昔、とある寂れた村から少し離れた山の中に「サンジ」という狐がいました。サンジは一人ぼっちの子狐で、しだのいっぱい茂った森の中に穴を掘って住んでいました。
 そして夜でも昼でも辺りの村へ出て来て、いたずらばかりしました。畑へ入って芋を掘り散らかしたり、菜種がらの干してあるのへ火をつけたり、百姓家の裏手につるしてあるとんがらしをむしり取っていったり、色んなことをしました。

 サンジのいたずらは、本当は一人ぼっちである寂しさの裏返しでした。
 しばらく前にサンジのお祖父さん狐の『ゼフ』が死んでしまってから、サンジはずっと孤独でした。
 ゼフはサンジにたびたび「食べ物を粗末にしてはならない」と教えていました。しかしサンジは自分を一人ぼっちで残して逝ってしまったゼフへの恨みも込めて、そんないたずらを繰り返しました。
 もしかしたら、サンジの悪さを見兼ねたゼフが天国から叱りに来てくれるかもしれない、と思って・・・


 ある秋のこと、2,3日雨が降り続いて、サンジはその間外へも出られなくて、穴の中で一人しゃがみ込んでいました。
 サンジは雨が嫌いでした。じっと穴の中で息を潜めていなければなりませんし、何より、悲しいことを思い出してしまいます。
 ゼフが息を引き取ったのも、こんな暗い雨の日でした。
 脳裏に、苦しそうに横たわるゼフの最期の姿がよみがえり、サンジはぎゅうっと膝を抱えました。
 「クソじじい・・・」
 自分で息をするのもままならないクセに、サンジを一人ぼっちにしてしまう事を最期まで心配していたゼフ・・・その悲しそうな、苦しそうな瞳が頭から離れず、サンジは堪らず頭を左右にブンブン振りました。
 早くこの雨が止んでしまえばいい・・・そう思いながら、サンジはいつのまにか丸くなって眠ってしまいました。

 サンジが目を覚ますと、いつの間にか雨の音がやんでいました。サンジは開けたばかりの目をゴシゴシ擦りながら、ホッとして穴から這い出ます。
 空は昨日までの長い雨がうそのようにカラッと晴れていて、百舌鳥の声がきんきん響いていました。
 サンジは村の小川のほとりまで出て来ました。辺りのすすきの穂にはまだ雨の雫が光っています。
 川はいつもは水が少ないのですが、3日もの雨で水がドッと増していました。ただの時には水に浸かることのない、川べりのすすきや萩の株が黄色くにごった水に横倒しになって揉まれています。
 サンジは川下の方へとぬかるみ道を歩いていきました。

 少し行くと、背の高い萌葱色の髪をした男が川の中で腰のところまで水に浸りながら、魚を取る『はりきり』という網を揺すぶっているのが見えました。まあるい萩の葉が一枚、頬にへばり付いています。あの端整な横顔は、この近くに住んでいるゾロに違いありませんでした。
 ゾロは気立てが良くて働き者として、村でも評判の男でした。たった一人の身内である病弱な姉が一緒でなければ、貧しい彼も婿養子としての引く手は数多だったことでしょう。
 しかし、彼は姉のくいなから離れるようなことは決してしませんでした。
 ゾロはまた、優れた刀の使い手でもあり、村の小さな剣術道場の師範代として、子供達に稽古をつけていました。
 そんなゾロが、畑仕事の合間に河原で刀を振るう姿を見るのが、サンジは大好きでした。ゾロの剣舞は、まるで鬼人のように鋭く俊敏で、それでいて天女のような滑らかさや艶さえも帯びていました。
 サンジはゾロに、恋愛感情にも似た憧れと好意を寄せていました。しかし、狐の姿である彼にはゾロと話すことも近づくこともできません。
 ゾロに自分の存在を知ってもらうために、サンジにできる事は、いたずらをして気を引くことだけでした。
 農夫であるゾロがこんな事をしていることに少しの疑問を感じながらも、サンジは草間の陰から、漁をするゾロの様子をじっと見つめていました。

