CBR250R(89年型)

 

中型免許(今で言うところの普通二輪)を取ってすぐ欲しかったバイクです。

それでも結局、初めての1台は中古のCBX250RSだったので

2台目のバイクになります。

当時の定価が53万円くらいだったかな??

旦那が以前勤めていたバイク屋さんで買いました。

色はトリコロールが欲しかったのですが、なくて青白です。

これを選んだ理由ですが

重量が軽いこと(乾燥137キロ)、シート高が低いこと(730mm)

あとは当時愛読していた「レディースバイク」という女性向けバイク雑誌の

インプレやオーナー女性達の話など読んで

乗りやすそうなこと、

マルチエンジンの音が好きなこと

見ているうちに丸目二灯ライトがとってもお茶目に見えてきて

外見も大好きになったことがあります。

1990年4月1日の納車の日はウキウキるんるんでした♪

旦那についてきてもらい、そのあとは船橋の埠頭あたりに行ったのを覚えています。

シュインシュイン言うエンジン音を聞いているのが楽しくて嬉しくて。


CBRに合わせて青いジャケットでした。

ブーツも青白買ったりしました。


通勤にも使ったし、ダンスのレッスンに行くのにも使いました。

雨の日だって、お気に入りのピンクのカッパを着て乗ってました。

ダンスのレッスンのあとは、そのまま近くの埠頭を走ったりして

いっつもちょっと遠回りして帰ってました。

梅雨の合間の晴れた日には会社に行くよりCBRに乗りたくて

1回だけズル休みして神奈川県にいる親戚の家に行ったことがあります。

タクトのときは、車にあおられて悔しい思いをしましたが

この時は当然、そんな思いもせず信号ダッシュで

車を引き離してご機嫌で乗ってました♪

 

ツーリングと呼べるものに行ったのは2回だけです。

旦那と2人で奥多摩に行ったのと、

会社関係の人達と箱根へ一泊しに行ったことです。

しかも両方ともひたすら下道でしか走ってません。

奥多摩へ行ったときは、初めてのツーリングだったので

手が疲れてしまったことを覚えています。

箱根は、1台タンデムだったので下道でした。

6月の梅雨時でムシムシと暑くて

峠道が怖くて、一生懸命走ってました。

宿について温泉入ってから体重量ったら2キロも落ちていてビックリ(@@)

(このときの数字が大人になってから一番軽い数字でした^^;)

お風呂上りに皆で乾杯しましたが、人生で一番お酒を飲みました。

ビールをコップ2杯です!

私は殆ど飲まないので、これは快挙(?)です。

 

本格的な洗車もしたし

ホイールが白だったこともあり、年中タオルで拭いてはいました。

もう大好きで大好きでどうしましょう(*^0^*)って感じでしたね。

 

青白だけでは寂しいので、蛍光ピンクの細いテープを買ってきて

カウルなどにラインを入れて

同じピンク色で名前もスクリーンに貼ってました。

 

1度だけ立ちゴケもしました。

家の前に停めて、スタンド出して降りようとした時です。

スタンドがちゃんと出ていなくて「れれれ・・・・」と倒してしまいました。

一人ではどうしても起きなくて、困っていたら

通りすがりのおばさんが「あら、大変!」と一緒に起してくれました。

この時もショックでしたが

もっとショックだったのは、会社で他の人に倒されたことです。

このことがあって以来、私は他人様のバイクに跨るときは

「スタンドは絶対外さないでバイクもまっすぐに起さない」と決めてます。

もしまっすぐにするときは絶対後ろか前にいてもらって

いつでも支えてもらえるようにしてもらいます。

万が一、倒しちゃったら責任持てませんから・・・・・

でもでも・・・たった1回、CBR600F4iだけは試乗もしちゃったので

例外になっちゃってました(^^;

 

そんなこんなのCBR250Rでしたが

結婚してからは車に乗ることが増え、旦那のNS250Rも不調。

バイクに乗ることがどんどん減ってきてしまい

2台処分してタンデムしやすいフリーウェイ(250ccスクーター)にしようと決まり

買取専門業者に買い取ってもらうという形でお別れになりました。

一緒にいたのが4年くらいかなぁ??

走行距離は確か3000キロくらいだったと思います。

自分で決めたことですが、さよならした時は悲しくて悲しくて泣きました。

今でも軽トラックに積まれた後姿を覚えています。


お別れの日のCBR


たまに同じカラーリングの同じバイクを見ると

もしかして私のだったCBRかなぁ・・・なんて思います。

このCBR以来

私はCBR大好き人間となってしまいました(^^)