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| 「ハートブルー」(1991年・アメリカ) 「ハーフ・ア・チャンス」(1998年・フランス) 「パーフェクト・ストーム」(2000年・アメリカ) 「陪審員」(1996年・アメリカ) 「パイレーツ・ロック」(2009年・イギリス=ドイツ) 「爆走トラック’76」(1975年・アメリカ) 「劇場版 爆竜戦隊アバレンジャーDELUXE アバレサマーはキンキン中!」(2003年・日本) 「橋の上の娘」(1998年・フランス) 「裸のマハ」(1999年・フランス=スペイン) 「裸足の1500マイル」(2002年・オーストラリア) 「八十日間世界一周」(1957年・アメリカ) 「8人の女たち」(2002年・フランス) 「初恋」(2006年・日本) 「初恋のきた道」(2000年・中国=アメリカ) |
「パッチギ!」(2004年・日本) 「バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲」(1997年・アメリカ) 「バティニョールおじさん」(2002年・フランス) 「花と蛇」(2003年・日本) 「花嫁はエイリアン」(1988年・アメリカ) 「バニラ・スカイ」(2001年・アメリカ) 「パパラッチ」(1998年・フランス) 「パフューム ある人殺しの物語」(2006年・ドイツ=スペイン=フランス) 「パプリカ」(2006年・日本) 「バベル」(2006年・アメリカ) 「ハモン・ハモン」(1992年・スペイン) 「薔薇の素顔」(1994年・アメリカ) 「反撥」(1965年・イギリス) |
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●1992年MTVムービーアワード 魅惑的な男優賞 主演=キアヌ・リーブス パトリック・スウェイジ ロリ・ペティ 「マトリックス」の1作目にしてもそうだが、キアヌ・リーブスには成長物語がよく似合う。育ちのよさそうな風貌がそう思わせるのだろう。本作は若手FBI捜査官に扮し、まさにそうした役どころ。しかし彼は犯人を追いつめていながら人を撃てない弱さを克服できずにいる。メキシコまでパトリック・スウェイズを追いかけていながら、パラシュートなしで飛行機からダイブする命知らずのアクションまで展開しながら、結局逃がしちゃう。それが故に、観ていてハラハラしながらもイライラする何とも煮え切らない映画になっちゃってはいるのだが。FBIにしてみりゃ連続の失敗続きだし、上司には逆らうし・・・ラストまでよくもまぁ主人公が捜査官として仕事続けてこられたよなぁ、と思わざるを得ない。そこがこの映画をどうも手放しでほめられない理由になっている。僕はパトリック・スウェイズの方が(汚らしいけど)やたらかっこよく見えた。 だがこの映画の魅力は刑事ものとしての面白さではなくて、他のところにある。それはサーフィンとスカイダイビングの魅力をスクリーンに刻み込んだことだろう。サーファーたちがパトリック・スウェイズの家でパーティーするシーンがあるのだが、そこで一人が「サーフィンは最高だぜ、セックスよりも気持ちいい」と言う。スポーツでも音楽でもそうだと思うんだけど、すごくうまくいった瞬間やプレイしているときの一体感は、この台詞のような快感に通ずるものだ。僕自身もそう思う。これまでもサーフィン映画はたくさんあったし、スカイダイビングを見せ場とする映画はたくさんあった。でもそれは傍目からみたかっこよさだけを映したもので、やっている側の心境にまで深く触れたものはそれ程なかったと思うのだ。スカイダイビングのシーンでは、「これは神とのセックスだ!」と叫ぶ。表現は悪いかもしれないが、その感覚は観ている側に少しだけど確実に伝わっている。この映画を観てサーフィン始めた、という人けっこういるみたいだしね。 キャスリン・ビグロー監督は激しいアクションやサスペンスを得意とする女性監督。ちなみに製作総指揮を担当しているジェームズ・キャメロン夫人でもある。「ストレンジ・デイズ」でもそうだったように、カメラが主観的に動き回るのがこの映画でも活かされている。ところで、キアヌ・リーブス扮する若手FBI捜査官がコンビを組むのが、ゲイリー・ビジー扮するベテラン捜査官。残された手がかりから犯人はサーファーだという主張から、ゲイリー・ビジーはキアヌにおとり捜査を提案する。その際に「サーファーって奴らは人にわからないような言葉をしゃべる、得体の知れない連中だ。」と言うのだ。ゲイリー・ビジーはサーフィン映画の大傑作「ビッグ・ウェンズデー」で主人公3人組を演じた一人。彼がそんな台詞を吐くんだから・・・いいセンスじゃない!。
主演=ヴァネッサ・パラディ アラン・ドロン ジャン・ポール・ベルモント 公開当時、フランス本国では「タイタニック」をしのぐ大ヒットとなったとか。うんうん、そりゃわかるよ。僕もこっちが断然スキ!(つーか比べるのがどうかしてるけどね)。アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモント共演!というだけでも楽しい。往年のファンには「ボルサリーノ」の記憶がよみがえるのだろうか?(僕は未見)。二人が渋い演技合戦なのかと思ったら、実に楽しそうに演じている。これを二十歳のアイドルが引っかき回すのだから、面白いじゃない!。 車泥棒のパラディは死んだ母親が残したカセットで、父親と思われる男性2人の存在を知る。娘と名乗る小娘の突然の来訪にとまどう初老の男二人。ドロンはレストランを経営しているが、昔は荒稼ぎした泥棒。