ふと出来たシャボン玉が、目の高さまで飛んで消えた。
洗濯用の水は、雨水を貯めてそれを使う。天水は川や泉の水よりも軟質で、石鹸の泡立ちが良いからだ。
祖父と弟と暮らしていた家では、石鹸も灰と動物の脂身で作ったものだったが、ここでは街で買う。
軟らかくて茶色い手作りの石鹸に比べると、硬くて白っぽい店売りの石鹸は、よい香りまでついている贅沢なものだ。
子供の頃に使った事はない。しかし、その頃から、わたしはこの匂いを知っていた。
ジョウイの夏服も、こんな匂いがしたのだった。
後ろにいる人に聞かれぬように、今は、その名前を口にしなかった。




















日光浴 +++





帰宅したシードは服を脱ぎながら庭に回ると、適当な枝にそれをかけて短い草の上に座り、足を投げ出した。
屋内で上半身裸になろうものなら 『だらしない』 と叱る少女も、屋外では咎めない。
クルガンは洗濯をするナナミの少し後ろにいた。彼にしては珍しく、袖のない白い服を着ている。
年中、長袖の服をきっちりと着て汗ひとつかかない人間にしてみれば、日光浴もこれで十分らしい。
仰向けになり、五指を組み、目を閉じている様子は死者のようにも見える。一人にしたなら、烏につつかれるかもしれない。
想像して、シードは愉快そうに笑った。

「何ですか?」
「別にぃ。寝てると思ってもさあ、いっつも起きてんだよなあオマエは」
「シードさん。そこにいるならこれを干してくださいよー」
「またオレぇー?」
「クルガンさんからはちゃんとお金をもらっています。仕事は仕事ですから」
「オレにも払えっての?」
「いいえ。『手伝えっての』です」
「はぁい」

シードは高く渡したローブに洗濯物を引っ掛けて、しわを伸ばし、慣れた手つきで洗濯ばさみを留めていく。
ナナミは傘の骨組みのような形をした物干しにタオルをかけている。風を受けてカラカラと回る仕組みの物だ。
リズムよくタオルを干していく手に、細い紐が絡まった。木綿のワンピースに付いていた飾りのリボンが、取れてしまったのだ。
ふと思いつき、シードの後ろに立って、春から伸ばしっ放しの赤毛を一つに括った。
願をかけるタイプには見えないから、伸ばしているのも深い意味はないのだろうとナナミは考えている。
それから、二人で桶に残った水を掛け合い、ほんの少し、ふざけた。
地面に濃い影を落とす真夏の陽射しが、濡れた髪も服もすぐに乾かす。
三人それぞれ勝手な方角に頭を向けて仰向けになり、しばらく、同じ空を見ていた。



カラカラカラ・・
からくりのような音が、したり、止んだり。今日はあまり風がない。



「あ、急がなきゃ。これからデートなの」

窓越しにリビングの時計を見て起き上がり、ナナミのスカートをぐるりと覆うエプロンについた草を払う。

「えーっ。じゃあ、オマエら外で食うの?オレの晩メシはーっ?」
「いえ・・私は小一時間程で仕事に戻りますが・・・」

約束をした覚えはない。それに、普段からデートらしい事もしていない。
そんな聞き慣れない言葉を使われて、クルガンの声は明らかに戸惑っていた。
ナナミはそんな反応を楽しんでいるのか、気づかないのか、気づかないフリをしているのか、いずれにしても何でもない事のように答えた。

「ええ。お仕事頑張ってくださいね」
「って、ナナミサン。こいつとじゃねーの?」
「ええ。違う人とですよ」

あっさりそう言うと、ナナミは洗濯桶などを片付けだした。

「・・って、ナナミサン。それ、オレ達が知ってるヤツ?」
「ええ。お二人とも知っておられますよ」
「J.D・・は違うよなあ。あいつも仕事だし・・あ、また青いのや抜け道が来んの?」
「フリックさんとテンプルトンくんじゃありませんよ」

ナナミと親しい者で、二人が顔を知っている程度なら、該当者は沢山いる。
名前を聞けば良いのだが、こう堂々と浮気を宣言されては、かえって聞き難いというものだ。
シードはクルガンのそばににじり寄り、上から顔を近づけた。

