同居人 〜長い夜〜
ルフィの瞳が真っ直ぐに自分を捕らえて、その顔がごく自然に近づいてきた。
息がかかりそうなほどのすぐ近くで、一旦止まったら、確認するように問うてくる。
「なぁゾロ・・・キス、してイイか?」
こんなにも近づいておいて、今更何をと思う。
断られることなんて、微塵も疑っていないんだろう?
返事の代りに額をコツンとぶつけてやったら、ルフィは「にしし」とはにかんでみせた。
「好きだ」
今日何度目かの告白に、ゾロはまた胸が熱くなってしまう。
きっと、この愛の言葉に慣れてしまうことなんてありえないだろう。
何日経っても何ヶ月経っても、今日こうして初めて交わした想いと同じ感動を分かち合えるに違いない。
だから、勿体なんて付けずに、ゾロだってありのままの気持ちを伝えて返すのだ。
「俺も、好きだ」
一度許してしまった言葉は、決壊したダムから氾濫する水のように、容易に溢れ出た。
そうして、確かめ合ったところで、待ち兼ねた口付けを交わす。
隙間がなくなるほどぴったりと唇を触れ合わせ、最初から舌を絡め合う激しいキスだ。
まだ二人の間では、片手で足りるほどしかキスの経験はない。けれど、回数など問題ではなかった。このキスは、『想い』の深さそのものなのだ。
靴を脱いで上がったすぐの玄関先で、二人は情熱的な口付けに耽った。
どちらも互いを離そうという気がないから、抱き締め合う力は緩まることを知らない。
知らないからこそ、少しだけ困ってしまった。
キスだけでは、止まれそうにないから。
その衝動は、ゾロよりもルフィの方が強いようだった。
抱き合ったまま薄暗いリビングの方へと誘導すると、そのままゾロをソファに押し倒してしまう。
思わずゾロが息を飲んだところで、ようやくキスは解かれた。
けれど、あくまでも『中断』だ。もはやこれだけで終われないことは必至だった。
蓄積された体内の熱が、それを伝えて余りある。
ルフィは摺り寄せた下肢の先、ゾロのものも同じように熱くなっているのを感じて、フッと笑った。
そして、押し付けるように一度腰を揺らす。
「ル、フィ・・・ッ」
熱い吐息のような声を、ゾロが出したのと同時に。
刹那、パッっと部屋が明るくなった。
照明が唐突に点ったのだ。
「!?」
さすがに二人共ギョッとして、戸口を振り返る。
部屋の蛍光灯はリビング入口のスイッチで点るようになっているからだ。誰かが、そのスイッチに触れたのに違いなかった。
そして、その犯人はというと。
「エース!」
「邪魔して悪ィな、ご両人」
ちっとも悪びれた様子も見せず、エースがペロリと舌を出してみせる。
「けど、ほっといたらお前ら、俺の存在に気付かずにおっぱじめんじゃねェかと思ってよ」
お、おっぱじめるって、何をだ・・・
あまりの言い様に、ゾロはたまらず顔が熱くなった。
それにしても、自分たちの留守の間に黙って忍び込むなんて、人が悪いではないか。
「なんで電気消してたんだよ?」
「お茶目な兄心だ」
それでもエースは何食わぬ顔で、サラリとかわしてみせる。
ゾロはそんな風にして突然現れた彼に、内心焦りまくっていた。ルフィと別れると言った言葉は、今はもう守る気などないから。
何にせよ自分は、ルフィ大事さに男同士の約束を破ってしまったのだ。
エースに何と説明すべきか・・・それが一番の悩みどころだった。正直、もう少し考える時間が欲しかったと思う。
けれど、とにかく何かを言わなければと思って、ゾロは口を開く。
「エース・・・俺は・・」
「ゾロ、観念してくれ」
その時、エースのルフィとよく似た真っ直ぐな視線が、ゾロを貫いた。
何かを言おうとしたゾロを遮るように、上から言葉を重ねてくる。
「俺の弟は一度決めたことは絶対くつがえさねェんだ」