 しばらくすると、ゾロははりきり網の一番後ろの袋のようになったところを、水の中から持ち上げました。
 その中には芝の根や草の葉や、くさった木切れなどがごちゃごちゃ入っていましたが、ところどころ白いものがきらきら光っています。それは太いうなぎの腹や大きなキスの腹でした。
 ゾロはびくの中へそのうなぎやキスをごみと一緒にぶち込みました。そしてまた、袋の口をしばって水の中に入れます。
 ゾロはそれからびくを持って川から上がりびくを土手に置くと、何かを探しにか、川下の方へ駆けて行きました。

 サンジはゾロが見えなくなったところで、すばやく置き去りにされたびくに近づきます。中を覗くとうなぎや川魚がたくさん入っていました。
 それを見たサンジは悪戯心を働かせて、目を輝かせました。びくの中に手を突っ込むと中の魚を掴んで、はりきり網のかかっている所より下手の川の中めがけて、ぽんぽん放り込みました。
 魚は言葉どおり、水を得た魚のようにすいすいと逃げていきました。
 最後に残った太いうなぎもびくの中から掴み取ろうとしますが、ぬるぬる滑ってなかなか掴めません。しばらくそうして格闘を繰り広げているうちに、うなぎはサンジの首に巻きついてきました。
 慌てて引き剥がそうとしたとき、ちょうどゾロがどこからか帰ってきました。
 「うわ!やめろ、この泥棒狐!!」
 サンジはゾロの声に飛び上がると、うなぎを首に巻きつけたまま、一目散で森へと逃げ込みました。走って走って・・・振り返ってみると、ゾロは追っては来ていませんでした。
 うなぎの頭を噛み砕くと、ようやくサンジの首から滑り落ちて、サンジはホッと息を吐きました。
 いつもは楽しいはずのいたずらなのに、今日は何だか面白くありませんでした。
 「ちょっと、やりすぎちまったかな・・・」
 サンジはらしくなく項垂れると、今日はさっさとねぐらへ帰ることにしました。


 それから5日ほど経ったある日。
 久しぶりに村の近くまで来てみると、ゾロの家に何やら人が集まっているのが見えました。ゾロの通う剣術道場のミホークや、村長のシャンクスまで見えます。
 ゾロの馴染みの者たちが、たくさん出入りしていました。
 「何だろな・・・お祭りって雰囲気じゃなさそうだ」
 サンジは怪訝に思って、もう少し近くまで寄ってみました。そうすると、みんながみんな、黒い服を着ているのに気がつきました。ゾロの家の隣に住んでいるナミやノジコが、せっせと豆を煮ているのも見えました。
 「ああ、誰かが死んだんだ・・・」
 サンジは瞬時にそのことを察しました。

 お午が過ぎると、サンジは村の墓場へ行って六地蔵さんの陰に隠れていました。どんよりと曇った天気で、今にも雨が降り出しそうです。墓地には彼岸花が赤い布のように咲き続いていました。
 と、村の方から、カーーンカーーンと鐘が鳴ってきました。葬式の出る合図です。
 やがて黒い着物を着た葬列の者たちがやって来るのが、ちらちらと見え始めました。話し声も近くなり、葬列は墓地の中へと入ってきました。人々が通ったあとには、彼岸花が踏み折られていました。
 サンジは伸び上がって見てみました。ゾロが白いかみしもを身につけて、位牌を捧げています。
 いつもは眩しい太陽のような笑顔を見せるゾロが、今日は死んだ魚のように虚ろな目をしていました。
 サンジはぎゅうっと胸が苦しくなるのを感じました。
 「そうか・・・死んだのは、くいなだったのか」
 サンジはそう思いながら、頭を引っ込めました。
 低い雲がたちこめる空から、ポツリポツリと冷たい雫が降り始めていました。

 その晩、サンジは森の穴に帰ってもなかなか寝付けなくて、ボーーッと物思いに耽っていました。
 昼間見た、ゾロの死人のように無表情な顔が、頭から離れません。
 この間、ゾロが川で慣れない漁をしていたのは、きっと病の悪化したくいなのためだったのでしょう。身体の弱っていく姉のために、ゾロは精気の付く物を食わせてやりたい、と思ったに違いありません。
 サンジは深い後悔の念に駆られていました。
 あんなこと、しなければ良かった・・・そう思っても、今更どうしようもありません。
 「・・・ゴメンな。ゾロ・・・」
 サンジの頬に、一筋の涙が流れ落ちました。


