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「お前を、待ってたよ」
 ゾロ。
 と。
 男は吹きつける風に髪を乱しながら、静かに笑った。
 まだ、少年と言ってもいいくらいの年に見える。しかし、その顔に浮かぶ表情が何処か落ちついていて、彼を実年齢よりも大人びて見せていた。
 黒いレザー地の衣服に全身を覆う姿は、まるで死神のようだった。
 血のように紅い瞳だけがギラリと強い光を放っている。

「俺に・・・殺されるために、か?」
 ルフィ。
 と。
 対峙する男が、しかしまるで戦闘意欲を失っているかのように、ダラリと両手を下げたまま、問うた。
 短く刈られた緑銀の髪が印象的な、精悍な男だった。
 剣士、なのだろうか。腰に白鞘の刀を一本差している。

「おれの命をやるのは、お前にって決めてたんだ」
 ルフィはニカッと太陽のように明るく笑って答えた。まるで台詞とちぐはぐなその笑顔に、ゾロは胸が痛くなる。
「まだ、遅くはないだろう?俺は、お前を斬りたくねェ」
 だから、もうやめろ。
 ゾロは表情だけは動かさずに、それだけ言った。
 出来る事ならば、自分は彼を手にかけたくない。まだ間に合うのならば、かつてのような無邪気で純粋だった彼に戻って欲しいと思う。
「ダメだよゾロ」
 しかしルフィは、今更何を言ってんだとばかりに鼻で笑って返す。
「それじゃ、何の為に今までいっぱい殺してきたのかわかんねェよ」
 全ては、この瞬間のためだったのだ。
 罪のない人間を大勢屠ったのも。
 名が売れるように、派手な殺しを繰り返してきたのも。
 全て、ゾロに自分の存在を気付かせるための行為だった。
 『悪魔狩り』の異名を持つ、ゾロに。

「けど、簡単に殺されてやる気もねェから、安心しろ」
 レザーの手袋をはめた手をゴキリと鳴らすと、ルフィは口の端を吊り上げて見せる。
「ルフィ!?」
 その言葉の意味を問う間もなく、ルフィが地を蹴った。
 目にも止まらぬスピードで向かってくるルフィの拳を、ゾロは慌てて構えた腕で受け止める。
 ・・・が次の瞬間、ゾロは己の身体が吹っ飛ぶのを、信じられない面持ちで感じていた。完全に防御したと思ったのに。ルフィのパンチは重く、腕一本だけではその威力を殺しきれなかったのだ。
 吹き飛ばされた勢いのまま、ゾロの身体は背後の壁をもブチ破る。
 辺りは一面、廃墟と化した建物ばかりだったから、壁が壊されたのに連鎖するように、そこらの石柱が崩れ落ち、静まり返った空間を激しく揺らした。
 崩壊が収まると、その場に砂埃が舞い上がり、やがて消えていく。
 ルフィはそれを、ただ無表情に眺めていた。

「おれは強ェぜ?本気出さなきゃ、死ぬのはお前の方だ」
 静かに響いた声に応えるように、剥がれ落ちた石壁が持ち上がり、その隙間からゾロが現れた。彼が片腕で押しやった大きな石の塊が、ドスドスと派手な音を発して脇に積み上がっていく。
 普通の人間の腕力では到底成し得ない行為だ。
 身を起こしたゾロは、頭や腕から血を流してはいるが、まるで堪えていないように見える。
 と、ルフィが静かに見守る中、ゾロの身体に変化が表れた。
 ダラダラと滴る血が止まり、見る見るうちに傷が塞がっていったのだ。破れた皮膚も擦れた裂傷も、細胞が猛スピードで再構成されていく。
 すっかり元通りに戻るのに、数秒と置かなかったのではないだろうか。
 その光景を、よく見知ったようにルフィが笑う。
「やっぱバケモンだな、お前」
 自らをも嘲るような彼の表情に、ゾロは僅かに眉を寄せた。
 ルフィもまた、彼の言うところの『バケモノ』ということ、か。
 噂に、聞いたのだ。
 ここらを拠点として非道な虐殺を繰り返す男は、人にあらざりし恐ろしい能力を持っているのだと。その姿と能力から付けられた呼び名は、『ブラック・ローグ』――黒の悪魔。
 ルフィが何らかの能力を持つ『悪魔の能力者』であることは間違いがなかった。

