同居人 〜帰るべき場所〜
生まれて初めての食中毒を味わったルフィであるが、その回復は目ざましかった。
熱は入院した次の日の朝には下がり、下がったら下がったで今度は「腹が減った」と騒ぎ出す。
担当医師の許しが下りず、病み上がり一番の食事は緩いお粥と梅干しだけだったけれど、食い盛りのルフィにはそんなもので満足できるはずもなく、夕方にはエースに強請ってコンビニ弁当3つを平らげてしまった。
「呆れたな、お前の回復力には・・・」
入院当時は死にそうな顔色だったくせに、もうケロッとしている。
散々心配させておいて・・・と、エースは苦笑を漏らした。
そういえば、細っこい身体をしていながら、昔からこの弟は体力自慢だった。
何にせよ、元気になったのはめでたいことだ。
「にしし♪サンキューな、エース」
「全くだ。早く仕舞え、先生に見つかったらうるせェぞ」
そう言いながらも、食べ終わった弁当箱を片付けるのはエースの役目だ。
もはや部屋中に唐揚や海苔の臭いが充満しているから今更だとは思うけれど、まだ完治していないと診ている医師にバレたら、お小言を喰らうのは必至だろう。個室だったというのが、せめてもの救いだ。
窓の外はもう茜色に染まり始めていて、今日という日ももう終わりに差し掛かっていることが知れる。
ルフィは黙ってベッドから降りると、黙々と寝巻きを脱ぎ始めた。つなぎになった白い病院着は、入院してから支給されたものだ。
そのボタンを、上から一つずつ解いていく。
「オイ・・・ナニやってんだ?」
そんなルフィの行動に、思わず眉を顰めるエースである。
「ナニって・・・着替えるんだ。このままじゃ帰れないだろ?」
「はぁ!?」
さも当たり前のように言うルフィに、エースは素っ頓狂な声を上げた。
「帰るってお前・・・許可下りてねェだろ。まだダメだ、寝てろ」
呆れたように手を振ってベッドへ戻るようにジェスチャーしたが、しかしルフィは真剣な眼差しで返してくる。
「寝てなんかいられねェ。ゾロに会わなきゃなんねェから」
「ルフィ・・・」
その言葉の意志の強さに、エースは溜息を吐いた。
ルフィはまだ、ゾロを忘れる気持ちなんてこれっぽっちもないのだ。
しかし、折角ゾロが自分の思いを殺してまでルフィを突き放してくれたのだ。
これ以上傷付けたくはないけれど、諦めさせなければならない。
「ゾロは家には居ないぞ。多分もう、帰って来ないだろうよ」
「ああ、知ってる」
エースの残酷な言葉に、ルフィは意外な程の冷静さで返した。まるで、全てを悟っているかのような・・・
「なら、どうするんだ?」
「何処に行ったかは解ってる。連れ戻すんだ」
着替える手は止めずに、自信たっぷりに言う。
ルフィがここまで言うのだから、おそらく『解っている』というのは本当だろう。
エースはもはや、この弟の想いを阻むことなど不可能なのだと知った。
ゾロを求める強い想いは、本物だ。
それを、最後にもう一度確かめるように、問う。
「ゾロを、愛してるのか?」
帰ってきたのは、真摯な瞳と。
そして、きっぱりとした言葉。
「うん。ゾロだけだ。おれの『特別』なんだ」
「・・・そうか」
もう、エースには何も言うべき言葉がなかった。
大事な弟のためにと企てた兄の策略は、本当に独り善がりでしかなかったということだ。
それが寂しいと思うと同時に、少し嬉しかった。
ルフィも知らぬ間に『男』になったんだなぁ、と。
誇らしいとさえ思う。
「なら、行って来い。退院手続きは済ませといてやる」
「おう、ありがとな!」
ニシャッとはにかむ笑顔が眩しくて、エースはそのままルフィを抱き締めた。
「エース?」
「ちゃんと、後で・・・紹介しに来い。二人でな」
ゾロを掴まえて兄貴にキッチリ『特別の相手』として紹介しろ、と言っているのだ。それを察したルフィはまた「おう!」と元気良く答えて、そして病室を出て行った。
