軌跡の果て 第四章 |
陽が、差し込む。 暗かった街にも暖かい光が満ちて、ローグタウンは夜の暗幕を脱ぎ去った。また、明るい平和な時を取り戻したのだ。 ウソップはベッドに突っ伏していつの間にか眠ってしまったルフィに、毛布を掛け直してやった。日が昇ったとはいえ、まだ冷える。 そして、ベッドに横たわった男を見つめ、重い息を吐いた。 堅く目を閉じたその顔は、ウソップの記憶にあった彼と比べて随分やつれたと思う。 だが、精悍な顔立ちは変わらない。外見・剣の腕・心意気、どれを取っても一流だった彼は、同じ男であるウソップから見ても憧れの対象だった。 彼はウソップが仕えていた神殿の同僚で、神子の守護者《ガーディアン》だった。 この時代に隆盛を極めた神官制度は、頂点に神子を据え、その下に神官長、神官、一般僧と続く。更にそれとは別に、神子の下には『ガーディアン』と呼ばれる者達が居て、政治や権力の要としてしばしば身の危険に晒される神子を、護る役割を課せられていた。 そんな、数多くいた守護者《ガーディアン》の中でも、実力的に最も優れ、神子の絶大な信頼を得ていた特別な存在―――それが、ゾロだった。 そして、ゾロが膝を折った神子の名が『ルフィ』 金の瞳、ゴッド・アイを持つ人間。 神子らしからず、コロコロと表情の変わる人懐こい男だった。立場もわきまえず無茶ばかりして、ゾロも神官のウソップも随分振り回されたものだ。 腕っ節も強くて、ゾロ以外の人間では彼の守護者《ガーディアン》として役不足だったほどだ。 五年振りに会ったゾロには、聞きたいことが山ほどあった。 神殿が襲撃を受けたあの日、ウソップは隣町に外出していて命を免れた。 襲われた神殿は凄まじい戦闘の名残を色濃く残していて、壁は剥がれ落ち、そこかしこに死体が散乱する酷い有様だった。まだ死後日の浅かったそれには、死肉を啄ばみに来た黒い鳥が集っていた。 ウソップは泣きながら、たった一人でそれら全てを葬った。仲間達の無残な姿が、五年経った今でも脳裏に焼き付いている。 その中には、ルフィとゾロの亡骸だけがなかった。それがウソップにとっては唯一の救いだった。 きっと二人はまだ生きているのだ。 生き延びて、何処かに避難したに違いない。 だが、ルフィが仲間達を見捨てて自分だけ逃げるような真似をするはずがないと、ウソップは心の何処かで期待していた。だから、ルフィの姿がなかったのにショックを受けたのも事実だ。 近隣の街には『神官狩り』の残党がたむろしていて、ウソップは身を隠しながらルフィを探す旅を続け、今に至ったのだ。 あの襲撃で生き延びたゾロが今までどうやって生きてきたのか。 そして何より、ゴッド・アイと『ルフィ』の名前を引き継いでいるこの子供は、一体何者なのか。 ゾロには問い正すべきことがたくさんある。 しかし同時に。 酷く残酷な話もしなければならない。 ウソップは日の光を受けても未だ青白いままのゾロを見詰めながら、何度目かの溜息を吐いた。 「ウソップさん?」 トントンとドアをノックする音と共に、心配げな顔が覗く。 「カヤ・・・起きたのか。大丈夫か?」 ウソップはドアの方を振り返って、まだ疲れが残っているであろう妻に、労いの言葉をかける。 カヤは数時間前、突然運ばれた急患―――ゾロの大手術をやってのけたのだ。 「ええ、私は少し仮眠を戴きましたから」 カヤは夜通し看病を続けてきたウソップに、熱いお茶を差し出す。 「ゾロさんは・・・まだ?」 「ああ、ずっと意識が戻らない」 それどころか、身じろぎ一つもしなくて、まるで死んでいるようだと、ウソップは思った。 「ごめんなさい、私が未熟だから・・・」 俯いて拳を握り締めるカヤ。ウソップは慰めるようにその細い肩を抱いた。 カヤのせいじゃない、と。 もう、どうしようもなかったのだ。 昨夜、ウソップは悪い胸騒ぎがして、診療所の外に出ていた。 そこに、血塗れになったルフィが歩いてきて。それだけでも心臓を鷲掴みにされるほど驚いたのに、ルフィに手を引かれて歩いてくる背の高い男の姿に更に驚かされた。 