倉庫 Archives

研究室の書き込みの一部を保管してあります。折を見て、もう少し整理したいと思います。

 

(06−07/2004)

 

サウンド・オブ・ミュージック(1965)  投稿者:しばさき  投稿日: 731()165528

 奥田民生の歌を聴いて思い出したわけではありませんが、久しぶりに見ました。

 1938年のザルツブルグ。マリアは修道院で修道女となるべく修行中。しかし感受性が豊かで自然を愛し歌や踊りを愛する彼女は誠実で自由奔放。尼僧たちは手を焼いているが同時に愛されもしている。そんな彼女を見込んで、院長はオーストリアの海軍大佐の子どもたちの住み込み家庭教師に行くように促す。トラップ大佐は7人の子どもに恵まれたものの妻を亡くして、壮麗な豪邸に一人で暮らしていた。子どもたちのいたずらやおてんば、そして大佐のあまりに厳格な教育方針のため、なかなか家庭教師が居着かなかったのだった。

 勇気を出して大邸宅に到着するマリア。正直で快活なマリアに最初は大佐も子どもたちもびっくりするが、子どもたちのほうはすぐになついてくれる。大佐の方針を振り切って、自室のカーテンを遊び着にして、大佐がウィーンに行っている間に、マリアは子どもたちを町へ、そして山や川へと連れ出して遊び、さらに歌を教える。

 ウィーンから戻ってきた大佐は、やはり未亡人である美しい男爵夫人と、伯父で興行も営むマックスを連れて帰ってくる。男爵夫人と大佐は恋仲で、もう一息で結婚というところ。自分の方針とまるで違う子どもたちの姿に驚いた大佐はマリアに首を言い渡すが、男爵夫人とマックスに美しい合唱を聴かせる子どもたちの姿を見て感動し、マリアに感謝して引き続きいてくれるように頼む。妻の死によって忘れられていた(自分自身も歌をかつて愛していたのだ)歌を、マリアが取り戻してくれたことに大佐は感動したのだった。

 歌を通して大佐はめっきり明るくなり、マリアと大佐の間にほのかな慕情が芽生える。おもしろくないのは男爵夫人で、マリアをうまく言いくるめて自分から修道院に帰るようにし向け、大佐との婚約をとりつける。マリアがいなくなり、あまり親しみやすいとは言えない男爵夫人にもなじめない子どもたちは、修道院にまでマリアに会いに行くがかなわない。院長はマリアを呼び出して、「人を愛しても神への愛は減りません」と諭して、戻って運命に任せるように伝える。

 戻って大喜びの子どもたち。大佐の本当の気持ちを見抜いている男爵夫人は鮮やかに手を引き、その夜大佐とマリアは無事に結婚を約束、修道院で結婚式。

 しかしナチス・ドイツによるオーストリア併合が達成され、ザルツブルグにも鈎十字が跋扈する。オーストリアへの愛国心に燃える大佐はあからさまな抵抗を意志を示し、当局にマークされる。兄弟たちがマックスの勧めで出演する音楽祭の当日ハネムーンから戻った大佐とマリアのもと、ドイツ海軍から出頭命令が下る。大佐一家は音楽祭を利用して、国外脱出をはかるのだが。。。

 最初のあまりに美しい丘陵でのマリアの歌から最後のアルプス越えまで約3時間、ひたすら美しく完璧な映画です。それでいて子ども向けのドラマも大人向けのドラマもしっかり盛り込まれ(エレノア・パーカーの男爵夫人はみごとな演技でした)、誰がどう見てもひたすら感動させられる作品です。私が最初に見たのはごくごく子どもの頃で、今回たまたま、たぶん20年とか25年ぶりくらいに見たのですが、冒頭からその美しい画面と歌声に、ジュリー・アンドリュースのイノセンスを絵に描いたようなたたずまいに、ただただ心を揺さぶられっぱなしでした。

 ミュージカルの1つ1つのシーンにしても、また物語の布石にしても、ごくわずかを除いて全てが完璧な脈絡を持っており、その構成にはひたすら恐れ入りました。まさに西洋音楽映画の極致というほかない圧倒的な完成度だと思いました。これの対極にあるのはたとえば「地獄に堕ちた勇者ども」なんかになるんでしょうね。子どもの一人が鈎十字のことを「黒いクモ」の旗、と言っていて、これは言い得て妙だと思います。

ではそんなところで。

しばさき


ソビブル、1943年10月14日午後4時(2001) 投稿者:しばさき  投稿日: 728()112228


 さて、ショアーのボックスセットには、唯一成功したソビブル絶滅収容所での蜂起に関する1本が収められています。ここでの主役は、イェフダ・レルネル。彼は労働収容所を脱走すること8度、いずれも捕まったにもかかわらず、すべて奇跡的に射殺されずに生き残り、その後もチフスなどさまざまな困難の中で生き続ける強運の持ち主です。現在の彼の語り口からも、字幕で言うところの「不堯不屈」の闘志、とても静かですが非情に強靱な精神がとてもよく伝わってきます。「どうせ死ぬのなら餓死ではなく、脱走して撃ち殺された方がましだと思った」というのが彼の言葉です。

 そしてソビブルへ送られたのですが、彼は労働力として志願し「選別」の中に入ることでまた生き残ります。そこから1ヶ月ほどで、ソ連軍人捕虜などを中心とした蜂起作戦の計画に参加、16名のドイツ兵たちのコートの仮縫いというタイミングをみはからい、表題となった午後4時に、ナチたちの予想を完全に覆すようなやり方で、蜂起が始まります。ここに至り、蜂起のスタートとなったドイツ兵殺しの瞬間を語るところでの、レルネルの語りの見事さ、そしてねちっこく質問をすることでより多くを詳細に語ってもらおうとするランズマンとのかけあいの妙も見所です。

 映画はドイツ兵を殺し、監視の数百のウクライナ兵や地雷原を乗り切って杜の中に逃げ込み、泥のように眠ったというレルネルの語りをうけつぎ、ここから自由への冒険が始まるのだ、という形でいったんエピローグへ。。。と思いきや、ソビブルに送られ殺された約25万人以上(ヒルバーグの研究では確実なのは20万人)の人々の移送の日付と移送元のリストが流れ、それをランズマンが読み上げていくという二段落ちになっています。

 ランズマンのインタビューも収録されていますが、冒頭の13分の間、最初の一瞬を除いてレルネルの映像を出さないという手法をとったこと、ユダヤ人たちの阿鼻叫喚をかきけすためにナチが買っていた数百のガチョウの群れを再現して見せた部分へのコメント、そしてラストのリスト読み上げなどについて、老ランズマンが若者のような輝いた目で語っています。

 ヒルバーグの議論が、「抵抗の欠如」という基調でユダヤ人側の反応を語っていることはそれ自体論争となっているのですが、このソビブル蜂起はそういう意味でも、力に対して力によって(といっても、あまりにも圧倒的に不利な状況だったわけですが)行動を起こす、という行動を、SHOAHに入れずに独立して1本にしてみせたことには、意味があると思います。

 ではそんなところで。

 しばさき


ショアーSHOAH(第2部2)  投稿者:しばさき  投稿日: 721()173113


 ショアー、ようやく4枚組の4枚目を見ることが出来ました。

 ここの第1の見せ場は、アウシュヴィッツの生き残りで結局は脱走することになるヴルバと、チェコ系ユダヤ人であるミュラーの証言を交互に見せていくことで、家族収容所から送られてきて、半年後に抹殺されることになるチェコのユダヤ人たちをめぐる状況が語られるところです。ヴルバは蜂起や反乱を試みるため、半年の間は非常に待遇が良かった新規移送者たちの中から抵抗勢力の核を見つけ出し、ある程度まで彼らの中にそうしたグループが形成されていくことになります。しかし確実に彼らの「特別処理」が迫っていることが判明し、抵抗するか否かを決めるタイムリミットが迫ってきます。そこで結局新規移送者のリーダーであったヒルシュは子供たちを慮って苦しみ自殺、蜂起は幻となります。

 ヴルバは、抵抗や蜂起ではなく生存そのものが、そしてそのことによって外側へ状況を知らせ、犠牲者を1人でも防ぐことがもっとも重要である、という判断を苦悩の末に下し、綿密な脱出計画を立てて相棒とともに決行したのでした(彼らが初の脱走成功者)。

