私の病歴

†子供の頃=元気いっぱいの健康優良児。
  母曰く、「2歳の頃に口の中全体に
口内炎を見つけたのが最初」とのこと。
  たしかに、物心ついた時から、ずっと口内炎は出来てた気がする。
  でも、それ以外はめったに風邪もひかないし、体も大きかったので(今も大きい・・・)
  見るからに健康児。

大学生時代から20歳代=体質が変わった?急に病気がちに・・・。
  19歳の時に原因不明で急性すい臓炎になり入院して以来、なぜか体が弱くなり、
  原因不明の熱が続いて入院したり、風邪をこじらせたり、腎盂炎、膀胱炎、と次々と
  病気にかかり、子供の頃とまるで別人。虚弱体質になっちゃった・・・と、何かあると
  かかりつけの病院に駆け込むような状態であった・・・。
  

†30歳代=結婚、発病。
  29歳と11ヶ月で結婚。先に横浜に住んでいただんな様のもとに転がり込む。
  実家は関西方面なので、近くに友人もなく、2ヶ月程専業主婦をしたが、
  経済的にも精神的にも働いた方が良いのではという主人の意見で、職探し。
  本当は事務を探していたのだが、もともと営業をしていたので事務経験もない
  30女を雇ってくれるところはなく、やむを得ず営業職に目標変更したとたん
  採用になる。「人生って思うようにはならないものだ」と思いつつも、勤め始める。
  営業事務という内勤の仕事だったが、時間が不規則なのと精神的なストレスからか
  その頃から、また口内炎が酷くなり始めた。一度に10個以上
口内炎が出来て、
  繋がってしまって数を数えることも出来ないほどひどくなり、接客営業なのに、
  痛みでほとんどしゃべることもできないようなことも多々あった。
  仕事をはじめて半年ほど経った時、ずっと営業畑を歩いてきた私は、
  少し、責任のある立場を任されるようになってしまった。わたし的には俗に言う
  「出世」には全く関心がなかったので、自分を認めてもらえて嬉しい反面、
  責任とノルマに非常にプレッシャーを感じてしまった。
  それから1ヶ月もたたないある日、夕方、胸焼けと首の後ろがゾクゾクするような
  感じがした翌朝、起きたら
39度近い高熱とちょっと動いても頭を抱え込むほどの
  激しい頭痛
が私を襲った。思えばこれが「私は絶対病気だ」と確信した最初だった。

†病名がわかるまで・・・。
  最初は風邪かと思って市販の薬を飲んでいたが、2週間近くも良くならず、
  また、一度熱が下がったと思っても、またしばらくすると
高熱頭痛を繰り返し、
  さすがに変だと思った私は病院に行くことにした。といっても、実家では
  19歳の時からのかかりつけの病院があったので、とにかくそこに行けは良かったが、
  横浜ではどの病院に行って良いのかわからず、仕事の上司に東京の某大学病院が
  良いのではと聞き、片道2時間近くかけて行くことにした。
  血液検査と尿検査をしたが、全く正常との事で結局、頭痛・発熱の原因は
  わからずじまい。挙句の果てに、「なんで、来たの?」とドクターに聞かれる始末。
  短気な私は頭に来て通院をやめてしまった。(~_~;)
  (これは私にも否があった。大学病院なぞ、それまでかかったことがなかったので、
  毎回違う曜日に行ってしまったのだ。当然、大学病院なのでドクターは
  曜日によって変わり、結果、いつも違うドクターに診てもらうことになり、
  何人目かのドクターからその台詞が出たのだった。)
  ただ、その時に、血液検査で「膠原病の抗体がプラス1だが、
  誤差の範囲だから大丈夫」と言われて、「家庭の医学」で膠原病の項目を調べ、
  はじめて
「ベーチェット病」という病気の存在を知った。
  (注:実際には膠原病の抗体とベーチェット病に関連はありません。)
  読んでみると、
口内炎や、発熱皮膚症状など、あまりにも当てはまることが多いのに
  気づき、「もしや・・・」と思い始めたのだった。
  その後も、頭痛・発熱は周期的に続き、会社を休んで、実家に帰り、かかりつけ医から
  大学病院を紹介されて行ったりもした。
  その頃には「もしかすると
ベーチェット病かも」と自分でも思っていたので、それまで、
  言ってなかった
口内炎皮膚症状などもドクターに申告するようにしていた。
  しかし、ドクターの意見は
「ベーチェット病の疑いはあるが、専門医でないと
  診断できない」
と言うものだった。おそらく、眼症状が出ていなかったためだろう。
  横浜に帰って仕事に復帰してからもたびたび発熱し、頭痛で動けなくなっていたが、
  通院に体力的にも精神的にも疲れてしまっていた私は、市販の鎮痛解熱剤で
  しのいでいた。熱が出ると頭痛が酷くだるくて、ほとんどなにも口に出来なくなるので、
  徐々にやつれてきて、外見もぐっと老けこんでしまった。頬もこけて、
  まるで骸骨の様だと自分でも情けなくなった。
  これにはさすがに楽天的な主人も心配になったらしく、知り合いの医療関係の方に、
  信頼できる個人病院を紹介してもらい、私を連れていってくれた。
  最後に実家の近くの大学病院に行ってから半年以上経ってからのことだった。
  ちょうど、その頃、左目が夜に
電灯などを見ると傘がかかったように滲むのが
  気になっていたのが、その病院で「虹彩炎」であることがわかり、
  ほぼベーチェット病に間違いないだろうとの事で、いまお世話になっている
  大学病院を紹介していただいた。
  大学病院で、ベーチェット病に詳しいというドクター(現在の私の主治医)に
  これまでの経過を話したところ、検査もなく、問診のみで
  「ベーチェット病に間違いないですね」と言われた。