警報機を突破する練習するところなんざぁ、署名の練習する「太陽がいっぱい」を思い出させるじゃない。ベルモントはカーディーラーをしているが、昔は外人部隊で活躍した軍人。縄ばしごでヘリコプターに登るクライマックス(スタントなし!)は「華麗なる大泥棒」あたりの活劇と重なって見えてくる。パラディが盗んだ車にマフィアがらみの大金が積まれていたことから、騒ぎに発展。二人は昔取った杵柄で大活躍をする・・・てなお話だ。 ルコント映画というと人生の悲哀だの男女の機微だの、そうしたテーマと思われがち。だけど、実はコメディ路線から始まった人だけに、「ハーフ・ア・チャンス」はユーモアのある徹底したエンターテイメントに仕上がっている。結末は予想を全く裏切らないのでやや拍子抜けするけれど、万人に受け入れられやすい映画となると、そういうことになるのかなぁ。ヴァネッサ・パラディはとんでもないジャジャ馬役だけど魅力的。
●2001年英国アカデミー賞 視覚効果賞 主演=ジョージ・クルーニー マーク・ウォールバーグ ダイアン・レイン う〜ん、説得力のない映画だな。「カジキ漁船の船長はやりがいのある仕事だ」とか言っているわりに、魚や海と対するときの緊張感やその楽しさが全く描かれていない。おまけに離婚者ばっかりいる、事故には遭うでとても「いい仕事」とは思えないだろう。これじゃジョン・C・ライリーの子供はきっと漁師にはならないだろうな。むしろ救助ヘリの隊員たちの姿が、沿岸警備隊の仕事の大変さ、重要さを感じて印象的だった。特撮とダイアン・レインら助演陣が見事。カレン・アレンお久しぶりでした。
●1996年ゴールデンラズベリー賞 ワースト主演女優賞 主演=デミ・ムーア アレック・ボールドウィン ジョセフ・ゴードン・レヴィット 陪審員となった者は、公判中、事件に関する記事を見て影響されてはならないし、関係者と接触することももちろん許されない。この映画はそこをサスペンスの題材とした。被告人であるマフィアのボスに雇われた殺し屋に脅されるヒロインをデミ・ムーアが演じている。確かに魅力的なのだが、芸術家のシングルマザーという設定が、どうも現実味なく感じられる。生活のためにストリッパーになる「素顔のままで」の方がまだマシな設定のような気がする。 法廷映画が好きな僕としては、スリリングな公判場面や陪審の論議を期待した訳だが、そこはほとんど出てこない。いわゆる法廷サスペンスを期待すると裏切られる。これは陪審員となった女性を脅す殺し屋、アレック・ボールドウィンこそ主人公なんだから。80年代の彼はジャック・ライアンをも演じた二枚目俳優だったが、90年代に入って「冷たい月を抱く女」のように冷酷な役柄も多くなる。だいたい無表情な人なので、「陪審員」のこうした何考えているかわからない悪役ってのは実に巧い。次第にデミ・ムーアに対して偏執的な思いを抱き始めるあたりからは見事。 それにしても、この映画だけで陪審員制度が危険なものだ、と考える人がいるのは大変残念だ。別にこの映画は陪審員制度を否定的に描く意図はないだろう。最初にも述べたようにあくまでも”サスペンスのネタ”として用いただけだ。現実をしっかり描くドキュメンタリーでもなければ、物事は一面からしか見ることが出来ない。ましてやハリウッド映画ならなおさら。90年代のサイコ・サスペンスは”得体の知れない恐さ”を描くもの。それはこれまで我々が信じてきた常識や仕組みによっても理解、対応できない何かだ。本当に恐いのはそこなのだ。
主演=フィリップ・シーモア・ホフマン ビル・ナイ リス・エヴァンス ケネス・ブラナー
音楽と映像が調和する映画が好きだ。それは以前から思ってたことだし、映画の感想に何度も書いてきた。その映画の為にかかれた曲もある。既製の曲が、まるでその場面の為にかかれたかのように見事な使われ方をしていると、嬉しくて仕方ない。「リトルダンサー」のCosmic
Dancer、「キル・ビル」の新・仁義なき戦いのテーマ、「あの頃ペニーレインと」のTiny
Dancer、「死ぬまでにしたい10のこと」のGod Only
Knows…。そんな映画と音楽の幸せなコラボ。「パイレーツ・ロック」もそんな幸せな調和がある。しかも既製曲が、グッとくる使われ方をしているものばかりだ。もう劇場の椅子にじっとしていられなかった。カリスマDJギャヴィンが船にやって来る場面のJamping
Jack Flashは一緒に歌っていたし、All Day And All Of The
Nightは立ち上がりたくて仕方なくって(他にお客さんがいなかったら確実に立ってた)、カールのベッドイン場面にThis
Guy's In Love With Youで幸せな気持ちになる。
主演=ジャン・マイケル・ビンセント ケイ・レンツ スリム・ピケンズ ちょっと社会派なテイストの70年代カーアクション映画。兵役を終えた主人公は、大型トラックを手に入れて、個人経営、一匹狼の運送業を始める。ところが禁制品の輸送を断ったことから、業界を牛耳る人々に狙われることになる。主人公と仲間が少人数で巨悪に立ち向かう・・というお話だ。 運転手達に労働組合を作らせまいとする業界経営者側が、殺しはするわ警察を抱き込むわ、悪事の数々を働くのに対して、運転手側の抵抗は殴り込み。しかも愛する妻を傷つけられた主人公が、仲間率いて悪事を暴くスカッとするラストを期待したのに、やったことは建造物の破壊・・・。妙に肩すかしをくらったような結末にちょっと呆然。 しかし、オープニングとラストにテレビレポーターを登場させて、社会問題として描くところは面白い。70年代後半って、労働問題や社会悪に挑む題材を扱った映画がそういえば多かった気がする。サリー・フィールドの「ノーマ・レイ」、シルベスター・スタローンの「フィスト」、アル・パチーノの「ジャスティス」だとか。まぁ、この映画では中途半端ではあるけれど。トラック野郎たちの心意気は伝わってくるのもいいところ。そして、何よりもジャン・マイケル・ビンセントの若々しい魅力がこの映画の牽引役。名作「ビッグ・ウェンズデー」は78年なので、まさに人気上昇中の頃の作品だ。仕事をあてがう仲介業者の一人にスリム・ピケンズが登場。可哀相な最期をとげる。スピルバーグ監督初期の珍作「1941」で、日本軍に拉致されるホリー・ウッドおじさんを演じた俳優だ。ここでもどこかとぼけた雰囲気はそのまま。懐かしい顔が嬉しかった。