全身を真っ赤に染めていたが、確かにそれはゾロだった。 失血のため、ほとんど意識も保っていないようだった。そんな彼が、ウソップの姿を視界に見留めるや、フッと顔を綻ばせて完全に意識を絶ったのだ。 ウソップはゾロの身体を両手で受け止めながら、涙が込み上げるのを感じた。 なんてヤツだよ・・・お前は、と。 ゾロはあれだけの怪我を負いながらも、最後まで・・・もう大丈夫だという瞬間まで、意識を保ち続けたのだ。 言葉もない。 間違いなく、彼はルフィの守護者《ガーディアン》だった。 「ルフィ君も、ずっと起きていたの?」 ゾロの手をぎゅっと握ったまま、幼いルフィはスースーと寝息を立てている。 頬には幾筋もの涙の跡。 もう、あの黒い眼帯は着けてはいなかった。隠すすべもない金の瞳から、ルフィは洪水のように透明の雫を溢れさせていたのだ。 「ああ・・・さっきおちたところだ。そこのベッドに運ぼうか」 「ええ」 そっと、絡められていたルフィとゾロの手をほどき、ルフィを抱き上げると、カヤが向かいにあったベッドの布団を捲くる。 「ぞ、ろぉ・・・」 無意識なのだろう。舌足らずに名を呼ぶルフィが、酷く物悲しかった。 まだこんなにも幼い身で、ルフィはこの先・・・ 「ルフィ・・・」 まるでルフィの呼びかけに答えるかのように、ゾロの口からその名が零れ出た。 「ゾロ!?気が、付いたのか?」 ウソップが駆け寄ると、ゾロは目蓋を開いて虚空を眺めていた。ルフィの手が離れたせいで急に熱を失った手の平を、開いたり握ったりしている。 「ル、フィ・・・どこだ?」 ゾロの手が、ルフィを求めてシーツの上を探る。 そんなゾロの姿を見ていられなくて、ウソップはガッチリと手を握り締めてやった。 「大丈夫だ、隣のベッドで眠ってる」 安心させるように穏やかな声で反してやると、ゾロがウソップの顔をじっと見つめてくる。まるで、相手が誰であるかを確かめるように。 「・・・そう、か。ウソップ、お前だったな」 「ああ、驚いたぜゾロ・・・まさか、お前が・・・」 ウソップは、次に続く言葉を繋げられない。 「ごめん、カヤ・・・ちょっと席はずしてもらえるか?」 その原因の一端であるカヤには、申し訳ないけれど出ていってもらうことにする。カヤは「ええ」と短く答えると、素直に部屋を出ていった。 部屋はまた水を打ったような静けさに包まれる。 ウソップはとりあえず話題を変えることにした。どうしてあんな怪我を負っていたのかなんて・・・聞かなくてもおおよその想像はつく。 だから、一番確かめたかった事を。 「あの、子は・・・何者なんだ?」 ゾロはその質問に、少し間を置いて。 「・・・ルフィだ」 そう、答えるほかなかった。しかし、それでウソップが納得出来る訳がない。 「ルフィって、オレ達の知ってるルフィは、生きてたら今二十四のはずだろ!?なんであんな小さいんだよ!確かにルフィと瓜二つだけどよっ・・・知らないうちにどこかで子供作ってたとでも言うのかよ!?」 そこまで一気に捲くし立てる。 が、それが有り得ないことなど、ウソップが一番よく知っていた。 なぜなら、ルフィとゾロは魂の深くで繋がり合った仲だったからだ。神子と守護者《ガーディアン》という禁忌を超えて、二人は深すぎるほどに愛し合っていた。 そのルフィが、外で女を抱くなんて考えられない。 「だから、言っただろ?あれはルフィ自身だって」 静かにそう返したゾロに、ウソップはまさかと思う。 「あいつの、生まれ変わりだってのか?じゃあルフィは死んで・・・?」 さすがにその質問には、ゾロは答えることが出来なかった。薄々感付いてはいたが、それを認めてしまったらこれまでの旅の意味も、これからの生きる目的も失うことになる。 それを恐れて、これまでずっとその疑問から目を逸らしてきたのだ。 「あいつ、やっぱりあの時仲間達と一緒に・・・」 「とにかく、世話かけたな。俺達は、すぐにでもここを出ていくから」 ウソップの台詞を遮るようにゾロは言葉を被せて、そして身体を起こそうと試みる。 「お前の新しい生活を邪魔する気はねェから」 「ゾロ!」 