ムノ治療 

(1)はじめに
    経絡治療においては本治法と標治法とは車の両輪にたとえられるが、相剋調整による本治法が優先することは言うまでもないことである。しかし様々な症状を訴える患者を治すという点において、即ち営業繁栄のためには、標治法もまた重要な手段であり、それぞれ工夫の必要がある。
 本会には標治法の一環として補助療法の子午、奇経、ナソ、剌絡治療の体系が確立しているが、ムノ治療については施術部位が鼠径部ということもあり、ナソのようには研究が進んでいないようである。
 ムノというのはナソと同様に、腰仙部症候群の略符号YSを点字読みしたもので、これは腰仙部症候群としての下腹部、骨盤内臓器並びに下肢症候群として、鼠径部の一定部位に現れる触覚所見に対し施す標治法である。
 その範囲の外側は上前腸骨棘付近から内側は恥骨結節までの鼠径溝に一致する周辺であるが、これに腰部仙骨部、臀部等を参考に観察する必要がある。
 ナソ治療が上半身、即ち、上焦、中焦に対する標治法とすれば、ムノ治療は下半身、即ち下焦に対する標治法といえる。従ってこの両者を巧く応用すれば、全身に対応できるのではないだろうか。
 また、ムノ治療を行う前に膝を曲げる等して痛みを確認しておき、治療後、同じ動作でその違いを見ると良い。
 
(2) 現代医学的観察
    鼠径部は、体幹と下肢とを結ぶ接合部に相当し、股関節の前面に位置し、膝関節、足関節と共に全体重を支え、歩行、運動、労働に際し力学的にもかなりの影響を受ける所である。この部位は、鼠径靭帯が上前腸骨棘と恥骨結節との間に張っており、これは外腹斜筋腱膜の下方における腱丘である。
 又、鼠径靭帯の内側の直ぐ上には、鼠径管があってその中を、男性では精索が血管・神経及び精巣挙筋を伴って通り、女性では子宮円索が通り共に生殖器に入っている。又、鼠径靭帯の直ぐ下には血管裂口と筋裂口がある。血管裂ロは大腿動脈、大腿静脈及びリンパ管を通し下肢に繋げている。又、筋裂口は腸腰筋と大腿神経が通っており、腸腰筋即ち大腰筋、小腰筋、腸骨筋は第十二胸椎から第四腰椎椎体から起り、この筋の深頭と浅頭との間に腰神経叢があって、この二頭は合して筋裂口を通って大腿骨の小転子に附着している。又、鼠径部には浅リンパ節が並列に並び裂口の所には、縦に直列に並んでいる。又、下肢筋の内、外側筋は上前腸骨棘附近から起始し、内側筋は坐骨、恥骨から起り共に膝関節構成骨に停止している。この様に解剖学的な見地に立って見ても、この鼠蹊部が腰仙部や生殖器、下肢、膝関節に非常に重要な拘りを持っているかが伺い知れるものである。
 
(3) 東洋医学的観察
   この鼠径部には、膀胱経を除く足の五つの経絡、肝、腎、脾、胃、胆経が循り、これに任脈経も関与していると見なければならない。そこでこの鼠径部に関係あると思われる経穴を列記してみると、胃経の気衝、脾経の衝門、府舎、腎経の横骨、肝経の陰廉、胆経の居髎がある。又、鼠径部からはいくらかはずれるが胆経の環跳、任脈の曲骨はムノ治療にとって大変重要なツボである。
(4) 触覚所見
   ムノに現れる触覚所見は、これもナソと同様に、症状によりキョロ、ゴム粘土、枯骨様と様々で、用鍼や施す手技はそれぞれに合わせ適宜使い分ける必要がある。また、ゴム粘土様所見については正常な筋張りとの区別をする必要があるが、その場合には圧痛を目安にするとよいようである。なお、この部は非常に敏感なところであり、刺鍼に際しては粗雑にならぬよう十分な注意が必要である。
 触覚所見の現れる部位は、例えば膝の外側(胃経)の痛みによるものは、実施臨床上、必ずしも胃経上に現れるとは限らない。むしろ脾経の付近に現れることが多い。下枝の病症については、上前腸骨棘から恥骨結節こ至る鼠径溝に沿って、経絡の流注では胆、脾、肝、胃、腎経となっているが、臨床的には膀胱、胆、胃、脾、肝、腎経の順になっている事が多いように思われる。これは鼠径部における経絡は実際にはかなり錯綜しているからではないかと考えられる。
 またおおむね上前腸骨棘の高さが腰、その下2横指で膝、4横指で足関節といえるようである。
(5) 手法
   まずキョロ所見であるが、これは急性とか熱性疾患にみられ、主にリンパ腺の腫脹による場合が多いようである。またこれとは別にキョロキョ口した所見が現われる場合もある。これに対する手法は、接触鍼から1,2ミリの浅い鍼で充分である。(鍼尖鋭利な銀鍼にて接触ないしは1,2ミリ静かに刺し、鍼尖が滑り込んだならば、指先を締めて抜去する。)特にリンパ腺に対しては、絶対深刺しは禁物である。急性の膀胱炎や急性の膝関節炎に応用して効あるものである。
 次にゴム粘土様所見であるが、これは慢性の腰痛をはじめとして膝・足関節痛や骨盤内臓器の諸疾患によくみられる。これは鼠径部全体に亘って現われる場合もあるが、又部分的に現われている事もある。
 これに対する手法は、大略ナソと同様であるが、凝りの真中をねらって刺すよりも、腹部側からと足側から所見をはさむ様に周囲から攻めて行く方がより効果的である。(皮膚面より静かに刺入し、鍼先が硬結に達したら、さらに1ミリ程刺人して圧をかける。場合により静かに抜き刺ししたり軽く撚るという手法を加える。抵抗が緩んだら抜去する。)これが的中すると、敏感な患者では、その響きが主訴部、即ち骨盤内臓器、腰仙部、臀部、下肢等に心地よく伝わり、時に劇的な効果が得られることがある。
 次に枯骨様所見であるが、慢性痼疾、難症によく見られるもので、例えば変形性腰脊症、腰脊圧迫骨折後遺症、脳梗塞の後遺症による下肢の麻庫とか間歇性破行症とか老人性膝関節症或は難症の動脈硬化症等。こういう患者には、鼠径部全体に板状或は棒状に骨かと思う位の固いしこりを触れるものである。
 これに対する手法は、所見の表面或は周囲から順番に根気よく日柄を掛けて繰返し治療を重ねる必要がある。
 実施臨床においては経穴にそれ程こだわる事なく、触覚所見を目当に取穴する事が肝要である。
(6) ムノの用鍼
  患者の体質、病歴、病症、触覚所見等を考慮の上、銀1・2番からステンレス2・3番鍼迄、適宜適切に使い分ける必要がある。
(7) ムノの適応症
   ムノ治療の適応症は下焦の病、下枝総べての病症といわれている。例えば頑固な腰痛等は、幾等腰をいじっていても渉々しくないものが、ムノ治療をやっただけで簡単に解消される場合も少なくない。
その他坐骨神経痛、股関節症、膝関節症、足関節症、捻挫、痛風、リウマチ等、又、膀胱炎、腎炎、痔疾患、潰瘍性大腸炎、下痢、便秘、前立腺肥大、子宮筋腫、内膜炎、卵巣膿腫、生理痛及び不順、不妊症等、又、足の冷え、浮腫、倦怠感、麻庫等がある。
 尚、手法よろしきを得た時には、冷えた所が温まったり、皮膚に潤いが出たり、呼吸が深くなったり、腹がグルグル音をたてて動き出したりするものである。