 いっぽうミュラーは、結局は彼らの扱いが急遽激烈なものになり、ガス室送りになる最後の瞬間まで、特務班として立ち会います。まさに想像を絶する地獄の経験をしてきたミュラーはここまで本当に努めて冷静に語ってきたのですが、ここでは第2部の1でのボンバと同様、ほんとうに極限の死に立ち会わざるを得なかった瞬間に激しく動揺します。ヒルシュの死を語るときのヴルバもそうでしたし、ボンバの時もそうでしたが、見ていてほんとうにつらかったです。

 第2の主題とも言うべきは、ワルシャワ・ゲットーでの惨状と最終的にその崩壊につながる蜂起に関する証言です。最初の、ポーランドの密使として国際社会に訴える役割を引き受けたヤン・カルスキの回顧ですが、これものっけからあまりにも痛ましい始まり方で、彼の、ひどいポーランドなまりの、木訥ではありますが心情がよくつたわってくる発話によって、ユダヤ人指導者に付き添われてゲットーを見聞した際の記憶をよみがえらせます。ゲットーの跡地をなめるように撮影していくランズマンの手腕も見事です。

 次は、撮影には応じたものの自己弁護に終始するゲットー担当官の次席であったグラスラーの証言と、移送が開始される直前に自殺したユダヤ人評議会議長のチェルニアコフが、それまでの過程を毎日記録していた日記をもとに(ランズマンはグラスラーに日記の記述を示しつつ問い質していきます)した、ヒルバーグの痛烈な分析です。チェルニアコフの日記の記述に対するヒルバーグの解釈と、まさに偽善に満ちたグラスラーの言いつのりぶりが好対照をなしています。最後は44年のワルシャワ蜂起の生き残りたちによる語りがあり、そして最後は再び列車のショットで幕を閉じます。

 ヴルバとミュラーの語りは、厳密には第2期の1の終盤とほぼつながる内容であり、その意味では第2期の2の前半はその続きという形で見ることができ、内容的にはヤン・カルスキの回想以後のワルシャワ・ゲットーの話から話題が切り替わる、ということになりそうです。

 さて、ボックスセットにはもう1つ、ゾビブルの話を独立して取り上げた1編が同梱されていますので、それも近いうちになんとか見たいと思っています。ではそんなところで。

 しばさき


HP更新+ショアー SHOAH (第2部1)  投稿者:しばさき  投稿日: 718()173025


 演習室に「Bob Woodward, Plan of Attack」を掲載しました。気づいた点をただ書き留めた程度ですのでたいしたものでなくて恐縮ですが、何かのご参考になれば幸いです。

 さてショアー SHOAH 、第2部のパート1まで見ることが出来ました。ここはある意味でもっともシビアなところです、すなわち、ズーホメルによるトレブリンカでの殺戮の詳細、そしてその際の床屋としてのアブラハム・ボンバとグラツァールの証言。さらにアウシュヴィッツにおけるヴルバ、ミュラーの証言。これらはトレブリンカ刑務所跡、そしてアウシュヴィッツ刑務所跡(一部は博物館の模型で示される)、列車の映像を見事に編集した映像とのコラージュによって絶大な効果が出ています。

 本で読んでいて気がかりだったのは、アブラハム・ボンバの証言でした。彼は床屋に普通に人が出入りする中で、実際に人の頭を挑発しながら、あの意を決したような、はっきりした大きな声で一歩一歩証言していきます。しかしある瞬間に絶句してしまうのですが、ここは本当に見ていてつらいところでした。しかし彼の表情は安易な泣き顔でも安易な苦悩の顔でもなく、私はこういう人間の表情を今までに一度も見たことがありませんでした。ほんとうにそれは、語るボンバにとって言語に絶するほどつらいことであり、また語らせるランズマンにとってもほんとうにつらいことだったと思います。

 あとの3人比較的冷静で、悟りきったようなミュラー、明るさを失わないよう必死につとめているブルバ、記憶の苦さをかみしめているのが伝わってくる感じのグラツァール、三者三様でした。ここでの刑務所跡や模型で証言の「動き」を再現する部分、これは映画でないと絶対に伝わらない効果を持っていたと思います。ズーホメルの証言も時折引用しながら展開されていくこの部分は、ほんとうにどういってよいかわからないほど圧倒されました。

 そのあと、95%が命を失ったコルフ島のユダヤ人たちの証言があり、ヨーロッパ中のユダヤ人が収容所に送り込まれるようになる、後半の時期の状況が明らかになります。再びラウル・ヒルバーグが登場し、隠し撮りの鉄道ダイヤ編成担当者シュティールの証言や文書をまじえながら、その輸送システムが解明されます。そしてグラツァールたちに戻って、この状況の中でなにをなすべきか、という点に対する当時の必死の思索、そして蜂起の準備へと至る心的過程が克明に語られていきます。「命ある限り希望はある」というミュラーの言葉が本当に重く、心の中にのしかかってきて離れません。

 ほんとうに月並みですが、彼らの言葉を聞き続けていると、今こうやって生きていけるということが、どれほどすばらしく、幸せなことなのか、そうしたことがいかに貴重なことなのか、ということを身にしみて感じています。しかしそれが同時に、「南」を不可視化し外部に置くことで成り立っている先進国の人間の生である、ということも思い合わせると、ここでこうして生きていることとは何なのか、さらに自らに問いを突きつけざるを得ないのも事実です。

 ではそんなところで。

 しばさき


オペラは踊る(1935)  投稿者:しばさき  投稿日: 717()174259


 ドリフトウッド(グルーチョ)は山師系の興行師。彼が目をつけた富豪婦人クレイプール(デュモン)に、オペラに投資すれば社交界に入れると言って、オペラ団の団長ゴトリーブを紹介する。ゴトリーブのバレエ団には売れっ子ラスパリがいる。ゴトリーブはラスパリを看板にしてニューヨーク公演をもくろんでいるので渡りに船。ラスパリの付き人トマソ(ハーポ)をいじめるラスパリはローザに言い寄るがローザは無名の歌手リッキーと恋仲。ラスパリはNY公演で共演することをえさに口説こうとする。

 トマソと親友のフィオレロ(チコ)は一儲けをたくらんで、やはり親友のリッキーを売り込むべくマネージャーに就任。ラスパリと契約しに来たはずのドリフトウッドをうまくだましてリッキーと契約させてしまう。
 
 というわけで、なんだかんだあって、ドリフトウッドはクレイプールの後見人という形で一行と一緒に船でアメリカに向かう。ところがドリフトウッドの荷物に潜り込んで密航をはかったのがフィオレロ、チコ、ハーポだった。彼らはソ連の英雄飛行士の3人組になりすまして無事に上陸!言い寄ってローザを困らせるラスパリを蹴散らし、密航を追いかける警察をまき、と大健闘。ところがドリフトウッドに愛想を尽かしたクレイプールはゴットリーブと組んでドリフトウッドたちを追放してしまう。そして始まるNY公演(もちろんメトロポリタン歌劇場で!)。ドリフトウッドたちは一気に逆転をはかるべく、まずはゴットリーブのオフィスに乗り込み、ラスパリ主演、ヒロイン役ローザで開演したトロヴァトーレへ突撃開始!

これまた伝説となった、契約書のボードヴィル、船出の際の美しいAloneの熱唱(アラン・ジョーンズとキティ・カーライル)、まさに喜劇史上最高の名場面の1つである、すし詰め船室、船上でのミュージカルとチコ&ハーポの名演奏、家宅捜索に来た刑事を混乱させるベッド運びのシーン、そしてラストのミュージカルでの大混乱など、サルバーグのすばらしい監修のもとMGMらしいあでやかさを失わずに最後まで楽しく豊かな作品に仕上がっています。私が一番最初にみたマルクス兄弟の映画はたしかこれで、本当にうっとりと楽しい気分になりました。

オーディオ・コメンタリーもつき、メンツは「一番乗り」と同じですが兄弟の歴史もしっかりふりかえったドキュメンタリーもつき、さらにマルクス兄弟と関係ない短編までついていて、非常に充実しています。

ではそんなところで。

しばさき


HP更新+ショアー(第1部) 投稿者:しばさき  投稿日: 715()211630


 朝永三十郎論、および山下本書評の本文を公開しました。解像度を落としてあるので見にくいかもしれませんが、ご容赦ください。

 さて、既に書籍では読み、またランズマンが依拠し映画の中にも登場する、ヒルバーグの本も夢中になって読んだのですが、ショアー、ついに日本語版が発売されました。細かい感想はまた後日書くとして、睡眠時間を削ってなんとか第1部の2枚まで見終わりました。この人物はきっとこういう感じだろう、という印象を漠然と持っていたのですが、アブラハム・ボンバはもう少しおとなしそうな人かと思っていたのが意外と違っていました。

