村を目にしたり
旅の連れである吟遊詩人が披露する話を聞いたりしていたから
その恐ろしさは彼女は知っているつもりだった。

だが。

目の前に現れた”それ”は彼女の想像を超えていた。
そのまがまがしい姿と、圧倒的な威圧感。
そして、何よりも”それ”がまとう気配が
得体の知れない恐怖に呼び起こし
彼女はその場に立ち尽くす。

 「アゼル!アゼル!」

衝撃のあまり、一瞬、動きを止めていた彼女の心を
父の叫びが現実へと引きずりもどす。

 「父さん・・・」

 「いいか、ここは父さんが時間を稼ぐからアゼルは逃げろ。」

 「でも母さんは!?」

彼女がそう聞くと、
父は彼女から顔をそらして言う。

 「母さんは・・・
 母さんはおまえとは一緒にいけそうにない。
 後で行かせるから今はおまえだけでも・・・」

父とそのようなやり取りをする間も”それ”が一歩、ゆらりと前のほうに踏み出してくる。
それに対して父もまた彼女をかばうようにして
前に踏み出し、自分の背後にいる彼女に声をかける。

 「いいか、おまえは近くの村まで行って兵隊さんの所か教会にいくんだ。
 そこで助けを呼んできてくれ。」

 「でも」

 「いいか、ここには父さんだけじゃなくてみんなもいる。
 こいつは何とかしてみせる。
 でも誰か怪我をしたときのために
 おまえが行って助けを呼んでくるんだ。」

ずいぶんと、無理のある言葉であったが、
娘をこの場から引き離すための彼なりの精一杯の言い訳であった。
目の前にいる化け物と戦って生き残れるとは考えられないし、
だからといって二人いっしょに逃げても、逃げ切れるとは到底思えない。
それならば、自分が残って娘が逃げるだけの時間を稼ぐしかないのだ。

父は目の前にいる魔物の威圧感と心の中に湧き上がってくる恐怖に
押しつぶされそうになりながらも、
この状況をなんとかしようと必死に思いをめぐらせていた。

夜の森が危険なのは承知をしている。
それに無事助かったとしても、
まだ世間を知らぬ娘が一人で生きていくことなどできるのだろうか。
もしかしたら、ここで命を落としたほうがましだったと思うことがあるかもしれない。
だが、彼は娘をここで死なせるわけにはいかなかった。
それが、親のわがままであったとしても。

それでも。
それでも、生き延びてほしい。
少しでも可能性があるのなら。
そう思う。

そのためには、なんとしても彼女をこの場所から引き離さなければならない。

 「早く!」

さっきよりいっそう強い声で言われ
彼女はびくりと身をすくませる。
そんな彼女の様子に気付いたのか、
声を落とし、今度は言い聞かせるように彼は言う。

 「いいか、おまえにしかできないことなんだ。
 頼む。助けを呼んできてくれ。」

そういうやり取りをしているうちにも魔物は一歩一歩、
ゆっくりと、しかし確実に二人のほうに近寄ってくる。
さっきよりも距離が近づいたせいで、
魔物の口とおとぼしき部分や、鉤爪に
べっとりと赤黒いものが付いているのがはっきりと見えた。

それに気付いた彼女の心にいやな予感がよぎる。
あれは、誰の血なのだろうか?
さっきの母の悲鳴は・・・。
認めたくはなっかた。
だが、母はもう・・・。
そう思うと、どうしようもない恐怖と絶望感が心の中に湧きあがってくる。

だが、そんな彼女とは裏腹に
彼女の前に立つ父は剣を両手で構えて一歩目に進み出る。

自分しかできないこと・・・、自分がいても何もできない・・・。
夜の森を通るのは恐ろしいが自分が行かなければ・・・
彼女は恐怖で混乱する頭の中を必死に整理しようとするが
考えはまとまらない。
母さんはもういない、父さんから離れたくない、心細い、しかし魔物は・・・
いったい、私は何をすればいいのだろうか?