主演=西興一朗 冨田翔 いとうあいこ 阿部薫 すんません。何故かふと観たくなってですねぇ・・・。本編観たことない人には訳がわからない感想文とは思います。 ここ5年間、僕はうちの息子とスーパー戦隊シリーズを一緒に楽しんできた。中華テイストの最新作「獣拳戦隊ゲキレンジャー」も楽しめそうだが、ここ5年のシリーズ中でもお気に入りは実は「爆竜戦隊アバレンジャー」。爆竜と呼ばれるメカ恐竜たちが活躍するのも楽しいし、主人公が子連れってところも好感(実際には姪ッコなんだけど)。今回のお話は、ダイノアース(地球のパラレルワールド的なところ)でかつて氷山に封印された爆竜が現在の南極に現れるところから始まる。それを食い止めるとされる伝説の王女フリージアが、夏をエンジョイしているアバレンジャーたちの前に現れる。もちろん爆竜を狙って宿敵エヴォリアンも刺客を差し向けてくる。ついに東京が氷河に覆われる事態に!・・・。 とまぁテレビシリーズでは考えられないスケール感と、変身回数とアクションが魅力。だが、なーんか脚本が練られてないというか、それ以上の面白さはないんだよね。タイトルの「キンキン中!」ってかき氷を食べながら「キンキンくる」と言ってるところからきている訳だが、東京が氷づけになるお話なのにその台詞はいかされない。アバレキラーが急に自分の爆竜をアバレンジャーに協力させるあたりも唐突。まっ子供向け番組だからいいか。東映戦隊ものって、一般人に知られざるチームが知られざる悪と戦う構図が多い。例えば今回の「ゲキレンジャー」だって正義の拳法対悪の拳法。要するに流派対立みたいなもの。「アバレンジャー」が面白いのはパラレルワールドが出てくる高度なSF的設定が、他の作品にないスケール感を生んでいるところ。ロボット戦になるクライマックス(「ゴレンジャー」世代はどうもこれに馴染めない)が今やお約束だが、それが単なるメカではなく意思の疎通ができる恐竜ってところが魅力なんだよな。今回の劇場版で大笑いしたのは、爆竜たちが「Gメン’75」のパロディで登場する場面!。最高です。
●1999年セザール賞 主演男優賞 主演=ダニエル・オートゥイユ バネッサ・パラディ もっとじめじめした話だと思っていたのだが、前半の”ピグマリオン”的展開のアップテンポにすっかりのせられて(しかもBGMがベニー・グッドマン!)楽しんでしまいました。一方で後半の陰鬱な空気、この対比がいいんだな。ダニエル・オーテュイユの眼差しもいいし、いつになく官能的なヴァネッサ・パラディもいい。特にナイフ投げシーンでのヴァネッサの表情は目に焼き付く美しさ(あのすきっ歯のガキだったのがねえ・・・あ、失礼)。監督が言うように官能を表現する手段がセックス・シーンだけでないことを再認識させられる。 サーカスのシーンで「ロストチルドレン」の女性人造人間(!)の女優さんが登場するばかりか、同作品の主題歌まで流れる。そういえばこの物語って、どこかフェリーニの「道」を思わせるところはないだろか。
●1999年サン・セバステャン国際映画祭 主演女優賞 主演=ペネロペ・クルス アイタナ・サンチェス・ギヨン ステファニア・サンドレッリ 「裸のマハ」は絵画史上初めて陰毛が描かれた裸婦像。異端審問会に告発されたという。そのゴヤの名画をなめるように撮るカメラワークから、問題の陰毛のアップ・・・そこにくびれたグラスが重なるオープニングは実に印象的。観客を映画の世界へと誘う上手な魔法だ。ビガス・ルナ監督は「性」にこだわる監督。でもそれは陰湿さはなく、「おっぱいとお月さま」にしても「ハモン・ハモン」にしても、ラテン系の映画らしいあっけらかんとしたユーモアがあった。今回はそんなユーモアある作風から離れ、19世紀の宮廷をめぐる愛憎劇をスリリングにみせてくれる。前出2作品ほどの露出はないけれど(残念・笑)、エロスの匂いが画面から香ってくるような映画だ。冒頭パーティの場面、裸足で踊るペネロペ・クルスの美しさ。宰相マヌエルが彼女をみそめる場面、「絵に描かせて側に置きたい」というのも、男としてわかるわかる。 ミステリーは二段構え。ひとつは「マハ」のモデルは誰か?という歴史上の謎。アルバ公爵夫人がモデルだとされている。が、当時”フランス流”として剃毛が流行っており、公爵夫人も例外ではなかった。では誰がモデルなのか?。そしてもうひとつは、公爵夫人の死が殺人なのか自殺なのか?というミステリー。宮廷内の人間関係の面白さもあるのだから、登場人物それぞれの証言が入り乱れて「羅生門」のような展開になったらもっと面白かったのではないだろうか?。でも豪華な衣装と美術、当時を再現しようとする凝った出来栄えは見応えありです。
