谷地軌道(やちきどう)
 谷地軌道は大正5年から昭和10年まで、奥羽本線の神町と現在の河北町谷地を結んでいた山形県初の私鉄で、機関車の煙突が里芋の形に似ていたことから「いもこ列車」と呼ばれ親しまれた。
 明治末期から大正はじめにかけての河北地方は、農、蚕業をおもな産業とし、これに特産物として草履表・清酒等の生産を行い、馬車などによって輸送していたが、輸送力には限界があった。

 河北町谷地の事業家升川勝作氏は、地域経済振興の手段として、大量輸送が必要であることを痛感し、大正4年1月「谷地軌道株式会社」を設立し、谷地←→神町間に5.6qの軌道を施設。大正5年2月に山形県内私鉄第1号として営業を開始し、昭和10年9月に廃止されるまでの約20年間、この地方の重要な交通機関として活躍した。

 この谷地軌道は、奥羽本線の神町と谷地とを結び、蒸気動力による軌間762oのもので、停車場は谷地、藤助新田、羽入、神町の4箇所に設置された。
 
 軌道は、民家近くを走るため、蒸気機関車の煙突から出る火の粉で危険なため、煙突に覆いをして走り、その煙突の形が里芋に大変よく似ていたところから「いもこ列車」の愛称で呼ばれ、多くの人々に親しまれた。 (文・写真=河北中央公園・案内看板より)


 現在、河北町谷地の河北中央公園に、当時のものと似た機関車が「いもこ列車」として保存されている。これは昭和63年10月23日、河北青年会議所が河北町に寄贈したもので、1948年ベルギーのアングロ・フランコ・ベルジ社製のSL。

 冬季を除き1ヶ月に1回程度、公園内に施設された全長約100mの線路上を往復する運行が行われている。
 今年最初の運行ということで訪れてみると、親子連れなどが訪れ、ほのぼのとした雰囲気の中で甲高い汽笛の音が園内に響き渡っていた。(2007年5月5日)



2007年5月5日
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