平成19年11月31日(水)長野に行ってまいりました。林城、有賀城、高島城、桑原城を巡りました。

 今日は、一番印象が深かった「桑原城」を紹介します。

 


 

              解説版には、縄張り図もついていて親切です。

 


 

              帯郭と本丸の切り岸(右側)です。

 


         二郭から、主郭を眺めたところです。間に気持ち程度の堀があります。

 

 


 主郭内部の写真です。ベンチの大きさから、非常に狭い空間であることを感じ取っていただければ幸いです。城全体の縄張りも工夫が無く、規模も小さく、城兵は、150人位しか篭れないと思われます。

 


 あれ?! 写真を縮小しなくともアップできた。何でだろう?

 諏訪湖を見下ろす風景です。もっと先端に行って撮れば良かったですね。

 本当は、大変趣の深い風景だったのにカメラマンが悪いのが残念です。

 まるで絵画の様な諏訪湖と湖畔の平地と周囲の山々のバランスがとれた風景でした。

 

 さて、桑原城は、戦国期この地を治める諏訪頼重が武田信玄の侵攻を受け、立てこもった城として知られています。進退窮まった頼重は信玄の偽りの講和に乗り、城を明け渡し、甲斐にて自刃させられたとのことです。

 頼重の本拠は、上原城であり、上原城は要害堅固な城であるのに、何故、頼重は上原城を捨て、桑原城に篭ったのか? 様々に論議されてきました。

 


                 桑原城から見た上原城。奥の方の山上です。

 

 桑原城に立って、規模の小ささ、防御性の低さをひしひしと実感しました。

 僅かな兵と、この守りにくい城に篭った頼重の心境を察すると非常に切ないものがありました。守る兵は多分100〜200名、城下に溢れる武田勢は数千、もちこたえられるわけがありません。

 

 頼重は、既に死を覚悟していたのかも知れません。そして死に場所として、諏訪湖をめでるこの絶景の地を選んだのではないでしょうか。城として選んだのではなく、諏訪湖を眺めながら死にたいと、この岡を選んだのではないかと、そんな空想が頭をよぎりました。