中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の菅原です。
平成19年の夏に群馬県吾妻郡東吾妻町、東吾妻町役場北方約1キロの稲荷城跡に行ってきました。
半年以上前の踏査の記憶を元にイメージ図を作成しました。記憶があやふやです。
全国的な常識では、舌状台地に築城する際、本郭は舌状台地の突端に配置します。
しかし、北群馬に限っては、舌状台地の突端をあえて放棄し、ずれた場所に本郭を配置します。
この稲荷城、高山村の中山城、みなかみ町の諏訪の木城などがこれにあたります。
本郭の小口を外側から見たところです。
源平の戦いの頃、吾妻氏が在城していたとの伝承があります。その頃は本郭のみの簡素な造りたったと思われます。遺構の現状は戦国時代の中期から、後期にかけて改修されたと推察されます。
本郭を囲む土塁は、地方の小土豪にしては立派ですし、北側は急斜面となっており、兵力300を与えられたなら、1000人の攻城兵相手に3日はねばれるかな?
攻城兵が2000人なら、落ちる・・・といった印象です。