その答えを求めて、前に立つ父の背中を見る。
そこには、剣を手にし彼女をかばうようにして立つ父の姿があった。
魔物から自分を守ろうとしている父。
そうだった。父さんは私をここから逃がそうしている。
逃げろと。


そしてもう一度、

 「早く」

そう静かに父が告げるのを聞いて、
彼女は暗い森の中へと駆け出した。












ぱちぱちと焚き火がはぜる音。
ぼんやりとした意識の中で彼女の耳にはいいってきたのは
野営のときにいつも耳にしていた音だった。

ここはどこなのだろうか

そう考えながらながら、ぼうっとする意識の中
ゆっくりと起き上がって周囲を見渡す。

そこで彼女の目に入ったのは、
焚き火を囲んで座る一組の男女。
そのうち男のほうは槍と盾を傍らに置いているのが見えた。
と言うことは、兵士か何かだろか?

そして女のほう。
女のほうは・・・人間ではなかった。
背中にある透明な羽と月の色にも似た銀髪は・・・
いつかはなしに聞かされた風エルフだろか?
いつだったか旅の途中で、空を舞う姿を遠目に見たことはあったが、
こうやって間近に見るのははじめてだった。

自分がその背中をまじまじと見ていると
その視線に気付いたのかこちらのほうに歩いてくる。

そして自分。
自分には毛布かかけられていた。
と言うことは、彼らが自分を助けてくれたのだろうか・・・・?

”助けてくれた?”

彼女はまだはっきりしない頭で
自分の身に何が起こったのかをゆっくりと確認する。
そして。
そして、思い出す。

自分がなぜ家族と共にいないのか、
なぜ暗い森の中を一人でさまよっていいたのかを。
あの魔物の姿を。
森の中に駆け込むときに背中越しに聞こえた、父の苦しげな叫び声を。

恐ろしかった。
ここから逃げ出さなければならないと思った。
そうしなければ、あの化け物に追い付かれる。

そう思って立ち上がろうとするが、
足にはしった激痛に思わず足がもつれ転んでしまう。

 「あ・・・」

自分のそばまで来ていた風エルフが
間の抜けた驚きの声をあげ、
急いで彼女を助け起こす。

 「足には一応、手当てをしてありますけど
 無茶をしては駄目ですよ。」

彼女のそばまで来ていた風エルフの女性が
そう彼女に言い聞かせるように言うと
彼女を座りなおさせて毛布をかける。
だが、彼女はその毛布を跳ね除けて
なおも立ち上がろうとする。
しかし、彼女の足はその意思に反して一向に動こうとしない。

 「あいつが!あいつが・・・」

二人にも”あれ”が襲ってくるかもしれないと言おうとするが、
まともな言葉にならない。

あいつが来たら?
足も動かない。逃げることもできないのだ。
もう駄目だ。
もう。

風エルフの女性は突然取り乱した彼女をどう扱ったものかと
途方に暮れているいるようであったが、
そんな二人の様子を
見かねたのか彼女のそばまで来た男が彼女のほうに近寄ってくる。

 「なぁ、とりあえず、落ち着かないか?
 君が何におびえているのかは分からないが
 今のところ何かが襲ってくるということはないさ。
 それは保証する。」

彼女の目を見ながら男はそう言う。
男が何を根拠にそういっているのかは分からなかったが、
その静かな声が正常な判断力を失っていた
彼女を心を少しだが冷静にさせる。

今、

それに、あの魔物が撒き散らしていた禍々しい気配も感じられなかった。
その事実を確認すると、少しだが落ち着くことができた。
自分は助かったのだろうか?

そんな彼女の様子に気付いたのか
男はほっとした顔になって、彼女の正面に座り、
彼女が落ち着くまで待つつもりのようだった。

それから、四半刻。
相変わらず、男は何も言わず彼女の前に座っていて、
風エルフのほうはというと、いつの間に移動したのか
彼女の上のほうに張り出していた枝の上に目を閉じたまま腰掛けている。

この四半刻で
何とか自分を取り戻すことができた彼女には
この沈黙になにやら居心地の悪さを感じはじめていた。

「あの・・」

彼女が小さな声で男に声をかけると
男は視線を彼女のほうに戻す。

 「どうだい?少しは落ち着いたかい?」

 「はい・・・。」

 「そうか、ならよかった。
 とりあえず、君の名前は?」

 「私は・・・アゼルといいます。」

 「そうか。
 じゃあ、アゼル。
 良かったら俺達に何があったか話してくれないか?
 もちろん話したくなかったら別に話さなくてもいいんだが、
 もしかしたら、力になれるかもしれない。」