 『悪魔の能力者』―――それは、人間の中でも突然変異によって生まれる、ヒトを超えた存在。超人類。
 火を操る能力、念力で物を動かす能力、壁をすり抜ける能力。
 様々な能力があるのだと、まことしやかに囁かれてはいるが、詳しい実態やメカニズムについては、未だ解明されていないのが実情だった。
 ただ、能力者は『悪魔の力』を持つ者として、人類の脅威として、迫害されるのみ。
 彼らには、人権がなかった。
 ゾロは己も『悪魔の能力者』でありながら、そんな同朋達を狩ることを生業としている。『悪魔狩り』という異名は、そこに由来しているのだ。
 もちろん、罪のない能力者を無差別に斬るわけではない。ゾロが獲物とするのは、自分の能力を利用して悪事を働く能力者だけだ。
 そして、今度のターゲットは『ブラック・ローグ』――つまり、ルフィである。
 かつてのルフィを知るゾロにとっては、ただ辛いだけの『仕事』だった。

「ずっと、ゾロと戦りたいと思ってた」
「ルフィ・・・」
 本気の闘志を宿したルフィの瞳に、ゾロはもはや説得は不可能だということを悟る。腰の刀に手をやると、スラリと引き抜いた。そして、なんとそれを口に咥える。手ではなく、だ。
 ルフィもよく知っている。ゾロは三刀流なのだ。多勢を相手にすることもたびたびあるゾロが、隙を与えないようにと、自ら編み出したスタイルだった。
 しかし、腰に下げていた刀は一本だけ。あと二本はというと・・・
 一つ大きく息を吸い込んで、吐く。
 刹那、ダラリと下げたゾロの両手から、刃が生まれた。手の平の肉を裂いて現れたそれは、鋭い光沢を放つ日本刀だった。
 ゾロの眉が僅かに寄る。手から、鮮血が滴っているのだ。
 アレを出す時、少し痛いのだと・・・ルフィは昔本人から聞いたことがあった。
 特殊な金属で打った刀を、腕に仕込んでいるのだと。それを体外に引き出す痛みと言ったら、恐らく「ちょっと痛む」どころではないだろう。
 しかし、驚異的な治癒能力によって、傷はすぐに塞がっていく。
 やがて、三本の刀を構えた『悪魔狩り』の姿が、そこに明らかになった。能力者の間で『魔獣』と恐れられる、まさに噂通りの出で立ちだ。
 それが、とても綺麗だと、ルフィは思った。
 真っ直ぐに自分だけを見つめてくる金緑の瞳に、ゾクゾクと血が沸き立つ。
 久しく、味わっていなかった高揚感だ。これほどまでに、自分と拮抗した力とぶつかり合う経験なんて、どれくらいぶりだろうか。
 『殺す』か『殺される』かの両極端な結末が、目の前に横たわっている。
 純粋なまでの戦闘意欲を刺激されて、ルフィはほとんど無意識にゾロに向かって飛びかかっていた。
「!」
 殴りかかってくる拳を、ゾロはしっかりと構えた刀の根元で受け止める。腰を低く落として。
 今度は吹き飛ばされることはなかった。少し、後ろに押されただけで、何とか踏み止まる。止まったところで、ゾロは曲げていた腕を一気に伸ばし、ルフィを押し返した。
「ヘェ〜」
 逆に後方へと押しやられたルフィは、嬉しそうに舌舐めずりをしてみせる。まるで、狩りを楽しむ肉食獣のように。
 実際、彼はこの戦いを楽しんでいるのだ。
 昔、この『魔獣』に出会い、彼のことを深く知った時からずっと、自分もこんな強さが欲しいと思っていた。
 今、こうして対等に渡り合えるほどの力を手に入れたことが、とても心地良い。

 ニヤリと口の端を吊り上げて、ルフィが再び繰り出した拳を、ゾロは飛び退って避ける。が、着地を狙って払われた回し蹴りに足を取られ、よろめいたところで腹に強烈なパンチを受けてしまった。
 衝撃で浮いた身体に、ルフィは尚も追撃を食らわせる。パンチの勢いを生かしてクルリと身を翻し、振り上げた足をそのままゾロの首根に叩き落としたのだ。
 ゴキリと、嫌な音がした。首の骨が、折れたのかもしれない。
 さすがに、ゾロは顔から地面に突っ込むことになる。
 生身の人間なら間違いなく死んでいる攻撃にも、しかしゾロはなんでもないようにすくっと立ち上がった。額から大量の血が流れ出し、首が有り得ない方向に曲がっている。ような気がする。
 ゾロは片手で頭を押さえると、力任せにグイッと押した。グキリとまた嫌な音が鳴り、首が元の位置に戻る。
 額の傷も、徐々に修復されていく。
 ゾロの眼がギラリと光った。
 『魔獣』の血が、目覚めたかのように。
 本気を宿した鋭い眼光に、ルフィの背がゾクリと戦慄く。

