― 黄昏の幻 ―
黄昏時。 木々があかね色に染まった荒野に長い影を落とし、 枝に残った葉が、 風にふかれてかさかさと音を立てている。 その荒野にたたずむひとりの男がいた。 年のころは、二十歳前後。 茶色い髪に、茶色の瞳。 風にあおられてはためくマントの影からは、鉄片鎧(スケイルメイル)が見え隠れしている。 それに、槍を携え、盾を背負っているところからすると、戦いをなりわいとする者なのだろう。 そもそも、この時間に人里はなれた荒野を出歩くものは普通いない。 獣たちや、魔物、そして死者達がうごめきだすこの時間、 すでに荒野は人が出歩くべき場所ではないのだ。 それでも、こうやって荒野を行くのは、 無謀なだけの愚か者か、 夜の闇を自らの手で払うことのできる者のどちらかだ。 男の名はフレイド。フレイド・アスバーンという。 傭兵ギルドに所属する戦士である。 彼は、アイネアスと呼ばれる 白い花で編まれた花輪を手にしていた。 アイネアスの花輪。 この地方で、死者へのたむけに贈られる品。 彼は、そのアイネアスの花輪を握り締めたまま、 ただ、目の前にひろがる光景をみつめていた。 フレイドの視線の先には、なにやら朽ちた石の柱のようなものがいくつも並んでいた。 注意しなければ荒野にころがる岩のかたまりと見違えてしまうほどのものだが、 よく見れば、何かの建物の跡だということがわかる。 彼はそんな、風雨にさらされ 朽ち果てた建造物の跡を見つめていた。 人の暮らした跡。 そう、ここには昔、ちいさな村があった。 十五年前のあの日までは。 どれくらい立ち尽くしていたのだろうか。 空が闇色に染まり始めたころ、 「あれからもう、ずいぶんとたったんだな・・・。」 そう、ぽつりとつぶやくと、 ここへ来た一応の目的を果たすために フレイドは廃墟の中のとある場所を目指してゆっくりと歩き始める。 そういえば、なぜ自分はここにくる気になったのだろうか? あの日、この村を訪れた戦士に拾われて以来、 この地を訪れることはなかった。 自分を拾ってくれた男は 魔物退治や、隊商の護衛の依頼を受けて、 世界の各地を数人の仲間と共に旅する傭兵で、 どういうわけか、自分のことを 実の子供のように育ててくれた。 彼と共に行動し、各地を旅していた間は、 このような辺境の村の近くにくることはなかったし、 めまぐるしく毎日が過ぎていく中で、 故郷を思い出すことはほとんどなくなっていた。 そして、自分を育ててくれたその男や、共に暮らした戦士達との別れから二年。 フレイドは世界の各地をあてどなくさまよう旅を続けていた。 その間に、この地を訪れようと思えば、訪れることはできたのだ。 ただ、ここにはどうしても足が向かなかった。 それは、ここを訪れることで、 自分の故郷がこの地上から消えてなくなってしまったという、 その事実をあらためて思い知らされるのが恐ろしかったのかもしれないし、 ただ単に、あの日の出来事に対する恐怖があったからかもしれない。 しかし、あれから十五年が経った今、 どういうわけか、この地に足が向いた。 それは、この二年間で、 やっと、自分が故郷の惨状を受け入れることができるだけの 大人になったからなのか、 それとも、故郷の思い出と共に、 その痛みも薄れたからなのか。 少なくとも、今こうやって、この朽ち果てた故郷を目の前にしても、 悲しみや恐怖が心の中に湧き上がってくるということはなく、 ただ、しびれるようなむなしさを感じただけだった。 フレイドは今、廃墟の中を歩いていた。 そうすると、嫌でも昔のことが思い出される。 右手にある家の跡。 そう、あそこには、パン焼きのうまいおかみさんの一家がいた。 ずいぶんと騒がしい家で、 ここを通ると、威勢のいいおかみさんの声がよく聞こえてきたものだった。 そのおかみさんに限らず、 この村はずいぶんと、活気に満ちた村だった。 だが、今、耳に入ってくるのは、 虫達の澄み切った鳴き声と、吹きぬける風の音、 そして自分の足が地面を踏みしめる音だけ。 あらためてそう思うと、どういうわけか、ひどく物寂しくなってくる。 いつもであれば、共に歩くつれがいたからか そういう思いをしたのは久しぶりだった。 フレイドは、今から半日ほど前、近くの街で、アイネアスの花輪を買い、 つれをその街に置いてここまでやって来た。 自分が、ひとりで、しかもこの時間に荒野に出かけるというのに あれは、見送るときに「気をつけて。」と一言いっただけだった。 勝手な話だが、相変わらず薄情な奴だと思う。 せめて、一言ぐらい止める言葉をかけてくれてもいいのではないのだろうか。 もとはといえば、 自分がひとりで行くといったのだから、文句をいっても仕方ないのだし、 いっけん、気をつかっていないようで、 あれはあれでそれなりに自分のことを気遣ってくれているということを フレイドは重々承知していたのだが。
今、彼の目の前にあるのは、かつて村の広場だった場所。 秋の収穫祭の時には、村の皆が歌い踊り、 遊び友達と遊んだその場所も、 今では、一面、野草におおわれていて、その面影はない。 その広場の一角にある、 なにやら石をいくつも積み上げてつくられた もののそばまで歩いていき、 手にしていたアイネアスの花輪をそっとおく。 それは、墓標だった。 あの日、死んだ村人達の。 |