「ちょっと、来て」

シードはちょいちょいと手招きし、ナナミを部屋の外に連れ出した。そして、不意に、殴りかかった。勿論、寸止めはするつもりで。
しかし、両腕でガードをしてみせたナナミを見て、困ったように、溜息をついた。

「んー・・反応いいね。訓練した人間の動き、なワケで。つまり、オレはアンタを疑わねぇとな。回りくどいのも面倒だから、はっきり聞くわ」
 
もう一度、あーあ、と、はっきり溜息をついてから、屈んでナナミに顔を近づけた。

「アンタ、あいつを殺しに来たの?」












『 子供の本 』






普通でも、身元のはっきりしない者を、家の中で働かせる人間はいない。
彼らの、外部の者に対する警戒心を考えれば、当然の懸念だった。

「武道はじいちゃ・・祖父が教えてくれたんです。
 祖父が死んで、戦争が始まって、わたしも戦って・・でも、戦争は終わったんですよね?わたし、もう敵じゃないんだと思って、ここまで来たの」
「ホントに、まいったなぁ・・・」
一度目をそらして独り言のように言い、すぐにまた、鋭い目でナナミを見た。

「かつては敵だったワケね。まあ、それはそれとして・・・。オレはね、あいつがアンタを雇ったりは絶対しないと思ったのよ。
 でも、あの調子じゃあ、わかんねぇな。・・・で、慌てて試したんだわ。ま、気を悪くしないでくれよな」
「はい。でも、わからないんですか?わたしは不採用ぽくて不安になったんですけど・・・」
「いや?あいつにしちゃあ、いい反応だぜ」
「そうなんですか?あれで」
「そうなのよ?あれで」


さて、どうしたものかと、シードは顎に手をやり思案した。例えば、暗殺者にクルガンのようなタイプは向かない。
実際は、人の良さそうな大人、無邪気そうな子供が多いものだ。警戒されず、いつのまにか相手の懐に入っていける、そういう人間である。


「フリックさ・・いえ、会いたいなら会いに行けって、言ってくれた人がいるんです。
 わたしがあの人を好きだって事、馬鹿だなって、やめとけと思ったって・・・言った。でも、笑わなかったの。それでわたし、きっと、勇気が出たの」

ナナミは祈るように手を前で組んでいた。
シードはしばらく真面目な顔でナナミを見つめていたが、やがて猫のように目を細めて、ニッと笑った。

「決めた。オレがアンタの保証人になってやるよ。正直言って、オレは面白がってるケド、それでいい?」





シードは、確かに、面白がっていたのだ。






+++


「ナナミさんはね、創意工夫さえ禁止すれば良いのです」

家事のベテランは、一作でナナミの料理に対して、的確なアドバイスを与えた。最大の弱点である料理もクリア。
三日でナナミを使えるようにしたマーサは、後はシードに任せたとばかりに、手を振り故郷へと帰って行った。
任されたシードはといえば、

「じゃあ、コレと、ちょっとデザイン違いでコレも」
「シードさん、わたし、そんなに買えません」
「就職祝ってコトで、コレとコレはオレが買うから♪
 で、アンタが選んだのはあいつに買わせろよ?どうせマーサのお古じゃサイズが合わねぇんだから」

紺色主体のワンピースに、白いエプロン。メイド服を選ぶシードはイキイキと楽しそうだ。
仕事が終わるとシードは、新婚の妻の元へ帰るが如くクルガンの家へ。そして、このように面倒を見ているのだった。


「まあ、立場的に世間話はし難いだろうケドよ?挨拶以外で何話したよ?」
「・・・・・何も。でもっ、わたしの事、ナナミって呼ばれるんですよ。あの声で、わたしの名前呼ばれるんですよっ」

ナナミは握り拳をぶんぶんと振って、嬉しくてたまらないというように報告した。

「あー、今朝の『ナナミ、この服をクリーニングに出しておいてください』とかいうアレね」

今まで『マーサ』だった部分が『ナナミ』に代わっただけの事。シードの呆れ顔も、無理はない。







+++


遅くなるので、夕食は要らないと言われていた。

(手のかからない人だあ・・)

ナナミは主人に対してはどうかと思う感想を、心の中で呟いた。 食事の仕度は、マーサによると週に三日程度で良いらしい。
そして、クルガンは散らかさない。出された食事に文句もいわない。
今日はシードも一緒に帰るという。彼の家はここではないのだが、帰るのが面倒なのか、週に四日はここで寝泊まりしている。
これも、マーサが言った事である。



ナナミは姿見の前に立ち、くるりと回ってみた。
布がふわりと空気を含み広がって、ゆっくりと体についてくる感覚が気持ち良い。
シードが選んだエプロンは裾が長く、ドレープもたっぷりとしている分、高価かった。
仕事柄、実用性重視に作られてはいるが、華美にならない程度のフリルも付いている。ナナミには、とても可愛い服に思えた。
( わたしも、少しは可愛く見えると良いなあ・・・・・何て・・図々しくも思ったり・・して・・ )
しかし、クルガンは用を言いつける時も、ナナミの顔は殆ど見ない。
( ・・・・・・・・わたしがペンギンの着ぐるみを着ていても、あの人、気づかないかもしれない )







+++


「どうぞ」

そう言ってお茶を出す手つきも、多少、危なっかしい。相手はシード。緊張しているのではなく、まだ慣れていないだけなのだ。
クルガンは、そのティーカップをしばらく見つめた後、こう言った。