 次の日、サンジは朝からゾロの家に向かいました。
 屋敷の裏で、ゾロが懸命に木刀を振っている姿が目に入りました。
 何も身に付けていない上半身から、湯気のようなものが上がっているのが見えます。きっと、晩秋の冷え込みが厳しくなり始めた早朝から、ずっと休まずに振り続けていたのでしょう。
 くいなを失った悲しみと沈む心を断ち切るかのようなゾロの激しいまでの鍛錬に、サンジは目頭が熱くなるのを感じました。
 サンジもゼフを失ったときには、同じような行動をした覚えがあるからです。その時はひたすら悲しいことを忘れていたくて、意味もなく森を駆け回ったり、川に飛び込んだりしました。

 「俺と同じ・・・一人ぼっちに、なっちまったんだな・・・」
 遠くからゾロを見つめながらサンジはひとりごちました。そばに行って抱きしめてやれないこの身が、もどかしくて仕方ありませんでした。

 サンジは何とかゾロを元気付けようと、あれこれ知恵を働かせました。
 ふとサンジは周りを見回すと、ゾロの隣の家に魚を売りにきていたアーロンが目に入りました。
 サンジはそーーっと近づくと、アーロンが金を受け取っている間に、こっそりと樽の中から魚を何匹か失敬しました。そして、胸に抱えてゾロの家まで走っていき、戸口からその魚を放り込みました。
 そうして、サンジはそのまま森へと駆けて行きました。

 翌日、ゾロの様子を覗きに行くと、ゾロは井戸の前に座り込んで米を研いでいました。無心に米を洗う整った精悍な顔に、見るも無残な青痣が付いているのを見て、サンジは驚きました。
 ゾロがあんな怪我を負うなんて・・・あの痣は、どう見ても誰かに殴られて付いたもののようです。喧嘩をしても相手になるものがいないほどの腕っ節をした彼が、あんな風にまともに拳を喰らうとは、一体何があったのだろう、とサンジは首をひねりました。
 「アーロンのヤツ、本気で殴りやがって・・・クソ!誰だよ、俺の家に魚なんか投げ込んだヤツは」
 いたずらにも程があるぜ・・・と、ゾロは誰に言うでもなく、ボソリと呟きました。
 それを聞いて、サンジは真っ青になりました。なんと、自分がゾロのために良かれと思ってしたことが、逆にゾロに痛い目を見せることになってしまったとは・・・
 きっと、ゾロは魚泥棒と間違えられて、アーロンに殴られたのでしょう。律儀な彼のことですから、自分が盗んでいないものでも、それで事が収まるのであればと、素直に殴られてやったに違いありません。
 「クソ・・・まさか、こんなコトになっちまうなんてな・・・」
 サンジはゾロに申し訳なくて、その日は森で拾ってきた栗を土間に置いて、さっさと森へと帰りました。

 それから、サンジは次の日もその次の日も、ゾロの家に栗を届けました。次の日には山で見つけた松茸も2本、一緒に添えておきました。


 そんな事が続いたある日の晩。
 ぽっかりと大きな月の出た頃、サンジはいつものように畑仕事から帰ってくるゾロを、田んぼの畦道の脇に立つお地蔵さんの陰に隠れて、待っていました。
 しばらくすると、かすかに話し声が聞こえてきます。思ったとおり、ゾロと・・・もう一人はゾロと仲の良い百姓のウソップでした。2人は色々なことを話しながら、畦道を歩いていきます。
 サンジは2人が通り過ぎた後をコッソリとついていきました。大きく伸びた影を踏み踏み行きました。

