ひたすら西へ歩みを進めた二人は、やがて海に出た。
 海岸は多くの建物が建ち並び、港は大型の貨物船で埋め尽くされていた。海外との貿易や交流の中心地とも言えるその街の名は『ローグタウン』と言った。

「ゾロォ!すっげェぞ、人がいっぱいだ!」
 初めて訪れる大都市に、ルフィが歓喜の声を上げる。これまでなるべく人の目に付かぬように、都市を避けて旅をしてきたルフィにとっては、全てが物珍しく、心躍る光景であった。
 ゾロのボトムの裾を握り締めて、視線をあちこちにさまよわせる様は、酷く危なっかしい。
「危ねェだろが、ルフィ。ほら・・・」
 しょうがねェなァと肩を竦めると、ゾロはルフィに向かって腕を伸ばした。ルフィはパァっと目を輝かせて、ゾロの腕に飛びつく。
「ほらよっと」
「うわぁ!良く見えるぞ!」
 ゾロの肩に乗せられたルフィは、急に開けた視界にはしゃぎまくった。
 本当なら、左目を覆っているこの眼帯も取ってしまって、じっくりと街並を見回したいところだが・・・ゾロが怒るので、とりあえずそれはやめておく。

 街の中心へと入り込むにつれて、途方に暮れる程に街道は入り組み、ゾロはすでに自分がどちらから来たのかさえ判らなくなっていた。
「ええっと・・・」
 それでも本能のままに進もうとするゾロに痺れを切らし、ルフィは目の前の薄萌葱の髪を引っ張った。
「ゾロ!メシメシ!!あっちだ!」
 ルフィが指差したその先は、一軒の飯屋。
 かくして、二人はかれこれ3ヶ月ぶりにまともな食事にありついたのであった。

 ルフィは小さい身体ながらも、一体何処に入るのかと疑いたくなるほどよく食べる。
 長い砂漠の旅の間、口にできる物は全てルフィに譲っていたため、ほとんど固形物を取っていなかったゾロも、相当な勢いで運ばれてくる料理を平らげていった。
 思う存分腹を満たして・・・そして、会計をしようと財布を開いたゾロは、そのまま固まってしまう。
 つい先日までは数枚入っていたはずの札が、いつの間にか空っぽになっていた。なるべくルフィに不自由はさせたくないと、かなり見境いなく散財したせいだ。
 どうも自分には計画性というヤツが欠けていていけない。
 また・・・旅の資金を調達する必要があった。

「おい、悪ィ」
「はいはい、何でしょうかね?」
 ゾロが片手を上げて呼びかけるのに、その店の女将とおぼしき中年の女が、愛想良く寄って来た。
「この店の二階は宿屋か?二、三日部屋を借りたいんだが・・・」
「はいな、お二人様で一晩三千ベリーになりますね」
 そうか、と一呼吸おいて、ゾロは未だ料理にむしゃぶりついているルフィを横目に、立ち上がる。
 そして、おもむろに左耳のピアスを一つ外し、女将の耳元にこっそり話しかけた。
 ルフィの耳に、届かないくらいの小声で。
「悪ィが今は金がねェ。これを質に入れておくから、この料理代も含めて後払いにさせてくれ」
「え、ええ・・・それはかまわないけど・・・」
 人の良さそうな女将は、手の平に乗せられた金のピアスをまじまじと眺める。
「多分、三万ベリーは下らねェはずだ」
「こ、れは・・・」
 よく見ると、細い雫形を帯びるピアスの下方には紅い宝石が埋め込まれており、女将の素人目から見ても、これは三万ベリーどころではない、たいそう高価な代物であることは確かだった。
「大事なモンなんだ。必ず引き取りに来るから、それまで大事に預かっていてくれ」
 本当を言うと、それを質に入れることは、ゾロにとってかなりの抵抗があった。何故ならば、この3つのピアスは、かつて『ルフィ』によって贈られた物だからだ。
 ゾロにとっては『ルフィ』の形見とも言える、大事なものだ。
「わかったよ。任せときな」
 ゾロの真剣な思いが伝わったのか、女将はかなり肉厚の胸をドンと叩いて、ピアスを大事に仕舞い込んだ。
「部屋に案内するよ、ボウヤもそろそろそのくらいにしときな」
 未だ熱心に皿のソースを舐めていたルフィに、女将は微笑みながら話しかける。
「おう、これ作ったのおばちゃんか?スゲェ美味かったぞ!」
「そうかい、ありがとね。作ったのはうちのコックだけど、ボウヤの言葉、伝えておくよ」
 ルフィはにししっと人好きのする笑顔を見せて、パッと椅子から飛び降りた。そして、女将が案内する後に続いて、ぱたぱたと階段を上っていく。