すぐ前にまで近づいてきたエースが、ゾロの肩に手を乗せて、逃れられないように問い詰める。
「お前の一生・・・こいつにやる覚悟があるか?」
それに対するゾロの答えは早かった。
「ある」
そして、迷いのない簡潔な返事だった。
ルフィに「好きだ」と告げた時に、そんな覚悟はとうに済んでいる。
自分がルフィを好きだという気持ちは、きっと誰よりも強いものだから。
エースは、同じように真っ直ぐ返された真摯な瞳に、「ああ」と思った。
もう、自分が入り込む隙なんか微塵もないのだ、と。
この結末がルフィにとっての幸せなのだとしたら、認めて応援してやるのが兄の務めだ。
「ルフィを頼む」
そっと目を伏せて、エースはゾロの肩に腕を回した。
試すようなことして、悪かったな、と。ルフィには聞こえないように耳元で、一応謝罪はしておく。
ゾロは意外なエースの行動に少し驚いたけれど、やがて同じように目を閉じて「ああ」と返した。
ルフィはというと。そんな二人を眺めながら、何気に感動してしまった。
まるでおれが嫁に貰われるみたいだな、と。
とにかく、ゾロもエースも自分にとっては何よりも大切な人だから、二人が仲良くしてくれるのはルフィにとっても嬉しい。
「エース!おれの大切な人、ゾロだ!」
ルフィは改めて、ゾロを紹介してみせる。
すると、エースも理解したようにニッコリ笑って手を差し出した。
「ルフィの兄のエースです。なにぶん愚弟ではございますが、どうぞよろしくお願い致します」
『婚約者と姑、初顔合わせ』のようなノリで改まった挨拶をする彼に、ゾロも「いえ、こちらこそ」と慌てて手を差し出す。
そうして固い握手を交し合うと、誰からともなくプッと吹き出した。
「俺からのプレゼントだ」
そう言って、エースが二人を車で連れ出したのは、そのすぐ後のこと。
早くしねェと始まっちまう!と、社用車には派手すぎる赤のRX−8に乗せられて、到着した先は高層ビルの空きテナントだった。
「ここにな、うちのブティックが入る予定なんだ」
最上階22階のフロアー丸ごととなると、相当な敷地だ。こんなところに海外ブランドのブティックを作ろうだなんて、バブリーな話である。
「スゲェ・・・」
工事中のそこは、内装こそまだまだ完全ではないけれど、ほぼ全面ガラス張りの設計は圧巻だった。
宝石箱をぶちまけたかのような夜景に、ルフィもゾロもぽかーんと口を開いてしまう。
「驚くのはまだ早ェぞ。もうそろそろだ」
こっち来いよ、と案内されたのは、西側の窓際だった。
目の前の川を挟んだ中州に、つい二年ほど前にオープンしたテーマパークが見える。
「あっ・・・」
そう、ルフィが思わず声を上げたのは、ガラス越しの夜空に大きな光の花が咲いたせいだった。
「お、タイミング良く始まったな」
エースの言うところの『始まった』のは、大きな打ち上げ花火だ。テーマパークの営業終了30分前に、毎日こうして上げられるのだ。
このビルは、その花火鑑賞には絶好のスポットだった。エースはそれを知っていて、二人を此処へ連れてきたのだ。
お祝いとしては安いプレゼントだけれど、二人には似合いだと思う。
それに、ルフィは昔から花火が大好きだったから・・・
「スゲェよエース!スゲェ!!」
予想通り、目をキラキラと輝かせるルフィが、今はとても近い存在に思えた。さっきまで、あんなに遠くに感じていたのに。
両親が死んで以来、男手一つで育ててきた大事な弟が、自分の手を離れていってしまう。
そんな寂しさに、胸が潰れそうだった。
けれど今はもう、こんなにも晴れ晴れとした気分だ。
ルフィが誰を想っていようとも、自分の弟であることには変わりがないのだから。
何も、不安に思うことなどない。
