「赤い髪のがいただろう?それがシード。奴と、この前、新都で会った。銀色のは、その時はいなかったが、それはたまたまらしい。
 取り次いでもらえなきゃ、俺の名前が使えるかもしれないから。まあ、これは気休め程度に考えておけ」

フリックは手に持っていた一通の薄い封書を、ナナミに渡した。

「うん。二人一緒の所を見た事があるわ。遠くからだったけど、目立つからすぐにわかった。
 ビクトールさんとフリックさんみたいね。それか、カミューさんとマイクロトフさんみたい。どうして男の人って、いつも二人一緒なの?」
「ハハ・・別に、組んでるわけじゃないさ。俺達くらいの年になるとな、自然、いつも一緒にいられるような奴は限られてくるんだよ」

何か・・いいね、そういうの。と、ナナミは少し羨ましく思った。


「お前、相手が相手だから、誰にも言えなかったんだろう」
「うん・・・」
「俺くらい、出来る事はしてやるさ。上手くいくといいな」

頭をぽんぽんと、叩くように撫でる。ビクトールのように、女の子の髪をくしゃくしゃにして怒らせたりはしない。

「あの・・・わたし、バレバレだった?」
「俺には、な。だが、ああいう奴は、自分の仕事と関係ない事は、完全に切り離してしまえるもんだ」

淡々と話すフリックの声が心地良く、ナナミはにっこりと笑った。

「わたしね、自信があるのよ。彼はきっと、わたしの事を覚えてないって。
それにわたし、きっと上手く言えないわ。きっと、上手くなんかいかないわ。でもね、会いたいのよ」
「そうか・・・じゃ、行って来な。人に会いに行く理由なんて、それで十分だろうよ」

フリックもまた、笑ってナナミを見送る。




振り返り、ナナミはパッと走って戻り、フリックに抱きついた。

「それでもやっぱり・・落ち込んで帰って来るから、先にちょっと、こうしていてね。
 フリックさん、すぐに何処かへ行ってしまうもの。わたしが帰って来た時には、もういないもの」
「あの男じゃ、俺も言葉がないな。正直、やめとけと思ったよ。・・・馬鹿だなあって」









『 誘惑 』



ハイランドという名前は、そのままだった。
田舎道、野菜とナナミを荷台に乗せた老人は、もう六十年も変わらぬ生活を続けているという。
あの戦争は、この小柄な老人からは、慣れ親しんだ国の名前すら、奪わなかったのか。
ナナミは荷車の振動に体を預けながら、まだ暗い東の空を見ていた。


朝の市場、荷下ろしを手伝ってから、老人とは別れた。
それでもまだ、夜が明けてまもない時間帯独特の、濃い空気が残っている。
彼女が向かうのは、新都。ここから、五キロ程歩けば着くだろう。


日は少しずつ昇り、すでに周囲は明るかった。
ナナミは通りを北上している内に、迷ったのだ。

(あれ?太陽は、あっち。だからこっちが、北よね。ええと・・さっき、行き止まりの道を引き返して・・それから・・)

ここは、ナナミが思ったよりも、かなり大きな町だった。住宅街に出てしまったナナミは、困った。
目印になる店もなく、豪邸ではないが、品の良い家が並んでいて、ナナミには、どの家も似て見える。
時間は七時頃だろうか、朝食の匂いがあちこちから漂い、ナナミも市場で買ったパンを食べたくなったけれど、
それを口に出来そうな場所が見つからない。

(公園くらい、あると思うんだけど・・・あ、あの人に聞いてみよう)
夜勤明けなのか、たるそうに歩く人影が見えた。逆光に目を細めると、鮮やかな赤毛が目に入った。



(あ・・・!?・・・この人っ、あの人だっ)
そりゃ、驚いた。素直に。
声をかけるのも忘れて、不躾に見つめてしまったナナミだが、声は向こうからかけてくれた。

「あ゛?アンタ、知り合いだっけ?」

そう言って、手をひらひらとさせて、すっ・・と、ナナミの横を通り過ぎた。
ゆっくり歩いているように見えたのに、どんどん小さくなる男の後ろ姿を、ナナミは走って追いかけた。

