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北の奔流は北国の爺様が実釣に基づいてお届けする四季の情報です。

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タケちゃんの旅日記

その1 その2 その3 その4 その5 その6

その5 酒場放浪記

世紀末の大予言に世の中が騒がしかった頃、東北の建設関連企業は不景気の真っ只中にあった。
オイラの会社も売り上げはガタ落ちで経費だけは嵩む最悪の経営状態にあった。
しかしそんな中にあっても毎年4月中旬には、新入社員の歓迎を兼ねた社員旅行を欠かしたことがないと言うヘンな見栄があった。
営業担当のオイラにとっては、「余裕があるんだねぇ・・・」と言う取引先の皮肉が耳に痛かった。
とは言えオイラはこの社員旅行なるものには、ここ何年も参加したことがないのである。
この時期には偶然にも親戚の結婚式やら法事やらと重なるために、「都合」がつかないからであった。
心から楽しみにしている慰安旅行だけにいつも残念でならないのだが、その年もまた当然のように「不都合」というやつを発生させたのであった。
過去10数年にわたり、既に何度もあの世に送ってしまった仙台の親戚なのに、蛮勇を奮ってもう一度だけ他界して頂いた訳だ。
騒がしいだけの社内旅行よりも気楽な一人旅をこよなく愛するオイラ。
毎年のように乏しい知恵を絞っては「不参加」の理由をでっちあげる訳だが、社内的にはもう何年も前からそんな必要はなかったようだ。
「どうせ、また沖縄にでも行くんだろうから」ともうバレバレで、当初から員数には入ってなかったオイラで
あった訳でして・・・。

社員旅行の給料天引き積立には、不参加となっても1円も戻ってはこないヘンなルールがあった。
近年恒例となっていた「春の沖縄一人旅」の軍資金にすることができなかったのは残念であったが、かくして今年もまた社員旅行を蹴飛ばしたオイラであった。
出発当日はさすがに関西方面に向かう会社の連中と同じ新幹線に乗る訳にもいかず、一便遅らせて盛岡を発ち仙台空港へと向かったのであった。

4月、南国沖縄は早くも真夏の様相。
空港からは予約しておいたレンタカーをエアコン全開で走らせる。
先ずは那覇に向かい同級生仲間の一番出世、住宅関連会社を営む「H雄」を訪ねて、今宵の大宴会の約束を取り付けたのであった。
ホテルのチェックインもそこそこに、早速夕暮れ迫る国際通りに繰り出した。
春まだ浅い北国からやってきたオイラのむさ苦しい装いは、日が暮れても治まらない沖縄の暑さには、あまりにも不釣り合いであった。
これからの4日間の暑さを凌ぐために、途中で合流した「H雄夫妻」の奨めで「かりゆしウエア」なるものを購入することにした。
お内儀が選んでくれたモノは、あまりに派手で奇抜なデザインだった。
躊躇するオイラに「ぜったい似合うから」なんておだてるお内儀。
その気になってついつい購入してしまうオイラ。
しかしこの風貌ゆえ、ぜったい似合ってるはずがないことは冷静に考えてみれば判ること。
まして、岩手の山奥に帰った後はこれを着る機会などあろうはずもないし・・・。
しかしここは2000km離れた南の地、旅の恥は掻き捨てとばかりに、この後はこいつで過ごすことに腹を決めたのであった。
沖縄郷土料理の店、旧交を温める大宴会は例によって故郷の同級生のゴシップネタで盛り上がる。
H雄とオイラは快調に「ハイオク」1本を空け、たちまち至福の世界を彷徨った。
知ってる限りの沖縄民謡をリクエストし、店内の賑わいに負けじと大声を張り上げ語り合った。
次は島唄ライブの店に転戦。
またしても「ハイオク」を注文するオイラ。
ステージではサンシンが、ギターが、太鼓が賑やかに民謡を奏でる。
絶好調のオイラはご祝儀だとばかりに、割り箸に挟んだ千円札3本を譜面台に差し込む。
沖縄でも通じた生粋の岩手弁、果たして演奏は30分も延長された。


2日目はR58を北上、本格的に沖縄観光をスタートさせた。
基地の近くでは米軍機の離着陸の轟音に驚き、オイラなりに住民の苦痛を察した。
東南植物楽園、ビオスの丘、万座毛に立ち寄り、その日は名護に宿をとった。
赤提灯に誘われて、今宵もまた夜の街へと繰り出した。
先ずはオリオンビールでその日の無事を祝った。
今一つオイラの口に合わないビール、直ちに「ハイオク」へと切り替えた。
昨夜の後遺症か、珍しくボトル半分を残した。
マスターの計らいでそいつを宿に持ち帰り、寝酒のつもりだったが結局は飲み干してしまった。