 また、ポーランド語やヘブライ語の場合、ランズマンがフランス語で質問し、それを通訳の女性が訳し、相手の答えをまたフランス語に戻す、という作業があり、それをさらに日本語の字幕で見る、という流れなので、さまざまな言語が様々に飛び交う結果、よけいに言葉の重みや意味を深く理解出来るような気がします。といっても私がなんとかわかるのはフランス語と英語だけなのですが。。

 それから、隠し撮りのシークエンスは思った以上にスリリングでした。また、ビアホールでの取材はある意味「ゆきゆきて、神軍」を彷彿とさせさえするものでした。

 もう少し淡々とした演出かと思ったのですが、ランズマンは意外なほど、語りと映像をかみ合わせる術を非常に巧妙に使いこなしていたのが印象的でした。それは機関手や副転轍手への取材の際や、前編に渡る機関車の巧妙なモンタージュ、収容所跡と語りの見事なまでのかみ合わせなどに現れていると思います。第1部の後半(2枚目)はポーランドの人々の語りが中心ですが、それに加えてアウシュヴィッツで初めて焼却処理をやらされた時の証言や、人々をだます「消毒」というナチの手管、ヒルバーグが自己の議論をあまりに鋭く要約してみせる語り、そしてラストのトラック改造に関する残酷なまでの冷酷さなど、息つく間もなく見終わってしまいました。

 Plan of Attackの中で、エリ・ウィーゼルが03年の1月末にブッシュを訪ねて、フセイン政権を武力で倒すべきだ、と力説した、という話がとても印象に残っていますが、それも考え合わせながら、少しずつ見ているところです。

 ではそんなところで。

 しばさき


HP更新+マルクス一番乗り(1937) 投稿者:しばさき  投稿日: 711()120853


 演習室に「フェミニズム・ジェンダー・セクシュアリティ」を公開しました。業績に「朝永三十郎と『カントの平和論』」を掲載しました。後者は後日公開する予定です。

 さて、マルクス兄弟のボックスセット、既に「我が輩はカモである」「けだもの組合」「ご冗談でショ」のセットはその一部をご紹介しました。今回はMGM時代の傑作集のボックスから、彼らの最後の傑作と言われた「マルクス一番乗り」です。

 倒産寸前のサナトリウムに宿泊する大金持ちの夫人アップジョンは、資金提供の条件に、信頼するハッケンブッシュ(グルーチョ)を医長にすることを条件として持ち出す。グルーチョは実は獣医で、ばれると当然追い出される運命にある。サナトリウムを奪ってしまおうとする金持ちと内通する事務長は、なんとかしてハッケンブッシュを追い出そうとする。サナトリウムの所有者である若い娘ジュディーには売れない歌手の恋人がいたが、彼は競馬ハイ・ハットを貯金をはたいて買い、レースの賞金でサナトリウムを救おうとする。これに手を貸すのが騎手のスタッフィー(ハーポ)、運転手のトーニ(チコ)だった。

 で、ここから先はいつもの通り神業的なボードヴィル芸とドタバタコメディの連発で、最後は丸く収まってしまうという王道パターン。サム・ウッドの演出は、完全な狂気のアナキーが心地よかったそれ以前の作品をやや穏健で受け入れやすくする効果を出していて、バズビー・バークレー的なレビュー、歌、ミュージカル的なシーン、さらに黒人の老若男女総出演で、ハーポの笛に合わせて爆発するジャズ・ミュージカルまでふんだんに盛り込み、実に豪華な作品に仕上げています。

 ほとんど神話となっている、グルーチョとチコのアイスクリーム売りのシークエンス、正体がばれないように声色と内線電話で事務長を混乱させるグルーチョ、チコの絶妙なパントマイム、三人が入り乱れる強烈な「診察」シーンなどなど、これぞマルクス兄弟の神髄、という部分がたっぷり味わえます。もちろんチコのピアノ、ハーポのハープ(ピアノからハープへ転換するところは実に鮮やか)も楽しめます。

 さて今回のボックス、特典映像がいろいろついています。この「一番乗り」ではマルクス兄弟と関係のない短編がいくつか、そしてこの作品に焦点をあてた30分ほどのドキュメンタリーが入っています。このドキュメンタリーが、「反体制映画」としてのマルクス兄弟のエッセンスをうまくとりあつかい、サルバーグ死後のグルーチョとMGMサイドとの確執などについてもよくわかります。チコが見た目とはまるで別の色男で、「信号で女性と隣り合わせになって、次の信号までにモーテルがあったらいなくなってしまう」と言われていたのはちょっとびっくりでした(笑)。

 それにしてもこれだけナンセンスでありながら、権力を徹底して笑い飛ばす「反体制」性を健全に持ち合わせる、というのは確かに並大抵のことではないと思います。「独裁者」よりもむしろ「我が輩はカモである」の方が歴史を越えてしまいそうな所を持っているかもしれない、と思わせるほどなものを持っているのはなぜか。これはマルクス兄弟を見るときに常に考えさせられることです。1つはコミュニケーションが過剰であったり過小であったり、言葉でなかったり、イタリア鉛であったり、早口であったり、通常の受け答えでなかったりというところにあるのかなあ、とも思います。

 ちなみにドキュメンタリーでは、マーガレット・デュモンをしっかりほめていてくれたのがうれしかったです。いわばチャップリンにおけるエドナ・パーヴィアンスのような存在といって良いのですから、もっと評価されていい人だと私も思っていました。

 ではそんなところで。

 しばさき


ローマ教皇、動く イラク戦争とバチカン外交(2004)  投稿者:しばさき  投稿日: 626()155127


 今回のNHKスペシャルは、84歳になりパーキンソン病に苦しめられながらも不屈の闘志をみせるヨハネ・パウロ教皇の指導のもと、世界に11億人の信者を持つ、世界で一番小さな国の一つであるバチカンが、イラク戦争を止めるべく必死の外交を試みた姿を追った力作でした。

 基本的には2003年初旬の開戦前夜における、イラク・アジズ外相と教皇との会談を1つのクライマックスにした(これが実現したのは、カトリックにとっての平和の象徴の土地であり、教皇が平和の祈りを行ったアッシジの1神父の活躍によるもの)、イラクへの呼びかけ、国連への呼びかけ、アメリカへの呼びかけとそのあり方を描いています。

 戦争が始まっても頑として閉鎖を拒み、宗教を問わず救済活動を行い、世界に平和のメッセージを伝えたバクダッドのバチカン大使館。国連へ平和のメッセージを伝え、メキシコを中心としたカトリックの多い南米諸国へ態度決定へ少なからぬ影響を与えたこと、ブッシュ大統領への働きかけなど、政教分離、主権国家の原則によって、基本的に決定することはそれぞれの国家の自由であるとしながらも、教皇、そして彼をささえる枢機卿たちの信念に忠実に従った勇気ある行動が紹介されています。

 神の名の下に戦争を正当化しがちなブッシュやフセインに対して、同じく神の名の下に平和を推進しようとするバチカン。しかし十字軍や、番組では紹介されなかったホロコーストなどの過去へのコミットに対する反省を経た上で、1962年に開催された第2回バチカン公会議を1つをきっかけに、世界平和への積極的な姿勢を見せるようになっていったわけです。さらに、東側に属していたポーランドのクラクフ司教であったヨハネ・パウロ2世が教皇となったことは冷戦構造下には大きな意味を持ち、また「連帯」への支持をはじめとする教皇自身の精力的な活動がさらにバチカン外交の影響力を高めていったこと、などもしっかり紹介されています(ヨハネ・パウロ2世については、去年だか一昨年に教育テレビで2回にわけてやった海外製作の番組がよかったです)。

 ナレーターの国井氏の声も非常に力がこもっており、宗教という信念のもとに活動するバチカンの人々の姿がよく伝わってくる感じがします。特にメキシコにおけるヨハネ・パウロ2世に対する崇敬の念の深さを伝えるところやヨハネ・パウロ2世の演説を聴き涙する人々の姿は強く印象に残りました。欲を言えばもうすこしヨハネ・パウロ2世の背負った個人的な歴史的背景や、バチカンの成立過程と第2次世界大戦のかかわりなども入れられるとよかったのかもしれません。

 ではそんなところで。

 しばさき


ナージャの村(1997)  投稿者:しばさき  投稿日: 620()000720


 チェルノブイリの北にあるベラルーシのドゥヂェチェ村。原発事故の汚染の結果、周囲の村の多くが立ち退きによって廃村となり消えてしまった一方、この村には6家族が暮らしている。多くは年寄りだが、8歳のナージャの家は三人娘を中心にした大家族。健康は心配ないが子どもの教育が心配だという母親、製材所で働きお酒を飲むと陽気で無骨に歌を歌うお父さん。映画は彼女たちを中心にした6家族たちの生活を淡々と描く前半と、学校のため父親を残して町へ引っ越した後(その後もちょくちょく帰ってくる)の後半、という構成になっています。

