同居人 〜笑顔を守る決断〜



 なんとなく、そういう雰囲気になった。
 珍しく二人ともバイトのない夜で。
 別に、それまで一緒に観ていた映画が、ラブストーリーだったからとか、そういう理由ではないと思う。
 ただ、ルフィはソファに並んで座っていたゾロの横顔を見て、「あ、意外とまつげ長いなぁ」と思い、ゾロは少し半開きになったルフィの唇を見て、「血色良いな」と思った。
 そんな互いの視線が一瞬絡み合って。
 なんとなく、したいと思ったのだ。
 キスを。

 ルフィの告白があったあの日から、二人はまだ一度もキスをしたことはなかった。
 雨に打たれて、抱き合いながら唇を重ねた、あのキス以来だ。
 二人にとって二度目のキスは、一度軽く触れ合った後、戸惑いながらも深いものへと移行した。
 互いの唇を吸い、顔の角度をずらして重ね合う。
 やがて、相手を感じたいという欲求はそれだけでは収まりきらず、先に焦れたルフィの舌が、ゾロの口内へと潜り込んで来た。
 柔らかい舌の感触にゾロは少し驚いて、慌てて舌を引っ込める。
 そんなゾロの反応に、ルフィの舌も再び引き下がってしまった。
 ゾロはそれが何だか勿体無いと感じ、今度は自ら舌を差し伸ばす。恐る恐る、とではあるが。
 おっかなびっくり歩伏前進する舌が、ルフィへの入口に達しようとした、その時。

「っ!」
 ルフィの目がパッと開いて、そのまま唇は離れていってしまった。
 突然どうしたのかと戸惑うゾロを尻目に、しかしルフィは明後日の方向を向いて固まっている。
「・・・電話だ」
「え?」
 ルフィがそう言った次の瞬間、ソファ横のテーブルに置いてあった携帯電話がブルブルと震え出した。
 コイツには特殊な電波感知機でも付いているのだろうかと、ゾロは時々思う。今みたいに、着信する前に電話に気付くというシチュエーションを、過去にも何度か見てきた。
 そして、そんな電話は決まってルフィにとって大事な人からのものなのだ。
 ルフィはバッと立ち上がると、急いで携帯電話を開く。そして、着信者の名前を確かめると、やっぱりといった風にパァっと表情を明るくした。
「エース!」
 ルフィの声に、ゾロは「ああ」と思う。
 予感的中だ。
『おう、ルフィ。元気そうだな』
 受話器ごしに聞こえてきたのは、ルフィにとって唯一の肉親―――5つ年上の兄のものだった。



「来るんならもっと早くに連絡くれよな〜!エースはいっつも突然なんだから」
「なっはっは!まぁ勘弁しろよ。これでも飛行機が着いたと同時に電話入れたんだからな」
 先ほどの電話の主であるエースは、あの後空港からまっすぐ二人のマンションへとやってきた。
 現在、晩の12時過ぎだ。
 いつもこの男は唐突に姿を現しては、嵐のように去っていく。
 そういう意味では、まさにルフィの兄弟なのだと、ゾロは身にしみてよく解っていた。
「で、今回はいつまで日本に居られるんだ?」
「ああ、新しい物件の視察でな、4・5日もしたらすぐロスに戻らなきゃならねェ」
「なんだ・・・そうなのか」
 あからさまにしょんぼりとしてしまったルフィに、エースは申し訳なさそうに苦笑を漏らした。

 エースは齢二十歳にして、世界に名立たる高級ブランド店を営む本部の専務取締役を務めている。バリバリのビジネスマンだ。
 なんでも、ホストのバイト先で知り合ったそこの女社長に気に入られ、そのまま引き抜かれたのだとか。深い事情までは知らないけれど、ゾロは「確かにこの人ならそんな怒涛の人生もアリか」と思う。
 幼い頃に両親を亡くしてから、他に身寄りのなかったエースはたった一人でルフィの面倒をみてきた。ルフィに不自由をさせまいと、今でも相当の仕送りをしているようだ。
 だから、ルフィは大したバイトもせずに私立の大学に通っていられるのである。

「今日はうちに泊まっていけよ」
 もうこんな時間だし、明日は日曜なんだから仕事休めるよな?一緒にどっか行こうぜ!エース、こないだ出来た南港の水族館行ってみてェって言ってたじゃんか!おれ、案内してやるよ!と。
 ルフィは何とかエースを引き留めようと、必死にまくし立てる。
 確かに、明日は日曜日で、ルフィも大学の授業はない。
 だからこそ、またゾロと二人でデートしようということになっていたのだが・・・
「まぁ、そう言うだろうと思って、明日だけはフリーにしてあんだ」
「ホントか!やったぁ♪」
 ゾロ同様、エースも相当ルフィには甘い。
 仕方がない。明日は一人、ゆっくりと部屋の掃除でもするか、とゾロはひとりごちた。