「じゃ、俺はこれからここのオーナーとの打ち合わせがあるからな。十時に迎えに来る」
そう言ったエースの言葉に、ゾロは腕時計へと目を移す。
今は、八時半を少し回ったところだった。
「一時間半、お前らの貸切にしてやる。仲良くな♪」
エースは高そうなワインのボトルを一本差し出しながら、ウインクを一つ。
「ありがとな!」と言うルフィに手を振ったら、もうさっさと出て行ってしまった。
後には、何もないガランとしたフロアーに、たった二人だけが残される。
ルフィは相変わらず窓の外の景色に見入っていて、時折「スゲェ!」とか「見ろよあれ!」などと騒いでいる。
ゾロはルフィの言葉に「ああ」とか「凄いな」とか返してやりながら、せっかくなのでもらったワインのコルクを抜いた。
コルク抜きは付けてくれたのに、グラスは無しだ。
ラッパ飲みで回せとでも言いたかったのか。エースらしい所為だ。
スポン!と抜けたコルクが軽快な音を響かせた途端、赤ワイン独特の芳香な匂いが鼻腔をくすぐってくる。
これは、相当な上物とみた。
一口だけクイと口に含むと、濃厚で重みのある渋みが舌を楽しませてくれる。やはり、良いワインだ。
「飲むか?」
そう言って差し出してやると、「おう♪」とこちらに向き直ったルフィが瓶を受け取った。
ルフィはこう見えてワイン党だ。元はというと、エースに味を覚えさせられたのが始まりらしい。
そして、そんなワイン派の二人の勧めもあって、ゾロまで飲むようになったというワケである。
だから、エースが差し入れにワインを選んだのも当然といえば当然だった。
二人は互いにワインの瓶を行ったり来たりさせながら、しばらく黙って花火鑑賞に耽った。
敷き詰めたばかりの大理石の床にぺったりと座り込んで。
エアコンの付いていない室内は少し汗ばむくらいの気温だったから、床の冷たさがちょうど心地良い。
花火が綺麗に見えるようにと、今は照明を落としてあった。
おかげで、夜景と花火がとても鮮やかだ。
まるで自分の身体が、夜空に浮かんでいるかのような錯覚を覚える。
今、誰もいない空間に、こうして二人でいられることが、何よりも幸せだと思った。
ルフィが甘えるように、肩を寄せる。
とても、甘い雰囲気だった。
きっとそのせいだ。
ゾロが勢いでこんなことを言ってしまったのは。
「寒くないか?ダーリン」
なるべくサラリと口にしたつもりだったのに、言い終わってから赤面してしまった。
これは・・・思いの他恥ずかしいぞ・・・
そんなことに、今更気が付いた。
当然、「ゾロに『ダーリン』って呼ばれたい」というルフィのオネダリを受けての発言である。
「なんだゾロ、顔真っ赤だぞ!」
嬉しそうに笑うルフィに、ゾロの方は益々顔が熱くなった。
「クソッ、テメェも言ってみやがれ!そしたら分かる」
「なに?ダーリン♪って?」
ゾロの言う通り、ルフィも『ソノ言葉』を口の中で転がしてみる。
「・・・あはは、分かった。確かにこれは恥ずかしいな」
「解ったかよ」
照れくさそうに笑い転げるルフィに、ゾロも一緒になって笑う。
「『リン』ってのがダメなんだ、きっと。真剣に言ったらイキナリ笑っちまいそう」
「・・・失礼なヤツだな」
やっぱり言うんじゃなかったぜ・・・と、ゾロは少し後悔してしまった。
ガラじゃないことは、たとえ好きなヤツからのリクエストでも、口にするモンじゃないな、と。
けれどルフィにとっては、どうあれこちらのお願いを叶えてくれたのだ。
嬉しくないわけがない。
「綺麗だな、花火・・・」
ルフィは再び窓の外に目をやると、「ああ」と返してきたゾロと、それとを見比べた。
そして、「やっぱりな」と勝手に納得したように頷いて、サラリとこんなことを言う。
「でも、ゾロはもっと綺麗だよ」