 82歳のチャイコバーバが白山羊をつれて歩き、作物や家畜を慈しむ姿を筆頭に、ひたすら静謐に、村の四季折々の生活風景がつづられていき、事故に対する告発めいた調子はまったく出てこないところがこの映画の特長でしょう。一歩間違えると単なるベラルーシの田舎村の生活誌を記録した映像にすぎないような気もしてきますが、そうした穏やかで完結したかに見える世界が古くは第2次世界大戦で大量の人がナチスに殺され、また戦争終盤では追撃するソ連との戦いの場となったこと、そしてそれから40年後にチェルノブイリ事故によって人が住めなくなり、立ち入り禁止区域にされながらも昔ながらの生活をやめようとせず、自然を愛し故郷を愛する姿であることが徐々に伝わってきます。

 小沢昭一の必要最低限に徹底したナレーションもよいですし、写真家としての資質がさせるのか知りませんが、ドキュメンタリータッチに物語を作ろうとせずに淡々と映像詩を積み上げていく感じの演出も、それなりに効果をあげているようです。とはいえ、この状況が何をどう意味しているのかは、少なくともう少し的確な情報として、年表なり地図なりを使って説明をしておく必要があるのではないかと思います(もちろん、それをムーア風な味付けで過剰に演出しない方がいいとは思うのですが)。

 それは事故そのものがこの地域にもたらした意味、というだけでなく、生活誌的な描写に対しても言えることのようです。確かにじっくりと人の動きを撮影して(たとえば終盤のウォッカ作りなど)、それが一段落してからその作業が何をどう意味するのかを小沢昭一がちょこっと伝える、というのは1つの手法として成功しているのですが、たとえば「豚を殺した」という話にしてももう少し説明を加えないと、撮影した側が映像を通して受け取った意味や感興が、鑑賞する側に上手に伝わってこないような気もします。

 たとえばこの映画を教育の場で見せるときに、そうした部分についてはこのまま見せただけでは伝わりにくく、前後に説明をしないと行けなくなってしまうことになり、それで時間を食うことで見せる時間が減ってしまったりすることになります。その辺もう一息工夫があっても良かったように思いました。

 ではそんなところで。

 しばさき


21世紀の潮流 アメリカとイスラム 第1回 カリブの囚われ人たち(2004)  投稿者:しばさき  投稿日: 616()101252

先日放送のNHKスペシャルです。

キューバの南東部に位置するアメリカのグアンタナモ基地。テロ戦争以後、アフガニスタンやパキスタン国境近辺を中心に、テロと関わっていると思われる人々を次々と拘束していき、裁判もないまま徹底した尋問により追求が続けられていることで知られています。拘束された人の数は742人、釈放されたのが147人、現在は595人が収容されているとのこと。この番組は2年近くの期間にわたる取材をまとめたものです。

クローズアップするのはグアンタナモの日常(それが現在キャンプ・デルタと呼ばれるようになる変容過程)、こうした予防拘束を可能にした大統領令、そしてクゥエート人を中心とした家族と本人の赤十字を通した手紙でのコミュニケーション、釈放された男性へのインタビュー、さらにその男性の言及する、ボスニア・ヘルツェコビナをはじめとする紛争地域での活動を行っていて拘束された男性の話などです。

グアンタナモに関しては、番組でも紹介されていた連行時の虐待的な拘束などはよく知られていましたが、今回は檻の中の風景を遠巻きに撮影(人物の顔を写すことは当局が拒否)したり、またキャンプ・デルタ化してからは独居房の内部、尋問室なども取材しており、これらと担当する司令官たちのいかにも軍人らしい態度のコメントが印象に残ります。

家族たちや本人たちの話ですが、こちらは以前拘束され、強制送還されたアラブ系の人々の話を扱ったNHKスペシャルを思い起こさせるものがあります。ここでは、国を問わず同じイスラムの人間として助け合わなければならない、という教えに依拠してトランスナショナルに活動していた人が、まさにそうしたトランスナショナルな結びつきの中に関与していたが故に、テロリスト・ネットワークとの関わりを疑われていく、という構図がとてもよくわかります(イスラム的世界観とトランスナショナリズム、という論点を国際関係論的にどう考えるか、ということもあります)。その背景には、トランスナショナルなつながりはそれ自体時と場合に応じていろんな目的や役割を同時に、渾然として形ではたしてしまわざるを得ない、という、スパムやウィルスなどインターネットにおける攻撃と同型の状況がある、ということになるのでしょう。

更に言えばネットワークの一部をグアンタナモのような形で切り取って情報を集めたとしても、まさにインターネットの原型であるARPA-NETが作られた目的がそうであったように、常にそのネットワークは新たに構築されてしまうようにも思えますし、それを徹底的に統制するならば世界全体のヒト、モノ、カネ、情報(DNAに至るまでのすべての個人情報も含む)のネットワークのすべてを管理し、監視せざるを得ない、という発想にも行き着きかねないような気もします。グアンタナモの囚われ人たちがすでにDNAレベルまでのあらゆる個人の識別情報を取られていることは、最近のアメリカの入国管理のやり方と同様、そうしたdesert of the realの世界を予兆するものなのかもしれない、と拡大解釈したくなる気持ちも出てきてしまいます。

さて私は個人的には、手嶋支局長がどちらかというと常に慎重過ぎるような姿勢でコメントすることが多かったような印象が見た限りではあったのですが、収容者たちの家族が訴訟を起こしたという映像のあと、彼が先ごろ亡くなったレーガンが第二次大戦中の日系人の強制収容所への収容を50年後に批判し謝罪する決議にサインしたことを紹介して、同じ過ちを現在繰り返していないと本当に言えるのか、という趣旨のコメントをしていたのが印象に残りました。収容所とは何か、という考察はいろいろな人がしていますが、グアンタナモにせよアブグレイブにせよ、やはり日本からの視座としては(むろん過去の自国の罪責を棚に上げて良いというわけではないですが)、日系人の強制収容の話を重ね合わせてアメリカをとらえていくことは重要ではないかと思うのです。

序盤から中盤の編集若干ぎくしゃくしている感じもあり、またやや詰め込みすぎの感もなきにしもあらずですが、力の入ったいい作品でした。

ではそんなところで。

しばさき

 

 

現金に手を出すな(1954) 投稿者:しばさき  投稿日: 611()235035


 初老にさしかかった大物ギャングのマックス。20年来の相棒リトンと組んで盗み出した5000万フランの金塊を元手に、すっかり足を洗うつもりでいた。しかしリトンが手を出した若い踊り子ジョージーに金の話をしてしまったことから、ジョージーと出来ていたアンジェロが仲間を動かして金塊を横取りしようとする。間一髪で彼らの手を逃れたマックスはリトンをこれも間一髪でアンジェロの手から逃れさせ、隠れ家で自分たちが狙われていることを打ち明ける。

 自分の軽率さと、入れあげていたジョージーに裏切られたのとでアンジェロに復讐しようと思うリトンは、マックスが金塊を現金に換えに行く間に隠れ家を抜け出して自分の部屋に戻るが、そこをアンジェロたちにおそわれて拉致させる。マックスはジョージーと買収されていたクラークを詰問し、状況把握につとめる。その一方で愛人のベティと楽しみつつ、普段は親分気取りだがどこか間の抜けたリトンに情けをかけてやってきた自分を振り返ったりする余裕もある。さてそれからマックスはなじみの女将ブーシェの店で目をかけていた若者マルコを仲間に引き入れ、アンジェロの子分でマックスたちを尾行していたラモンを逆に捕まえて、やはり数十年来なじみのキャバレー店主ピエロのところへ連れて行く。

 そこにアンジェロから金塊とリトンを交換しろ、という交渉の電話が入り、夜中の人気のない郊外の道路でいざ交換となるのだが。。。

 ギャバンの映画の中で個人的に一番思い入れがあるのは「港のマリー」なんですが(DVDになかなかならないですね)、これもかなり好きです。ジャック・ベッケルの乾ききった演出、寄る年波を感じざるを得ないマックスとリトン(ルネ・ダリー)のリアルな所作(秀逸なのは隠れ家で二人が過ごすシークエンスでしょう。ラスクを肴に酒を飲み、パジャマに着替えて歯磨きをするところは何度見ても最高です)、まだ小娘だったジョージー役のジャンヌ・モローはさすがに芝居が固く、アンジェロ役のリノ・ヴァンチュラもここからどんどん脂がのっていく、というところでしょうか。