一人残されたエースはというと。
さてどう先生を丸め込もうか、と。キレる頭をあれこれと巡らせていた。
※
「サンジィ〜〜ッ!!居るんだろ!ゾロ出せェ!!」
突如響き渡った良く通る声に、呼ばれた当の本人は思わず呑んでいたビールを噴き出しそうになった。
「あンのクソ野郎・・・」
そしてそう悪態を吐くと、ドカドカと玄関に向かって歩き出す。
「テメェ大声出すなっつったろうが!!」
そう言った彼自身が大声と共にドアを開けると、案の定見知った黒髪の少年がそこにいた。
ルフィだ。
サンジと呼ばれた青年の住むマンションに、ルフィは病院からそのまま押しかけて来たのだ。
インターホンというヤツを知らないのだろうか。ルフィはいつもこうして外から大声で喚き立てて彼を呼ぶ。
たいていは「腹減った!」だったり「メシ食わせろ」だったりするのだが、今日はいつもと様子が少し違うようだ。
「ゾロ居るだろ?連れて帰るから」
「あぁ!?何の話だよオイ!」
止める間もなく、ルフィはズカズカと部屋の中に押し入ってしまった。
「ゾロ!隠れてるなら無駄だ!帰ろう!」
「オイ待てよ、本当にゾロは来てねェって!一体何の騒ぎだよ」
あちこち部屋を覗いて回るルフィを、サンジはたまらず止めにかかる。
他に人の気配がないのを感じ取ったのだろう、ルフィはその言葉に「そうみたいだな」と大人しくなった。
「けど、絶対にゾロは此処へ来るから。おれ、待ってるよ」
そう言うとリビングのソファにどっかりと座って、まるで帰る様子も見せない。
そんなルフィに、サンジはこりゃあただ事じゃねェな、と思った。
サンジは数少ないゾロの友人だ。
高校時代からの付き合いだと、聞いた。
ルフィとサンジとの出会いは二年ほど前、ゾロがとある割烹料理店に連れて行ってくれた時が最初だった。
サンジの祖父が経営しているその店は、少し高級だったけれど、たまにはまともなモノ食わせてやるからと言って誘われたのだ。
そんな店に一人で行く度胸もなかったから、ゾロはルフィを連れて行ったのだが、それ以来ルフィはサンジの料理を大層気に入って、家にまで押しかけて餌付けされるようになってしまった。
心底美味そうに自分の料理を食べてくれるルフィをサンジも気に入っていたし、表面上は軽くあしらっているように見えて、実はかなり可愛がっていることは他人の目からも明らかだった。
ゾロも、サンジには言いたいことを言うし、売り言葉に買い言葉で言い争いは絶えない。が、ゾロがそんな風に誰かと喧嘩をするのは今まで見たことがなかったから、きっと見た目よりも親密なのだろうと、ルフィは思った。
そのゾロが、だ。突然家を出て路頭に迷って、頼る相手といえばサンジしかいない!・・・というのが、ルフィの結論だ。
病院の布団の中で、普段あまり使わない頭を必死に巡らせて、そこに辿り着いたのだ。
「そりゃあねェだろ、アイツは俺を頼ったりしねェよ」
サンジはその結論を鼻で笑って否定する。
「いや、間違いなく此処へ来る」
「・・・自信満々の、その根拠はなんだよ」
「勘だ」
「・・・あ〜あ〜、そうかよ」
ある程度の事情を聞いて、肩をすくめるサンジだった。
そして、こう思う。
あのカタブツが俺を頼って転がり込んでくるとしたら、そりゃあよっぽど切羽詰ってるんだろうなぁ、と。
「サンジだって思うだろ?ゾロはおれのこと好きだって」
「ああ、クソ間違いねェだろう。今まで気付かなかったのが馬鹿ってモンだぜ」
「そうだろ〜!やっぱりそうだよな〜〜」
嫌味も込めて言ったのだが、ルフィにはその辺りは全く通じなかったようだ。
確かに、サンジの目から見ても、ゾロがルフィのことを大事にしているのは嫌と言うほど判った。必要最低限の付き合いしかしなかったあのゾロが、だ。
