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北の奔流は北国の爺様が実釣に基づいてお届けする四季の情報です。

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タケちゃんの旅日記

その1 その2 その3 その4 その5 その6

その4 またまた北海道

何を慌てた訳でもないのに、自宅の敷居に思いっきり足の指をぶつけてしまった。
あまりの痛さに、いい歳こいて思わず10年ぶりで涙を流してしまった。
我ながらその情けない姿に、85のお袋から「ちゃんとアスを上げて歩げェ」と小言を言われる始末。
近頃は運動能力や判断能力の低下は甚だしく、やることなすことにことごとく年齢を感じてしまうが、仕事への情熱だけはいまだに失ってはいない。
しかしそんな我が意に反して何故か会社内での評価は厳しく、次第に窓際へと追い詰められていることを自覚せざるを得ない昨今であった。
会社組織から見放され始めた黄昏サラリーマンの楽しみは、連日連夜に渡る破れかぶれの暴飲暴食と何年経っても上達しない鮎釣り、そして疲れた我が心身を癒すための一人旅であった。
そしてその足の指を痛めた翌日は、まさにその北海道一人旅出発の当日なのであった。
一向に痛みの取れない足を引きずりながらも、なんとかその日の仕事を片付けた。
近頃とみに居心地の悪くなった会社から、一刻も早く開放されたいと願うオイラは、午後5時になるのを待ちかねて八戸港へと愛車を駆ったのであった。

一日の締めくくりに欠かしたことのない晩酌は、船上にあっても例外ではない。
チビリチビリ寂しく始まった一人宴会はいつものようにご近所を巻き込みながら、ピッチが上がった。アルコールが心地よく体内を駆け巡ると、足の痛みなどは何処かに消え去った。
明日は何処に行こうか、「小樽」「札幌」「夕張」の景色が走馬灯の如く浮かび上がっては消えた。
ご近所は一人消え二人消えして、酒瓶を抱えたまま何時しかオイラの意識も遠のいて行った。

     

苫小牧港到着の翌朝、足の痛みは一層強烈であった。
まともに歩くことなど出来ない状態となっていた。
靴の爪先が地面に触れただけで、全身にキーンと電気が走った。
重い体に鞭打って懸命の伝い歩きで、やっとこさ愛車に乗り込んだ。
たかが足の突き指、時間が経てば治るものと思っていたのは、どうやら間違いだったらしい。

しかし毎年の如く親戚の不幸をでっち上げ、やっと出てきた北海道だけに、このままおめおめ引き下がる訳には行かないオイラである。
道央道、札樽道をひた走り、とりあえずは古き良き時代の香りを求めて「小樽」へと向う。
「小樽運河」「旧日本郵舩小樽支店」「鉄道記念館」など、痛みを堪えた「かかと歩き」のオイラは、大枚をはたいて来たのだからと、まことに意地汚く執念深く見学を続けたのであった。

次の行き先は「美唄」「三笠」の旧炭鉱街。
往時の繁栄ぶりを偲び、エネルギー革命による悲惨さを噛み締めた。
その日は美唄に投宿。
無論、宿の夕食などどうでもいい。
足を引きずりながらでも、美唄の夜を楽しむのだ。
飲むほどに酔うほどに足のことなどすっかり忘れ、旅先の開放感から今宵もまた暴飲暴食の夜が更けて行くのであった。


      

2日目の朝、痛みはもう極限に達していた。
その日はひたすら外科医院探しから始まった。
ヘロヘロになって辿り着いた先は滝川市総合病院。
年寄りの憩いの場と化した待合室は超満員であった。
そんな中、朝一番に来たと言う隣の老人は、未だ診察して貰えないと嘆いている。
それでもさらに2時間あまり待ったが、順番はまだまだである。
間断なく襲ってくる激痛、もう我慢が限界を超えた。
ついに靴も履けなくなったオイラ、病院のスリッパを失敬したままそこを飛び出した。

国道12号線を北上して、江部乙で開業医の門をくぐった。
待合室でまじまじと見た我が足は、身震いするような凄まじさだった。
真っ赤に腫れ上がった患部は、ホッカホッカに茹で上げた魚肉ソーセージだった。
ズキンズキンと右足の親指が心臓の鼓動を発して、オイラの不安をさらに掻きたてた。
ウンマァ、可愛そう〜♀」と同情する看護師。
医師に「突き指」して炎症を起した旨を、涙声で告げるオイラ。
素人に診断されては医者の立場がない訳で・・・。
今すぐ]線撮影をして判断しますかからとヤンワリ言われた。
なるほど・・・。

どの角度から撮影しても骨には異常がなかった。
下された診断結果は、オイラが予想だにしなかった「通風」であった。
怠慢な生活、美食中心の暴飲暴食、運動不足に起因して起こる金持ちの病と聞いていただけに、オイラには縁のないもの思い込んでいた。
何とも複雑な心境であった。
しかし、よくよく考えてみると「金持ち」部分を除いては、なんとなく当て嵌まっている。
医者に何と言われようと、ここで引き返すのは心残りの一人旅。
出された痛み止めを飲みつつ、暴飲暴食の旅は当然のようにこのあとも続いたのであった。

      

帰宅後、医者に生活習慣を変え運動に励めと指導されたが、何10年も慣れ親しんで来たオイラの食生活と誇り高き慢性運動不足は、おいそれと変える事など無理な話である。
それでも薬の効き目と気持ちばかりの努力とで、どうにかその後の痛風再発は免れている。

しかし現実を見ると、僅か1センチの段差ではつまずきよろけることしばし。
身体の平衡感覚は衰え、50センチの隙間を飛び越すにも躊躇し、川でこける回数は確実に増えた。
頭で思うほど足は上がらず、階段が辛くたちまち息が上がる。
不安定な血圧、肝機能の低下、慢性的疲労感、低下した視力、尿の出渋り、その他今まで経験したことのない数々の症状は、恐るべき生活習慣病そのものだ。
このままでは、老いたお袋を残したまま先に逝ってしまうかもしれないと言うことに、やっと気付いた訳ではあるが、さてさてこのあとどうしたものかと・・・・。