 案内された先は、太陽の光がよく入る南向きの小綺麗な部屋だった。窓際にテーブルと椅子のセットが備え付けられている。それなりに広めの間取りであるのに、しかしベッドは一つしかなかった。
「わぁ〜〜い!」
 大きなベッドに喜んでルフィがダイブするのとは対照的に、ゾロは言葉に詰まってしまった。
「ダブル・・・なのか?」
「何言ってんだい。ツインより安いんだから、贅沢言うんじゃないよ」
 金がないと言ったゾロに気を遣ってくれたのか、女将はさも当然とばかりに言い放つ。
 今までだって、ベッドが二つある部屋に泊まっても、二人寄り添って結局一つのベッドに眠ることはままあったのだけれど・・・
 初めから一つしかベッドのない部屋に案内されると、それはそれで何だか気恥ずかしくなってしまう。
 ・・・と、そこまで思考が進んで、ゾロは自分の考えに呆れ返ってしまった。
 自分は、五歳児のルフィ相手に一体何を意識しているのだ。馬鹿じゃないのか。
 と、そう己を自嘲して・・・そして、何だかとても寂しい気持ちに陥ってしまった。
 キリキリと、胸が痛む。

「ゆっくりしてっておくれ。良かったら晩御飯もうちで食べて行ってね」
 そう言い残して女将は部屋を出て行った。
 ルフィはそれを見るやいなや、ハチマキ状になった黒い布の眼帯を取り去る。よほど、それが鬱陶しかったのだろう。
 しかし。
「駄目だ、ルフィ。はずすな」
 ゾロは大股でベッドに寝そべるルフィの元へ寄り、はずしてしまった眼帯を再びルフィの小さな頭に巻き付けた。
 何が起こるかわからねェこの街では、これは絶対にはずしちゃいけない、と。
「ええ〜〜!誰も居ないとこでなら良いだろ?ゾロと二人の時ならサ!前が見えなくてヤなんだよ〜!」
 この左目を他人に見せてはならないと、ルフィは耳にタコができるくらいに何度も言い含められていたけれど、実際それを他人の目に晒したとしてどうなるのか、までは理解していなかった。
 だからこそ、ルフィにとってはこんな眼帯など、邪魔以外の何物でもない。
 口を尖らせて抵抗しようとするルフィに、ゾロは思わず声を荒げてしまった。
「言う事を聞けルフィ!」
 ゾロの大きな声が、部屋中の窓を揺らした気すら、した。
 急に怒鳴りつけられて、ルフィはビクリと肩を戦慄かせる。
 そんな風に、ゾロに怒られたのは初めてで、ルフィはショックを感じる前に、まず吃驚してしまった。
 見開かれたルフィの蒼い瞳に、ゾロはハッとして。
「・・・悪ィ」
 とりあえず謝って・・・そして、次の言葉を接ぐことができずに、黙り込んでしまった。
 それでも、ゾロの手は大人しくなったルフィの頭に、再び眼帯を巻いていく。
 ルフィは、いつものポーカーフェイスに戻ったゾロの表情の内に、苦痛に苛まれた想いを感じ取った。必死で平常心を保とうとしてはいるが、その心が酷く乱れていることは、幼いルフィにも解る。
 いや、ルフィだからこそ、解るのか。

 ふと、気が付いた。
 ゾロの左耳でいつも揺れていたピアスが、一つ減っている。
 それを見て、何となく悟ってしまった。
 自分の存在が、ゾロの負担になっているのだと。
 幼い自分が一緒でなければ、きっとゾロにはもっと他の自由な道が用意されているはずだ。
 そこまで考えが至ると、途端に涙が込み上げてきた。
 その涙を見られたくなくて、ルフィはゾロの手から逃れて枕に顔を埋めてしまった。不貞腐れて眠ったフリをする。
 ゾロは重苦しい息を一つ吐くと、もう一度小さく「ゴメンな」と呟いた。

