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北の奔流は北国の爺様が実釣に基づいてお届けする四季の情報です。

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タケちゃんの旅日記

その1 その2 その3 その4 その5 その6

その2 嗚呼!エステマ

ある年の10月、窓際サラリーマンたるオイラに与えられたくだらない仕事は放り出し、この時期恒例となっている北海道一人旅に出るため、一路八戸のフェリーターミナルへと愛車を走らせた。
ターミナルは22時出航を待つ客で何時ものように酷くごったがえしていた。
乗船手続きを済ましたあとは、酒のツマミを買い求めて逸る気持ちを抑えて待機。
乗船後は何とか一人宴会のスペース確保にも成功、まずは順調な滑り出しだ。

直ちに先程買い求めたツマミを広げ、持参した泡盛を傾けてチビチビとお神酒を捧げつつ、これから5日間にわたる旅の無事を祈った。
次第にピッチが上がって、飲むほどに酔うほどに、日頃の虐げられた生活から解き放たれたオイラの気分は高揚していった。
早々に酒が切れて自販機に走るオイラ。
ほどほどのところで止められないのが酔っ払いの性。
真夜中の2等船室、ご近所を巻き込みながらの至福のひと時であった。

シルバーフェリーは定刻6時苫小牧港に接岸した。
睡眠不足も手伝って寝起きの体調は最悪であった。
今にも逆流しそうな胃袋を労わりながら、夕張、芦別、赤平と北海道一人旅が始まった。
よせばいいのに赤平の日本一の高さだと言う旧赤間炭鉱のボタ山に登ることにした。
777段を登り始めるも途中から足が上がらず、代わりに息が上がってその場にへたり込んだ。
オメオメ引き返したのでは男がすたると思った。
必死に頂上に辿りついたオイラであった。
汗だくの体に爽やかな風を感じた途端、二日酔いはすっきり治まるのであった。


赤平市の大展望にいたく感動し、ガクガクの膝をかばいつつ下界に降りた。
その後は新十津川村、秩父別などで資料館、記念館を見学して上川町に宿をとった。
翌朝はさすが北海道を実感、10月のこの時期に車のフロントガラスが凍っていた。
層雲峡の見事な紅葉にも感動しなががら、次の目的地オホーツク方面へと向った。
温根沼では山の水族館を見学、仰天する大きさのイトウに釣り意欲を掻き立てられる。



貧乏一人旅2日目の宿泊は、経費節減のため「小清水道の駅」で車中泊。
3日目は「上士幌道の駅」での車中泊となった。
車は3月に購入した「エステマ」の中古、7年式走行距離88,000km。
室内空間も広くシートを倒して寝袋に毛布を掛けて寝る。
快適とまでは行かないが、オイラの一人旅には何の支障もない。

悲劇は4日目の朝、突然にやってきた。
セルは回るがエンジンが始動しない。
全くかかる気配もないのでJAFを要請、近くの修理工場へ移送してもらった。
燃料タンク内の錆と大量の沈殿物でポンプが詰まり、エンジンに燃料が供給されなかったことが原因と判明した。
タンク、ポンプ共に交換の必要があったが、この日は折悪しくディラーの休業日であった。
親父は困り果てているオイラを憐れんで、帯広の中古部品店から何とか部品を調達してくれた。
修理代金58,000円のうち、取りあえず50,000円を支払い、残金を都合すべく付近の信用金庫へ向った
が、休日とあってATMが使えず、帰着後の振込みを約束して工場を後にした。

鹿追で給油、財布に残ったのは僅かに4,000円と実に心細い。
当たり前だが清水、新得、富良野、どこの銀行もATMが使えなかった。
明日も祭日だ・・・、こいつは参ったぞ!
フェリーの航送券は有るものの飯を食う余裕はないし、このままじゃ岩手へ帰れないぞ!
観光気分は何処かにすっ飛び、時間とともに寂しさひもじさが募った。
この段階にきて如何に能天気なオイラでも、かなり深刻な状況に置かれていることを悟った。

とにかく金策である。
札幌営業所同僚宅へ電話を入れてみる。
「盛岡支店の武田です。○○さんをお願いします」と言うオイラ。
「そんな会社知りません♀・・・ガチャッ!」と切られた。
番号案内から聞いたのは、同姓同名だった。
ワラにもすがる思いで他の同僚の番号を聞いては片っ端から電話をかけまくった。
とうとう誰一人コンタクトが得られなかった。

日も暮れてきたが、オイラは成す術もなく北の地で途方に暮れた。
そうだここは北海道!何人かの鮎仲間の笑顔が浮かんだ。
しかしハンドルネームだけでお付き合いをさせていただいているオイラ、本名を知らないのだ。
例え電話が通じたとしても、オイラの信用度の問題もある。
岩手の仲間から口添えして貰おうかとも考えたが、なんだかみっともない。
悶々として時間だけが素晴らしい速度で過ぎていった。

もしやショッピングセンターならATMが使えるかも知れないと思った。
富良野の某駐車場、ATMの灯りを見つけた。
まさに地獄に仏であった。
ついにオイラは10時間ぶりで深刻な耐乏状況から脱したのであった。
最初から落ち着いて考えれば解ることだったが・・・。

無事に盛岡に帰り着いたオイラは、早速クルマの販売会社に修理代金を請求した。
しぶしぶ修理代は出たが、JAFの作業代金は認められなかった。
元々このクルマは、購入時から頻繁にトラブルが発生していた。
同様の症状はその年の6月にもあって、販売会社へ修理要請をした経緯があった。
この販売会社は、クレームや修理要請への対応がまるで不親切だ。
問題解決に2ヶ月を要することもあったり、顧客無視の無責任体制にはほとほと困っていた。
全国展開している大手、・・・そう黄色に緑の看板だ。


それから1週間が経った昼下がり、ショックアブソーバが脱落して、突然走行不能となった。
さすがに命の危険を感じたオイラは、なけなしの預金をはたいて翌週ステップワゴンに代えた。
勿論、別の販売会社からだったが。



そいつに乗せられて男鹿半島に行った時、2気筒かと思われるようなあの重々しいエンジン音が、相当気になっていた。
オラは口では「いいクルマ買ったね!」なんてお世辞を言ったが、ホントのところは密かに命の危険さえ感じてたのよ。  (釣り仲間のsu)