サンジがゾロとつるむようになったのは、お互い目立つ容姿のワリと人付き合いの苦手なこの性格が上手く一致したからだ。気を遣わずに済む関係が楽で、気に入っていた。
そんなゾロが、店に誰かを連れて来たことに、まず驚いた。どう見ても、連れの男はゾロより年下で、正反対とも言える人格の持ち主だったから。
しかし、彼と少し話しただけで、納得した。
ああ、ゾロはこの男を己の太陽と悟ったのだ、と。
つまり、ルフィが『好き』なのだ、と。
それは、人を惹き付ける要素を細い身体いっぱいに詰め込んだ存在だと思った。
だからこそ、ゾロの迷いも解る。
太陽を胸に抱くことの『怖さ』を、ゾロは知っているのだ。
外は急に雲が厚くなって、激しい夕立が降り出していた。
「ゾロ、昨日はどうしたんだろうな・・・」
窓の外を眺めながら、ボソリとルフィが洩らす。
「家でちゃんと寝てくれてたんなら良いんだけど・・・」
「ハッ、アイツのことだから、そりゃあねェだろ」
ルフィの希望的観測にツッコミを入れながら、サンジは胸ポケットから煙草を取り出した。ジッポをカチンと鳴らして、優雅な手付きで火を付ける。
細く吐き出された煙が、天井に向かって昇っていくのを、ルフィは膝を抱えながら眺めていた。
「だよな〜、きっと何処かの公園のベンチで寝てるんだろうな〜」
「ああ、住宅情報誌とにらめっこしながら、な・・・」
「それで急に雨降って来て、慌てて荷物かき集めて、木の下にでも避難してるんだ、きっと・・・」
「それじゃ、今は早く止んでくれ〜〜って空を睨みつけてる頃か」
その光景がありありと脳裏に浮かんで、サンジは思わずプッと噴き出してしまった。
しかし、ルフィは全く笑わなかったから、サンジもすぐに咳をして改める。
また、しばしの沈黙が落ちた。
雨は未だ止む気配もなく、灰色の空から降り注いでいる。
「腹も減ってきた頃だし、今ごろサンジんちに行こうかやめようか、考えてるんだ」
「・・・じゃ、そろそろメシの支度でもしといてやるべきか?」
しょうがねェな〜と、サンジは立ち上がって、冷蔵庫に食材を探しに行く。
「・・・ありがとな、サンジ」
らしくなく、そんなことを言うルフィに、サンジはちょっと驚いて。でもすぐに「ああ全くだ」と悪態を吐いて見せた。
全く、なんで自分が男同士の痴話喧嘩に巻き込まれなけりゃならないんだ、と。
ゾロ・・・
テメェ、何を怖がってるんだよ。
どうしようもなく惚れちまってるクセに。
ルフィに・・・好きなヤツに、あんな顔させるんじゃねェよ。
でも、その気持ちも・・・俺にァ解っちまうんだよな〜、と。サンジは野菜を手際よくカットしながら、こっそりと苦笑いを浮かべた。
それから半刻程。
ルフィはリビングのソファに身を沈めたまま、キッチンに立つサンジをボーっと眺めていた。
視線ではスラリとして見目の良い後姿を追っているのだが、思考は何処か遠くの方へ飛んでいた。
ふと、彼の少し大きめの耳がピクリと動いて、次の瞬間パッと立ち上がる。
「ゾロだ!」
「あ?」
サンジはいきなりそう叫んだルフィを振り返ると、一瞬の間を置いた後、チャイムの軽快な音が響いた。
なんで判んだよ・・・インターホン鳴る前から・・・
慌てて玄関先まで走っていこうとするルフィを押し留めて、室外カメラを見ると、本当にそこにはゾロの姿があった。
傘を持っていなかったのだろうか。見事な濡れネズミ状態だ。
「ゾ・・・ッ!モガ!」
「待てルフィ、落ち着け!」
また、大声を出そうとしたルフィの口を咄嗟に塞ぐと、サンジはしぃ〜〜!っと言って聞かせる。
「お前は出てくるな」
「なんでだよっ」
「話がややこしくなるだろうが。俺に任せろ、良いな?」
そう言って真っ直ぐに見つめてくるサンジの眼差しは強く、ルフィは不本意ながらも首を縦に振るしかなかった。
サンジには解っていたのだ。
ルフィが居るかぎり、ゾロは本当の気持ちを話さない。
良いか?絶対に出てくるなよ?