†ベーチェット病と診断されて。=初期。
 
 ベーチェット病と言われて、実は私はすごく「ほっ」っとした。体調が悪いのに、
  検査では悪いところはないといわれて、何かとんでもなく悪い病気が
  隠れてるのではないか、わかった時は手遅れになっていたりするのではないかと
  不安でいっぱいだったから。
  病名がわかって、これでやっとちゃんとした治療が受けられると思ったのだ。
  「家庭の医学」を読んで死ぬような病気ではないと思っていたせいもあるだろう。
  負担になっていた仕事もこれ幸いと退職し、投薬治療を受けることになった。
  
コルヒチンムコスタだった。コルヒチンを飲んでいる時は、子供を作るのは
  避けるようにと言われ、「子供を持つにもまず体を治してから」と考えた私と主人は、
  治療を優先することにした。
  コルヒチンは私の体に合っていた様で、仕事を辞めたのも功を奏したのか体調は
  驚くほど安定し、一年中出来てない時はなかった口内炎も月に何回か程度になり、
  出来る数も減ったのだ。他の症状も気にならなくなり、発熱もほとんどなくなった。
  私も主人も病気が治ったかのような錯覚に陥っていた。

†神経ベーチェット発症。
  コルヒチンを飲み始めて丸1年。見違えるほど元気になった私は、主人と相談して、
  「そろそろ、子供のことも考えよう」ということで主治医に相談したところ、
  「体調も安定しているようだから、徐々にコルヒチンを減らして、0になってから、
  最低3ヶ月あければ大丈夫でしょう」とOKを頂いた。
  それから、約2ヶ月かけて少しずつコルヒチンを減らし0にした。
  特に体調に変化はないように見えたその丁度2ヶ月後、私はまたしても高熱と
  身動きも出来ないほどの頭痛に襲われたのだ。
  また、高熱と頭痛で食事も満足に取れなくなり、消耗が激しかったので、入院して
  詳しく検査することになった。ところが、不思議なことに入院したとたん、熱は下がり、
  検査をしても特に高熱の原因と思われるような結果は見当たらなかったのだ。
  多少、膀胱炎ぎみだったので、その治療を受け、12日間で退院した。
  でも、私は不安だった。
「退院して家に帰ったら、また熱が出るんじゃないか?」
  不安は的中した。退院して2日後、私はまた高熱と頭痛で寝こんでしまったのだ。
  