 今度はゾロからの攻撃の番だった。
 腕を交差し、クロスに構えた刀を大きく振りかぶる。
「鬼・・・斬り!」
「・・・ッ!」
 突進してくる勢いを殺し切れないと判断したルフィは、逆に向かってくるゾロの懐に潜り込み、刀を握る手首を掴みかかった。しかし、それでも完全には止めきれず、振り下ろされた刃から身を捩って逃れる。
「うぐっ!」
 紙一重でかわしたと思った攻撃は、その剣圧だけでも凄まじく、ルフィの肩を深く抉った。
 黒のジャケットが裂け、真っ赤な血が吹き上げる。
 ゾロは怯んだルフィへ更に追い討ちをかけるかのように、真横へ一閃した。
 胴を薙ぐ、容赦のない攻撃だ。
 一瞬、上半身と下半身が切り離されることを覚悟した。

 しかし、ルフィに訪れた痛みはもっとずっと、別のものだった。
 息が止まるほどの、重い衝撃。
「がはっ!ぐ、はっ!・・・ッ」
 その場に崩れたルフィを、ゾロは黙って見つめる。
 両手に握った刀からは、血は滴っていなかった。何故ならば、刀は逆刃に握られていたからだ。
 ルフィの腹へ向けた一撃は、峰打ちであった。
 それを、納得できるルフィではない。
「なんだよっ、ソレは・・・同情かよ?」
 静かに自分を見下ろしてくるゾロを、ルフィは強く睨み付ける。
 哀れみなんて、真っ平御免だった。
 それならば、いっそ息の根を止めればいい。

 ルフィは肩と腹の痛みを振り払って、三たびゾロに向かっていった。
 流れ出す血も気に止めない、己の身に無頓着な攻撃は、ゾロを再び薙ぎ倒すには十分の威力を持っている。避けることも止めることも叶わず、ゾロは殴り付けられるまま、仰向けに倒れてしまった。
 またもや形勢は逆転する。
「手ェ抜いて勝てる相手だと、あなどるつもりはねェよな?」
 挑発するようなルフィの台詞に、しかしゾロも今度は乗ってこない。
 それどころか、両手の刀を鞘へと収めてしまう。発光する二本の刃が、鞘・・・つまりゾロの腕の中へと再び呑み込まれてしまった。
「っ!?何のつもりだよ!」
 それは、ゾロに戦う意志がないことを示している。
 冗談ではない。
 このまま済まされてなるものかと、ルフィはゾロに馬乗りになって胸倉を掴みかかった。
「ゾロ!おれをナメてんのか!?馬鹿にすんなよッ!」
 ガクガクと揺さ振ってくる手を、ゾロはそっと握る。
 視線が絡み合って。
 ルフィはゾロの、慈愛に満ちた瞳に、言葉をなくしてしまった。
 この眼差し・・・酷く安心する。
 忘れかけていたこの安らぎは、一体何だろうかと自問しながら。
 同時に、芽生えたこの感情に切なさが訪れた。
 腹の奥が熱くて、呼吸すらもままならない。
 
「俺には、お前を斬ることはできない。約束、だからな」
「やく、そく・・・?」
 ゾロは先程と一転して泣きそうな表情になったルフィに手を伸ばした。髪を撫でてやりたいと思ったからだ。
 しかし、ルフィは弾かれたように表情を強張らせ、咄嗟にその手を振り払った。
「おれに触るな!」
「ルフィ?」
 ゾロの上から逃げるように退くと、ルフィは狂ったように喚き散らす。
「触るな触るな、さわるなーーー!」
 野生の野良猫のように、全身で拒絶を露わにするルフィに、ゾロは胸が痛くなった。
 何が、ルフィをこんな風にしてしまったのか。
 ゾロはこの時未だ、彼に起こった変異の実体を知らなかった。