●2002年ナショナル・ボード・オブ・レビュー 監督賞・表現の自由賞 主演=エヴァーリン・サンビ ローラ・モナガン オーストラリアにおける「白豪主義」政策とはどんなものだったのか、そして先住民族アボリジニーの生活や習慣を正面から取りあげている点で、実に貴重なフィルムだ。純血のアボリジニーは隔離して数を減らすに任せ、白人との混血は施設に入れて職業訓練を施す。8代もすると民族の特徴はなくなる・・・とまあここまで白人はつけあがっていたのか!と怒りを覚えること必至。そんな考え方が70年代初めまでまかり通っていたとは!。そんなオーストラリアの歴史を少し予習しておくと、感想はまた違ったものになることだろう。 しかし、この映画が伝えたいのはそうした政治的な告発ではなくて、親と子の絆。子供たちの母親に会いたいと思う気持ちは、途方もなく遠い道のりをも乗り越えさせた。実話の映画化というと、観客は意識してしまって”映画以外のところで”感動させられることがしばしばある。この映画は観客に涙を誘う為に作られた、いわゆる感動作とは違う。監督を始めオーストラリア出身のスタッフが、現実を伝えよう、親子の姿を伝えよう、とその一心で作った誠実さが感じられるのだ。 正直これまでのフィリップ・ノイス監督作は嫌いだ。初めて観た「ラスト・ジゴロ」といい、「パトリオット・ゲーム」といい、「硝子の塔」といい、どれもつまらない映画ばかり。でもこれは全く違う。監督の出身国への思い入れがあるせいなのだろうか。また、同じくオーストラリア出身のクリストファー・ドイルのカメラがまた絶品。追っ手を逃れて少女たちが走る夜明けの空。砂漠の陽炎に揺れる少女たちの陰影。何もない広大な大地。自然の美しさと、歩き続ける少女たちには絶望的にも感ずる広大さを、カメラは見事に描き出す。ピーター・ガブリエルの音楽も強く印象に残る。憎まれ役ケネス・ブラナーも好助演。
●1957年アカデミー賞 作品賞・脚色賞・撮影賞・編集賞・音楽賞 主演=デビッド・ニーブン カンティン・フラス シャーリー・マクレーン ハリウッドがTVに対抗すべく、大作主義だった時代の産物。今観ると古くさく感じるが、それでもオールスターキャストで楽しめるエンターテイメント大作。ジューヌ・ベルヌの原作が書かれた当時の様子が描かれて興味深い。また、本編の始めにジョルジュ・メリエスの「月世界旅行」が挿入されるところは映画愛を感じずにいられない。ステレオタイプの各国の描写は、今観ると差別的?ともとられるのだろうな。日本は鎌倉の大仏、何故か”サーカス”と呼ばれる演芸場が登場。ヴィクター・ヤングの音楽は、スタンダードと化した名曲。
●2002年ベルリン映画祭 銀熊賞(最優秀芸術貢献賞) 主演=ダニエル・ダリュー カトリーヌ・ドヌーブ ファニー・アルダン 8人のフランス女優が共演するというだけでも贅沢なのに、それがクリスティやヒッチコックばりのミステリー、そして8人がそれぞれの心情を既成の曲に託して歌うミュージカルシーンまであるなんて!。この映画は、古き良きシャンソンを聴きながら、おもちゃ箱いやいや綺麗なドールハウスでお人形遊びをしているような映画。実に楽しい、しかも贅沢な楽しさだ。次に何が起こるのか、どんな新事実が出てくるのか全く見当がつかない。でもそこには女性が生きる上での様々な思いが織り交ぜられている。楽しいだけではなく、フランス映画らしい人間を見つめる視線もきちんとそこにはあるのだ。 古きよきものを大事にし継承していくことはよいことだ。「アメリ」を始め、今年観たフランス映画たちにはそのスピリットが感じられるものがあった。この「8人の女たち」は8人の新旧フランス女優共演ということだけでも、既に往年の映画への愛情が感じられる。2002年の新作にダニエル・ダリュー!と聞くだけでも驚きだ。しかし、実際に観てみるとこの映画に注がれた映画愛はただものではない。8人の登場人物はそれぞれ過去の映画の中にモデルにあたる人物がいる。わかりやすいところでは、ヴィルジニー・ルドワイヤン扮するスゾンは「麗しのサブリナ」のオードリー・ヘップバーン、フィルミーヌ・リシャール扮する家政婦は「風と共に去りぬ」のハッティ・マクダニエルがイメージされているそうだ。そして、エマニュエル・ベアール扮するメイド、ルイーズが憧れていたという元主人の写真はロミー・シュナイダーではないか!。 クエンティン・タランティーノが世に出てきて以来、映画を撮る人々がビデオで映画を観てきた世代(僕らがそうなのだけど)になってきている。例えば「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」のウェス・アンダーソン監督もそう。演出する中でかつての名作たちへオマージュを捧げたり、アイディア自体をそこから得たりしている。このフランソワ・オゾン監督は1967年生まれ。彼も狂おしいまでに映画を愛してやまない人なのだ。
主演=宮崎あおい 小出恵介 宮崎将 小嶺麗奈 これまで僕が観てきた映画の中で、昭和40年代初頭の空気を感じさせてくれるものは少なかった(無論、その頃の邦画を観ていないのもあるけれど)。何となく安保やら何やらで反体制的な活動や風潮、それが僕が持つ1960年代後半、昭和40年代初めの不穏なイメージだった。この「初恋」はそんな昭和40年代初めの雰囲気を伝えてくれる映画だ。世間の不穏な空気。今のままでよいのか、そう若者が変化を求めていた時代だったのだろうか。自分たちは世の中を変えられる。そんな当時の気持ちとその挫折が、ヒロインみすずの恋の痛手とともに描かれる。 三億円事件の実行犯は10代の少女だった、という設定が宣伝コピーにも全面に出ているのだが、本編はあの大事件をエピソードのひとつに用いたように感じられた。みすずはお金が欲しくて三億円を奪った訳ではない。それは東大生の岸への恋心ゆえだ。親には棄てられ、孤独感でいっぱいの彼女に、「お前が必要だ」という言葉をかけてくれた岸。彼を喜ばせたい、そんな一途な恋心からの行動。見ていて切なさでいっぱいになる。特に、岸が用意してくれたアパートで彼の「告白」を発見する場面。僕は正直泣きそうになった。伝えたいのに伝えられない切なさ。時代の声が大きすぎたからなのか。 またこの映画は、僕が住む北九州の風景があちこちに見える映画だ。イメージとしての昭和40年代を写すことができる街。それは古きものが残る街とも思えるし、時代に置き去りにされた街のようにも感ずる。特に今はなき黒崎の映画館、中央大劇に「戦争と平和」の看板がかかり、明かりが再び灯っているのを見ると、嬉しさと寂しさが混在する不思議な気持ちになってしまう。