一刻(二時間)ほど前に
茂みの中で倒れていたのを見つけて助けた少女

アゼルという名前らしい
    がようやく落ち着きを取り戻して
事情を話し始めたのは、少女が目を覚ましてからずいぶんと経ってからのことだった。

助けたときの状況や目を覚ましたときの取り乱し方からして
おそらく野盗か何かに襲われて逃げてきたのだろうとフレイドは思っていたが、
その予想はあらかた的中していた。

彼女は、両親が取り仕切る旅芸人の一座の一員として旅していて
その途中で一行が魔物に襲われ、一人逃げてきたということであった。

今は、疲れたのか毛布に包まって寝ているが、
その顔には疲労が色濃く刻まれている。
そんな彼女の様子を見ていると、
フレイドの胸に苦い痛みのようなものがはしる。

 「フレイド?
 どかしたんですか?」

なんとなく彼女の寝顔を見ていると
相変わらず枝の上にいるセラが話しかけてくる。

 「いや、別になんでもないさ。」

そう曖昧に答えるとフレイドは
アゼルから視線をそらし、セラのほうを見る。
 
 「ところで、その子の頼みはどうするんですか?」

 「ん?ああ、あれか・・・。」

彼女に事情を聞き、その話の流れで
フレイドが傭兵ギルドに属していることを話したところ、
一座を”助け”に行ってほしいと頼まれたのだ。
報酬に関しては、一座から必ず払うと約束もされた。

だが、アゼルから聞いた様子からして
魔物に襲われた彼女の両親や一座の者が他に生き残っている可能性は低かった。
しかし、それでも、フレイドはアゼルの頼みを聞くつもりだった。
報酬に関しては残された荷物の中から金目のものや金を見つけて
その一部を報酬として受け取ればいいだけのことであったし、*1)
報酬うんぬんの前に、フレイドにはアゼルからの依頼は断るわけには行かない理由があった。

アゼルも、内心は分かっているはずなのだ。
誰も、生き残っているはずがないということを。
だが、それでも自分の目で確かめなければ納得できないのだろう。
そうしなければ、両親や連れの死を受け入れられないまま
ずっと引きずっていくことになる。

かつて、あのときの自分がそうであったように。


だから、むごい事かもしれないが
彼女には両親の死を自覚させなければいけない。
もう、自分を守ってくれる温もりが失われたということを。
それを、自分の力で取り戻さなければならないということを。












セラの視線の先、
樹の根元の所に立ったまま、フレイドは考え事をしているようだった。

先ほど声をかけたはいいが、
その返事は返ってこず、
ただ、心の中に湧き上がってきた何かに耐えるように立ち尽くしている。

おそらくまた、昔のことを思い出しているのだろう。
いつかだったか、フレイドが酔っ払ったときに聞かされた話。
あのことを思い出すときはいつも、あのような顔をする。

セラにとって
彼のあのような顔を眺めているのは
なんとなく気持ちのいいことではなかった。
彼の注意を別のことに向けるために話し掛けようとしたその時、
彼女の耳に、ピシリという枝を踏み砕くかすかな音が入る。
そして、それとほぼ同時にねっとりと肌に絡みつくような悪寒が襲ってくる。
とっさに、その異変をフレイドに伝えようと視線を下に向けると、
彼も、既に異変に気付いたらしく、険しい表情を浮かべて
武器を構え手早く兜を付けているところだった。

 「どうやら、あちらからお出ましになったようだな。
 できたら、こういうかたちで出くわすのは避けたかったんだが・・・。
 とにかく、セラはアゼルを安全な所に連れて行ってくれ。」
 
 「ええ。気をつけて。
 彼女を安全な所まで連れて行ったら私も手伝いますから。」
 
 セラがそう言うとフレイドは肩をすくめてそれに答える。

 「なに、セラがくるまでに片付けておくさ。」

笑いながらそう言うと、フレイドは再び険しい表情に戻り、
魔物の気配がする方へ慎重に歩いていった。


セラは、地面に降り立つとアゼルの身体を抱えて運ぼうとするが、
非力な彼女にとっては少女一人といってもかなりの重さであった。
しかも、ここで目を覚まされて暴れられたら手におえなくなる。。
セラは、これからの自分に待っている大仕事を想像して
小さなため息をついた。