 だから、次のルフィのセリフには驚きを隠せなかったゾロである。
「じゃあさ!ゾロと3人でデートしようぜ!」
「デート?」
「お、おいルフィ!」
 ルフィの口から出た『デート』という言葉に、エースは首を傾げ、ゾロは飲んでいたお茶を吹きかける。
 しかし、止める間もなく、ルフィは更に胸を張って宣言した。
「おれとゾロ、今付き合ってんだ♪週末はよく二人でデートすんだぜ」
「なに?」
 唐突にカミングアウトしてしまったルフィに、しかしゾロは居たたまれない気分でいっぱいだった。
 別に隠すつもりはなかったが、弟を溺愛するエースにとっては、この事態は心穏やかでないだろうことが解るから。
 ルフィとゾロが一緒に暮らすことになったとき、ゾロはエースに「弟をよろしく頼む」と言われたのだ。
 あいつはイキナリとんでもねェこと言い出す問題児だけど、幸せになって欲しいんだ、と。
 それが、どうしてこんなことになっているのかと、ブン殴られてもおかしくない状況だ。

「お前ら・・・いつからそうなんだ?」
「うん、結構最近だな」
「で、どこまでいってんだ?」
「ん、えっちはまだこれからだ。にしし」
「ルフィ!」
 エースの質問に悪びれもせず答えるルフィに、ゾロはたまらず口を挟んだ。
 こいつ・・・兄貴に俺を殺させる気か!?

 しかし、顔を真っ赤にして喚くゾロとは対照的に、エースは至極冷静だった。
 特に驚いた様子も見せず、無表情に「そうか」と言っただけ。
 ゾロはエースのそんな反応が、逆に怖いと思った。
「それじゃ、明日はお前が俺達を案内してくれるんだな?楽しみにしてるぜ」
「おう、任せろ!」
 俄然やる気満々になったルフィに、エースはニッコリ微笑みかけて、頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
 それじゃ、悪いけど風呂を貸してくれと、その話はそこで打ち切ったエースが、バスルームへと消えていった。
 リビングに再び二人きりになった二人はというと。
 エースの登場により、先ほどまでの甘い雰囲気は完全に霧散してしまった。
 すっかり明日の計画で頭がいっぱいのルフィは、けれどとてもイキイキと幸せそうだ。ゾロはほんの少しの寂しさを覚えつつも、そんなルフィを見ていると、自分までもが嬉しくなるのを感じる。
「嬉しそうだな、ルフィ」
「当たり前だろ?エースに会うのは半年振りくらいだからな!」
「そうか。良かったな」
「おう♪」
 お日様のような満面の笑みを見せたルフィ。
 この笑顔を守ることができるのならば、それだけで満足だ、と。
 ゾロはそう思った。


  ※

「ほら、こっちこっちエース!」
「おい、待てよ。はぐれちまうぞ、こんなに混んでるってのに」
 ルフィはそれに「平気だろ、ちゃんと付いて来いよ」と明るく笑って返すと、お気に入りの水槽目指して駆けて行く。
 まるで小学生かそこらの子供みたいにはしゃぐルフィを、エースとゾロは人ごみを掻き分けて必死に追いかけた。

 日曜日、約束通り三人は水族館に遊びに来ているのだ。
 さすがに休日となると、家族連れやカップルでごった返す。ある程度の混雑は覚悟していた二人だが、これではろくに水槽も覗けないではないか。
 けれど、そんな人ごみなんて何のその。ひとり目をキラキラと輝かせるルフィである。
「見えるか?あれ、スゲェだろ?おれのお気に入りなんだ♪」
「デカイな・・・」
 水族館一大きい水槽で優雅に泳ぐ、水族館一の人気者、ジンベイザメを指差して、ルフィは我が事のように自慢する。
 エースを案内するためと言っておきながら、一番楽しんでいるのは彼のようだった。
「次はあっち!イワシがな、泳いでんだ!竜巻みたいなんだぜ!」
 早く早く!と焦れて手を引っ張ってくるルフィに、エースは苦笑しながらもついていく。
 ルフィの言うところの『竜巻』は、なるほど本当にそんな感じだった。とにかく大量のイワシが、全て同じ方向を向いてグルグルと水槽の中を回っているのだ。
「ほぉ〜〜こりゃスゲェ・・・なるほど、竜巻だな」
「そうだろ!?美味そうだよなぁ♪」
「いや待て、食うのかよ!」
 そんなやりとりを繰り広げる兄弟を後ろから眺めていて、ゾロはふと気付いた。
 二人の手が、握られている。さっき、ルフィがエースを引っ張って、そのままになっているのだ。
 お互い、振り解こうという気がないのだろう。固く握り締められたまま、離れる気配がない。
 チクリと、胸が痛んだ。
 ルフィにとって、手を握るということの意味が、とても軽いものに感じられたからだ。
 けれど、すぐにその考えは改めた。
 こんなもの、つまらない嫉妬だ。
 ルフィとエースの絆に、自分なんかが敵うワケがないのだ、と。