 個人的には最後の最後までマックスを支え、助けるピエロ役のポール・フランクールの安禄山ばりの大活躍と彼の妻の存在感のすばらしさ、そしてなじみのレストランをやっているブーシェの女将の気丈ぶり、叔父でマネーロンダリング担当の老人の一筋縄でいかないひねくれぶり、などがたまらなく好きです。ハリウッド超大作的な映画史か知らないと「ちゃちい」ように見えるかもしれないアクション・シーンも、ベッケルの切れ味鋭い編集(車のドアの開け閉め、エレベーターの昇降、ドアの開閉、階段の上り下りなどなどでリズムが絶妙に出ており、また登場人物の背景にいる人物やモノや看板の文字の動きなどのタイミングも完璧。クライマックスのあの車の蛇行はすごいです)が全体を支配しきっているために、日常生活からほんの一歩踏み出たところにある、リアルで本物の緊張感を出し切っていると思います。

 冒頭からラストのリトンの死とブーシェの店での食事まで、何度となく繰り返されるテーマ曲がヒットしたことでも知られるこの映画、「三つ数えろ」に勝るとも劣らないクールでタフな余韻に浸りきれました。たぶん12,3年前に1度見たきりだったのですが、その頃の強烈な印象があって、いつか必ずもう一度じっくりと、と思っていたので、DVDで見ることが出来てとてもうれしく思います。

 なお、ちなみに「ゴルゴ13」で、「マックス」という刑務所上がりのギャングが銀行強盗をやろうとする話がありますが、この映画へのオマージュ的な要素があるのかもしれません。

 ではそんなところで。

 しばさき


「ヨーロッパ・ピクニック計画 こうしてベルリンの壁は崩壊した」(1993) その2 投稿者:しばさき  投稿日: 6 9()111128

 番組ではその後の展開を紹介し、4年後の登場人物たちを簡単に追っています。私はこれをリアルタイムで見た記憶がありますが、そのころ気づかなかったことをたくさん発見しました。

 萩原流行のナレーションは最初冷静さと持ち味のバタくささ(悪口ではありません))が変な感じで同居していてやや耳に引っかかってしまうのですが、時間を追うごとにその調子が熱をおび、またさまざまな登場人物の吹き替えと混ざっていくなかで徐々になめらかになっていって、意外なほどによいです。

 この番組自体の評価は、マルチアーカイバルな資料収集、政治家のレベルでの交渉過程や政治家の心象風景の再現と、ハリーやシュテフィーなど個人のレベル、それを助けようとする非政府の人々などの動きを実にうまく組み合わせて、この大きな時代の流れを描ききっているとという意味で大変優れた作品ということができるでしょう。こうした多様な立場、多様な国家、多様な主体の複雑な関わり方を整理して映像でわかりやすく伝えるのは至難の業だと思うのですが、国際関係の複雑さを一目で知ることができるという意味でもこの番組は評価できます。

 国際政治の流れはもちろんですが、カルドアも指摘する東欧でしぶとく続いていたソ連からの自立と自由化・民主化への願いがハンガリーで現実のものとなっていく、ネーメトたちの情熱のほとばしりを感じさせる動きが生き生きとしています。あえて秘密裏に、非公式に、また抜き打ち的にと、時と場合に応じて最善を選択しようとする政治家の極限の判断とそのせめぎ合いのすさまじさをたっぷりみせてくれます。

 ピクニック計画に関しては、文化交流論的に見ると大変意義深いものであると思います。ハプスブルク家と教会、という、共産主義政権であっても不可侵に近い勢力と民主化グループという非公式な主体の活動(とそれを表立ってではなく支え、よい意味で利用しようとしたネーメト政権の関係)、交流すること、国境を越えてヒトとヒトが移動し、かかわりあうことが国際関係ばかりでなく国際政治にもたらすインパクトの大きさ(動く国際関係が動かない国際関係を変えてしまう)。冷戦期の文化交流というものが持たざるを得なかったさまざまな制約やあるいは冷戦期だからこそ持ってしまう意味とは何か、などといった、これ以降、そしてこれ以前の文化交流現象が持つさまざまな特質の双方を、ここから考えていくことができそうです。

 また、越境を希望する東ドイツ人たちの急増という現象がいわば外圧的に政策変更や政策立案をもたらしてしまう、という、構造が行動によって突き崩されてしまうという、構造決定論的な社会理解が破綻していくプロセスの意味(現象先にありきであり、枠組が先にあるのではない、など)、など、議論の材料は尽きません。

 まさにこの時期でなければ作れない、制作側の熱も伝わってくる渾身の一本と言えるでしょう。ただその分だけ、冷戦期のヒトの移動の制限や冷戦自体の歴史をもう少し、示しても良かったのかもしれないな、と思いましたが、これはこの当時前提され想定ている視聴者の一般的な記憶のレベルが現在と違うために、そう思うだけなのかもしれません。

 ではそんなところで。

 しばさき


「ヨーロッパ・ピクニック計画 こうしてベルリンの壁は崩壊した」(1993) その1 投稿者:しばさき  投稿日: 6 9()11104

「ヨーロッパ・ピクニック計画 こうしてベルリンの壁は崩壊した」(1993)

 アーカイブス、とても懐かしい番組であり、またここ10数年のドキュメンタリー番組の中でも最高の作品の1つと言える番組の登場です。今はかなり知られるようになってきましたが、番組の冒頭で加賀美さんが信夫先生の手紙を紹介したように、教育面でもこれを見せることの効果はとても大きいと思います。

 舞台は1989年の東欧ハンガリー。首相ネーメトはホルンやポジュガイと協力して、ハンガリーの民主化を推し進めようとする。1956年のハンガリー暴動の弾圧の傷は深かったが、その後もハンガリーはしぶとく民主化を少しずつ推し進めてきたのだ。アメリカ留学経験のあるネーメトは、ゴルバチョフからの暗黙の支持をとりつけて、国境の鉄条網を撤去する。

 こうした動きと平仄を合わせて、オットー・ハプスブルクと民主化組織のリーダーの1人フィリップ・マリアは、国境の町シェプロンで、東西市民の交流を行うピクニック計画を計画する。西側へ出ようとする人々の中には、入党を拒否し監視下におかれていたハリー一家がいた。彼らは幸運にも助けられて、東ドイツからなんとか同じ仲間のいるハンガリーまで脱出してきたのだった。ピクニック計画を陰に陽にサポートするネーメトたち。ついに8月19日、ピクニック計画は成功、1000人以上の人々が西側へと脱出し、ハリーたちもそこに含まれていた。

 この動きが大きなうねりを生み出し、ハンガリーは着々と国境全面開放へ向けて動き出す。しかしこれはホーネッカー率いる東ドイツとの国交断絶の危険性があり、さらにあまりに急ぎすぎればゴルバチョフ体制が崩壊し、保守派が巻き返したソ連が再び武力で弾圧をはかりかねないという危惧があった。ハンガリーには6万、そして東ドイツには実に40万のソ連軍がおり、ソ連の命令によっていつ何をするかわからない状態だったのである。ブッシュ政権はこうしたことから、あまりソ連の保守派を刺激過ぎないように、支持を表明しつつも慎重な体制を保っていた。

 東ドイツからハンガリーへのヒトの流入はとまらない。彼らは、子連れで亡命をはかったシュテフィーのように国境では警備隊に阻止されたが、強制送還はされず、民主化グループが拠点とするズグリゲット協会に集まった。このキャンプは西ドイツも密かに支持し、協会内では彼らのために西ドイツのパスポートを発給する作業が進められていた。

 8月末、ネーメトとホルンは密かに西ドイツへ飛び、コールとゲンシャーとの会談に望む。国境全面開放を告げたネーメトに対して、何か見返りを望んでいるのか?とコールは聴く。ネーメトはこれは良心と人道に基づくものであり、なにも望んでいないと答えた。これに対して堅忍不抜で知られるコールは取り乱し、涙を流して感謝を述べ、さらなる全面協力を約束した。さらにホルンは東ドイツへ飛んでフィッシャー外相と会談、最後通告となりかねない国境開放を宣告。

 9月11日(!)、ホルンはテレビのインタビューに答えて突然、抜き打ち的に、ソ連にも知らせずに国境開放を宣言し、ついにハンガリーは国境を全面的に開放した。これが冷戦終焉の決定的な幕開けとなり、シュテフィーたちズグリゲット協会に集まっていた人々も脱出した。

