軌跡の果て 第一章 |
乾いた砂が撒き上がる、酷く視界の悪い中。 一つの人影がぼんやりと見えてくる。 砂漠のオアシスと言うには、少し緑の少ない、そこは『エルマル』という街。 遥かなる砂漠を渡って来た旅人達の集まる、ひとときの安らぎの場・・・であるはずだった。 しかしこのところの度重なる雨不足で、街はすっかり干上がり、一日の半分が砂の吹き荒れる気候と成り下がっていた。 レンガ造りの建物が立ち並ぶそこには、今は人通りもなく、風の音がこだまするのみ。 今まさに、砂嵐に襲われているその街に、旅人とおぼしき一人の男が現れた。 厚い外套を纏い目深にフードを被っているため、顔は判らないが、未だ年若い青年に見える。 背には大きなリュック。 腰の辺り、マントの膨らみは、おそらく装着した剣のそれだろう。 そして・・・ 彼は一人ではなかった。外套の下に、誰かを抱きかかえているようだった。 この気の遠くなるような砂漠を、ずっとそのまま歩いて渡ったのだろうか。 青年は少し高い建物の影に入ると、確かめるようにそっと外套を捲くり上げた。 腕に抱かれていたのは、未だ五、六歳の少年だった。安心しきったような表情で、すやすやと寝息を立てている。 青年は少年の黒い髪にかかった砂を掃ってやり、覗き込むように顔を寄せる。 ぴたりと合わせた額から正常な体温を感じ取ると、青年はホッとしたように表情を崩した。 それは、慈愛に溢れた、酷く優しげな表情で。周りの砂嵐さえも、避けて通るような穏やかな空気を漂わせる。 「熱・・・下がったな」 確認するように漏らした声は、耳に心地よい低音のテノール。 少年がぐっすりと眠っているのを確かめると、青年は胸に抱き直すように外套を着せかけて、再び街道を歩き始めた。 バタンと。 開いた扉の中は、砂風を凌ぐように集まった人々がたむろしている酒場だった。 酷くやつれた顔をした男達が、乾いたグラスと睨めっこしているような、そんな寂れた酒場。 突然入ってきた男に、一瞬その場は静まり返り、全員の視線がそちらに集中した。 しかし、外套に身を隠した青年は全く怯む様子もなく、真っ直ぐにカウンターの方へと歩いていく。店の奥、カウンターでグラスを拭いている、酒場の主人とおぼしき男の所まで。 「部屋を借りたいんだが、空いてるか?」 青年が問うた言葉に、主人は「前払い、五百ベリーだ」と、短く答えた。 その答えに、青年は懐から千ベリー札を一枚、取り出す。 「何か、食糧を分けてくれ。水はあるか?」 「水?」 主人の眉がピクリと吊り上がる。 それもそのはず。外の景色を見れば、この街が酷く乾いている事など、一目瞭然だ。 「飲み水ならコップ一杯1万ベリーだ」 どうせ払えるワケはないだろうと、主人は法外な値段を提示した。 一晩の宿の代金が五百ベリーという事から考えても、一万ベリーと言うのは理不尽極まりない価格だと言える。 しかし、青年はその値にさして驚いた様子も見せず、再び懐の財布を取り出した。そして、確かに一万ベリー札をカウンターに置く。 逆に驚いたのは店の主人の方だ。このくたびれた格好の旅人が、まさかそんな大金を持っているなど、思うはずがない。 「一杯、分けてくれ」 そう迫る青年に、主人は気を取り直して、カウンターの下に屈み込み、しばらく青年を待たせる。そして次に立ち上がった時、薄汚れたコップに水を半分入れたものを差し出した。 青年はそれをじっと見詰め。 おもむろに、羽織っていたフード付きの外套を脱いだ。 最初に現れたのは、枯れた街では久しく見ていない、鮮やかな薄萌葱。オアシスの草原を思わせるそれは、青年の髪だった。 瞳は全てを見通すような真紅。 不思議な色彩を放つそれに気を取られそうになったが、外套を脱いだ青年の胸に抱かれた黒髪の少年に、主人はふと我に返った。 青年の胸に凭れ掛かり、ぐったりとしている。 「ちゃんと飲める水をくれ。こいつに、飲ませてやりたいんだ」 頼む。 そう、透き通るような視線で見詰められて、男は二の次を接げなくなった。 主人が差し出した水は、腐っていたのだ。青年はそれを一目で見抜き、そしてそれを咎めたりせずに、真摯な態度で情に訴えた。 主人にとっては、ちょっとした嫌がらせのつもりだったのだが・・・。 再び視線を黒髪の少年に移す。 いまだ幼児の域を出ていないような子供にとって、過酷な砂漠を旅することが、どれほどその小さな身体に負担を与えることか、察して余りある。栄養失調のためか、顔は土色になってしまっている。 主人は再び屈み込むと、瓶の中から柄杓で水を掬い上げた。それを、今度は綺麗に磨かれた透明のグラス一杯に注ぐ。 「・・・悪かったな」 一言そう謝罪すると、そっとグラスを差し出した。 「ありがとう。大事に飲む」 青年は水を受け取ると、半分をグラスから空になった水筒へと移していく。 「あんさんの子供・・・じゃねェよな?その様子では・・・」 「ああ・・・」 一見奇妙な取り合わせとも言える二人に興味を持った主人が問うのに、青年は僅かな苦笑を浮かべた。 その複雑な表情に、それは深く聞いてはならないのだと悟る。実際、薄萌葱の髪の青年と、黒髪の少年は、全く似てはいなかった。兄弟、とも考えにくい。 きっと何か深い事情が、彼らを旅へと駆り立てているのだろう。 「部屋はそこの階段を上がった奥だ。後で何か食い物を運んでやる」 「ああ、ありがとう」 青年は短く礼を言うと、再び外套を被り直し、少年を抱えたまま階段を上がっていった。 その一部始終を、酒場にいた人間はただじっと見詰めていた。 |
| 続く >> |