セラと別れたフレイドは焚き火の明かりが十分に届く所で
静かに魔物が近づいてくるのを待っていた。

「気操法」の使い手であるフレイドは
あたりに立ち込める瘴気をはっきりと肌で感じ取りながらも
その影響から逃れている。
目で捕らえなくとも、
少しずつ、魔物が撒き散らしている瘴気が徐々に濃くなってきているのを感じる。
それは魔物がゆっくりとフレイドのほうへ近寄ってきている証拠だった。

そして、木々をなぎ倒すばきばきという大きな音も聞こえ始め、
そろそろかと思った瞬間、
突然、突風のように吹き付けてくる瘴気を感じ
とっさにフレイドがその場から飛びのく。
その直後に森の木々の間にわだかまっている闇の中から
魔物の巨体が飛び出し、
今まで彼がいた場所に地響きを立てて着地する。
そして威嚇するかのように喉を鳴らしながら、
強大な三つの目でフレイドを凝視する。

魔物には常識は通用しない。
それが、魔物と戦う者達の常識であったが、
”これ”もその見本というべき存在だった。

どうやれば、あの巨体があの速さで跳べるのか
フレイドには理解できなかったが、そんなことは今更関係ない。
魔物とはそう言うものだ、と、即座に自分を納得させ
目の前にいる魔物の姿をその目でしっかりと捕らえる。

その姿で一番目立つのは
やはり頭部にでたらめに付いた目であった。
体全体を覆う鱗と、頭にある鋭い角。
半開きになった口からは、巨大な牙がのぞいている。
そして、魔物の右肩のあたりに剣が刺さっている。
あの巨体ではそう堪えているわけではないのだろうが
その傷のせいで気が立っていることは間違いないようであった。

フレイドと魔物のにらみ合いは長くは続かなかった。
先手を取ろうとフレイドが槍を構え、
一撃を繰り出そうとした瞬間、
目の前の魔物が弾かれたように
突然フレイドめがけて突進してくる。
この距離から体当たりを仕掛けてくるとは予想もしていなかったフレイドは
不意を突かれ、その体当たりをかわすことができない。
とっさに左手の持っていた盾を前にかざして身体をかばうと、
その直後に、がつんと言う音と共に凄まじい衝撃が盾越しに左手に襲い掛かってくる。
フレイドはその勢いを殺しきれず身体ごと後ろのほうへ吹き飛ばされる。
まともに背中から地面にたたきつけらたフレイドは
ごろごろと地面を転がり、木の根元のぶつかり動きを止める。
フレイドは衝撃で息が詰まりそうになりながらも、
槍を杖にして立ち上がり即座に体勢を立てなす。

そして、自分の左手にいる魔物の姿を認めながら
さっきまともに衝撃を受けた左腕が無事なのを確認する。
あれだけの勢いを受け止めていながら折れていなかったのは運が良かったといえるだろう。
まさか、あの間合いでいきなり体当たりをしてくるとは思わず
さっきは不覚を取ったが、
ある程度相手の手の内が知れた以上、
もうあんな無様なことは繰り返すわけには行かなかった。

そして、フレイドが立ち上がった直後、
魔物は再び目にもとまらぬ速さで魔物の巨体が殺到してくる。
だが、今度はさっきのように魔物の身体がフレイドを捉えることは無かった。
魔物の動きは速いものの、直線的で一度見切ってしまうと
それをかわす事はフレイドにとっては難しいことではなかった。
フレイドは唸りを上げて突進してくる魔物の巨体を紙一重でかわし、
目標を捉えれずにたたらを踏んだ魔物の背後に間髪いれず
ありったけの“力”をこめて槍を突き入れる。
フレイドが繰り出した槍の穂先は
わずかに燐光を帯びて
並の刃物などいとも簡単に弾き返しそうな魔物の鱗に
吸い込まれるように突き刺さる。
ずるりと言う肉を聴き裂く感触が手に伝わってくるのと同時に
フレイドは槍を引こうとするが、
魔物の異常に発達した筋肉が異物の侵入を拒絶して引き締まり、
槍の穂先をくわえこんで離そうとしない。
フレイドが魔物の身体にとどまろうとする槍を無理やり引き抜くと、
さすがにこたえたのか
魔物が身も凍るような絶叫をあげる。
だが、フレイドはその叫びに怯むことなく
間髪いれず次の一撃を叩き込む。