「あのっ・・シードさんですよね?」
「ハイ、そーですよぉ」

そばまで行くと、ちょっとだけお酒の匂いがした。

「あのっ、く・・く・・・」
「・・・く?」
そこで、ナナミは、今まで一度も、彼の名前を口にした事がない、という事に気づいた。

「あのっ、くる・・・が・・さん、今どちらにいらっしゃるかご存知ですか?あ、わたしっ、決して怪しい者ではありませんっ」

ナナミは、自分でも、真っ赤になっているのが分かった。名前さえ呼べないなんて、思ってもみなかった。

「あー、クルガン?アンタ、ここにいるって事は、あいつの家に行った帰り?あいつの帰りは夕方になるぜ」
「家・・え?この町に住んでらっしゃるんですかっ!?新都じゃなくてっ?」
「・・・・・アンタ、誰?ま、こんな早朝に人ン家訪問する程、非常識なヒトには見えなかったけど、アンタ、知らずにここにいたワケ?」

真顔になると、酔っているようには見えない。でも、小娘相手に本気で警戒する気もないらしい。

「わたし、新都まで歩いて行こうと思って、大通りを北へ歩いてたはずなんですけど、いつのまにか迷ってしまって・・」
「あー、多分、乾物商のトコで左に入ったんだな。オレもこの町に初めて来た時に一回やったわ。で、アンタ、あいつに何か用なワケね?」
「・・・・・・は・・ぃ・・」

ナナミは、明るくて元気な子。そう、皆から言われて育った。自分でも、そう思っていた。
なのに、どうしてこんなに、彼の事となると、いつも通りではいられないのだろう。
(どうしよう・・わたし、本人を前にしたら、絶対、何も言えやしないわ。賭けてもいいわ)

「オレ、今からあいつン家行くから、一緒に行く?夕方まで待てば?」
「え?あ、是非、よろしくお願いしますっ。わたし、ナナミといいます」

幸運だった。
(あの時、フリックさんがなけなしの幸運を、全部くれたのかもしれない)
と、使われずに済んだ封書を撫でながら、結構ヒドイ事を思ってしまった。


+++


ナナミの家よりも、ずっと立派だったけれど、思ったよりも、小さな屋敷だった。
それが顔に出ていたらしく、シードが説明してくれた。

「本人はぁ、一人で住むにはもっと小さくてもいーらしーけど、本とか多いんだよココ。図書館かってなくらい。
 あいつが育ったやたらデカイ家はぁ、長兄が継いでる」

やはり、お酒の匂いがした。

「オレ、何度か行ったけど、あいつのオヤジもジジイもアニキ達もオトートも、みんな同じ顔してやんの。
 食事の時間に、ご一同が集まるだろ?あれにはぁ・・まいったね。
 あいつの現在過去未来を一望してるみたいで、笑いを堪えてるのがツラくてさー。
 でもまあ、何とか我慢して外に出て、廊下を歩いてたら、今度は先祖代々の肖像画がだーっと並んでて・・
 もう、そこで大笑いよ。あれ、笑かしで置いてるとしか思えねーわ」