「でも、病院で検査しても何もなかったから・・・」とそれから約2ヶ月、
  通院で検査を受けながら、ずっと発熱・頭痛と戦っていた。
  検査では原因となるようなものは出なかった。
  その頃、私は病気とは別のことで悩んでおり、体調が悪いのもあって、
  ほとんど鬱のような状態で、今で言う「引きこもり主婦」のようになっていた。
  昼間1人で、悶々と悩んで、それを帰ってきた主人にぶちまけるものだから
  喧嘩が絶えなかった。
  それでも熱は下がらず、原因もわからず、体力的にも精神的にも限界が
  来そうだったので、再入院することになった。
  ところが、また入院と同時に熱が下がってしまったのだ。
  今度は、前回のことを踏まえて、熱が出るまで待って、
  出たら精密検査をしようということになった。
  入院から5日目から熱が出はじめ、髄液検査(ルンバール)と
  頭部MRI(磁気共鳴検査)をしていただいたところ、
  明らかな神経ベーチェットの所見が見られ、ようやく
  
「神経ベーチェット」と診断が下ったのだった。
  (注:コルヒチンの服用中止と神経ベーチェット発症の因果関係は
  ないと言われています。)

†4ヶ月の入院。心=大荒れのち晴れ。
  MRIを受けた翌日、担当のドクターが私のところに来て「どうやら、神経ベーチェットの
  ようだ」→「・・・
ステロイドを点滴で大量投与した方がいいかもしれない」→「今夜から、
  ステロイドパルス療法をします。」と主人に連絡をとる暇もなく、
  あれよあれよという間に、私はパルス療法を受けていた。
  今思えば、それだけ深刻な状態だったのだろう。
  後で見せてもらった頭部MRIの写真にははっきりと白い陰が映し出されていた。
  「脳梗塞と同じような状態」との説明を受けた。炎症の場所によっては、片麻痺、
  言語障害、知覚障害などが出る神経ベーチェットだが、幸い私の場合、
  脳の炎症の出た場所がそういったところではなかったらしく、
  そういった深刻な自覚症状はなく、後遺症は何も残らなかった。
  
ステロイドパルス療法は素晴らしい効果を発揮してくれた。
  3日間ステロイド1000ミリ単位の点滴を受けたのだが、3日目にはすでに
  熱も頭痛も引いていたのだ。

  パルス療法
の後、ステロイド(プレドニン)内服50ミリから長い投薬治療が始まった。
  免疫力を低下させるので、感染症予防の為、マスクをしてだが、
  売店まで行ってもよいという許可を得た。
  難病治療研究において有名な病院なので、売店にはその手の本も何冊か置いてあった。
  早速、膠原病に関する本を買い求め、ベーチェット病の部分を読んでみた。
  神経ベーチェットの部分を読み愕然とした。
  「運動麻痺」「痴呆症状」「脳萎縮」などの文字が私を襲う。目の前が真っ暗になった。
  せっかく症状が和らいで、元気になれたと思ったのに、
  悲惨な将来が待っているのかと思った。
  まず、考えたのは主人のこと。主人はサラリーマンではない。
  仕事は時間も不規則で、体力的にも大変なのに、今後私の介護など出来るはずもない。
  もちろん、経済的にも不可能だ。
  私と主人の二人の将来は病気によって奪われたと思った。
  でも、「離婚」を自分から言い出す勇気はない。私は心配して見舞いに来ていた
  実家の両親に
「もし、私が痴呆になって自分で判断できなくなったら、
  主人の足手まといになるだけだから、お願いだから実家に引き取って」

  主人に内緒で懇願した。
  病状は良くなっているのに、鬱状態は良くならず、安定剤を処方してもらったりした。
  そんな私を助けてくれたのは、不規則な仕事で忙しい合間を縫って面会に来てくれる
  主人と、遠くて頻繁に来れない為、病院に手紙をくれていた実家の両親、弟のお嫁さん、
  そして地方に仕事で何週間か出かけて来れなかった主人の変わりに、休日のたびに
  何度も私に不自由がないかと来てくれた主人の弟夫婦だった。
  