( オレさあ、抜け道に聞いたんだけどさあ。ナナミサン、マチルダの奴らとも結構仲良かったらしいぜ。あと、緑色のヤツ、ホラ、風の )
( 主力だった敵の名前くらい覚えておきなさい )
( 『抜け道』はオマエが最初に言ったんじゃんっ! )
( 私は彼の名前を口にしたくないだけです )
( ・・オマエって時々、子供みてーなトコあるよな )

小声でひそひそとやるが、こんな調子でちっともナナミのお相手には近づけない。
ヒントを求めるべく、シードがナナミに質問をする。

「ねー。そいつって、オレらより年下ぁ?」
「ええ。お二人よりも年下ですよ」

仰向けになった状態で、男に上から顔を近づけられるのは何となく嫌だったのか、クルガンは上半身を起こした。

( お前はバカですか。そんな質問で絞り込めますか? )
( 絞り込めたもーん。だってナナミサン、オヤジ世代にも人気があったって抜け道が言ってたもーん )
( 気色の悪い話し方をしないでください。それよりも、お前はいつから抜け道と馴れ合っているんですか )
( オレはオマエと違って、あいつの事は結構気に入ってるもーん )

そんなくだらない言い合いをしていると、一人の少年が裏門に続く道からナナミに駆け寄って来た。
庭を自由に出入り出来る人間は限られている。庭師の孫はその一人だ。

「迎えに来てくれたの?」
「いえ、実は、お父さんの仕事が早く終わって、昨日、家に帰って来たんです。それで・・」

少年の父は商人で、年に数回しか家に戻らない。だから、父が帰って来ている時は、少しでも長く一緒にいたいのだろう。
ナナミはキッチンから早起きして作っておいたクッキーの包みを取って来て、彼に渡した。

「良かったねえ。じゃあ、わたしとはまた別の日に遊びに行こうね?」
「うんっ。僕、絶対大きな魚を釣ってみせますから!」

微笑まし過ぎる光景に脱力しつつ、シードとクルガンはまたボソボソとやる。

( 確かに、何処に出しても恥ずかしくないレベルで年下だよな )
( 子供相手に紛らわしい言い方はしないで頂きたいですね )
( 子供相手でもなけりゃ、冗談にならねーじゃん )
( そういう事ではなく、ややこしい言葉など使わず、遊びに行くと言えばよろしいと言って・・ )

ナナミが苦笑しながら戻って来たので、クルガンは言葉をそこで止めた。

「ふられちゃった」
「んじゃ、オレがつきあいましょ」
「いいのよ。暑い季節の内に、ちょっと水辺で遊ぼうと思っていただけだから」
「ナナミサーン。浮気相手がオレじゃ不満だっての?」

大袈裟に傷ついたような芝居をしてみせてから、首を傾げてニッと笑う。
寝不足で赤くなった目は、瞳の色のせいで目立たないだけの事くらい、ナナミにはお見通しだ。
しかし、シードは無理はしない。出来ない事は言わない。だから、こういう時はいつも遠慮しないでいい事も知っている。

「ありがと・・じゃあ、着替えて来ますから、待っててくださいね」
「はいよ」


勝手口から家の中へ入り、階段を上がって行くナナミの姿が、踊り場の細長い窓越しに見える。
クルガンはいつのまにか木陰に移動して、本を手にそれを読んでいた。

「つまんねーの。ちったあ相手してくれよ。オレの危険度は庭師の孫以下かよ」
「冗談につきあうのは苦手なので。ですが、本気になればいつでも相手をしますよ」
「ふーん。そんな余裕かましてっと、また二人で出て行くかもよ?したら、今度は仕事もサボって遠くに行くし」
「捜してみせますよ。その間、二人して仕事をJ.Dに押し付ける事になります。当然、私は全てお前のせいにします」
「つまり、あいつの怒りは全てオレに、ってか?それって、スゲェ脅しだよな」


シードの笑い声を合図にしたかのように、蝉がまた一斉に鳴き始めた。







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(2004.3.10)