だけど

人と人を 絶対的に引き離すものは 死


そう信じていた君は いつ 僕を許しただろう











+++ 片鱗



外は小雨が降り続き、灰色の空。
庭に人影はなく、賑やかなこの城から急に人が少なくなったような錯覚。
そこへ、いつもの足音がぱたぱたと聞こえた。

「おはようございます!」
『おはよう』
「今から図書館に本を返しに行くの」

彼女の手には、背表紙に『水物語』と書かれた青い本。
古い本らしく色褪せて薄汚れて角が擦り減っている。

「『水』が出て来る世界中のお話を集めた本なの。あのね、全部で七冊あるのよ」

七冊という事は、他にも『月物語』や『木物語』があるのだろう。
僕は本にはあまり興味がなさそうに見えるのか、彼女はそれだけを言うと、図書館へ走って行った。




+++ 




その日の夕方、僕は初めて図書館を訪れた。
閉館三十分前。人も疎らだ。
エミリアさんとテンプルトンが、珍しいなという顔でこちらを見ている。

『民俗学』『宗教』『小説』等、ジャンル毎に分かれている中、あれはどの部類に入るのだろうかと決めかねた。

(小説・・かな)

ふと、入口を見ると、そこだけ置かれている本のジャンルがバラバラの棚があり、そこに、今朝彼女が持っていた本を見つけた。
その日返却された本はここへ置かれて、閉館後にまとめて元の場所へ戻される為の棚だ。

その場でパラパラと頁をめくり、ある話を探す。題名は覚えていないので、目次は役に立たない。
短編が四十程おさまったその本には、なかった。『水』が出て来る話など、世界には沢山あるのだ。



濁った水にしか住めない魚は、酷く醜い姿をしていた。
泥水の中で、やがてその生涯を終えようという時、彼は最後の力を振り絞って、水面へと泳ぎ始めた。
月の夜。
パシャッという小さな水音をたてて、老いた体は高く跳ね上がった。
再び泥水の中へ落ちたときには、もう死んでいたのかもしれない。



そういう話である。
この短い話に込められたテーマがわかる程に、自分は年を取れたのだろうか。そう思い、ここへ来てみた。

月の夜。
やわらかに降り注ぐそれさえ、眩しかっただろうか。








閉館の合図に本を置き、図書館を出ると、また彼女に会った。

「雨、止んだね」
『そうだね』

ついて来る彼女を振り返り、少しの笑顔で首を傾げてみせる。何の用かと聞いているわけだ。彼女は、困ったように目を伏せた。

『何だか、見張られているみたいだね。ああ、言い方が悪かったらごめん』
「ううん。そうかもしれないから」

意外といえば意外な答えだ。弟やシュウが彼女に命じたとは考えられない。

『何故?僕は何もしでかさないよ』
「ううん。何かするとかじゃなくて・・」
『じゃなくて?』
「・・・いつでも行ってしまえそうだから」
『何処に?そんなに無責任に見えるかなあ』

やはり笑って答えたけれど、『何処に』、そう言った自分の言葉が妙に感慨深くて。
僕は、何処へ行けるのだろうか。聞けば、彼女は知っているような気がした。



「本当に、大好きなのよ。だから、突然いなくなったりしてはダメなのよ」

服の裾をぎゅっと掴む手は、赤ん坊のそれに似ていた。

「・・・困ったな。例えば、僕が君を好きで、君が僕を好きじゃなかったり、君が僕を好きで、僕が君を好きじゃなかったり、
 そうだと良かったのに」

何もかも切り離して、君の事だけで生きていけたら、良かったのに。


「ずっと、一緒にいられるなんて、思ってないのよ。だけど、今は一緒にいてね」
『本当に、今だけなんだけど』
「知ってる」

くす・・

端を上げたナナミの口だけが、残像のように映った。






+++






「あんたらしくもない」

石版の前に立つ少年が、厄介だとでもいうように顔を歪めた。

『どうすればラクに生きられるのかなんて、みんな結構知ってるもんだよ。だけど、どういうわけか、その道を行く者は殆どいないんだよね』

その隣に立ち、くすくすと笑いそう言うと、僕は遠くを見つめた。視界よりももっと、遠く、遠く。
やがて、僕の顔も歪む。手に入れさえしなければ、失う事もないのにと。



『僕のいない所で幸せになれば良かったんだ』
「いつか、そうなるよ」

『僕の知らない所で幸せになれば良かったんだよ』
「そうなるよ」


だけど、一体誰なら、好きな人に好きだと言われて、その手を取らずにいられるだろうか。
吐き出した言葉に、律儀に言葉を返してくれた少年に、これも問うてみたかった。






+++






ある日、別れの言葉もなく、僕は彼女のいる場所を後にした。二度とは、戻らず、彼女の消息を耳にする事もなく。
今では、生きているのか死んでいるのかさえわからない。僕と変わらぬ少女のままの彼女だけが、記憶の中にある。





  (知ってた)



     (いつか、そうなるよ)


これは、昔、聞いた声。


人と人との別れなんて、こんなふうに、大きな出来事もなく訪れるという事を、
君は本当に知っていただろうか?

絶対的な別れは『死』

心の何処かでそう信じていた君は、いつ、僕を許しただろう。















君は、いつ、僕を許しただろう。



+++

(2002.5.22作品)

タイトルの『片鱗』は「多くの中のほんの少しの部分」という意味の方です。
人生の中でほんの一時だけしか一緒にいられないとわかっている恋愛は、
そんな美しいものでもなく、何といいますかよどんでいると思う。流れの止まった中にあるというか。

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