3日目は再びR58を北上、古宇利島、海洋博公園などを見学後、今度は沖縄道を一気に南下して勝連、伊計島経由で那覇へと戻った。
お土産を買わなけゃならんし、沖縄最後の晩だから大いに楽しまなくちゃ・・・と国際通りに出た。
万座毛で\13,000から3,000を値切って気を良くしていた土産が、¥7,000で売っていた・・・嗚呼。
さ、体調はバッチシだし、今宵も徹底的にヤルぞと馴染みの店に入った。
そう、沖縄11回目ともなると、馴染みの店も幾つかはある訳で・・・。
粋な客の弾くサンシン、リズムを刻むサンバ(三板)、居合わせた別の客がいい声で唄いだす。
沖縄の酒場は何処へ行っても賑やかだ。
南国特有のこの明るさこの大らかさ、何処か懐かしさを感じる人々の優しさ、その笑顔の輪の中にどっぷり浸かっていたいがためのオイラの沖縄旅行なのだ。
「ハイオク」が効いてくるにつれオイラのボルテージも高まった。
次第に周囲の賑わいの中へと巻き込まれていった。
オイラを窓際に追いやった会社人間とは違って、沖縄ってみんないい人ばかり。
オイラは幸せの真っ只中、全てをさらけ出して心の底から楽しんだのだった。


関東から来ていた女性客、隣の席のwakaちゃんとも話しが弾み、メル友の約束を・・・した(らしい)。
日付が変わる前に店を出たオイラは、岩手出身のママの居る店にも行こうとするのだが、意識混濁の頭ではとうとう探しかねた(らしい)。
方向感覚を失い相当危なっかしい足取りで宿に向かった(らしい)が、途中でタクシーを拾った(らしい)。


4日目の朝は無事に宿のベッドに居た。
実に気持ちのいい目覚めだった。
しかし昨夜は何時にどうやって宿まで帰ったのか、殆ど思い出すことは出来なかった。
さていよいよ最終日、今日は午前中だけの観光だ。
荷物の整理の際、ビデオカメラがないことに気付いた。
そうか、あの馴染みの店に忘れてきたんだ・・・、あとで「H雄」に取りに行ってもらおう。
喜屋武岬、平和祈念館、奥武島と巡って、昼食には「H雄」にも同席を願った。
なんやかやと話は尽きず、空港に辿り着いたのは出発まで30分を切っていた。


岩手に帰着後、例のお店に電話してビデオカメラの忘れ物を訊ねるオイラ。
レジに忘れたまま店を出られたので、追いかけて確かに手渡したことを告げられる。
さあ大変だぁ・・・、そこからの足取りを必死に思い出そうとするオイラ。
確か一関出身のママの店は探し損ねたような・・・、あそこの縁石につまづいてコケたような・・・、コンビニで握り飯を買ったような・・・、あの辺で立小便をしたような・・・、タクシーにも乗ったような・・・嗚呼。
旅行カバンの中には確かに買ったらしい握り飯が手付かずで残っていた。
そのシールから調べたコンビニチェーン店に、片っ端から電話を入れた。
コケた時に道端に放り出したのではと、那覇警察署へ拾得物の問い合わせもした。
とうとう何処からも出てこなかった。
現地の「H雄」に頼んで、那覇地区のタクシー会社名簿をFAXさせた。
那覇地区に70社、近郊の糸満、浦添などを合わせると140社もあることに仰天したが、こうなりゃ意地でも探してやるわいと、昼休みの会社応接室に立て篭もったオイラはケータイをかけまくった。
ケータイが唾に濡れ、指先も口もいい加減感覚が麻痺してきた頃、「タクシー協会に問い合わせした方が早いサァー・・・」とのアドバイスを頂いた。
しかし、そこでも「届いてないサァー・・・」と、協会のトカシキさん。
万策尽き果て茫然自失、あの楽しかった宴もピチピチwakaちゃんの映像も、もう永久に出てはこないのねと、ホズなし(あほ)の己を呪い絶望感に苛まれるオイラであった。
しかし暫くして、そのトカちゃんから折り返しの電話を頂いた。
「某会社にデジカメなら届いてるサァー・・・」とのご親切な内容だったが、オイラはついつい無視した。

数日後、んん・・・もしや!と思い立ち、再びトカちゃんに電話を入れ、そのタクシー会社名を確認した。
その「もしや」は果たして大当たりであった。
協会へ拾得物の連絡する際、ビデオカメラがデジカメに化けると言う行き違いであった。
かくしてカメラは10日振りに手元に戻ってきた。
それから数日後、あのwakaちゃんからRe.メールが届いた・・・ウフ。


来月、ケータイ通話料の請求が来る。
きっと新型ムービーが買えるぐらいの金額になってるだろうなぁ。
それでもいいんだもんね・・・、ウフ、wakaちゃんッ。

・・・・・どんとはれぇ。

ちなみに文中の「ハイオク」とは内地の店では殆ど売られていない「40度の泡盛」のこと。