そう言い含めて、サンジはリビングのガラス戸を閉めてから、玄関先へ向かった。ルフィの靴を下駄箱に仕舞って、そして、ぶっきらぼうにドアを開ける。
「・・・なんてザマだよ。水も滴るなんとかってのを気取ってるつもりか?」
頭の天辺からつま先まで視線を流して呆れた風に言ってやると、ゾロは「うるせェ」と小さく反論した。
「で?何の用だ?荷物抱えて夜逃げでもしたか?」
意地悪くそう言ってやると、ゾロは嫌そうに眉間に深い皺を寄せる。
「・・・廊下の隅で良い。雨宿りさせろ」
おおよそ人に物を頼む態度ではなかったが、サンジはゾロがそんな風に自分に頼みごとをしてくるのが、可笑しくて仕方がなかった。
この無愛想なカタブツが、どうしようもなく煮詰まって、お手上げ状態で自分の所にやって来たのだ。考えられないことだ。
そんなにルフィのことで頭がいっぱいかと思うと、サンジは堪えきれずに笑い出してしまった。
いきなりそんな風に笑い出されて、気分を害さない人間は居まい。
「・・・俺は、来るところを間違えたようだな」
ゾロは肩を震わせて怒りを露わにし、そのまま引き返そうとする。
「ああ、待てよ!他に行くトコロもねェクセに」
サンジは立ち去ろうとした肩を掴んで引き戻すと、ゾロを玄関ポーチに入らせた。
「ただし、そのままの格好のヤツを入れる気はねェからな。シャワー浴びてそのグショグショの服を着替えるまでは、部屋には入れねェ」
そう言い切ると、サンジは有無を言わさずにゾロを浴室へ押し込んだ。
ゾロとしては、そんなに長居をするつもりもなかったのだが、丸一日風呂にも入らず外に居たので、正直言うと有難かった。
ここはその言葉に甘えて、遠慮なくシャワーを使わせてもらうことにする。
蒸し暑い日中には散々汗をかき、さっきまでは生温い夕立に延々降られていたのだ。降り注ぐシャワーの湯が気持ち良い。
たっぷりと湯を浴びて脱衣所に出ると、新しいバスタオルと、着替えが置いてあった。サンジが用意してくれたのだろう。
大きな借りが出来てしまった。
ゾロは苦笑を漏らしつつも、それらに袖を通した。
サンジの家は広い。
駅に程近いマンションなのだが、一人で住むには勿体無い部屋数を備えている。風呂も広かった。
ここは高級割烹を営むサンジの祖父の持ち家なのだと聞いた。
元々サンジは由緒ある家の出だ。いわゆるボンボンというヤツで、ゆくゆくは割烹を継ぐ身らしい。
詳しくは知らないが、両親はすでに亡い。
廊下に出ると、リビングの方からとてつもなく良い匂いが漂ってきた。それに誘われるままに、ゾロはガラス戸を引いた。
「お、出たか」
カウンターキッチンから顔を出したサンジが、何やらテキパキと作業しながらゾロの姿を視界に入れる。
「服、ちょうど良かったみたいだな」
サンジの用意した服はランニングのシャツとゆったりしたジャージ生地のズボン。
身長はほぼ同じ二人だったが、体格はまるで違う。肩幅の差を考えてランニングを用意したのがちょうど良かったようだ。
「トランクスは返すなよ?一応新品だが、テメェが履いた後はゴメンだからな。ランニングもテメェが着た後じゃガバガバになってそうだから、やる」
「お、おう・・・」
礼を言おうとした矢先にそんな事を言われて、ゾロはこめかみを引き攣らせてしまった。
立場的に圧倒的優位なサンジは、尚も手は動かしながら追い討ちをかける。
「お前バカだろ?カバン、中までグショグショだったぜ。ちったぁ考えろよな。脳みそまで筋肉なのかよ」
「う・・・ッ」
実はうっかりカバンを水溜りに落としてしまったのだ。自分でも馬鹿だと解っているから、ゾロは反論の言葉すらない。
ぐぅの根も出ないというのは、きっとこういう時のことを言うのだ。
プルプルしながら立ち尽くしてしまったゾロを高笑いしたいのを堪えながら、サンジは「座れよ」と促す。
「お前、ラッキーだぜ。俺サマはちょうど今から晩飯にしようと思ってたところなんだが・・・」
テメェも食うか?