普通の人間であるなら、
気操法の使い手であるフレイドの渾身の”力”をこめた
攻撃を二撃もくらったら、もう死んでもおかしくないのだが、
目の前の魔物はそうはいかないようだった。

二撃目を背中に受けた直後、
体勢を立て直した魔物は怒りに燃える三つの瞳をフレイドに向け
雄叫びを上げながら、その巨体を躍らせる。
槍を持っていかれそうになりながらも、何とか引き抜き
フレイドが身をかわすと、
獲物を捉え損ねた魔物の牙ががちりと噛み合わされる。
これ以上近い間合いで戦うと、
爪に組み敷かれる可能性があるため、フレイドは一旦魔物との距離を取る。

それから、フレイドは幾度となく襲いかかる魔物の攻撃をしのぎながら、
着実に槍の狙い済ました一撃を魔物の身体に叩き込んでいくが
魔物巨体が倒れる様子は一向に無い。
もともと、フレイドが戦っている付近は森の中で
比較的開けている場所だったのだが、
普通、魔物の巨体が体当たりを繰り出すには不向きなはずであった。
だが、魔物は身体の大きさに似合わぬ俊敏さで幾度となく体当たりを繰り出し
フレイドを追い詰めていた。
戦いが始まってから
それほど時間が経っている訳ではなかったのだが、
フレイドはずいぶんと長い間この魔物と戦っているように感じられてくる。

こうなると、スタミナにおいて劣るフレイドのほうが
俄然不利になってくる。
魔物のほうは傷を負っているとはいえ、
まったく疲れを見せないのに対し、
一方のフレイドは全力で気操法を使えるほどの
気力は既にもう残っていなかったし、
何よりも、一度でも魔物に捕まりでもすれば、
あの巨体と怪力に押しつぶされて一巻の終わりなのだ。
このままずるずると戦いを続けると
まずいことになるのは明らかだった。


こうなったら、勝負に出るしかない、
そう判断して、フレイドが覚悟を決めたとき
突然、魔物の身体がびくりと震える。

その原因に思い当たったフレイドが上空を見上げると、
彼の予想通り、魔物の背後、少し上のほうに弓を携えて宙を飛ぶセラの姿があった。

セラの姿を認めたフレイドは彼女になにやら合図をすると
魔物は背後と正面から攻撃を受けかなり気が立っている様子の
魔物に対して挑発するように小刻みに槍を繰り出す。
すると案の定、魔物は目の前のフレイドに気を取られ、
セラのことは目に入らなくなったようだった。

そして、フレイドが牽制をしている間に
セラは再び矢をつがえ、再び魔物に向けて矢を放つ。
その矢は魔物の背中に突き刺さり
再び魔物の注意がそれる。
その瞬間こそフレイドが待っていた一瞬だった。
フレイドは魔物の気がそれたそのわずかな間に
尽きかけていたプラーナを限界まで高める。

その"力"の流れを掴み、
身体の隅々まで行き渡らせると、
目に入るすべての動きがゆっくりと感じられてくる。
それは、一瞬ではあるが、
気操法によってフレイドの身体と感覚が飛躍的に高められた証拠であった。

その引き延ばされた時間の中で
フレイドは一瞬のうちに魔物のふところまで飛び込み
流れるような動きで
体重とありったけの"力"をのせた一撃を
魔物の巨大な目に叩き込む。

魔物の目玉に突き込まれた槍は
柄の二分の一ほどを目玉に埋め、
頭蓋を貫いて後頭部に抜ける。
魔物は周囲の木々が震えるほどの絶叫を発し
身体をびくびくと痙攣させる。
普通の生き物なら間違いなく即死するはすの一撃であったが、
それでも、魔物は動きを止めることは無かった。
守りを考えずに捨て身の攻撃を繰り出して体勢が崩れた
フレイドを槍ごと振り回し角で跳ね飛ばす。

だが、フレイドを振り飛ばした所で、
ようやく魔物の身体は自分の死を悟ったのか、
頭を槍に串刺しにされたまま
何度か弱々しく身体を震わせて動きを止める。










index