●2000年ベルリン映画祭 銀熊賞 出演=チャン・ツイィー チェン・ハオ スン・ホンレイ これは愛すべき映画だ。心の隅で大事にしておきたい、そんな映画。恋愛映画としては、スマートさもない。物語だけみれば地味でダサい設定の恋愛もの。でもこの映画は多くの人々に愛されている。今の日本で、地方の農村かどこかを舞台に、もんぺ履いた女のコがスローモーションで走ってくるような映画が撮れるか?、と言われたら無理だろう。でもこの映画は日頃ラブストーリーやメロドラマを敬遠している人にも受け入れられた。それは奇抜な物語やスターで飾り立てた恋愛ものとは違う、恋の原型があるからだ。恋する気持ちに国境はないのだ。この映画は観ている我々の心の引き出しを静かにかきまわす。主人公のような行動ではないにせよ、誰もが持つ淡い恋の思い出をよみがえらせてくれる。好きな人を喜ばせたい、そんな一途な気持ち。 チャン・ツイィーのデビュー作。彼女は本当に輝いている。彼女の笑顔と色彩が何よりも記憶に残る。赤い服の色、紅葉や雪の鮮やかな色彩。これはスクリーンできちんと観たかったなぁ、後悔。現在の場面はモノクロ、過去をカラーで描くから色彩の印象はより鮮明になる。母にとって父はすべてだった、父のいない世界は色を失ったも同然だったのだ。母が亡き父がやって来た道を葬儀で辿りたい、とこだわったのが最後には痛い程理解できる。久々にいい邦題だと思えた。
●2005年ブルーリボン賞 作品賞 主演=塩谷瞬 高岡蒼佑 沢尻エリカ 楊原京子 井筒監督作を僕はあまり観たことがない。「ガキ帝国」あたりのせいか、どうも喧嘩喧嘩の暴力的映画のイメージがどうしてもあった。この「パッチギ!」だってそう。朝鮮学校のアンソンを中心とする面々は対立する空手部たちと常に喧嘩を繰り返している。正直この抗争が物語の上でも延々と続くのが、僕はどうも観ていて馴染めない。どうも苦手なんよねぇ。タイトルの”パッチギ”は頭突きのこと。”度胸でぶつかる青春映画”で、そっちのお話がメインなのかと思っていた。 でもこの映画の中心は、塩谷瞬扮する主人公松山の恋物語。アンソンの妹キョンジャに恋をして、彼女に近づきたい一心から朝鮮語を覚え、「イムジン河」を歌う。その恋を通じて知る日本と朝鮮の間に深く横たわる現実。「私と結婚して朝鮮人になれる?」とキョンジャに言われる場面、「お前にいて欲しくないのや。」と言われる葬式の場面の切なさ。いろんな思いを込めて主人公はラジオで「イムジン河」を歌う。発売禁止処分となった歌。スタジオでのトラブルを乗り越えてオンエアされた彼の歌は、人々の思いを変えていく。この場面は涙を誘う。大友康平扮するラジオのディレクターが歌わせまいとする局の社員に「この世に歌っちゃいけない歌なんかない」と言い放つ台詞は心に染みる。「イムジン河」をバックに様々な人々の思いが交錯するこのクライマックスは実に素晴らしい。 観てから数日、僕はフォーククルセイダーズの曲を改めて聴き直している。「悲しくてやりきれない」は、矢野顕子のカヴァーでしか知らなかったし。もちろんフォーク全盛期はリアルタイムではない。社会人になって職場のおっちゃんたちが「あの素晴らしい愛をもう一度」をカラオケで歌うのを聴いてきたけれど、あの曲でこんなに感動しるとは思わなかったよ。映像と音楽が一体となる瞬間、そこには映画でしかなし得ない感動があるんだ。あの時代の空気を再現しようとするディティールも凝ってましたね。それにしても音楽にお詳しい坂崎さんって、やっぱり幸之助なのかなぁ?。
■「バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲/Batman & Robin」 主演=アーノルド・シュワルツェネガー ジョージ・クルーニー ユマ・サーマン あ〜、ティム・バートン時代が懐かしい。銭をかけて余計な説明抜きに、初めからドンパチやればそれで観客は喜ぶ、とでも思っているのだろうか?。SFXはジョン・ダイクストラが担当、流石に見事。シリーズの悪役たちは皆影を背負った人ばかりだけど、今回もしかり。だが、そんなキャラクターの魅力はどこへやら・・・の徹底した娯楽作。
主演=ジェラールジュニョー ジュール・シトリック ミシェル・ガルシア 先月はやたらと血を見たので(「キル・ビル」のことね・笑)、人間味のあるものを妙に観たくなりました。第2次大戦中、占領下のパリで肉屋を営む主人公バティニョール。娘のフィアンセが隣のユダヤ人一家をチクったことから、ドイツ軍協力者となった彼。しかしユダヤ人一家の息子シモンが収容所から逃げてきたのをかくまったことをきっかけに、次第に彼を救おうと思うようになる・・・。 バティニョール氏はシモン少年を最上階の女中部屋にかくまうのだが、何せ少年だけにじっとしてはいられないし、世の中に対して疑問だらけだ。彼の身を守ろうとするバティニョール氏の懸命さはどこか笑いを誘う。「戦場のピアニスト」でエイドリアン・ブロディが音も立てずに静かに暮らしていたのを観ているだけに、あれでよく見つからないよなぁと思えるところはある。それもバティニョールおじさんの努力のおかげなのだ。最初はただのお人好しから始まったことだが、次第にバティニョール氏自信が人種を超えて人間を守ろうとする姿勢に変わっていく。クライマックスで最大の危機に陥るが、「自分はユダヤ人だ。この子の父親だ。」と嘘を言い、そしてユダヤ人に対するフランス人や警察・ドイツに味方する人々の仕打ちに猛烈に抗議するのだ。ここはとても感動的。ジュニョー監督は、戦時下のパリで肉屋をしていた自分の祖父をモデルに、あの時代に生きていたら自分はどういう行動がとれたか?と自問自答してこの物語を作り上げたそうだ。