「こんなにも私は大事にされているのだ」とそのときやっとわかった。
  それからは、徐々に物事を前向きに考えられるようになり、病気に関しても、
  
「今、出ていない症状が将来出たらどうしようと考えて心配するより、
  後悔しないように今をしっかり生きよう。
  そして、何か症状が出たらそのとき考えよう。」
と思えるようになった。
  まさに、大荒れの嵐のようだった心が、静かに晴れたのだった。
  今は主人も実家の両親に言った事を知っている。が、今でも実家の両親はそのつもりで
  いてくれるし、実家の弟夫婦は彼らの生活があるので現実問題として出来るかどうかは
  別として、何かあったら、力になると言ってくれている。その気持ちが私には支えなのだ。
  結局、ステロイドを減らすのに時間がかかり、入院生活は4ヶ月に及んだが、
  私にとっては決して無駄な4ヶ月ではなく、どうしても必要な4ヶ月だったとさえ思える。

†右目が見えない・・・!
  
退院後、関節炎(関節痛)が出始め、日常生活が少し制約されるなどの症状は出た。
  普通膝や股関節、肘などの大きな関節に炎症が起こるのが普通だが、私の場合は
  炎症はなく、ただ痛いだけで、(炎症反応も出ず、腫れたり熱をもったりということも
  なかった)、しかも、リウマチのように指、手首など小さな関節も痛んで
  1人で動くのが困難な時もあった。
  それが約半年続いたのだが、その後はたいした大きな症状も出ることなく、
  比較的安定した状態だったと言える。
  ところが、2000年のお正月、実家に帰っていたところ、母と夜更かしをしていたら、
  なんとなく
右目がかすむような気がした。ステロイドの副作用で白内障のある私は、
  疲れ目かな?と思い、しかし念のために軽いステロイド点眼をして床についた。
  翌朝、目覚めたら右目の視野の真中が大きく真っ暗で何も見えなくなっていた。
  「とうとう来たか・・・」そう思った。しかし、心配性の実家の両親を慌てさせては
  いけないと、「ちょっと目が見えにくいから近くの眼科につれていって」と父に頼んだ。
  眼科でベーチェット病であることを告げ診察を受けた。
「急性視神経炎」だった。
  すぐにいつもかかっている病院で見てもらったほうが良いといわれ、
  炎症を押さえるためにステロイド内服薬を増量された。
  横浜に帰り、普段お世話になっている病院に行くと、眼注(眼球に注射)に
  通うことになった。
  幸い、約1ヶ月ほどで、ぼんやりながら色や形がわかるようになり、
  視力も徐々に回復してきた。夏ごろには、かすかに滲むように見える部分もあるが、
  視力も矯正で0,7くらいまで戻り、視野も問題なく、これで、良くなったと思っていた。

†自覚症状・・・また髄膜炎。
  4月になって、なぜかまた急に高熱と激しい頭痛に襲われた。今思えば、その前に
  出かけたり、来客があったり、そういったことが重なり、少々疲れ気味だった。
  朝起きて自覚症状で、「これは、また神経の症状だ。入院に違いない。」と思った私は、
  苦しみながら、主人に入院の用意をしてもらい、病院に急いだ。
  車椅子にもひとりで座っていられないくらいの状態で、やはり、そのまま入院。
  案の定血液や尿の検査にはほとんど何も出ず、ルンバールの結果、

  「髄膜炎」
とわかった。
  幸い、今回は早めに病院に駆け込んだので、プレドニン25ミリで効いてくれ、
  1ヶ月半で退院にこぎつけた。
  と言っても、検査結果は私が訴える自覚症状の裏づけとなるほど
  悪くはなかったらしい。
  以前もそれではっきりした診断が下せず、脳炎になるまで神経症状と
  わからなかったのだが、私の自覚症状と検査の結果に差がある、つまり、
  私の症状は検査結果に出ないという事を理解してくれた主治医は、
  今後は私の自覚症状を尊重してくれると言ってくれた。
  これまでももちろん、主治医を信頼していたが、さらに信頼が深まったと思った。
  以前に神経症状を起こしたのも4月だった。4月は私には要注意の季節だ。