 しばらしくて、ゾロが立ち上がる気配がした。
 彼がこの後何処かへ行くのを、ルフィは知っている。今までも、ルフィを一人宿屋に残して、丸一日くらい姿を見せなくなることがしばしばあったから。
「ルフィ・・・俺はこれからちょっと出かけてくるけど。良い子にして待ってられるな?」
 やっぱり・・・
 そう、ルフィは心の中で溜息を吐き。そしてゾロの言葉には返事を返さなかった。
 ゾロはルフィがもう眠ってしまったと思ったのか、枕に突っ伏したままの彼に、そっと毛布を掛けてやる。
 少し伸びてきた黒髪を指で梳いて、そして愛しげにキスを落とした。
 そんな優しいキスに、ルフィは余計に涙を誘われる。
 やがてゾロは名残惜しそうに立ち上がり、静かに部屋を出て行ってしまった。

「うぅっ・・・ふ、ぅく・・っ」
 ゾロの気配が遠ざかるやいなや、ルフィの口から堪え切れない嗚咽が漏れる。枕をぎゅうっと抱き締めて、ルフィは胸の痛みをそのまま泣き声として吐き出した。

 ルフィはゾロが好きだった。とても。
 迷惑を掛けているという自覚はある。だけど、ゾロはいつも優しく笑って我侭を聞いてくれるから、すっかり甘えきっていた。それが、当然だと思ってしまっていた。
「離れなきゃ、いけないのかなぁ・・・」
 ゾロと。
 ゾロを、自分という足枷から解放してやらなければならないのだろうか。
 そこまで考えて、ルフィはゾッとした。
 イヤだ。
 絶対にイヤだ!
 ゾロと離れたら、自分は生きてはいけない。
 ゾロと離れたくない。ずっとそばに居て欲しい。
 意思と感情の間でせめぎ合う、ジレンマ。

「ふぇえ〜〜〜ん、ゾロォ〜〜」
 ルフィは遂に声を上げて泣き出してしまった。
 だが、そっと抱き寄せて慰めてくれる腕はなく、孤独を訴える慟哭も、ただ虚しく部屋に響くのみだった。



 ゾロは寂しさと自己嫌悪に押し潰されそうな胸を抱えたまま、宿屋の階段を降りた。あんな状態のルフィを一人にしておくのは非常に気掛かりだが、ゾロにはしなければならないことがある。
 生きていくために、必要なことだ。
 お昼過ぎで少し閑散とした一階の食堂を見回して、ゾロは先程の女将を探した。
 ちょうど、料理を載せた盆を持ち、厨房から出てくるのを見つけて。
「悪い、ちょっと良いか?」
 そう声をかけると、女将は首だけで振り返る。
「ああ、さっきの兄さんかい」
「俺はこれからちょっと出かけるんだけど、あいつのことを頼めるか?晩飯だけ、部屋に運んでやって欲しいんだ」
「あれま、そんなに帰りが遅くなるのかい?」
 女将はホールにいたスタッフの少女にお盆を託すと、ゾロに向き直った。
「ああ・・・明日の朝には戻る。あいつ、疲れてると思うから、もしかしたらそれまでずっと眠ってるかもしれねェが・・・」
「分かったよ、様子見ておくから、安心して行ってきな」
「悪ィ、恩に切る」
 親切な女将に心から礼を言うと、ゾロは踵を返しかけ・・・
「あの子の左目・・・」
 背中ごしにかけられた声に、ドキリとして女将を振り返った。
「不自由なのかい?あんなに小さいのに、可哀相だねェ・・・」
 その言葉に、ズキリと胸を切り裂かれるような痛みが走った。
 さっきの、眼帯をはずしたがって駄々をこねたルフィと、そして怒鳴りつけられて吃驚した顔のルフィが、脳裏をぐるぐると巡る。
「ああ・・・」
 と。ゾロはそんな曖昧な返事しか返せなかった。

 今は、耐えるしかない。
 本当なら、ルフィのゴッド・アイは崇められる対象でこそあれ、不自由をしてまで隠すようなものではないはずなのに。
 ルフィをこんな目に遭わせているのは自分だ。
 ゾロの心には、そんな負い目が常に付き纏っていた。

 宿を出たゾロが向かった先は、街を取り仕切る軍の本部だった。海にほど近いここローグタウンでは、軍隊というと海軍ということになる。
 ゾロの目的は、賞金首の情報だった。
 めぼしい賞金首を狩って、旅の資金を調達する・・・そんな、賞金稼ぎとしての生き方で、旅に出てからの五年間を過ごしてきたのだ。
 ルフィの守護者(ガーディアン)として神殿に仕えていた十九年から振り返ると、自分はもはや拭いきれないほどの血と汚濁に塗れてしまった。
 神に仕える身であるルフィには、もう・・・相応しくないのかもしれない。



続く >>