主演=杉本彩 石橋蓮司 野村宏伸 遠藤憲一 嫁サンが夜勤でお出かけしている間にこっそり観ました(爆)。だって!観たかったんだもん!(開き直り)。高校時代、にっかつロマンポルノを紹介するページを見て”団鬼六=縛りもの”ということを覚えたもんです。しかし当時そうした映画を観る機会も勇気もなく、それにいたぶられる女性を見ることは正直嫌いなので、SMなんて縁のな世界だったのです、ハイ。ところが・・・毎週のように週刊誌で話題となり、杉本彩主演で石井隆監督ですよ。そそられない方がどうかしているというもの。で、意を決して観たのでした。 一言で言えば「凄い」としか言いようがありません。撮影しても使えないフィルムがかなりあったそうですが、そうしたスタッフ・キャストの熱意を感じます。観ているこっち側も、いろんな意味緊張しっぱなし(笑)。劇場で観ていたら・・・と思うとまた興奮しますな。関係している人間が次々殺されたり、ボディーガードの女性も徹底的にいたぶられたり、正直「もうやめろよ!」と画面に向かって叫びたい心境に駆られました。だったら観るのをやめればいいのだけれど、やっぱり観ずにはいられない。円形劇場でのSMプレイの数々は、もう演技ではないね。あそこまで自由にさせた杉本彩の勇気に正直敬意を表します。 精神的にも性的にも抑圧されていた女性が、常識では考えられない性的な体験を通じてある意味解き放たれる。仮面舞踏会の中でヒロインが一人踊るラストシーン。それは周囲から単に美しい、綺麗だとしか言われる存在でしかなかった”花”が、自ら飛び回る”蝶”になった瞬間なのでしょう。
主演=ダン・エイクロイド キム・ベイシンガー ジョン・ロヴィッツ キム・ベイシンガーが最も輝いていた80年代が生んだSFコメディの快作。あの頃「ナインハーフ」やら「ネバーセイ・ネバーアゲイン」やらで、顔キツいけどいい女だよなぁ・・・と思っていた僕ら。この直後に「バットマン」のヒロインでピークを迎える(と僕は思うのだ)。この「花嫁はエイリアン」は、そういう意味ではまさにキムという美女を見る為の映画だし、輝いているキムを撮る為の映画だと思う。ファミリームービーのようなテーマのくせに露出は多いし(キャミソール姿でベッドに向かう場面は「ナインハーフ」のイメージそのもの!)、台詞もきわどいセックスコメディ!。あの頃じゃこの面白さはわからなかっただろうなぁ。今回初めて観ただけにそう思える。 銀河をふたつ飛び越した先に人間型宇宙人がいるということを始め、お話自体にはものすごく無理があるのだが、肩の力をぬいて楽しみましょ。これが80年代のお気楽コメディだったんだから。デビッド・ボウイ主演の「地球に落ちてきた男」と同様に、異星人がセックスに夢中になるというエピソードが重なっているのも面白いね。プリンス殿下のヒット曲「キッス」をトム・ジョーンズとアート・オブ・ノイズがカヴァーした色モノな(失礼)主題歌も楽しい。ダン・エイクロイドの娘の友達役で、ジュリエット・ルイスを発見!。
出演=トム・クルーズ ペネロペ・クルス キャメロン・ディアス キャメロン・クロウ監督ますます気に入りました。とはいえ、大部分の演出に関しては、オリジナルの「オープン・ユア・アイズ」をカット割りまできっちり再現しているので別にすごいとは思わない。でも初めて手掛ける原作ものなのに、しっかり自分の趣味と脚本家としての力量を発揮しているのがよいのだ。ロックや映画についての引用が加えられた為に、オリジナルの物語にしっかりとした意味づけができたのも大きいのだが、何よりもオリジナルよりもはるかにそれぞれの人物描写が行き届いているのがいい。それだけにトムとペネロペのラブストーリーが基軸に置かれ、共感を呼びやすいつくりになった。このハリウッドリメイクは大成功だろう。 そう書くとオリジナルのアメナーバルは”恋愛の機微もわかんない、ただサスペンスの筋を追っている監督”と聞こえそうだが、さにあらず!。デビュー作の「テシス/次に私が殺される」を御覧あれ。別に恋愛の切なさを描けない人ではありませんよ。でも残酷描写や暴力に対する異常なほどの執着がある人なのは確かだ。この人が本当に怖がらせだけの人かどうかは「アザーズ」を観て決めるとしましょう。 さて配役に関してだが、特にペネロペは同じ役柄だが別人のように輝きが増している。トムが部屋を去った後の仕草を観て、彼女に愛らしさを感じなかった奴はおるまい。また、カート・ラッセルが出演しているのは前作「あの頃ペニーレインと」の父娘つながりだな、と思うと映画ファンとしては嬉しい。さらに脇役に「オルランド」のティルダ・スウィントンが出てきたのには驚いた。無機質な対応をすべき役柄(詳しく書くとネタバレしそう)だけに適任。いやいやプロデューサートム氏、お目が高い。キャメロン・ディアスは子宮で生きてる女!って感じで怖かったです、ハイ。本作では歌っています。お聴き逃しなく。 ただ、音楽の面で(前作以上に)趣味丸出しとなったために違和感ややり過ぎだろ?と思えるところもなくはない。クライマックスの ♪Good