ナナミはクルガンの話が聞けて(内容はどうであれ)嬉しくて、もっと聞きたいと思ったが、
シードは慣れた様子で門を開け、ナナミを置いて中に入って行った。

「マーサさぁん。開けてぇ」

シードがノッカーを鳴らすと、初老の女性が呆れ顔で出て来るのが見えた。
柔らかい金髪を後ろでまとめて、丸い眼鏡をかけた、少し太めの女性だった。

「ウチはシードさん専用の仮眠所じゃあないんですよ全く・・・。ってまあ、女性まで連れて来るなんて!!」

門の外に立っているナナミを見て、声を荒げたので、ナナミはびっくりした。

「あー、違う違う。この人とはそこで会ったの。行き先が一緒だったから、連れて来たの」

シードは手をぶんぶんと大袈裟に振ると、ナナミにここで待つように言い、マーサと中に入った。

「ちょっとシードさん。行き先が一緒って、あのお嬢さん、ウチにご用なんですか?」
「どうよ?驚いた?」
「驚きはしませんよ。そんなの、三軒先のクールズさん家のお客様に決まってます」
「ところがね、彼女、オレを知ってたワケ。で、あいつが今何処にいるか知らないかと聞いて来たのよ。
 様子から見て、ありゃ、あいつに会いに来たんだろうよ」
「まさか」
「アンタも一言で可能性を打ち消してやるなよ・・・」
「とりあえず、一体どんなご用件か聞いてみましょう。こんな朝早くからなんて急用でしょうから」
「いや、彼女は新都に家があると思っていたらしい。そこへ向かう所を迷ってたんだ」
「ああ・・乾物商を左に行ってしまったんですね」


+++


食堂に通されて、ナナミも一緒に朝食をいただく事になった。勿論、遠慮はしたのだけれど、シードが引っ張って座らせた。
ナナミは市場で買ったパンをマーサに渡し、それも出してもらう事にした。

ナナミのクルミ入りパンと、細く切ったトースト、半熟のゆで卵、少しのサラダ。上等のコーヒーは良い香りで、ナナミの表情もようやく和らぐ。
シードは最初から、コーヒーしか口にしなかった。

「えーと、ナナミさんね。旦那様にご用なのね?どんなご用だか聞いても良いかしら?」

含みのない口調でマーサに問われた。雰囲気が、倉庫を管理していたバーバラに似ている。
しかし、ナナミはどう返事して良いものやら困ってしまった。
ほんの少し前まで、新都へ向かっていたのに、今はこの思いがけない展開なのだから。

「じゃ、質問を変えよう。オレはアンタに見覚えないんだけど、アンタはあいつと知り合いなワケ?」
「いえ・・知り合いではないです。一度会ったんですけど、その・・くるが・・んさんは覚えてないと思います」
「ね、あいつの名前、発音し難い?」
「いえっ!そうではないんです、けど・・」
「じゃ、ちゃんと言ってみて」
「・・・クるがんさん」
「何か違うなぁ・・クルガン、とこうね」
「・・クルがんさん」
「クルガン」
「・ク・・クルガンさん」
「ま、そんなモンだろ。で、奴に会ったら何てぇ(言う)の?」
「こんなじゃ何も言えないかもしれません。今日会えるんだと思うとドキドキしてしまって・・」

ナナミは胸を押えて、深く息を吐き、そして、ハッとまた真っ赤になった。

(こっ・・こっ・・・この人話し易くてついっ・・・・わたし・・わたしってば何て事をーーーーーーっ
 きっと笑われるっ馬鹿かって目で見られる呆れられる挙動不審で追い出されるあああーーーーーっ)

しかし、シードは笑わなかった。



「まいったなぁ・・・ホントにそうだったとはね」

そう言うシードの横で、マーサの目がキラリと光った。

「シードさん、ここは私達が協力してみません?」
「オレ達が?」
「旦那様は見かけはね、悪くないんですよ。あの格式に煩いご立派な家も、ご長男様が継いでらっしゃるから、身軽だし。
 お金も土地もそれなりに持ってらっしゃるし、お仕事もお出来になるし」
「ただ、あいつは、隙がねーんだよなぁ。実はオレ、結構な数の美人さんから相談受けた事あんのよ。
 どうにかしてくれって。でも、どうにかって言われてもなぁ・・」
「ナナミさん、ウチの旦那様の事、気になってらっしゃるんでしょう?ちょっと、頑張ってみません?」