「ゾロのお気に入りはな、この先のクラゲなんだぜ!なぁ?」
 突然振り返ったルフィが今度は話題をこっちに振ってきて、思わずゾロは目をぱちくりとさせてしまった。
「なにボケッとしてんだ?な、クラゲ眺めてっと時間忘れちまうって言ってただろ?」
「ゾロにも癒しを求める心なんてモンがあったのか・・・」
 ルフィのセリフに必要以上に意外そうな顔をしてみせるエース。
 二人は確かに、息もピッタリだ。
「な、行こ!」
 ニッコリ笑ったルフィが、もう片方の手でゾロの腕を取った。
 「あ」っと思ううちに、ルフィの手の平がゾロのそれに重なり、ぎゅっと握り締められる。
 ルフィの手は興奮しているせいか少し汗ばんでいて、熱かった。
 そうして、二人はルフィに引かれるまま、狭い通路を抜けていった。


 ルフィが急いで次へ次へと移動するものだから、入場に2000円も払った見学も結局30分足らずで出てきてしまった。
 ルフィの計画では、また順路を引き返してゆっくり見るつもりだったらしいが、人の群れは流れに逆らうことを許してはくれなかったのだ。
 仕方ねェよな、と苦笑した兄貴分2人だったが、ルフィはそれでは満足できなかったようで、今度は観光船サンタマリア号に乗りたいと言い出した。
 「サンタマリア号」とは、コロンブスがアメリカ大陸発見のときに使っていた船の名前である。本物の2倍の大きさで復元されたこの観光船は、水族館周辺のもう一つのウリになっているのだ。

 結局、エースを案内するという建前すら忘れて、ルフィはすっかり海の旅を楽しんだようだった。
 エースとしても、案内してもらうためというより、ルフィの我侭に付き合ってやるというのが第一目的だったから、その意義は果たしたと言える。疲れた甲斐もあったというものだ。
 しかし、それだけではなかった。
 エースには、もう一つ確かめるべきことがあったのだ。
 そして、兄として、道を正さなければならないことがある。

「ルフィ、これでサ。何か飲物買ってきてくれよ。もう暑くてかなわねーよ」
 久々に味わう日本の暑さにすっかりバテてしまったエースは、財布から一万円札を一枚取り出して、ルフィに手渡した。
 此処は水族館に隣接するショッピングモールで、たくさんのベンチが並んでいるその周りには、ファーストフードの出店が乱立しているのだ。
「おつりでお前も好きなモン買ってきて良いぞ」
「ホントか!ラッキ〜♪」
 気前の良いエースに、ルフィの頭はもはや食べ物のことで一杯だ。
 一万円で飲物を買ったおつりって、一体どんなだよ・・・と、内心ツッコミを入れるゾロである。
「ゾロの分も買ってきてやるからな!」
「一人で大丈夫か?手伝うぞ」
「うんにゃ、大丈夫♪」
 おれに任せろ、とガッツポーズをして見せて、ルフィはお目当ての店目掛け走って行ってしまった。

 さて、ここで二人きりになった保護者達はというと。
 表情では平静を装いつつも、何を言われるかと内心ドキドキものだったゾロに、しかしエースの口から出たのは酷く穏やかな声だった。
「お前には感謝してる、ゾロ」
「え?」
「生きてくためとはいえ・・・あいつを一人残して行くのは、すげェ不安だったからな」
 ロスに行くことになった、一年半前の冬。
 それを告白されたルフィは「そうか」と静かに言っただけで、エースを引き止めようとはしなかった。
 けれど、顔は真っ白で凍りついたように無表情だったから、本当は頭まで真っ白になってしまっているのだろうことは伺い知れた。
 そばに居て欲しいけれど、枷にはなりたくない。そう思うからこそ、我慢しているのだ。
 『我慢』などという言葉とは全くの無縁だと思っていたこの弟が、エースの『道』のために、己を抑えようとしている。
 いや・・・『我慢』と無縁だなんて、そんなことあるはずがない。
 幼くして両親を亡くしたルフィの人生は、常に『寂しさ』と『忍耐』が付きまとっていたに違いないのだ。