「・・・ああ、あんたでしたか」

「はい?」×2
双子のように同時に発した言葉に、ナナミとシードは思わずお互い目を合わせたけれど、また、同時に視線をクルガンに戻した。

「思い出しました」

クルガンはティーカップを指して、それだけを言った。シードには不親切であったが、ナナミには、その一言で充分だった。
名前を呼ばれただけでも嬉しいのに、これは、涙が出る程、というレベルの出来事だ。ぼやけた視界に、ナナミは慌てて頭を下げ部屋を出た。


「そういやナナミサン、前に一度会った事があるケド、オマエは覚えてないだろうって言ってたな」

シードは目でナナミを追ったドアの方を見たまま、わざと淡々とした口調で言った。

自分は、子供に懐かれる人間ではない。
そう知っていた彼に、あの時のナナミの行動は、不可解であった。
しかし、気に留める程の事ではなかった。忘れていた、というより、思い出す事ではなかった。

「それを、今、思い出しただけですよ」

クルガンは、話をそう終わらせた。

「そっか。さっきナナミサンが言いかけた『フリック』も、青雷のフリックだったわけだ」

シードはティーカップを上から掴むように持つと、一口飲み、そのままクルガンを見た。

「私は、何故あの時の娘が、お前を保証人に私の前に現れたのかを聞きたいですね」

クルガンもナナミがいれた紅茶を口にしながら、シードに訊ねた。
シードとは対照的に、彼はお茶ひとつ飲むにしても、作法のお手本のようであった。

「警戒して言ってんなら、その必要はないと保証するぜ。その為の保証人だ」
「警戒はしていませんよ」
「何故 『あの時の娘が、オマエの前に現れたのか』 と、『オレを保証人に』 は、別モノなんだよ。
でも、後者はセットでないと説明出来ねぇしなあ・・」
「私にわかるように言ってください」
「んー、秘密ってコトでどうよ?」
「・・・・シード」
「オマエもどうでもいい事なら、今は聞くな。
本当に知りたくなったら、その時は彼女に聞きな。オレとナナミサンの関係も、知りたけりゃその時にしてくれ」


今すぐにでも、聞けばナナミは言うだろう。
元々、その為にここまで来たのだから。そして、ここを出て行くだろう。クルガンは、止めもしないだろう。そんな事は容易に予想出来た。







(それじゃあ、ツマラナイし)


シードはティーカップで、薄く笑った口元を隠した。







+++


「犬は、飼われないんですか?」

ナナミがこの家に来て二週間。ようやく、ふと思った事を口にする事が出来るようになっていた。
この辺りは番犬を含めて、犬を飼っている家が多い。皆、それなりの財産があるわけだ。
もっとも、ナナミは単純に、この家にも犬がいると良いなと思っただけである。

「防犯上必要だと思いますか?それならば考えても良いですよ」

本棚を整理する手を止める事なく、クルガンが返事をした。

「いえ、それは大丈夫です。あの、動物はお好きですか?」
「特に興味はありません」

(・・・この人、見かけ通りの人だあ)
ナナミは、つい、くすっと笑ってしまった。クルガンの手が止まり、ナナミを見た。
相変わらずの無表情だが、何が可笑しいのかわからない、といった所だろう。

「申し訳ありませんっ・・・あっ申し訳・・・・ああっ申し訳ありませんーっ」

頭を下げた拍子に、抱えていた本を一冊落とし、それを拾おうとして、二冊落とした。
目が合う事さえ滅多にないのに、手を伸ばせば届く距離である。動揺しない筈がない。

「重いようでしたら、運ぶ量を少なくして構いません」

クルガンはもうナナミを見ていない。時折、本の頁をめくって内容を確認する指は、男性にしては細くて長い、きれいな指だった。

「一冊多いな・・・」

クルガンは注文書の控えと納品書を見比べて言った。

「これ、じゃないですか?」

ナナミは、今日届いた本の中から、一冊だけ装丁が違う児童書を差し出した。
子供の本といっても、良家の子女用で、ナナミが持っていた童話本とは、質が全く違う。
表紙は、淡く美しい色彩で、王子様とお姫様と、召使らしい異国の少年が描かれている。
うっとりとその絵を見つめているナナミを見て、送り返そうとしたクルガンの気が変わった。

「読むのなら、自分の部屋へ持って行きなさい。自分の物にして良いですよ。
 請求書にはこの本の分も入ってますから、書店への支払いはこの通りで結構です」

クルガンが現金の入った封筒をナナミに渡そうとすると、ナナミは首を振った。

「でも、誤配だったら・・この本を楽しみに待っている子供が何処かにいるんじゃないかと思うんです」
「では、これを届けに行った時に、店の者に訊ねなさい。余所が注文した本というわけではなかったら、このまま支払いなさい。
 そうでなければ、本を渡して、請求書を訂正してもらいなさい。分かりましたか?」

面倒な事を言わなくても、注文した本ではない物など、返せばそれで良い。しかし、気紛れのようにクルガンはそう言った。
ナナミがこの本に興味を持ったのなら、読ませてやりたいというそれは、親心にも似ていた。
自覚は、なくて幸いというものだろう。気づけば、いくら彼でも、自身の年寄りめいた感覚に少しショックかもしれない。
勿論、それが顔に出る事はないにせよ。







(2001.8.28作品)


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