山形・鉄道図鑑

三山線廃線跡を辿る  
2007年4月
1974年廃線となった三山線の廃線跡を辿ってみた。
羽前高松駅を起点とし、終点の西川町間沢(まざわ)へと向かった。

羽前高松駅

左沢線との乗り換え駅であり、三山線の起点だった羽前高松駅。写真は1972年頃の高松駅のホームの様子。三山線(左)に停車するクハ11と国鉄左沢線(右)のディーゼル車。

         
(C)www.FreightCar.jp
三山線の駅舎とホームがあった所は、自転車置場となっていた(左写真)。奥に見えるJR羽前高松駅の駅舎の手前に並んで駅舎があった。
現在の高松駅は貨物の取り扱いも廃止されており、JR左沢線で山形方面へ通学する高校生の朝夕の乗り降りがほとんど。駅前は閑散としていた。
 


駅周辺

高松駅跡周辺を歩いてみた。
  
高松駅の近くに残る用水路を跨ぐガーター。左沢線と別れ、右にカーブを描く辺り。食品工場のわきの砂利道を歩いて行くと、すぐに見つけられる。廃線から30年以上経っているのに撤去されずに、ここだけ時代に取り残されたような雰囲気だ。

鉄道の枕木?再利用?三山線のものか左沢線の貨物線廃止の際のものかは不明。周辺の果樹園で撮影。

踏切跡
踏切があったと思われる交差点。羽前高松駅と新田(しんでん)停留所の間に位置する。
地図を見ると、現在、十字路になっているこの交差点を斜めに線路が通っていた。画面の手前が高松側、奥が新田側。
左の電柱と赤い屋根の小屋の間を線路が通っていたと思われるが、この地点の前後は田畑になっていて、廃線跡は完全に消滅してしまっている。
昭和51年の航空写真でも、すでに軌道跡と思われるものは確認できないので、かなり早い時期に整地や埋め立てが行われたと思われる。

(C)www.FreightCar.jp

「三山広場」

新田停留所の手前に設けられたメモリアル広場。そばを流れる高松堰の改修の際、山形交通や地元の有志によって整備された。実際の軌道跡に位置しており、高松堰を跨いでいた鉄橋の土台がそのまま残されている。

鉄橋の土台と写真などが掲示されているプレハブと案内看板。奥が高松側でバイパスで分断されている。

コンクリートの土台は当時のまま。今はわきを通り過ぎる堰だが、改修前はこの下を流れていた。レールと枕木も三山線のものと思われるが、ガーターは取り外されていて、鉄骨部分は線路を土台にのせるために後で付けられたもののようだ。

三山線の懐かしい写真が飾られていた。雨風にさらされて放置状態となっているが、貴重な資料だ。いずれも高松駅周辺で撮られたものらしい。




新田停留所跡

左の写真は三山広場から見た新田(しんでん)停留所方面。画面手前から体育館(左)と住宅の間に向かってまっすぐに線路が敷かれていた。新田停留所は体育館手前の田んぼ付近にがあったと思われるが、ご覧のように痕跡は何もない。右写真は反対側から。


【昭和51年の航空写真】
新田停留所の跡と思われる痕跡と、現在、三山広場となった所から延びる軌道跡も見られる。
北側に流れる川は寒河江川で、新田停留所を出た電車は寒河江川に架かる「みやま橋」を渡り、白岩駅へと向かって走っていた。


昭和51年頃の様子 「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」

みやま橋
寒河江川に架かるみやま橋を渡り、白岩(しらいわ)駅へと向かう。現在の橋は、廃線後、架け替えられたもので、サイクリングロードになっている。
 

白岩駅跡
みやま橋を渡り、まもなく白岩(しらいわ)駅。この付近は、路線をそのまま舗装して道路にしているので位置関係などがわかりやすい。

駅舎は残っていないが、土台が残っている。奥のほうは当時のまま、手前の建物が建っているほうは補修されているか新しく作られたものと思われる。建物は中町公民館。舗装道路になっている所が線路が敷かれてあった所。右側が高松、新田側で、左側が間沢方面。


中町公民館のそばに建てられた「白岩駅跡」を示す石碑(昭和63年8月建立)。


「でんしゃみち」

地元では白岩から上野(うわの)、宮内あたりまでの廃線跡を ”電車道(でんしゃみち)”と呼ぶ。
集落と田んぼを左右に眺めながらの直線道路。
今はアスファルトの舗装道路になり、平行して走る国道の裏道的存在。車の行き来はほとんどない。
一旦、国道112号白岩バイパスに阻まれるが、再び続いて行く。
                    



上野停留所
「でんしゃみち」を進むと上野停留所跡。

間沢側から。青いシート手前の木片や土台は駅舎跡?

上野ー宮内間
上野停留所跡を出発。横切るのは国道458号。


電気堰と交差。線路がアスファルトになっただけで、周辺の風景はあまり変わらないようだ。

羽前宮内駅跡
野ー宮内間
羽前宮内駅は変電所があった駅として知られる。その建物は今も健在。民間の倉庫として利用されているようだ。宮内変電所は1946年に設置された。

宮内変電所。宮内駅の線路を挟んだ反対側に位置する。当時は瓦屋根だったらしく、シャッターも後から取り付けられたようだ。1967年当時の写真では、畑がある辺りにホームがあり、手前に線路が2線あった。駅舎跡は地域の公園として利用されている。


羽前宮内駅周辺
前宮内駅跡
宮内駅跡を過ぎた最初の細い十字路。角にコンクリート柱があった。
残り方が不自然で、鉄道の踏切付近に設置されているようなコンクリート柱に見えるが、三山線のものかは不明。
位置的には、熊野(ゆうの)川を渡る前の踏切か、道路との交差があってもおかしくない場所。


宮内駅跡をから先は築堤となり、まもなく熊野(ゆうの)川。

熊野川
前宮内駅跡
熊野川で廃線跡は一旦途切れる。新しく導水管が渡されていて、渡ることが出来ない。一旦、50mほど北側を走る国道112号に出て向こう側へと渡るしかない。


新旧交差 〜廃線跡と山形自動車道〜
熊野川

廃線跡を高速道路・山形自動車道の高架橋が跨ぐ。車社会の到来で廃止に追いやられた路線と高速交通網の関係を示しているようで、なんとも印象深い風景だ。


雰囲気のある深い切り通し。






石田停留所跡旧交
差 〜廃線跡と山形自動車道〜

左の木がある所が石田停留所があった所。今は民家となり、遺構のようなものは残っていない。
廃線跡は青い道路標識辺りでバイパスに吸収。しばらくは当時の面影を辿ることは困難。