 けれど、ゾロが居たから。
 ゾロがルフィのそばに居てくれたからこそ、エースは安心して己の道を歩むことができた。
 「ゾロと一緒に住むことにしたから」と。
 エースからの急な告白を受けたすぐ翌日に、ルフィは高々と宣言した。
 だから、何も心配せずにエースはアメリカへ行っても良いんだ、と。
 エースはそれ以前からもゾロのことはよく知っていたから、彼にならルフィを任せても大丈夫だと思ったのだ。

 ルフィがせっせと食べ物を買い込んでいる姿が、二人の視界に入った。
 それを眩しそうに眺めながら、エースは言葉を繋ぐ。
「お前に期待した、ルフィの『兄』としての役割を、今まで十分に果たしてくれた」
 その言葉に、ゾロの心臓はドクンと跳ねた。
 兄、としての・・・?
「あいつはお前に懐いてたし、お前は案外しっかりしてるから、生活に不自由することはないだろうと思ってたよ。実際、ルフィは変わらず元気でやってるみたいだしな」
 ただ一つ、俺が見落とした点があったとすれば。

 ルフィによく似た、逸らすことを許さない真っ直ぐな視線が、ゾロを貫いた。
「それは、お前がルフィに友人以上の想いを抱いていたということだ」

 ゾロは。
 椅子に腰掛けているにもかかわらず、足元がグラリと揺らいだような気がした。
 顔色だけを白く染めていくゾロに気付きつつも、エースは更に彼を追い詰める。
「俺に対するのとお前に対するの・・・あいつの気持ちはどっちも同じようなモンだ」
 つまり、ゾロに対する愛情は肉親へのそれと同じなのだと。
 そして、「今ならまだ・・・な」と付け加えた。
「なぁ、解るだろ?ゾロ・・・俺はルフィが大切なんだ」
「・・・ああ」
「あいつに、幸せな家庭を築いてもらいたい。だから、お前じゃ駄目なんだよ」
「そう、だな」
 ゾロはそう答えた己の声が、どこか遠くの方で響いているような気さえした。
 冷静を装った声が、まるで他人のもののようだ。
 エースの、深い藍の瞳が、こちらを見ている。

「ルフィが好きなら・・・身を引いてくれ」

 ゾロの脳裏に、ルフィの色んな表情がぐるぐると巡った。
 子供扱いされたことに不満そうな膨れっ面。
 小さな命を悼んで涙する顔。
 そして、嬉しそうに笑う、顔。
 ルフィは本当に様々な表情を見せたけれど、一番多いのは笑顔だ。
 こちらに向けて惜しみなく注がれる笑顔は、ゾロにとって最上の悦びだった。
 自分の顔を見て幸せそうに微笑むのが、とても嬉しかった。
 癒しであり、安らぎだった。

 けれど、それは本当は自分に向けられるべきものじゃない。
 ルフィの本当の幸せは、もっと別のところにある。
 俺じゃ、駄目・・・なんだ。

 しばしの沈黙を置いて、ゾロは止めていた息を吐き出した。
 視界には、ルフィが両手にたくさんの皿やコップを持って、嬉しそうに駆けて来るのが映る。
 そして。
「・・・・・・わかった」
 ゾロの唇から紡ぎ出されたのは低く、小さな声。
 けれど、堅い決意の篭った声だった。





 
お久しぶりの連載の続編です。
それが、いきなりこんな展開でスミマセン(笑)
エース兄ちゃん、弟バカゆえに悪者でスミマセン(汗)
続きは頑張って近いうちにっ!

ストーリー中で出てくる水族館は、お察しの通り大阪の海遊館でございます(笑)
けど、大阪在住なんかい!?と思われたくなかったので
あえて固有名詞は出しませんでした。
アレですね、大阪人なら関西弁でしゃべらなきゃですよね。
「ゾロ!お前のこと、めっちゃ好きやねん!」
「俺も・・・ずっと前から好きやってん!」

あ〜こりゃ感動的なシーンほど笑えるってモンでさぁ〜〜(笑)


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