そう、ニヤリと笑って見せたサンジに、ゾロの腹がグゥ〜と返事を返した。
「っはは!身体は正直だな。テメェはこんなに素直じゃねェってのによ」
「・・・何が言いたい?」
「ほら、運ぶの手伝えクソ野郎、サンジサマ特製ミネストローネリゾットだ」
綺麗な白の食器にたっぷりと盛られたそれに、ゾロの喉が知らずゴクリと鳴る。そういえば、昨日から何も食べていなかった。
他にも、温泉玉子の乗ったシーザーサラダやこんがり良い匂いがするサーモンの香草焼などが、所狭しと食卓に並んでいる。
サンジはついでみたいに言ったけれど、これはゾロのために用意してくれたものに違いなかった。
ゾロの傷ついた心に、優しさが暖かく降りてくる。
だから・・・だろうか。
サンジが問う言葉に、素直に答えてしまったのは。
「で?一体どういうわけか、答えてもらおうか?」
あらかた食べ終わったところで、サンジが「さて・・・」という風に切り出した。
いきなりずぶ濡れで家に押しかけて来たのだ。当然といえば当然の質問だ。
「ああ・・・家、出たんだ」
迷惑をかけている手前、ゾロは当り障りない程度に事情は説明しようと思ったのだが、いざ聞かれるとどこからどこまで話すべきなのか、困ってしまった。
『家を出た』だけでは、本当に考えなしの非行少年のようではないか。
いや・・・事実、その通りか。
情けないことだが、勢いで荷物をまとめて家を出て、すぐには次の棲家が見つかるはずもなく、結局三駅ほど離れた公園のベンチで一夜を明かしたのだ。
皮肉なことに、ルフィとサンジの予想は見事に的中していたわけである。
サンジはそんな様子のゾロに溜息を一つ。ゆったりとした仕草で煙草を取り出し、火を燈す。
「ルフィはどうした?いい加減あいつの子守りがウザくなったか?」
「そうじゃない」
今度の問いに対する答えは早かった。
「アイツは、俺が居なくても十分やっていける。これは俺自身の問題だ」
「お前自身?」
「ああ・・・」
曖昧に苦笑ったゾロ。
サンジは、何を格好付けてんだ、と呆れてしまった。
そして、少し意地悪を言ってやりたくなる。認めたくないのなら、ハッキリ言って解らせてやる。
「なるほどな。つまり、このままルフィと一緒に居たら、益々惚れてハマって抜けられなくなるから、手遅れになる前に自分の方から逃げちまおうって腹だな?」
遠慮のないセリフに、ゾロの目が大きく見開かれた。
それでも、サンジは尚も言い募る。
「テメェはビビってんだよ。ルフィがテメェから離れて行って、もうお前はいらねェって言われるのがな」
ちゃんちゃら可笑しいな!腰抜け野郎。
そう、鼻で笑ってやると、ゾロは参ったな、という風に額を押さえた。
てっきり逆上して言い返してくると思ったのに、この反応はちょっと予想外だ。
「・・・参ったな、テメェにまで判るほど俺は・・・」
「あぁ?」
ゾロが『参った』のは、サンジにまで『ルフィを好き』なことを悟られていたということだ。
そんなにもあからさまに、自分はルフィを甘やかしていただろうか。
顔が熱くなるのはそのためだ。
サンジの言葉は、当たっている部分とそれでない部分が半々だったから、ゾロはムキになって言い返すこともしない。
ただ、寂しげな苦笑を浮かべて、そして言う。
「俺達は男同士だろ。そこには何も生まれねェ」
最もらしいことを言うゾロに、サンジは胸が痛むのを感じた。
今更そんな道徳やら禁忌やらを気にするタマかと思うけれど、ゾロが拘っている部分も解る。だからこそ、痛いのだ。
ルフィは『誰のモノにもならない男』だ。
そういう気質なのだ。
太陽みたいに輝いていて、だからこそ腕の中に閉じ込めてしまうことは叶わない。
周りの人間の心は捕らえてしまうのに、ルフィ自身は誰にも縛られずにいつでも『自由』なのだ。
けれど、本当に好きな相手を己のものに出来ない、ルフィの切なさだって理解できる。
「それはテメェの価値観だろ?ルフィの気持ちはどうなるんだよ」
そんなサンジの言葉に、ゾロは少し間を置いて。そして静かに答える。
「俺に対するアイツの『好き』は、肉親への『好き』と同じ気持ちだ」
それは、エースがゾロに言った言葉と同じだった。
ルフィがゾロを「好きだ」と言うのは、遠くへ去ってしまった兄に求める感情なのだ、と。
ゾロの手を取って繋いだルフィ。それと同じ手で、あいつはエースの手を握った。
今思うと、あの時感じた胸の痛みを、女々しくも未だに引きずっているのだ。
「あいつは勘違いしているだけだ。だから、間違いを正す。それだけだ」
キッパリとそう言い切ってしまったゾロがあまりにも冷たくて、サンジは掴みかかって殴り飛ばしたい衝動に駆られた。
しかし、口を開こうとした途端、リビング横の和室の障子が勢い良く開いて、思わず息を飲む。
ルフィだ。
ゾロが風呂に入っている間に、隣りの部屋で待つように言い含めて、後で揉めないように食事まで先に取らせておいたのだ。
そのルフィが遂に我慢できなくなったのか、姿を見せてしまった。
「ッ!!」
一番驚いたのはゾロだ。
なんで此処に居る?という驚愕と焦燥が、ゾロの脳に渦巻いた。
食中毒で入院したのは、つい先日のことだというのに・・・どうして今、こんな場所に居るのだ。
今の会話・・・全て、聞かれて・・・?
