大峰百番観音
紹介 湯沢町の湯元高半ホテル裏手から、湯沢高原一帯そしてナスパスキー場、秋葉山にかけて安置されている、石に刻まれた百体の観音様たちです。

西国三十三番観音、坂東三十三番観音、秩父三十四番観音が石に本尊観音と同じ姿で刻まれています。ご詠歌や寺名も側面に刻まれ、現地を訪れなくとも湯沢高原一帯を巡礼すれば、同じご利益が得られるようになっています。
最終観音様宝珠庵内 ナスパスキー場降り口付近
提唱 昭和6年に神立村宝珠庵に赴任した、臨済宗の僧呂 中村無外師が田舎の貧しい暮らしが続いていた、村民たちに観音菩薩の加護が施されるようにと提唱されました。
   
秩父5番付近 阪東10番付近
浄財 当時の湯沢村、神立村の檀家の代表の人たちが、村民に協力を求めてたくさんの浄財を集めたようです。なかでも、東京で大きな財をなした大橋家(長岡藩出身)の刀自、孝子氏(湯沢村出身)のご寄付は多額だったようです。
製作 石像は現在の長岡市本町にあった諸橋石材店で、数年の歳月を要して作られました。
   
 宝珠庵鐘楼天井絵  岸野海雪画伯が描かれたものです
運搬 信濃川を船で六日町まで運びました。そこからは馬車で湯沢まで運送したそうです。
多くの石仏の山への搬送は当時の土建屋さんに入札で依頼いたようですが、善男善女の勤労奉仕も有ったようです。
春の雪解けの頃の残雪を利用したり、強力が担いであげたりと、今で言うたくさんのボランティアの力を借りました。
竣工 昭和11年9月27日に落成法要が宝珠庵で営まれました。
その後、多くの村民が大峰百番観音様を巡礼したようです。
中村無外師が健在だった昭和40年代の初め頃までは、村民による巡礼は続いていたようですが、それ以降はぷっつりと途絶えてしまいました。
 
 秩父一番  阪東一番  西国一番
調査 私が大峰百番観音様に惹かれて、調査をしたのが12年前です。
多くの先達からお話を伺ったり、文献を調べたり、無外師の故郷足利市に赴いて師の生涯を検証したりしました。
当時でも高齢の方ばかりでしたので、現在は殆どがご他界なさっており、昔の話を聞くことができなくなりました。
聖観音様 如意輪観音 馬頭観音
提案 湯沢は山の中の田舎町です。昔から文化レベルは高くはなく、それ故、文化遺産としての価値が高いものは余り有りません。その中で多くの人が労力と経済力を傾け、日本の庶民仏教の象徴である百番観音を田舎の山中に勧請した、大峰百番観音の文化的価値は特筆されるもが有ると考えております。

この百番観音様を後世に伝える事が私たち世代の責務だと思っておりますが、微力でその重要性を強く訴える事ができません。
ただ、トレッキングコースとしても最適ですので、その事を活用して、後世へ伝えられるのではと思っております。

その為にも、より多くに方が百番観音様を訪れてくださる事をお願いす次第です。

より詳しくお知りになりたい方は、公民館講座で作成いたしました
「大峰百番観音霊場」の小冊子がございます。メールでお送りします
こちらよりご連絡ください

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