突き放すようなゾロの言葉に、ウソップはまたカッとなる。 「ゾロ、お前っ・・・オレ達は今でも仲間だろ!?なんでそんな言い方するんだよ!」 「ウソップ・・・」 「お前らがいなくなってから、オレはずっと探してきたんだぞ!?」 「ウソップ」 「あのルフィに会った時、オレがどれだけ驚いたと・・・」 「ウソップ」 「なんだよ!?」 ちゃんと話を聞いているのかいないのか。ゾロがウソップの名を呼び続けていたのは、違う理由からだった。 パチパチと目を瞬かせながら、ゾロはごく不思議そうに問う。 「・・・色が、ねェぞ」 ゾロの口から出た一見意味不明の言葉に、ウソップは更に泣きたい気分になった。 「色がねェ、か・・・ははは、そうだろうな。そのうち真っ暗になるぞ。耳も聞こえなくなる。口も、きけなくなるなぁ」 「・・・ウソップ?」 今、ゾロの視界に映るのは、白と黒で出来たモノクロの世界。『色がない』とはそういう意味だ。 嫌な、予感がした。 ウソップのその言い様ではまるで。 「そんなんで、これから先もルフィを一人で護ろうってのか?亡霊にでもなるつもりかよ?」 タチの悪い冗談だと、笑い飛ばしたい。 だが何より、起き上がろうにも言う事を聞かない自分の身体が、直に訴えかけてくる。もう、そう長くは保たないであろうことを。 「今までどんな生活してきたのか知らねェけど・・・お前の身体は、もうボロボロなんだよ。そんな弱ってるトコにあの毒だ!ひとたまりもねェ!」 背中に受けた槍に塗り込められていた毒。それが、もう解毒も出来ないほど身体中の血液を犯してしまった。 そういえば、全身の感覚が酷く薄れている。 「ウソップ・・・俺は、あとどれだけ生きられる?」 呆けたように何の表情の変化を見せないゾロに、ウソップは泣きながら言葉を続けた。 残酷な言葉を。 「・・・一つ一つ、五感の機能が低下していって、最後には死に至る。ゾロ・・・お前はもってあと数時間の命だ」 そんな衝撃的な診断結果を、ゾロはまるで他人事のように聞いていた。 信じろという方が無理な話だ。だって、自分はこれまでも相当の修羅場を潜ってきたし、普通の人間なら軽く死んでいるほどの怪我もたびたび負ってきた。けれど、こうして生きているではないか。 頑丈さと体力には自信があるのだ。自分が死ぬなんて、想像もできないことだ。 死ぬ、なんて縁起でもない。 これは強がりなんかじゃ・・・ない。 「ん・・・ゾロ?」 隣のベッドでルフィが身じろいだ。二人の会話に目を覚ましたのだろう。 その大きな瞳がゆっくりと開いて、視界にゾロの姿を映し出すと、ルフィは弾かれたように飛び起きた。 「ゾロ!!起きたのか!?」 パァっと目を輝かせてゾロのベッドへと駆けつける。 「良かったァ〜ゾロ、なかなか目ェ開けないからさぁ〜〜でももう大丈夫だよな!?ゾロ、元気になるんだよな!?」 まるで確かめるように、ゾロの顔を覗き込んで捲くし立てる。 ゾロは、「大丈夫だ」と答えようとルフィを見つめ返して。そして、その言葉の代わりに嗚咽が。 絶望と言う名の現実に、ゾロの目から涙が伝い落ちた。 今のゾロの、モノクロの視界では、ルフィの瞳が両眼とも唯の灰色に映ったのだ。 ゾロの好きだった蒼と金の瞳。 その色の違いが、今の視覚能力では認識できなかった。 もう、その美しい宝玉を愛でることは出来ないのだと知って、ゾロは嗚咽が込み上げてくるのをこらえ切れなかった。 死が、もう目の前に迫っているのだと思い知らされた。 「ゾロ・・・?なんで、泣いてるの?怪我・・・痛いの?」 ルフィが自分の歪んだ顔を見て不安がっている。そんな顔、絶対させたくねェのに。 「ルフィ・・・大丈夫だ、大丈夫・・・」 『大丈夫』なんて、強がりだった。 でもそう言わなければ、運命を受け入れることになってしまう。死を、認めることになってしまう。 今は駄目だ。 まだ、死ねない。 ルフィを置いては逝けない。 まだこんなにも小さいのだ。護ってやらなければならない。 俺が、護るんだ。 この役は誰にも譲れねェ。 |
| 続く >> |