「ッ!テメェ・・・っ」
「にしし・・・いっぺん言ってみたかったんだ♪」
真顔でいきなり何を言い出すんだ、とゾロは思う。
「『ダーリン』は恥ずかしいクセに、そんなセリフは恥ずかしくないのかよ」
この男の感覚は、やはりズレている。
自分ばかりがあたふたさせられるのは癪だ。
しかし、ルフィはそれを笑って済まそうとはしなかった。突然こんなことを言ったのは、思いつきなんかではないのだから。
「恥ずかしくなんかない。ホントにそう思ったから言ったんだ」
セリフ自体は、映画やドラマから借りてきたお決まりの口説き文句だけれど、今それを持ち出してきたのは、まさしく『そう』思ったからに他ならない。
もちろん、ゾロの場合は『格好良い』の方が勝っているけれど。
でも、赤や黄色をした花火の光を受ける横顔が、とても『綺麗』だとルフィは感じたのだ。
惚れた欲目・・・だろうか。
本当に、自分はゾロが好きなんだなぁ〜と再認識して、それがとても嬉しいと思う。
改めてそう感じたら、もはやルフィはそれを言葉にして伝える以外のすべを持たなかった。
「好きだよ」
そして、想いをそのまま伝えるかのようなキスを贈る。
うっとりと目を閉じて迫られたら、ゾロだって「オイオイ、こんな場所で・・・」などという冷静な思考は吹っ飛んでしまう。
ルフィはキスをするタイミングを掴むのが、とても巧かった。
本当にごく自然に近づいてきて、気付いた時には唇を奪われているのだ。
だから、ゾロの方もいつだって当たり前のように応えてしまう。
一瞬、「このプレイボーイめ」と思ったけれど、それは取るに足りない嫉妬だ。おそらく、こんな風にルフィから愛されているのは、自分だけだと確信できるから。
つい数時間前、エースによって中断させられたキスが、今こんな場所で再開してしまった。
そう気付いたのは、触れてくるルフィの身体が狂おしいほどの熱を帯びていたせい。
これは困る・・・
困るのに、燃え上がる欲求は抑えられそうにない。
ああ・・・
ヤバイ。
「ゾロ・・・」
その時、ルフィの唇が少しだけ離れて、ゾロが思っていたのと同じことを囁いた。
「ヤベェ・・・止まらねェ」
熱っぽいその声に、ゾロは身体の奥がドクンと脈打つ。
俺も、同じ気持ちだ。
そう伝えるのはさすがに恥ずかしくて、しかし誘うように耳たぶを舐めてやった。
ビクンと、ルフィの肩が揺れる。けれど、それを面白いと思う間もなく、いきなり下肢の膨らみを握られてしまった。
今度はゾロの肩が戦慄く番だ。
でも自分だけ煽られるのは悔しいから、こちらも同じようにルフィのそこへと手を伸ばしてやる。
互いに互いを挑発し合って、想いを確かめ合う行為は徐々にエスカレートしていった。
いつしか二人の息は荒くなり、握り合う手の動きも速度を増してゆく。
頭が白くなりかけたところで、二人はまた、キスを交わした。
そうして、同時に訪れた絶頂を飲み込み合う。
こんな風に、ルフィと愛を交し合う日が来るなんて、ゾロは露とも思っていなかった。
だからこそ、降り注ぐ『幸せ』が未だに信じられない。
自分は、こんなに臆病で疑り深い人間だっただろうか?
「ゾロ・・・好きだ」
そう、何度も囁かれる言葉に、息が出来なくなる。
『幸せ』なのが『怖い』と思ったのなんて、生まれて初めてだった。
こんな、魂が震えるような愛があるなんて・・・
でも、知ってしまったから、もう二度と手放すことは出来ない。
上手く言葉にできないもどかしさを、ゾロは抱き締める腕に力を篭めることで補った。
そうすると、同じ強さで返される、ルフィのぬくもりが嬉しかった。
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