水銀灯ロード 4



でこぼこのアスファルトにはまだ水溜りが残るというのに、道具屋の前の黄色い道は見事な水捌けだ。

レンレンは顎の下でリボン結びをするタイプの帽子を被って鋼鉄自転車を走らせる。

この帽子も服も、仕立て屋に文化人形と同じデザインで作ってもらった。

布地は全体に白で、襟元や袖周りに付いた紺色の波型テープが気に入っている。

「フンフンフン♪フ・・・あら?」

道具屋のボロ机に座っているのは二人。一番多い組み合わせは道具屋と配管屋なのだが、体格や座り方が全然違う。

二人のうちの一人に解体屋の姿を確認したところで一旦ブレーキをかけたが、もう一人が修理屋である事に気づき、

ペダルを高速の勢いで踏み回 した。

忙しいはずの男がこんな所でヒマそうに座っているのだ。レンレンだって嫌味くらい言いたくなる。

「ヒマなら私の髪を何とかしてくれないかしら」

「俺は先約の仕事で来ている。道具屋もしばらく忙しい」

修理屋は鉄扉を指した。道具屋は中にいて、レンレンにはわからないことをしているのだろう。

待とうかどうしようか迷っていると、解体屋が手を伸ばしてレンレンが持っていた紙を引っ張った。

破れないように手を離した咄嗟の判断力は、彼と関わったこの数年で培われたものだ。

「それ、道具屋に見せようと思って持って来たんだけど・・・。ねえ、修理屋はわたしが何を描いたか分かる?」

「俺には分からない」

「何で?あっちの道路に立ってるヤツだろ」

「えっ!解体屋は分かるの?」

「だって、そうじゃん?」

解体屋は青を青と答えて何故そう見えるとでも言われたかのように首を傾げた後、何の躊躇いもなく紙ヒコーキを折り始めた。

「あああああっ!それ、道具屋に見せるって言ったのに全然覚えてないしっ」

しかし、本気で腹をたてる事もない。

誰にも分からないという配管屋の言葉は、解体屋が分かったところで否定出来たのだから、目的はクリアしている。

レンレンは口の動きを読まれないよう解体屋の後ろに回り、修理屋に聞いてみた。

「ねえ。解体屋は手にした物で遊んでいるだけで悪気はないのよね?」

「悪気は相手に対しての悪意。悪意は他人に害を与えようとする心だ。

 解体屋には他人に害を与える事で快感を得る趣味はないけどね。行動の結果、害をなしたとしても何とも思わない」

「それって、他人を思いやる心がないってこと?」

「全くないわけではないよ。殆どないだろうけどね。誰しも欠けていたり足りない部分はある。

 生まれつきなのか、育たなかったのか、理由すらあったりなかったりだろう」

生まれつきなのか、育ったのかといえば、レンレンのこの心は育ったものだ。レンレンにはそうなる時間があった。

では、人としての様々な心身に欠けていた頃、足りなかった頃に自分は何を思い、何をしていたのか。

そんな事を考えていると、解体屋に強く腕を引っ張られた。

「飛ばしに行くよー」

「何処へ?・・・ってわたしも行くのっ?何でっ !?」

相手は重いレンレンを担いで歩ける男なのだから、抵抗するだけ無駄というものだ。

修理屋に助けを求めるが、大丈夫だという合図なのか左手を小さく上げられた。

「修理屋のばかーっ!わたしが丸ハゲになってもちゃんと植毛してもらうわよーーーっ!」

丈の短いスカートからかぼちゃパンツが見えそうになるのも気にせずに、空いている腕をきいきいと振り上げて叫ぶ。

丁度、道具屋が鉄扉を開けて出て来て、その様子を笑った。

「行かせたのかイ。今夜だヨ」

「ああ。今夜だ。だから、まだいい」



+++




解体屋に連れられて入ったのは高層アパートのひとつだった。以前は工場で働く人々が住んでいた。

不用品として残された家具やらが廊下のあちこちに散乱している。荒らされたのもまた昔。今は全てが等しく薄白い埃を被っている。

ずっと階段をのぼって屋上までどのくらいかかっただろうか。

ここはレンレンが修理屋と出会う前に、彼の兄と出会った場所だ。

黒い帽子に黒いコート姿の男は異国の魔法使いに見えた。柵もない屋上の端に立ち、街を見下ろしていた。

解体屋は紙ヒコーキを手にその場所へ向かって歩いている。

あの時と同じ強風がビルの下から吹き上げて、ゆったりとした解体屋の服を捲り上げる。