 「そういえばな、最近妙な事が続いてるんだよ」
 それまで、どちらかと言うと聞いているだけだったゾロが、ポツリと話し出しました。
 「へ〜〜、どんな事だよ?」
 くいなを亡くしたゾロを少しでも元気付けようと、こうして行動を共にしていたウソップですので、ゾロの言葉にすぐさま反応して聞き返します。
 「このところずっと土間の所に栗だの松茸だのが置いてあるんだよ。誰が持って来てくれてんだかわかんねェんだけどな・・・」
 サンジは、ピクリと耳をそばだてました。それは、もちろんサンジの仕業だったからです。
 「っへェ〜〜!そりゃきっと神様の仕業だよ!一人になっちまったゾロを哀れに思って、神様がそうやって恵んでくれてるに違いないぜ!」
 「・・・そう、なのか?」
 「きっとそうだぜ!・・・だから、元気・・・出せよな?」
 ウソップはゾロの肩に手を乗せて、労わるような微笑を浮かべました。
 「ああ・・・ありがとな」
 ゾロはウソップのそんな気遣いが判って、少しばつが悪そうに微笑み返しました。

 サンジは立ち止まって、2人の背中を呆然と見送っていました。
 本当はサンジのしているのことなのに・・・勝手に神様の仕業にされてしまったのでは、面白くありません。
 「クソつまらねェな・・・」
 サンジは立ち尽くしたまま、ボソリと呟きました。


 それからも、サンジはゾロのために食べ物を運んであげるのを休みはしませんでした。
 神様の仕業と思われていたとしても、それでゾロが元気になってくれるのなら、それだけで満足だ・・・そう思いながら、サンジは今日も栗や果物を抱えて、ゾロの家へと向かいました。

 いつもはゾロが道場に向かう時間でしたが、その日は道場主のミホークがゾロを気遣って休みをくれていました。くいなが亡くなってからちょうど四十九日だったからです。
 ゾロの村では、命日から49日目は死者の魂を供養するという伝統がありました。しかし、貧しいゾロはそうだからと言っても、お坊さんにお経をあげに来てもらうようなお金もありません。
 くいなの霊を慰めるために、彼に出来る事は、受け継いだ刀をピカピカに磨きあげる事だけでした。
 ゾロはくいなの仏前で、一心に刀を磨く事に精を出しました。
 しかし、サンジは今日がそんな日である事は知りません。ゾロはこの時間には道場へ行っているものだとばかり思っていました。ですから、いつものようにゾロのいない間に、土間に贈り物を運びに来ていたのでした。

 ゾロはふと何かの気配を感じて、刀を研ぐ手を止めました。
 顔を覗かせて見てみると、なんと一匹の狐が玄関から中へ入ってきているではありませんか。しかも、その狐はこの間ゾロの釣った魚を全て逃がしてしまった、あの泥棒狐です。
 「・・・あいつ、また悪戯しに来やがったのか。今度は許さねェ・・・」
 ゾロはすばやく手に火縄銃を構えました。
 ドン!と一発、狙いを定めて発射すると、狐はバタリとその場に倒れました。
 してやったり、と口の端を上げ、ゾロはサンジに近づきます。そして、土間のそこらじゅうに散らばった栗や松茸を見て、ギクリと身体を強張らせました。
 「そ、そんな・・・まさか」
 ゾロは火縄銃をばたりと取り落しました。引き金を引いた右手の人差し指が、ブルブルと震えました。
 「お前、だったのか?・・・栗を、運んでくれていたのは・・・」
 身体だけでなく、声まで震えるのを止められません。
 サンジは、わき腹が堪らなく熱くなるのを必死に耐えながら、最期の力を振り絞ってゾロの方へ首を向けました。
 ゾロのこの土地では珍しい朱金の瞳に、透明な涙が浮かんでいるのが見えます。サンジは自分のせいでゾロが悲しんでいることに、どうしようもなく胸が痛くなりました。
 「泣かないでくれ。あんたは、悪くねェんだから・・・」
 そう言って、ゾロを慰めてやりたくて・・・でも、狐であるサンジにはそれは叶わない事で・・・
 腹の傷のせいでなく、胸の痛みのために・・・サンジも、碧い瞳から一粒の涙を零しました。そして、そのままゆっくりと眼を閉じました。

 青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。





<原作> 新美南吉 『ごんぎつね』
<編曲(?)> ヨーグルト





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