「俺にチャンスをくれ。お前を、助けたい」
 ゆっくりと立ち上がって、ゾロは宥めるように語りかける。
「おれを、助けるって?『殺す』以外の方法で?」
 ハッと自嘲じみた笑みを浮かべるルフィにも、金緑の瞳は揺らがない。
 その眼を見て、ルフィは「もしかしたら」と思った。
 もしかしてゾロなら。
 ゾロなら、自分を受け入れられるのではないだろうか、と。
 だから、ルフィの口から、こんな提案が出たのだ。
「・・・いいぜ。おれに触れられて、それでも生きていられたら・・・な」
 一見意味不明なその言葉に、ゾロは眉を顰める。
 しかしその意味を解析する隙もなく、一気に距離を詰めてきたルフィに、ゾロの胸はドキリと高鳴った。
「ル・・・ッ!」
 名を呼ぼうと開いた口は、あっという間に塞がれてしまった。ルフィの、唇によって。

 キス、されているのだと脳が理解するのに、かなりの時間を要した。
 不思議なことに、嫌・・・ではない。
 むしろ、絡められてくるルフィの舌が心地良いとさえ思ってしまう。
 しかし、何故今こんなことをするのかと、その真意が掴めない。
 様々な疑惑に混乱した思考は、しかし不意に襲ってきた肉体の異常によって拡散した。
 身体が、急に痺れだしたのだ。
 いや、それどころか無意識にガクガクと痙攣し始めて、全身を強烈な痛みが駆け抜ける。塞がったはずの傷が再び開き、血が吹き出した。
 何もかも吸い取られるような激痛に眼を見開くと、ルフィの肩の傷が癒えていくのが映った。さっき、ゾロが斬った傷だ。それが、急激に塞がっていくのが見える。まるで、ゾロの治癒能力をコピーしたかのように。
 触れ合った場所から、生命力までもが急激に奪い取られていく。
 これ以上触れていられたら、死ぬ・・・
 そう恐怖した途端、ゾロの唇は解放された。
 支えを失った身体は、糸の切れたからくり人形のようにその場にドサリと崩れ落ちる。
 血で染まった体は、それでも痙攣を繰り返していた。

「やっぱり、ダメだったな・・・」

 無感情な言葉が、薄れゆく脳裏に響いた。
 ルフィの能力を、ゾロは身をもって知ることになったのだ。
 つまり、『触れた相手の能力・生命力を奪う』力・・・
 なんて、残酷な・・・

 そのまま、ゾロの意識の糸はプッツリと途切れてしまった。


「初めてキスした女の子は、昏睡状態に陥って、三日目に死んだよ」
 足元に転がるゾロを見下ろしながら、ルフィは無表情に言葉を紡いでゆく。
 ルフィの『変異』は、ちょうど十四歳の時だった。
 能力者が『悪魔の能力』に目覚めるのは、思春期に多い。その頃に体験したストレスや事件が、覚醒の切欠となると言われている。あくまでも、一般的な話ではあるが。
 ルフィの場合は、本当に突然だった。その時まで、まさか自分が『悪魔の能力者』として運命付けられていたなんて、知る由もなかった。
 いや、密かに憧れてはいたのだ。
 無邪気な子供心だ。もし、自分に 『トクベツ』な能力があれば、どんなに楽しいだろうと。
 こんな、能力が欲しかったワケじゃない。
「皆、おれを怖がって隔離しようとしたから、ムカついて全員ブッ殺してやった」
 今、ルフィは数え切れない程の能力を持っていた。
 殺した能力者の分だけ、ルフィは力を手に入れるのだ。
 不意に、ルフィは右手を手刀の形にし、左腕に叩きつけた。すると、その場所がパックリと裂け、血が滴り落ちる。鋭い刃物と化した右手で、切り裂いたのだ。
 これは、いつだったかルフィの首を狙ってやってきた殺し屋から奪った能力だった。全身を刃物に変えることのできる能力である。
 自らの手刀で傷付いた腕は、しかしすぐにまた再生し始める。ピタリと血が止まり、肉の覗いていた皮膚が塞がっていった。
 これは、今ゾロから奪った能力だ。
「あ〜あ、これでまた・・・おれを殺せる人間が減ったじゃねェか」
 本当はさっきも、身につけたあらゆる能力を駆使すれば、『悪魔狩り』のゾロだとて相手にはならなかったのだ。
 超越した治癒能力までも手に入れた今、ルフィはもはや無敵であった。

「ゾロ・・・このまま、死ぬか?約束・・・破るんだな、お前・・・」
 痙攣が止んで、ピクリとも動かなくなったゾロを見つめながら。
 心は益々冷たく凍て付いていくのを、感じていた。




続く >>