 ホーネッカーはこうした動きが持つ意味を理解せず、10月7日の建国記念式典で巻き返しをはかろうとするが、ゴルバチョフはこの場で事実上ホーネッカーを見捨てる態度を示した。ソ連はドイツ統一を不可避と見ていたが、できるだけソ連に有利なように導こうとしていたのである。これによってホーネッカーは直後に解任され、クレンツが指揮をとるが、国内では内乱寸前の市民のデモが行われる。11月に入ってクレンツが出そうとした政令は、自由な移住の許可を認めるものだったが、官僚たちがそこに自由な旅行が可能となることを書き加えた。これは事実上の国境開放を意味するきわめて重大なものだったが、混乱状態だった閣議でよく確認されることなく承認されてしまい、さらにその会議に出席していなかったプレス担当の閣僚もよく内容を確かめずにそのまま記者会見で発表。そして11月9日午後11時、28年間で588人が越境しようとして射殺されたというベルリンの壁が崩壊するのである。(続)

 

 

(08/200306/2004)

 

プロミス(2001) 投稿者:しばさき  投稿日: 6 5()121726

 ジャスティン・シャピロ、カルロス・ボラド、B.Z.ゴールドバーグの3人が共同監督し、100人以上の子どもたちに取材し、最終的に7人に焦点を絞って、足かけ5年近く撮影、編集に2年を費やした作品です。イスラエルとパレスチナの子どもたちの生の声を、その生活環境のともに見事に描き出し、最後にはユダヤ人の双子をデヘイシャの難民キャンプに連れて行き、子どもたちとの交流を実現したことでも知られます。世界中で上映され、「ボーリング・フォー・コロンバイン」の前にオスカーの長編ドキュメンタリー賞にもノミネートされ、各国の賞も数多く受賞した作品です。

 イスラエル側の子どもとしては、世俗で一般的なユダヤ人を代表する双子のヤルコとダニエル、ユダヤ人入植者であり知り合いをテロで殺されたモイセ、正統派ユダヤ人で聖職者の道をまっすぐ進むシュロモが中心です。このほかにも彼らの兄弟姉妹も取り上げています。でも、交流に関心や興味を持ったのは結局ヤルコとダニエルだけで、他の子ははなからそうした可能性を拒んでいるのが印象に残ります。

 パレスチナ側の子どもは、旧市街のイスラム教地区に住むコーヒー店の息子でハマス支持者のマハムード、デヘイシャの難民キャンプに住む、やはり親友をインティファーダで5歳の時に目前で射殺された陸上が得意なファラジ、父親がPFLPの地域指導者兼ジャーナリストで、有名なアシュケロン刑務所に収監されている、踊りの得意な女の子サナベル。このほかにもサナベルのお姉さんや、ファラジの友達で弟を殺された子もクローズアップされています。

 構成的にはまずは一人一人の状況を丹念に追っていき、徐々にお互いの側の情報を与えて、会うことを強制するのではなくて、自然な流れの中で、ヤルコとダニエルが「会いたい」と言いだし、それを受けてパレスチナの子どもたちが話し合い(この話し合いも心打たれます)、強硬に反対していたファラジが最後は一番積極的に(彼がB.Z.にヤルコたちに電話をかけてくれと頼み、コミュニケーションが成立するシーンは白眉です)受け入れのホストになっていく、という風に進んでいきます。ラストが2段構えになっていることもとても見事です。

 この三人の監督の作品スタイルは淡々としており、これみよがしに大向こうを狙うような演出はいっさいしません。しかしそこに一本通っている強い意志をひしひしと感じます。編集センスもリズム感があって、物語としての求心力をよく出しています。ファラジとおじいさんが50年前に追い払われた村の跡地を見に行きたいということで、自分の車にのせて検問を通過していくB.Z.も、自分の手柄を誇るようなことはまったくないところにとても好感が持てます。付録のインタビューではB.Z.とボラドがしゃべってくれますが、二人とも実に誠意のある、謙虚な態度で頭が下がりました。

 確かに和平プロセスがそこそこ順調にいきつつあった時期の撮影だからこそ可能だった、という気がします。映画では取材の2年後の彼らも最後に出てきますが、さらに3年ほど経って、さらに状況が悪化している現在、どう暮らしているのでしょうか。 

 インタビューでB.Z.は、6,7歳の頃から子どもたちはお互いに対する憎悪を強く持つようになる、と言いますが、これはやはり身近に人が殺されたりする経験や、家庭や学校の教育、そして如実に実感せざるを得ないそれぞれの社会の緊迫感や閉塞感がそうさせてしまうのでしょう。その意味でこうやってわずかではあれ子どもたちを会わせてあげることは、「交流させる」ことの成果や効果よりもむしろ、今の状況の中でそうした交流の場を立ち上げることの困難さを示す結果になったという意味で、意義のあることだったと思いました。当然、恒常的な交流が存在しない場合、こうした一過性の試みはいずれ断絶した日常の中でかき消されてしまう部分が大きいですし、さらに成長していく中でその試みという過去は、それを経験した人の受け止め方によってもまったく別の意味を持つようになるわけです。そうした交流することが持つさまざまな難しさや複雑さを思い知らされる映画でもありました。

ではそんなところで。

しばさき


フォークということ(2004)  投稿者:しばさき  投稿日: 6 2()123731

HPもここも、夏風に模様替えしてみました。

フォークということ(2004)

先月放送のETV特集です。「タカダワタル的」は見ていないのですが、今回は高田渡と高石友也の2人を追った1時間半近いドキュメンタリーということで、期待していましたが、期待以上のすばらしい番組でした。

高田渡の方はその映画の話から始まって、吉祥寺近辺での彼の生活ぶり(ラストに「いせや」が出てくるのも嬉しい限り)と、沖縄ツアーが中心です。あまり過去を積極的に語るというわけではなく、ただ生き様をそのまま映し出していく(というか、そういう演出に協力するはずもないのですが)彼はまさに志ん生ばりのなんともいえない味がありました。

一時酒をやめていた(「高田渡ライブ」での張りのある声!)かと思ったらやっぱり酒浸りにもどっていて、いろんなところでのライブが実にいい味を出しています。最初の昼間のライブでの赤ちゃんの鳴き声から始まるトークもよかったです。そして最後の方、昼から飲んでぼろぼろのライブでは伝説の「ライブの途中で眠りこける」パフォーマンスもばっちり収められていて、この辺はさらに志ん生とかぶるわけです。

高石友也の方はもう少し協力的(笑)で、宝寺のフォークキャンプから始まって、ゆかりの地を一緒に尋ねて半生を振り返りつつ、その場所場所で歌ってくれたりします。奥さんの光子さんとの二人三脚ぶりも美しく、また岡林信康とは別の意味でディラン的な隠遁に入った頃の変化も、とてもよくわかりました。

バイオリンやバンジョーもちらりと弾いてくれますし。マラソン大会で唄で元気をつけて、最後には一緒に走るときの至福の表情は、いつまでも印象に残ります。個人的には高田渡の一種破滅的な人生の方に共感してしまうのですが、高石友也の自分の人生との向き合い方には、ほんとうに心打たれました。

編集もなかなかうまく、フォークと学生運動、反戦運動の流れを、二人の態度を中心にきっちりまとめてありました。あと、さすがに「自衛隊に入ろう」は流しませんでしたね(笑)。

ではそんなところで。

しばさき

 

シリーズ大欧州誕生(その1) 投稿者:しばさき  投稿日: 515()155420

NHKスペシャルになります。今回はEUの拡大に合わせて作られた2回シリーズのうちの1つです。

第1回 国境なき巨大市場

5月1日に25カ国になったEUの、経済面のお話、検問やパスポートがなくなったことによってヒト、モノ、カネ(と来ると国際交流論としてはプラス「情報」なわけですが)の移動が自由になったことの人々の実感を、ドイツとポーランドの分断された町での行き来、人件費の安い東欧への企業進出などによってテンポ良く描き出しています。

1つの見所となったのは、98年にポーランドへ進出したNSK工場で日本語を覚えて管理職としてがんばる若いポーランド人のお話。日本の半端ではない工場管理のノウハウをたたきこまれて、最後は工場長に抜擢されるというところまでを描いています。イギリスの人件費の6分の1ですむポーランド、しかし中国の人件費はさらにその15分の1?という安さなので、それに対抗しなければならないのですから大変です。

もう1つは、国内の政治・経済などをEUに合わせるためのaquis communautaire(共同体既得事項?ですかね)を達成するためにポーランドが大わらわになっているところの取材で、魚の卸売市場づくりから産業構造の改変(リストラなどを伴う)まで要求されるわけで、達成度を調査するスタッフの話、抵抗する漁業関係者の話も興味深いところでした。

