平成19年11月24日に、山梨県に行ってきました。

 


 一般的には武田神社として知られていますが、武田信虎、武田信玄、武田勝頼、三代の居館です。周囲は水堀と空堀で囲まれています。

 紅葉の三連休とあって観光客でごったがえしていました。

 


 本郭にある神社です。観光客の肖像権に配慮して、上部だけ写しました。

 


 本郭を出て館の北側に出ると、観光客は一人もいませんでした。伝味噌郭の石垣が静かにたたずんでいます。

 

 


 二の郭北側小口です。手前には深い空堀と土橋があり、土橋を進みむと、周囲を土塁に囲まれた「枡形」にたどり着きます。左右に土塁が写っています。ここに侵入した敵兵は、三方からの攻撃にさらされます。

 


 躑躅ヶ崎館は、小規模であり防御性が低いので、敵に攻められた時に篭る防御性の高い城をセットで用意しました。写真中央やや左の山が「要害山城」です。進入路を屈曲させ横矢のかかる小口へ誘導する縄張りや、竪堀が残っています。

 武田信虎の時代に、駿河勢が甲斐に乱入した際、信虎の正室三条夫人は、この要害山城に避難し、ここで武田信玄を産み落としたとの伝説があります。

 中央やや右奥の山には熊城があります。織田、徳川連合に圧迫された武田勝頼が築いたのではないかと推測されています。要害山城の背後にまわる事が出来る尾根上にあります。反撃の為の小口は少なく、ひたすら遮断する大きな堀が特徴です。

 今日は、家族連れなので登れません。

 


            甲府駅前には、武田信玄公の銅像が鎮座しています。

 


 ついでに甲府城にも寄りました。20年前にバイクで訪れた時とは比べ物にならないほど、復元、整備が進んでいて驚きました。解説版や資料館を兼ねた隅櫓などもあり楽しむことが出来ました。

 江戸城に危機が迫った場合、一時的に甲府城へ幕府を移す防衛構想があったとのことで、甲斐の国を治める城に求められる規模以上の規模を有していたそうです。