Vibration(Beach
Boys) なんて必然性はいかがなものか?。まぁ僕はビーチボーイズ大好きだから許すけど(笑)。 ■「パパラッチ/Paparazzi」 主演=パトリック・ティムシット バンサン・ランドン カトリーヌ・フロ スキャンダル専門のカメラマンたちの生態を生々しく描いたコメディ。風貌も対照的な男2人が、片や自分のしている事に嫌気がさしていき、片やその世界にハマっていく姿を追った、バディ・ムービーとしての面白さ。芸能人に嫌悪されながらも、逆に利用されもする業界の内側も見えてくる。TBSドラマ「フレンズ」第1回に冒頭のエピソードをすっかりパクられた!。
●2007年ヨーロッパ映画賞 撮影賞・エクセレント賞 主演= ベン・ウィショー ダスティン・ホフマン アラン・リックマン レイチェル・ハードウッド スクリーン越しでは伝わらないだろう、と思われる題材に敢えて挑んだ映画はこれまでにもたくさんあった。撮る側は様々な工夫を凝らしてそれを表現しようとしてきた。ヒッチコックが表現した「下宿人」の2階を歩く男のイメージ、恐竜が近づく様子を揺れるコップの水で表現したスピルバーグ。「バベットの晩餐会」では自分が食卓についているかのように食欲を刺激され、「視線のエロス」では自分が女性に触れようとしているのではないかという感覚を感じた。 この「パフューム ある人殺しの物語」が挑んだのは嗅覚である。銀幕越しには絶対に伝わらないものだ。しかし、この映画に向かう僕らは、気づくと大きく呼吸している。主人公ジャン・バティストがずっと残したいと感じた官能的な匂いを、僕らも感じ取ろうとしているかのように。パリの街角で花売り娘のうなじから漂っていた香り、社交界の人々が手にしていた香水の香り、皮をなめす工場の湿った匂い・・・それらを感じられるはずもないのに。示されている映像だけで僕らを引き込む魅力をもった映画だ。女性を次々に殺害して匂いを集めるジャン・バティスト。映像のエロスと嗅覚というフェティズム。それを映像美で表現し尽くすトム・ティクヴァ監督の巧さ。旧作も観てみたくなった。 映像美と連続殺人にドキドキハラハラさせられるだけの映画ではない。物語は結局、普遍的なテーマへと行き着く。それは人に愛されることの大切さ。誰もがそれを求めていること。魚市場で望まれずに生まれた主人公は、天才的な嗅覚を持っていた。だが特殊な才ある人には何かが欠けている。彼は自分に体臭がないことに気づき、匂いに執着した。しかし、本当に彼が求めていたものは”愛されること”だった。彼が花売り娘の回想をする場面、うなじや髪のフェチなショットが続く中、物語後半からそれは変化を遂げていく。そして、連続殺人の罪で裁かれるクライマックス。彼は完成した”愛し、愛される”香水をふりまく、異常な行動に出る。その想像を絶する効果・・・これまでの映画では観たことのない光景が展開されるのだ。自らを世界から消し去ることを選ぶ切ないラストシーン。死刑宣告をされる冒頭からは、全く想像すらできないクライマックスの展開に驚くけれど、こういう部分こそきちんと受け止めて、自分なりに噛み砕くのが映画を観る面白さ。この映画は、究極の大人のファンタジー。
描かれ方はサイコ野郎だけど、裏にある切なさを見事に演じたベン・ウィショーの怪演。ダスティン・ホフマンがこんなコスチュームプレイに?とまたびっくりしたが、これが見事にいい雰囲気。そしてこの手の映画にはお似合いのアラン・リックマン。昨年劇場で見逃して悔しい思いをしていた。やっと観ることができた
が、劇場で観なかったことをやっぱり後悔した。このサスペンスを、緊張感を、そして映像美を、劇場の暗闇で味わいたかった。
声の出演=林原めぐみ 古谷徹 江守徹 堀勝之祐 大塚明夫 90分程度の時間でお腹いっぱいにしてくれる映画。そんな映画は滅多にない。でも「パプリカ」はそういう優れた映画だ。最初の5分で僕はもう夢中になってた。・・・そう「パプリカ」という”夢”の中へ。粉川刑事の夢の中を描くめまぐるしいイマジネーションの世界。えっ?「ロシアより愛をこめて」?「ローマの休日」?・・・これは後で映画ファンを泣かせる伏線。夢の中で救ってくれる美女パプリカの奔放な姿を追うタイトルバックと、それを彩る平沢進のテクノミュージック。な、なんて心地よいんだろう。 他人の夢を分析するサイコテラピー機器DCミニが盗難された。アクセス制限をかけていなかったため、悪用すれば他人の夢に侵入して精神を害する危険が。ヒロイン千葉敦子と開発者時田、島博士は正体がわからない犯人を追って、危険な夢に侵入する・・・。科学に次々と解明されていく人間の細部だが、夢という脳髄の働きはまさに神秘。事件の黒幕はDCミニを使って夢の番人として君臨しようと企むのだが、これに千葉敦子と島、粉川刑事、そしてパプリカが立ち向かう。夢の中だけに、変幻自在、何でもあり。現実世界に夢が入り込んでくるラストの大スペクタクルはアニメだからこそできたド迫力だ。映画でしか表現できない手法で描かれると僕ら映画ファンは感動するけど、「パプリカ」はアニメでないとできない世界。しかしこれを文章で表現していた筒井康隆ってもっとすごい人なんだ!と再認識。脳髄や人の意識について考えさせる日本映画は、これまでにも「イノセンス」や「ドグラ・マグラ」があった(どちらも大好き)。しかし「パプリカ」はそれらにはない派手さをもった極彩色のファンタジー。技術的なことをどうこう言うようなアニメ通ではないけれど、ベテラン声優陣の活躍がまた嬉しい。だって綾波レイとアムロ・レイという夢の共演なんだよ!(笑)。 粉川刑事が実は自主製作で映画を撮っていたというエピソードがいい。ラストシーンで悪夢から解放された刑事が、2時間ばかしの夢を売ってくれる映画館へと進んでいく姿に、僕らは作品のテーマとしての夢と映画が与えてくれる夢が重なる瞬間を見る。そして日々の煩わしさから逃れるため、僕らは銀幕に夢を託すのだ。これは傑作。