ずずいっと乗出して来るマーサに押され気味になって、ナナミは椅子ごと後ろへと傾く。

「・・・頑張る?」
「ウチの旦那様、手強いですけど、ダメ元でどうです?」
「マーサ・・アンタ、キツい」

ナナミはかわいい。だが、決して美人ではない。年よりも更に幼く見えるので、釣合いという点では難があった。

「今、何かお仕事していらっしゃるの?」
「いえ、わたし、旅から帰って来たばかりなので」
「じゃあ、ここで働いてみない?」
「マーサ、ここは二人も家政婦は要らないだろ?」
「ウチの嫁がね、来月出産予定なんですよ。息子と二人で商売やってましてね、出来れば私もしばらくついててやりたいし。
 でも、ウチの旦那様ってああだから、中々代わりの人も見つけられないだろうって諦めてたんですよ」
「なんだよ、渡りに船だったのか」
「とんでもないっ!私は旦那様がお小さい頃から知ってますからね、こんなチャンスは逃せませんよ。
 二十九と三十じゃ一歳違いで大違いなんですよっ。なのに旦那様は相変わらずだし・・。
 それに、私、第一印象で人を見る目は確かですよ。ね?ナナミさん、どう?」
「どうって、マーサ・・・突然そう言われても困るだろうよ」




それは、拒めるはずのない誘惑だった。会いたかった。もう一度会って、それで終わるんだと思ってた。
でも、何度も、何度も会えるのなら、こんな幸せって、ない。


「あの・・・わたし、ここで、働いていいのなら、そうしたいです」



神様に、時間をもらえたのかもしれない。

(思いはまだ、伝わらなくてもいい。彼が自分を覚えてくれる、そこから始めてみよう。
 明日、フリックさんに手紙を書こう。レオナさんからそれを受け取るのは、随分と先になるだろうけど)


+++


シードは勝手に仮眠室と名づけた部屋で、寝ているらしい。ナナミも別室で、少し休む事を勧められた。
農家に泊めてもらった為、午前四時起きだったナナミは、言葉に甘える事にした。実は二時間しか寝ていない。
「今日はまだお客様だから」と、マーサに案内された立派な客室に戸惑いつつも、質の良い皮張りのソファに体を預けると、
意識はあっさりと遠のいた。


目を覚ますと、日は西の窓から、深く差し込んでいた。体には、軽めの毛布がかけてある。
慌てて、客室の洗面所で顔を洗い、髪と服を整えて階下に下りた。

「ああ、起きたか?マーサは買い物に行ったぜ」

少し、素っ気無い口調だった。話し易かった雰囲気もなくなっていて、ナナミは頭を少し下げただけで、黙ってしまった。
居心地が悪くなって、庭に視線を移すと、門を開けて入って来る人影が見えた。





                ドキ・・     ン

ナナミは鏡を捜した、が、ない。
タタターッとシードに走り寄り、がくがくがくっと、その細身だが大きな体を揺すった。

「シードさんっ、わたし、どこかヘンな所ありませんかっ!?」
「え?あ、別に・・・どこも?」

さっきまで距離を取っていたことなど、もうナナミの頭にはない。
猛将の目を鏡代わりに使った女、ナナミであった。




扉が、開いた。


「早かったな」
「また留守番ですか?ご苦労な事だ」

その声に、ナナミは背中がぞくっとした。彼の声が、好きだった。

「マーサには敵わねぇよ。じゃ、オレは帰るからな」
シードはそう言うと、自分に隠れるようにして後ろにいたナナミを振り返り、にっと楽しそうに笑った。

(え?)

バタン・・と玄関が閉まるのを、ナナミは信じられない気持ちで見つめていた。

(嘘っ・・こっ・・・この状況でおいてかないでーーーーーっ)


シードの連れだと思っていたナナミを見て、当然、クルガンが問う。

「・・・・・あんた、誰ですか?」

「あの、わたし・・は」


そこへ、再び玄関の扉が開き、笑いながらシードが入って来た。

「悪ィー、ちょっとからかってみたんだよ。アンタ、からかってみたくなるタイプなんだよな」
「シード、この人は誰ですか?」
「オマエん家の新しい家政婦さん。まあ、詳しくはマーサから聞けば?」

「わたし、ナナミとい・・申します。どうぞよろしくお願いします」
「ああ、そうでしたか。では、マーサを待ちましょう」
どうやら、まだ認めてもらえないらしい。家の事はマーサが一任されているという話だったが、雇い主は彼だ。



(わたし・・不採用という事も有り得る?)

◆◆◆

(2001.6.15作品)

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