さらに将来EUに加盟しようとする諸国の1つとして、ウクライナもとりあげています。こちらはカスピ海油田の石油の問題も含めて、EUとロシアで綱引きがある様子が中心ですが、同時に世界の様々な地域からEUへ密入国する人々の取り締まりの様子も見られました。ここでは、プーチン大統領の「新たなベルリンの壁」ができるのはお断りだ、という発言などが印象に残りました。

昔のビデオテープを再利用して録画したのですが、映像はさておき音声にノイズが入ってしまって見にくかったですが、良心的かつ常識的な線をおさえた穏当な作りだと思いました。

ではそんなところで。

しばさき

 

二・二六事件&煙突男 投稿者:しばさき  投稿日: 4 7()090919

アーカイブスストック分になります。

二・二六事件 消された真実(1988)

リアルタイムでも見ていたこのNHKスペシャル、上品な和服姿が良くお似合いの澤地久枝さんとの共同取材で、匂坂春平が残した資料を中心に、生存していた当時の関係者の証言をもつきあわせながら、二・二六事件が実際には青年将校の独断独行ではなく、皇道派の謀略と密接に関連があったことを解き明かし、それがもみ消されていったという、今ではよく知られるようになったことを最初に実証してみせた内容です。

当時の電話を傍受していた録音盤を再生するなどした演出の効果もさることながら、この手の番組では難しい論点の明確化(というよりは視覚化しテレビ番組としてのみどころへと変換すること、しかもその変換による内容の希薄化を最小限にとどめようとする工夫も含め)にもかなりの程度成功しているように思います。9801VMを使った懐かしいあの当時のパソコンによるデータ整理も見ることができます。

できればもう少し、澤地さんが当時の関係者に資料を持っていってインタビューするような時間があるとよかったような。関係者への聞き込みはどうもNHK側がやっているような感じなのですが、ここも澤地さんがおやりになるとまた別の効果があったような。とはいえあれだけの史料を整理し読み込んでいく執念には頭が下がるとともに、その真似事を多少したことがある私は最初の放送の時に見たときとは別の知的興奮を覚えました。

そうした膨大な史料解析を経て議論を作っていった澤地さんが最後に、「武力を持った集団が政治に関与することの恐ろしさ、それが一般の人々に与える影響の大きさ」について語る短い部分が白眉だったかと思います。加賀美さんも言っていましたが、それは確かに、現在の日本にも言えることでしょう。

俺は天下の煙突男(1978)

これも懐かしい、鈴木健二アナによる「歴史への招待」です。まだ小学生だった私は、これを楽しみにしていました。今回は昭和初期の多摩川べりの富士瓦斯紡績の労働争議を盛り上げるために40メートルの煙突に登って籠城、煙突から赤旗を振って演説(はあまり聞こえなかったらしいですが)し、見物人が1万人と言われ、日本中そして世界でも報道された田辺潔の武勇伝のお話。

番組は煙突のセットの中で鈴木アナが籠城ぶりを実演してみせるという型破りの状況で最後まで展開します。彼の講談調でありつつもNHK的な明朗さを失わない語り口も痛快、また当時としてはかなり新しいシンセ系の音楽も効果的に使っており、演出のテンポも今見ても見事です。番組作成側の自力とそれを実現するテクノロジーとが見事に拮抗しているというか、技術やギミックに人が使われるのではなく、人がそれらを見事に統御しているような腕の冴えを感じます。

このストのクライマックスは、六郷橋をお召し列車が通ってしまう時間が迫り、天皇を煙突男が見下ろしてしまいかねないという「危機」が訪れるところ。ここで労使の力関係は逆転していくというのも痛快です。また深夜に警備を突破して煙突を登ってインタビューする新聞記者の話もおもしろいです。田辺潔はその後非業の死をとげてしまうのですが、そこも不必要にじめじめせずに話を締めくくっていけているのも立派だと思いました。

ではそんなところで。

 

我が友本田宗一郎(1991)&警世(1975) 投稿者:しばさき  投稿日: 228()141815

 オウム事件の裁判が一つの段階を通過しました。95年は私が大学院に入った年で、卒業論文を書き上げた日に阪神大震災があり、少し前に訪れた神戸の惨状に愕然とし、サリン事件は母親が事件の少し前の丸の内線で霞ヶ関を通過していたこともあり、その後の月日を考えるとさまざまな思いがめぐってきます。

 久しぶりにアーカイブスです。

 我が友本田宗一郎(1991) これは、井深大を山荘に訪ねてコメントをもらいつつ、亡くなったばかりの本田宗一郎の人生を振り返る番組でした。4部構成で重々しいバッハなどをバックにしながら、戦後の日本を支えた功労者たちに名を連ねる本田、井深両氏の生涯を丁寧に描いた作品です。棟方志功を思わせる本田宗一郎のあっけらかんとした語りっぷり(本人の声もむろんですが、ナレーションもなかなかよい出来です)と、人生の秋を迎えつつあった、静かに紅葉を迎えたコテージの揺り椅子に身を任せる井深氏の回想とのコントラストがよい効果をあげていました。資本金600万円の会社なのに4億5000万円の機械を買い込んだり、実現可能性など考えずに目標を設定して、足りない技術は後から生み出してしまう根気の強さとひらめき、そして努力の傾け方など、エンジンとトランジスタの分野での「技術屋」としての彼らの仕事についてはさまざまな本などでも知ることができますが、これはその導入としてもよいと思います。

警世(1975) こちらは当時80歳だった「経営の神様」松下幸之助が久々に取材に応じた、石油ショック後の不況のさなかでの発言を、当時の世相などをからめつつ収録したインタビュー番組です。ナショナルの電灯の話をはじめ、戦前から続く松下幸之助の伝説もまた大変有名ですが、この番組が作られた時期はそれは言わずもがなのことだったのか、過去についてはほとんどふれられていません。むしろ松下氏の戦後30年を迎えた段階での日本の総決算を聞かされている思いがしてきます。戦争に負けたらふつう民族が奴隷になるとか、徹底的に破壊され、罰せられることが常なのに、日本は敗戦直後から救済されてしまった。そして戦後復興は自分の手でやったという向きもあるが、実は初手からして、そしてその後も同様に対外的な援助(それは衣食住から民主主義という政治のやり方まで、与えられ、教えられてきた、ということです)のおかげでできたものであり、日本人はそれに甘えてきた。そのつけがついに回ってきただということ。また敗戦直後の日本人は物資に困窮していたが精神はしっかりしていた。それが戦後は徐々に腐食していき、今では精神のエゴのぶつかりあいばかりになってしまった。日本は戦後30年かかってようやく、精神的に敗北したのであり、それを復興していかなければならないこと。戦後の日本の歴史像、人間にとっての精神の問題など、これらの議論に対してはいろいろなことを考えさせられるわけですが、ナショナルのトップ会議での姿からさまざまな場所での活動ぶりをも挟みつつ、ややくぐもった独特の関西言葉(大部分には字幕が標準語で、言葉をはしょりつつついています)で語られていく作品でした。

ではそんなところで。

しばさき

 


別れのワイン(1974) 投稿者:しばさき  投稿日:1124()195100

グルジアのシュワちゃんは負けましたね。。。<田中さん

カッシーニはカッシーニ酒造を率いて25年、利益追求はさておき最高級のサインを作り出すこと、そしてビンテージワインを愛し収集することでワイン界に尽くしてきた男。彼の努力が認められて、業界人からはワイン界の「今年の人」に選ばれることになる。しかし業界の人々をもてなしている最中に訪れたのが義理の弟で社主のリック。彼は父親から酒造を受け継いだが生来の道楽者で、スポーツやカーレースにこっている。今度は3度目の結婚をするのでお金が必要になりせがみに来たのだった。そして安酒の薄利多売が売り物のライバル会社に酒造を売ると聞かされて激怒したカッシーニはリックを置物で殴打してしまう。

来客が帰ったあと、ワインセラーを使って巧妙なトリックを仕組むカッシーニ。翌日から1週間の間ニューヨークに出張し、その間ワインセラーでリックを窒息させておき、車は車庫にしまっておく、帰宅後スキューバダイビングの事故死に見せかけて海へと投げ込み、崖に車をおいてくる。これならば死亡時刻にはニューヨークにいたことになる。果たして発見直後の警察はそう解釈したが、コロンボは完全犯罪に見えたこの事件に引っかかりを感じ、徐々に追いつめていく。。。