ルフィは何も言わずにズカズカとゾロの前まで歩いてくる。
眉が吊り上って酷い形相だ。とてつもなく怒っているのだということが、嫌と言うほど伝わってくる。
ああ、こりゃあ・・・また殴られるな、と思った。
つい先日、「好きじゃない」と言った時に殴られた口内の傷が治らないうちに、また・・・
けれど、ゾロにとってその仕打ちはむしろ有り難かった。
これで、もう全てが終わる。
切なさとやるせなさに、ゾロは静かに目を閉じた。
このまま後は、飛んで来る拳に身体まで吹っ飛ばされる、その痛みに身を委ねるだけだ。
しかし、予想した衝撃はいつまで経っても訪れなかった。
代りに、唇に触れた柔らかい感触に、ぎょっとして目を開くことになる。
そして、触れているこれは、ルフィの唇なのだと知った。
ゾロが目を開けるとすぐに、ルフィはキスを解いて離れる。
そして、たまらずゴクリと息を飲んでしまったゾロに向けて、キッパリと言った。
「エースにキスしたいとは思わねェ。けど、ゾロにはシてェんだ」
だから、間違いなんかじゃない、と。
ルフィにとっては、それが全てだった。全ての理由だ。
実際に確かめたことだ。
『好き』の理由はルフィにだって分からない。どこがだとか、どうしてだとか、そんなことは本人にだって説明できないことだ。
けれど、『キスをしたい』相手はゾロだけなのだ。
それが、ルフィにとっての『特別』の答えだった。
「好きだ。もっとお前にキスしたい」
真摯な告白と共に、再びゾロの眼前にルフィの顔が近づいた。
ゾロは深い蒼の瞳に捕らわれたかのように、逃げることすら出来ず。
「しても、イイか?」
焦点すら合わないほどの距離でそう囁かれて、吹きかかる吐息に胸がギュウギュウ痛くなった。
そして、黙って目を閉じる。
それを了解の合図と受け取り、ルフィはそのまま唇をぴったりと触れ合わせた。緊張のせいか、水分を失った唇を舐めて潤し、啄ばむように口付ける。
やがてルフィの舌はゾロの口内へまで入り込み、キスはより深いものへとすり替わった。
ゾロはもはや逆らうことなど出来ず、絡み付いてくる舌に己のそれを重ねることで応える。
熱い、ルフィの舌。
唇。
想い。
その全てが狂おしいほどに愛しくて、心が悲鳴を上げた。
もう、偽れない。
そうだ。
俺は、ルフィが・・・
細い銀の糸を伴って、ルフィの唇が離れた。
それにいざなわれるように、ゾロは薄っすらと目を開く。
視界に映ったのは、眩いほどの笑顔。
「ゾロ・・・おれのこと好きか?」
ニッコリと幸せそうに笑って。
あんなキスをした後でそんなことを聞くなんて、酷い男だ。
もう、答えなんて解っているだろう?
