Tarumi's街づくり評


辰巳用水について

辰巳用水は兼六園までのおよそ10キロの道のりのうち、4キロほどが暗渠(あんきょ。トンネルのこと)になっています。1632年に、板屋兵四郎の指揮の下につくられたこの用水。当時の技術では考えられないような仕掛けがいっぱいあります。まず水を運ぶための勾配の測量技術、4キロものトンネルを方向、距離を大きなずれもなく掘り進んだ技術、兼六園と城内との間に使われたサイフォンの原理等、本当に感心してしまいます(詳しくはかつおきんやさんの「辰巳用水をさぐる(能登印刷出版部)」を読んでね)。

かつて、うちのサークルあの空とんで隊で、辰巳用水見学企画を持ちましたが、下調べをしているうちにその面白さにすっかりはまってしまいました。今でも中辰巳の町中には用水のトンネル沿いに横穴が点々と空いていて、中を流れる水の様子が見れます。また、当時のつるはし(?)の跡も残っています。上流からこのあたりまではずっと暗渠なのですが、このちょっと下流の清浄ヶ滝水門で一旦用水が顔を出します。で、その下流には用水工事の一番の難所、盲目谷があったりして、とにかく面白いんです。

で、こんなすごい用水がダムに埋まってしまうというのにはどうにも納得できないのでダム建設には反対です。地元に人が対岸への橋がほしいということからダム建設に賛成しているとのことですが、ダムなどなくても橋は可能です。第一このダム、発電もほとんどできないし、治水にもそれほど役に立ちません。

1997年11月9日


金沢の街づくりについて

あの空では10月、「金沢街ウォッチング」として、金沢駅前再開発地区探検に繰り出しました。人気の少ないライブ1や、大型駐車場など、金沢の変貌には目をみはるものがあります。
大型スーパーの乱立など、生活が便利になる一方で地域の商店街や小売店はどんな影響を受けているのか。そこで11月は石川商店街連盟事務局長池田義和氏をお招きし、いろいろとお話を聴くことになりました。

参加者23人、高校生の参加が多くありました。池田氏のお話も大変面白く、軽快なスピーチに引き込まれました。以下、その要旨です。
従来、人の行き来の場としてだけでなく、子どもの遊び場、近所の井戸端会議の場として機能していた道。が、車の登場以降、道は車で移動する機能のみが優先されてきました。また、車が停められる住宅を求めて人々は郊外へ移り、街中の空洞化が進みました。そして、生活用品や食料品も、週末車で移動し大量に買い込むというように生活スタイルが変化してきました。
商店街、小売店の崩壊や、大型スーパーの乱立も、こうした車優先の社会が必然的に生み出したものだといえます。
確かに便利にはなりました。しかしその一方で、香林坊や片町に空店舗が増えていったり、公園や路上から子どもたちの姿が消えていくのは私たちが望んだ姿なのでしょうか。本来街が持っていた機能、人と人との結びつき、安全性、教育力といったものは確実に低下しているといえます。
例えばヨーロッパのように、一定の市内地の車の乗り入れを制限し歩行者天国を増やす、公共交通機関を充実させ車より優遇措置をとる等、何らかの手だてをこうじないと、金沢もまた、街の崩壊を避けられないでしょう。

1997年11月1日