+++ 孵化する心 




あの子は、遠くを見るように目を細めた。
口元は、優しく笑ってた。

そして、


さよならと言った。




わたしたちを繋いでいた様々な感情は、包帯が解(ほど)けて落ちるようにゆっくりとこの身から放たれた。
後には、ただお互いの無事を願う。そんな心騒がせない愛情だけが残った。

そして、わたしは、





わたしは、好きな人に会いに行く。











好きな人に、会いに行くのだ。
















「・・・・夢?」

だったのか、それとも思い出していたのか、気づけばナナミはぼんやりと天井を見つめていた。
夏服の弟。手を振る自分。それを見下ろす視点。
だとすれば、やはり夢だったのだろう。

「夢だとしたら・・・いつから?」

がばっと体を起こし、頭を振る。昨日の事こそが夢かもしれない。
もしシードがいれば、あれは本当だ。本当だ。




「良かった・・いた」

一階の一番奥の部屋。扉をそっと開けると、赤毛の男が体にシーツを巻きつけて眠っていた。
ナナミはシーツの端を掴み、ぐいっと引っ張った。
久しぶりの手応えに満足しつつ、転げ出た半裸の男に朝の挨拶をする。

「おはようございます」
「って、まだ七時前じゃん!?何っでこんな時間に起こすよ?」

時計を見上げて不機嫌に呟き、またシーツの中に潜ろうとするシードを後ろから両腕で捕まえる。

「あのね、昨日、クルガンさんから何か聞いた?」
「何をよ」
「あのね、あのね、昨日ね、わたしがこの家に来た理由とか、訊問状態になっちゃって、それで、その、好きって、白状しちゃったの」

シードは髪をくしゃくしゃと掻いてから、くるりとナナミの方に向き直った。
(せめて告白といえませんか?)と思ったが、シードにもその時の状況は何となくわかったので、それは言わないでおいた。
実際、場所が花畑ゆえに背景こそ花が飛んでいたが、雰囲気はベテラン刑事が横から『カツ丼食うか?』と口を挟んできそうなものだった。

「とりあえず、つきあってみてくれるみたいなの。びっくりした。
 あの人、来る者は拒まずなの?でも、どうしよう。はっきり言って、好きになってもらえる自信なんかないの」

通じてない。全く、通じてない。これまでの彼を振り返れば、無理もない事ではあるけれど。
(あいつ、一体どんな返事をしたんだか)
シードは頭を抱え、呆れ顔で目を閉じた。

「嫌われないようにするのが精一杯な気がする。だから、シードさん、これからもよろしくね」

シードの手を握り、力を込めるナナミの目は真剣である。

「は?オレは何をよろしくされてんの?」

ナナミは手を離すと、自分の指をさすりながら、言い難そうに目をそらした。

「だから、わたし、上手く出来ないから、その、つまり、男の人とおつき合いするのは初めてなのよ。だから、色々教えてね」




「・・・そりゃあ・・イキナリ難しいのが当たったなあ」












二ヶ月後。



昨夜の雪は、朝日に解けた。
例年よりも早い初雪に、クルガンはナナミを連れて家を出た。






「毛皮商が猟師に聞いた話では、動物が例年よりも巣を深く頑丈に作っているそうです」
「この冬は寒くなりますか」

店主とクルガンは窓際に置かれたソファに座り、そんな世間話をしている。



「やはりお嬢様にはこちらのコートがよくお似合いかと」

見立てを任されていた中年の女性店員が、淡いピンク色のコートを着たナナミを連れて来た。
クルガンはさして興味もなさそうにナナミを見上げる。

「気に入りましたか?」

気に入ったし、サイズも合う。
問題は、それがかつての家族三人二ヶ月分の食費と同じ金額だという事だった。
もう背は伸びないにしろ、二十代になっても着られるデザインではない。


(勿体無い)


「どうなんですか?」
「あ・・気に入ったんですけど・・」

ナナミが躊躇うのは、彼女の感覚がまともだったからに過ぎない。
せめて後に譲れる知り合いがいれば良いのだが、この地で知っている自分よりも年下の子といえば、庭師の孫だけである。
トウタに似た可愛い顔立ちとはいえ、女物のコートは着られないだろう。

しかし、クルガンは「気に入った」という言葉を聞けばそれで十分だったらしく、
女性店員に着て帰るので包まなくても良いというような事をつげている。
「ですけど」に続く言葉を発する機会は与えられなかった。









「あったかい・・」

外に出てみると、その防寒力がよくわかった。
決して重くはないのに、冷たい空気からきっちりと身を守ってくれる。


「普通にお話されるんですね」
「普通とは?」
「いえ、あの、あの店のご主人とは、その、普通に・・あの、だから、普通というのは・・」
「私は、ごく普通の人間のつもりですが」
「あの、ヘンな人という意味じゃなくてですね、困ったわ。どう言えば良いのかしら・・」

ナナミは赤くなった頬を両手で包み、焦る。
話が妙に噛合わないのはいつもの事だ。
それは、この先ずっと変わらないのかもしれない。

「とにかく、どんな人でも大好きよ」

一度口にした言葉は、二度目からはすんなりと言えるものだ。
何事も 『最初』 が難しいのだ。困難なのだ。

「それはどうも。私もです」


「・・・・・・え?」

ぽかんと自分を見上げるナナミの顔。二ヶ月目にして、クルガンはようやく気づいた。





「・・・・・あんた、今まで知らなかったんですか?」









(2002.1.10作品)


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