●2006年アカデミー賞 作曲賞 主演=ブラッド・ピット ケイト・ブランシェット ガエル・ガルシア・ベルナル 一発の銃弾が引き起こした悲劇。運命を狂わす出来事は小さなことから起りうるものなのだ。あのとき少年がバスに向けて引き金を引かなければ、弾が逸れていれば・・・役所浩司扮する登場人物がガイドのモロッコ人にライフルを渡していなければ・・・ベビーシッターさえ見つかっていれば・・・でもそれはとりかえしのつかないこと。メキシコ国境のどこまでも続く荒野を見ていて、観客として観ているこちらまで途方に暮れてしまいそうになった。仕事帰りの疲れた体で観るには重すぎる映画。物語のせいもあるけれど、途中息苦しさを感じて何度もドリンクを口に運んだ。そして問題とされる点滅場面・・・。僕は大丈夫でした(「フラッシュダンス」で慣れているせい?)。 似たような群像ドラマであれば「クラッシュ」の方がはるかに好き。まだ何が起るのか?というドキドキがあったからだ。「バベル」にはそれがない。神の怒りに触れて崩れゆくバベルの塔のように、世界を支えていたバランスも小さなことから崩れていく。確かにキツい映画だけれど、この映画は観客を引き込む力がある。苦しいんだけど見届けねば気が済まない。ブラピとケイト・ブランシェット夫妻がどうなるのか・・・菊池凛子扮する女子高生(熱演!)は父親との関係を再生できるのか・・・。確かに日本のパートはややとってつけたような感じがするけれど、娘の満たされない気持ちと孤独感がこちらにもひしひしと伝わり、丁寧に撮られたエピソードだ。余韻を残すラストシーンと、坂本龍一の「美貌の青空」が記憶に強く刻まれる。 複数のエピソードが絡み合う構成も、ラストで綺麗にまとまりをみせる。ブラピが電話口で泣き崩れる場面で時間軸のずれをきちんと理解できたときにこの脚本の巧さがわかるだろう。僕にとっては繰り返し観たい物語ではない。でもあの広々としたメキシコ国境の荒野とモロッコの風景は、きっと記憶に何度もよみがえることだろう。
●1992年ベネチア映画祭 銀獅子賞 主演=アンナ・ガリエナ ペネロペ・クルス ステファニア・サンドレッリ 性をめぐる乱れに乱れたお話なんだけど、どこか好感がもてる不思議な魅力のフィルム。スペイン映画ってセックスを扱うと、こんなにもエネルギッシュなんだね〜。ブリーフの巨大広告が出てくるところとか、ステファニア・サンドレッリが若い男に迫るところはちょっと退きました。ハモンとは”最高の御馳走”の意味で転じて”いい男・いい女”の意味だそうな。食っちゃうのが前提?、すごく性的な表現なのだな。 10代のペネロペが観たい!という人は観ておきましょう。アンナ・ガリエナの娘役なのですが、ほとんど主役と言ってもいいでしょう。ビガス・ルナ監督といえば「おっぱいとお月さま」がありますが、乳房への偏愛ぶりはここでもしっかり描かれてます。「私のおっぱいおいしい?」とペネロペが尋ねると2人の男が全く同じ答えをするのは笑えます。笑って観ていられる前半から一気に引きずりおろす悲劇的なラストの落差。すっげぇ。また退いた。
■「薔薇の素顔/Color
Of The Night」 主演=ブルース・ウィリス ジェーン・マーチ ランス・ヘンリクセン 「見憶えのある他人」と同様、精神科医(分析医)を主人公としたサスペンス。クライマックスで「精神科医って何てお節介な連中なんだ!」と犯人がいうけど、映画の中の精神科医って確かにそうだね。その人の裏側にあるもの、告白の真実を知ろうと思えば、まあ当然なのかも。エロチシズム描写が徹底して話題になっていたが、正直言って、それが見どころ・・・。問答無用の展開にやたら劇的なクライマックス。ところでジェーン・マーチはこの映画の後、新作の噂を聞かないが、どうなったのだろう?。
●1965年ベルリン映画祭 銀熊賞 主演=カトリーヌ・ドヌーヴ イボンヌ・フルノー ジョン・フレーダー ポランスキー監督の映画には閉塞感がつきまとう。それは場所としての息苦しさだったり、主人公のいる世界の狭さだったり、ともかくそれは外界から隔てられた主人公がいる世界。この「反撥」は、性への期待と恐怖が入り交じる思春期の女性の心理が次第に狂気と化していく様を描いた映画である。映画の後半、カメラは彼女のアパートからほとんど出ることはない。狭い寝室の中で荒々しく男に抱かれる妄想をみるヒロイン。壁から現れる手が彼女の体にまとわりつき、壁は音を立てて崩れ始める・・・。周りの誰も信じられなくなる恐怖を、マタニティブルーと絡めて描いた「ローズマリーの赤ちゃん」も傑作だけど、あの題材を選んだポランスキーのルーツはここにあったのだな。 カトリーヌ・ドヌーヴが次第に精神崩壊していくヒロインを熱演。男性への嫌悪感と、その一方で大人への憧れが交錯し、恐怖と苦悶に表情を歪めることもあれば、ルージュを塗りながらうっとりとした表情も見せる。姉へ寄せられるレズビアン的な憧れが根底にあって、彼女をここまでに追い詰めたのだろうか・・・。狂気に陥るにつれて美しさを増していくドヌーヴが怖い。映画の冒頭映し出された瞳が、虚空を見つめる。そしてあれ程嫌っていた姉の恋人の手に抱きかかえられる・・・そんな物言わぬラスト。人間のもろさと恐さ。 |