「ああ・・・好きだ」
その告白はあまりにもサラリと口から滑り出てきて、今まで言えずに苦しんでいたのが嘘のようだった。
「そっか」
ルフィは満足そうに笑って、ゾロの肩に回した手で抱き付く。
「お前をおれのものにしたい。だから、一緒に家に帰ろう」
宥めるように、言い聞かせるように囁かれた言葉は、ゾロの胸にストンと落ちて、ああそうか、と思った。
ルフィを自分のものにするんじゃない。
自分がルフィのものになるのだ。
それならば、ルフィの翼は手折られることもない。
もう、迷うことはなかった。
「ああ・・・帰ろう」
一緒に。
二人の、帰るべき家へ。
同じ強さで、ゾロもルフィの背に回した腕に、力を篭めた。
「はいカット!めでたしめでたし、だ」
その時、パンッ!と手を叩く音が響いて、二人は我に返った。
「これ以上は人目を憚れよ。生々しいモン見せやがって」
俺の存在忘れてやがっただろクソ野郎ども!
そう言って、勘弁しろという風に顔を顰めたサンジが目の前に居て。
不意に気付かされたサンジの存在に、ゾロの顔はまるでマンガみたいに真っ赤に染まった。
ルフィが、それを見て大声で笑い出す。
サンジもつられるように腹を抱えて笑い出して。
遂にはゾロも、可笑しくなって声を上げて笑った。
三人はまるで『箸が転がっても可笑しい』という風に笑い合い、くだらないわだかまりは全て霧散して消えたのだと知った。
外はいつの間にか雨も上がっており、雲の隙間から覗いた月が優しい光を落としていた。
ルフィとゾロはサンジにありがとうを言って、二人一緒に家路についた。
もう、二人の帰る場所は同じだから。
駅からの人通りも少ない道をのんびりと歩きながら、ルフィは「あのさぁ」と切り出す。
「ゾロが居ない部屋にサ・・・一人で帰って来たくないって、思ってたんだ」
だから、良かった・・・と、嬉しそうにはにかんで見せるから、ゾロは「そうか」と微笑い返して、ルフィの頭をわしわしと掻き混ぜた。
そうされたルフィは、引き寄せられるままにゾロの肩へと頭を凭せ掛ける。
しかしふと、思い出したように「あっ!」と声を上げた。
「どうした?」
ゾロはその声に吃驚して、思わずパッと手を離してしまう。
「大変だ、ゾロ!ウニが困ったぞ!」
「ウニ・・・が、どうした?」
『ウニ』とは、二人が飼っている猫のことだ。
そういえば、今回のいざこざでマンションに放置したままの状態になっている。確かに、『大変』だ。
しかし、ルフィの言う『困った』ことは、そんなことではなかった。
「ウニさ、おれの『嫁』にしてたじゃんか!」
「あ、ああ・・・」
以前ゾロが子猫を拾った時、そんな話をしたことがあったといえばあったが・・・
「でも、おれはゾロと一緒になるんだから、それだと困るじゃねェか」
「う・・・まぁ、確かにそう、だな」
恥ずかしげもなくそんなことを言うルフィに、ゾロは顔が熱くなるのが判る。
しかし、本人はごくごく真剣なのだから、否定するわけにもいかない。
「今日から『娘』に変えてもイイかな?」
ウニ、怒るかな?
あんなその場の作り話すら、そこまで真面目に考えるルフィが可笑しくて、ゾロはプッと噴き出した。
「はっはっは、ウニなら解ってくれるさ」
そう、返してやると、ルフィはまた「良かった〜」と笑って見せて。
「じゃあウニはおれ達二人の愛娘だからな!」
「オーケィ、ハニー」
了解した、という風に手を上げて返したゾロ。
ちょっと待てよ?と、ルフィは一瞬考え込む。
「おれが『ハニー』か?」
「嫌か?」
「う〜ん、どっちかってーとゾロに『ダーリン』って呼ばれたい」
「何でもイイよ、ほら鍵開けろ」
「あ、うん」
そんなことを話しているうちにもうドアの前に着いてしまって。ルフィは慌ててポケットから鍵を取り出した。サクッと鍵穴に差し込み、ノブを回す。
ルフィは先に玄関先に入ると靴を脱いで、そして戸口に立つゾロを振り返った。
両手を広げて、ニッコリと微笑む。
「おかえり、ゾロ」
「・・・ただいま、ルフィ」
その場で、確かめるように抱き合って。
またこうして一緒に暮らせる日々に感謝した。
主人達が帰ってきたことを確かめると、ウニは早速ニャーと鳴いて足元に擦り寄ってくる。それに気付いた二人は、また目を合わせてお互いに笑い合った。
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