彼は修理屋の兄よりも重いだろう。けれど、端になんか立てばきっと簡単に飛ばされる。

レンレンは慌てて駆け寄ると、服を掴んで背中を叩いて自分のほうを向かせた。

「何?」

「わたし、前にもここに来たことがあるわ。そこに修理屋のお兄さんが立っていた。彼は自分は落ちないって言った。

 不思議と、わたしもそう思った。だけど・・・・・あなたはそこに立ってはダメ。あなた、本当は、危ない事しちゃダメなのよ」

落ちたら確実に死ぬという分かり易い危険な場所が、レンレンにひとつのことを理解させた。

この男は死にたいわけじゃない。ただ、いなくてもいいのだ。世界に自分がいなくてもいいのだ。

そばに誰がいてもいなくてもいいように、自分さえもいなくていいのだ。

レンレンはこの感覚を知っていた。レンレンが人のカタチをとっていたかどうかも定かではない昔に知っていた。

その記憶も、ニホンを脱出する直前にヨシザキ博士の助手がレンレンから取り上げたものだ。

今はレンレンから遠く離れた場所で、小さな器の中に眠るものだ。

解体屋は不機嫌になる様子もなく、レンレンに手を伸ばした。

「じゃあ、あんたが俺の手ー繋いでてよ」

重石。女の子としてこの下はないくらいの扱いだが、それよりも躊躇われたのは、ここが地上から二百メートルという事だ。

レンレンの体は低い体勢をとっていればこの程度の風には飛ばされないけれど、解体屋の力にはかなわない。

いいかげんに引っ張り回されたらと思うと怖い。落ちれば自分だって修理屋でも直せないくらいに壊れる。

けれど、修理屋は自分をこの男と行かせた。だから、大丈夫のはずだ。でなければ、化けて出てやるとも思った。

「・・・あら・・これって、華子と手を繋いだときに似ているわ。子供ってこんなふうに手を握るの。こういう感覚って、思い出せるのね」

解体屋には聞こえないので、レンレンは声に出して独り言を言うクセがついた。こうすれば、彼といても少しだけ落ち着くのだ。

紙ヒコーキは飛行機というよりも嵐の海に浮かぶ船のようだった。上昇と下降を繰り返し、随分と長い間視界から消えずにいた。

「ずっと部屋に閉じ込められてたからさー。窓から紙ヒコーキばっか飛ばしてた。だから俺、よく飛ぶヒコーキは作れる」

「・・・プリズン・・で?」

「違うよ。ちっせー時ー。猫が出入りする所からメシ入れられんだけどー、手だけしか見えないんだよ。んー、あれ、誰だったのかな?」

それから、解体屋は目の前から消えた紙ヒコーキにはもう興味がなくなったのか、仰向けに寝転がるとすぐに寝てしまった。

女の子とデートしている時もきっとこんな調子なのだろう。我侭勝手な男だ。

「今なら分かるわ。この人はわたしが先に帰っても気にしないって。

 起きた時にわたしがいなかったら、一緒に来たことも忘れてるんじゃないかしら。

 もう帰ってしまおうかしら。解体屋はすぐにお腹が空くから、暗くなる前に自分で起きるだろうし・・」

ただ、その前に寝返りをうってうってうって端から落ちるなんてことも有り得る。ベッドから落ちるのとはわけが違う。

解体屋の寝相なんか知らないけれど、そのわずかな可能性がウッカリ頭を過ぎってしまっては放っておけない。

仕方がなくレンレンは隣に座り、抱えた膝を揺すらせた。

「すごいと思うのは、誰もこの人を変えようとしないことだわ。この人がどうあれば幸せかを決めたりしないことだわ。

 この街の人間はみんな少し変わっているってヨシザキが言ったのは、こういうことかもしれないわね。

 それって、人の社会では難しいことだもの。わたしにはこの街こそが奇跡だわ」

解体屋が寝返りをうって、柵代わりとなったレンレンにぶつかる。かすかな寝息が足首にかかった。

寝顔は年相応の青年だ。解体屋は反省能力に著しく欠けるけれど、悪いことを悪いと知っている。

いい人じゃないけど、ちゃんと人間だ。全く悪気がないでする相手よりよっぽど話が通じるようで安心する。

そんな事を思った後は、何もせず、何も考えず、解体屋の横に座っていた。

その様子は節電モードの機械のようでしかない。手の甲に落ちた雨に反応するまで、二時間ほどもそうしていた。

「起きて。小雨だけど止みそうにないわ」