†続発性緑内障→オペ
  
夏の終わりに、なんとなく右目に違和感を覚え、予約外で念のために眼科に行ってみた。
  ドクターは「眼圧が上がっている」と言い、眼圧を下げる目薬を処方してくれた。
  その後、診察のたびに、眼圧を下げる目薬は増えていった。
  目薬が4種類になった時、ダイアモックスという眼圧を下げる内服薬を処方された。
  最初の一週間は眼圧が下がった。が、すぐに効かなくなった。
  10月、とうとうドクターは「年内手術も覚悟しておくように。
  このままでは見えなくなる」と言った。それまで、目に関しては気楽に考えていた私は、
  それでもまだ、本気にしていなかった。
  が11月の半ばに「もう来れ以上待っても、視野がどんどん悪くなるだけだから、
  緑内障と白内障の同時手術をします」と宣告されてしまった。
  これにはさすがの私もあせった。「同時手術!?」。
  ドクターはその前にもその可能性を話したとおっしゃっているので、
  どうやら呑気な私は、聞き流していたらしい。
  ベーチェット病の他の症状についてはいろいろ勉強していた私だったが、
  目に関してはなぜか、「私はそんなに悪くならない」と思いこんでいて、
  ほとんど知識がなかった。思いつく限り、情報を集めようとしたが、
  よくわからないまま、オペのための入院となった。
  外来の主治医が執刀をしてくれると言うことで、説明を受け、病棟の担当医からも
  何度も今の自分の目の状態と、どういうオペになるのか詳しく説明を受けた。
  白内障がある場合、緑内障のオペをすることによって、白内障が進行することがある
  とのことだった。緑内障と白内障の同時手術(「トリプル」と言われる術式)の
  必要性はわかったものの、白内障はまだほとんど自覚症状がなかったので、
  どうしても決心がつかなかった。
  自分でもどうして良いのかわからなくなり、精神的な余裕がなくなり、
  主治医に失礼なことを質問したり意見したりして、怒らせたりもした。
  しかし、結局、白内障もすることにどうしても納得がいかない私の意見を
  尊重してくれた主治医はのちに白内障のオペもすることを考慮して、
  緑内障のオペのみをやってくれることになった。
  何度も、同じことを聞き、結局ドクターの言う事を聞かなかった私を、それでも
  親身になって、最善の手術をしてくれた主治医に感謝したい。
  オペ後、最低2週間は入院が必要と言われていたのに、経過は大変良好で、
  10日で退院することが出来た。
  現在、視力は矯正で0,4か0,5くらいまでしか戻っていない。
  どうやら、ドクターに予告されていた通り、白内障が進んでしまったようだ。
  しかし、最良の結果ではなかったが、最善の選択をしたと思っている。
  今私は全く後悔していない。こうなることもドクターから説明を受け覚悟して
  それでも我を通したのだ。
  いわゆる、インフォームドコンセントがなされていた結果だと思っている。

†これから・・・?
  さて、これからだが、発病して・・・と言うか症状が激しく出るようになってから、約5年は
  病気の活動性も高いので症状も多く出るが、だんだん活動性は弱まり、10年経てば、
  新しい症状が出る可能性は低くなると一般に言われている。
  私は今、6年目。そろそろ、病気の活動性が衰えてくれると良いなと願っている。
  が、珍しいベーチェット病の中でも特殊型の神経型、その上、特殊型の人は
  眼症状がない場合が多いと言われているのに、しっかり眼症状も進んでいる。
  まだまだ、油断は出来ないと思っている。
  去年の2回の入院とオペのおかげで、やっと、自分の体力と言うか、
  症状が悪化しない限界というものがわかってきた。
  なまけものと言われようが、自分の体を守り、家族や友人に心配や負担を
  かけないためにも1日出かけたら、1日以上休むなど体に少しでも
  負担をかけないように心がけるようにしている。
  しかし何もかも我慢しているわけではない。興味のあることにはチャレンジし、
  ストレスを溜めないように、毎日を楽しく幸せに大切に過ごすようにしている。

2001年2月現在

  ダラダラと書いてしまった、病歴ですが、誰かに何らかの参考になりますように。
  最後まで読んで下さってありがとうございました。m(__)m