遠慮がちに揺すると、解体屋はすぐに目を覚まし、両腕で反動をつけて上半身を起こした。素晴らしい寝起きの良さだ。

「雨はー、どしゃ降りが好きなんだけどなー。あんた、家に帰んの?」

「ええ」

「ふーん。じゃあ、途中まで同じ方向だねー」

外に出ると、もう薄暗かった。霧雨越しに見える灯りはどこか優しい。

両端にずっと水銀灯が続く道。解体屋のバイクはレンレンの前をゆっくりと走った。

分かれ道で手も振らず、言葉もなく、通りすがりのように別れた。

不思議と、後に思い出せばこの時の記憶には音がない。聞こえていたはずの去っていくバイクの音も、かすかな雨音も。





|||| 2196年 |||| ( 修理屋十八歳 )



椅子の背凭れに掛けてあった修理屋のGジャンが床に落ちた。

拾って、机の上に置く。ポケットには紙幣と小銭の重みしかない。いつも持ち歩いていた銃はもうないのだ。

「どうしておサイフを使わないのかしら」

修理屋の寝顔に呟いてみる。

レンレンは紙ヒコーキを飛ばした日から数日後に、解体屋のバイクらしい一部を西南の崖の下に見た人がいるという噂を聞いた。

その場所に行ってみたけれど、波にさらわれたのか、もう見つけられなかった。

『 この街にいないということは、大陸に渡った可能性もある。解体屋に出国許可はおりないから、それは難しいけどね 』

修理屋の何を言う時も変わらない声が、解体屋の何を見る時も変わらない目とリンクした。

もし、出国を可能にした人物がいるというのなら、それは道具屋に違いない。

レンレンが聞いたところで道具屋は仕事の内容を教えないだろう。だとすれば、修理屋の口から伝えられた事がギリギリの譲歩だ。

レンレンには解体屋がこの街を出て何処かへ行きたがっていたようには見えなかったけれど、自分の知らない事情などいくらでもあると思った。

それとも、修理屋が言ったのはただの可能性で、本当に海で死んだのかもしれない。

そして、その頃から見なくなった銃のことも聞けずにいる。どちらにしても、彼は自分達の周囲からはいなくなってしまったのだ。

『修理屋は淋しい?』  『そうだね』

三年前はこんな短い言葉で、いなくなった男の話は終わった。


この頃はよく修理屋を鋼鉄自転車の後ろに乗せて走る。十八歳になった今も、レンレンより少し背が高くなったくらいで軽いものだ。

つきあいは相変わらず悪いけれど、以前ほどレンレンと出かけることを嫌がらなくなった。

「今日は行きたいところがあるの」

「毎度あんたが行きたい所に行くだろう」

修理屋はいつも荷台には後ろ向きで乗る。行き先には興味なさげなのも、いつもの事だ。

「ここはずっと水銀灯が点いているいい道なのに、交通量が少ないわね」

「何処へ行くにも遠回りになって不便だからだ」

「わたし、結構通るわよ。お気に入りスポットがあるもの。それでね、この頃ようやく気づいたの。

 ここって、途中からアスファルトのでこぼこも少ないし、亀裂もないし、小さな飛行機なら離着陸出来そうよね」

修理屋は返事もせず、被っている帽子を手で押さえてから、また荷台をしっかりとつかんだ。レンレンも相変わらずの飛ばし屋だ。

「あの人はプリズンに戻ったんじゃない。海で死んでもいない。ここから本当の飛行機に乗って何処かへ行ったんだわ。

 小型のプロペラがぷるぷると回っているあれは、たまに空を飛んでいるもの」

「俺は何も言わないし、言えない。そういう立場にいる」

「うん。だからずっと聞かなかったの」

レンレンの出した答えがあっているかは、修理屋の態度からはわからない。何事も顔には出ない男なのだ。

「飛行機か・・・あのビルの上から見たら、この道は本当に滑走路に見えそうだね」

「わたしもそう思った!ねえ。今度見に行かない?明るいうちに昇っておけば危なくないわよ」

「いや、悪いが階段であの高さまで寝袋と食料を担いで昇ってまで見たいとは思わないんでね」

「そう言うと思ったわ。言ってみただけってヤツかしら。・・・さぁて、ここからは飛ばすからしっかりつかまっていてねーっ!」

「あんた、今までは飛ばしていなかったつもりだったのか・・」
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絵と話 / 菊永まき