次々とわき上がる疑問点。死亡したときは雨が降っていたのに、なぜスキューバをやったのか。日曜から丸2日間食事をしていないのはなぜなのか。野ざらしになっていたはずの車の目撃者がおらず、雨に打たれた様子もない。ビンテージワインをデカンタに移す役を誰にも譲らないカッシーニが(殺害直後である)来客に何故それを譲ったのか。。。さらに、カッシーニの秘書で12年秘密の恋人であったカレンも、彼の様子から真犯人を悟り、嘘の証言をしてかばってしまう。最後にコロンボがレストランでワインを使った大芝居をうつのだが。。。

数あるコロンボものの中でも最高傑作の一つに数えられるのがこの「別れのワイン」ですね。プロットの美しさ、人間関係の機微、機知に富んだ台詞の絶妙さ、トリックの見事さなど、どれをとってもまさに一級品。当時のコロンボはかなり若いですが、芝居はもう完成されつつあります。何度見ても楽しめる文句なしの傑作ですね。

加賀美アナが前後で紹介されているように、当時はこれを家族で見るのがなんとも楽しみだった記憶があります。オープニングとエンディングの紙芝居のようなキャスト紹介がまた懐かしかったです。DVDも出てますが、これを買うか寅さんを買うか、みたいなところでしょうか。

ではそんなところで。

しばさき

 


ロジャー&ミー(1989) 投稿者:しばさき  投稿日:1031()224140

 ミシガンからシスコへ引っ越し、喧嘩してフリントに戻ってきたマイケル・ムーアが目の当たりにしたのは、人口15万人で半世紀以上に渡ってGMの工場町として反映してきたフリントからのGMの撤退による3万人の大リストラだった。ムーアは早速町の現状と変化を取材し続け、GM会長のロジャー・スミスに直接話を聞くべく追いかけ続ける。

 全米自動車組合発祥の地GMからの移転の理由は、賃金の安いメキシコへの工場移転であり、それはさらなる増収をねらう一連のスミスの戦略だった。組合も有名無実化し、人々は職を失い、貧困にあえぎ、続々と町を出て行き、さらには家賃未払いで追い立てを食っていく(追い立ての雇われ保安官代理に同行取材して、人々の様子を伝えていくところが秀逸)。町の治安は悪化し、人口よりも5万もネズミが多くなり、ゴーストタウン化が進行する。

 GM側は伝道師を雇って説教を聞かせたり、劇場を作ってかつてGMのCMで活躍したパット・ブーンなどを呼んで格安で公演を行わせる。市やミシガン州は状況を改善しようと、さまざまな対策を立てる。その最たる物が高級ホテルの誘致、1億ドルもかけたテーマパークやパビリオンの建設などであったが、あっという間に失敗、倒産、閉鎖に見舞われる。

 GMのスポークスマンであるケイは希望があると言いつのるが現状は厳しい。タコ・ベルへの転職もままならず、アムウェイに参加する人もいる。立ち退き、引っ越しラッシュで町の人口は激減し、運送会社は大もうけをする。犯罪率が増加した結果行員の一部は看守になるが、犯罪者は自分たちの顔見知りだったりする。すでに市民の半分が社会保障を受けている。

 「アポなし」取材の原型ともいえるGM本社への取材はことごとく失敗する。なんとか追いかけようとするがムーアを警戒してか次々と締め出しを食う。株主総会に紛れ込んで質問の番がが来たのだがとたんに無視され閉会される始末。しかしムーアはあきらめない。

 困り果てる人々。フリントはMoney誌で最低の町に選ばれてしまう。ムーアの高校の友人も追い立てをくらう。ある女性はウサギを食用にさばいて食いつないでいる。血を売る人々もいる。金持ちたちやスミスの脳天気で実情を無視した発言の数々とそれらの厳しい現実は、Beach BoysWouldn't it be niceやクリスマスでのスミスのスピーチなどにフリントの町と人々を重ね合わせるすばらしいコラージュが最も象徴的に表現している。

 結局ロジャーとは一言二言会話ができただけで、最終的には取材すら断られる始末だが、エンドロールが示すように一応映画としてはそこで終わる。けれどそこからが始まりなのだ、これが今の現実なのだということを鋭く訴えていくポジティブな終わり方になっている。

 さて、今やすっかり有名になったムーアが、まだひげもはやしていない時期の(時々そっているみたいですが)若い姿で登場する出世作です。まだまだムーア節が全面的に発揮されているわけではなく、やや古典的なドキュメンタリーの手法もにおわせるのですが、さまざまな過去のフィルムを巧妙に選択し取り込んでいくセンスのすばらしさ、前述の通り音楽と映像を合わせるセンスのよさなどはすでにかなりできあがってきています。

 これに、インターネットやDVカム&パソコンでの映像編集(ムーアに言わせればDVカムとiMovieの力は大きいということになります)といったテクノロジーの進化が加わって行くことで、最近の独特の軽みとテンポにさらに磨きがかかるのでは、と思います。その意味では今見てもインパクトはありますが、もしこれを同時代に見ていたらと考えると、89年段階でのこの突出ぶりは相当なものだとおもいます。この趨勢がその後もずっと続いていくのがアメリカ国内の状況であると同時に、グローバリゼーションがローカルな社会へもたらす影響ということになるわけでしょう。

 ただ、ムーアの他の作品にもある程度いえますが、確かにロジャー一人に責任があるのか、といわれるとなかなか難しいところです。いわゆる(グローバル)資本主義というシステムの問題や、そこで取り交わされる欲望や消費そのものの問題などへと話を深めていくことが大切でしょうし。。。とはいえ、そうした方向へと問題関心を喚起していくきっかけとしての価値は非常にあるわけで、そしてまた彼の重くなりすぎないよい意味での素朴さ(知的誠実さというよりももっと単純な人としての素直さというか)のある語り口も手伝って、そこにムーアのよさを我々が見いだすのかもしれないな、などと思いました。

ではそんなところで。

しばさき


御冗談でショ(1932) 投稿者:しばさき  投稿日:1028()223541



 ハックスレー大学の学長に就任したのはワッグスタッフ教授(グルーチョ)。早速珍妙な方針を連発してみんなを困らせるが、12年もこの大学にいて今は未亡人に首ったけのフランク(ゼッポ)が悩みの種。で、フランクから、この大学のためにフットボールチームを強化して、特に宿敵のダーウィン大学(ハックスレー対ダーウィン(笑))との試合に勝てるように、2人の助っ人をスカウトしてきてほしいと言われる。

 で、その二人のたまり場にいるのが氷り売りのバラヴェリ(チコ)と犬飼いのピンキー(ハーポ)。ワッグスタッフは助っ人と間違えてこの二人をスカウトしてきてしまい、助っ人二人はダーウィン大学へ行ってしまう。

 さらにこの未亡人の本当の恋人はダーウィン大学の関係者で、実はフランクを籠絡してチームのサインを盗み出すことが目的だったりする。息子と手を切るようにと押しかけるワッグスタッフ(と、当然無意味に一緒についてきてギャグとピアノとハープの名演を連発するバラヴェリとピンキー)と未亡人、そしてフットボールの試合を巡るさや当て開始。

 最後は助っ人を誘拐しようとして逆にバラヴェリとチコが閉じこめられてしまうが、フットボールの試合に乱入(ここでなんともベン・ハーなのですが、これは見ないとわからないですね(笑))、もちろんワッグスタッフも試合に参加して、最後はあきれて物もいえない形でいろいろな意味で勝利をもぎとってしまう。

 とまあ、あらすじをなんとか書いてみましたが、ほんと無意味です(笑)。「我が輩はカモである」「けだもの組合」とあと1本くらい見たことがあったはずで、この作品は見たことがなかったのですが、話に聞いていた以上にアナーキーでした。いちおうミュージカル的な要素があるのは当然ですが、最初から最後まで支離滅裂なギャグ連発です。これだけ本質的に無意味な映画は、彼らにしか作れないでしょうね。
 
 彼らの場合、ゼッポは別として、グルーチョを中心としたトーク(字幕の訳はちょっとひどいです)、しゃべらないハーポにみられるパントマイム的動き(しかしハープを弾いている時の表情には注目)、音楽などなど、神経を集中してみていないとちゃんと受け取れない、レベルの高さがあるのですが、にもかかわらずナチュラルかつラディカルにナンセンスなので、コメントのしようがないですね(笑)。

 個人的にぶっとんだのは、はじめの方でトランプに興じている酒場の客が「カードを切ってくれ」といったらおもむろに斧でカードをたたき割るハーポ、そして珍しくギターで弾き語りしたあとで、川に落ちた女性を救おうとするときのグルーチョの手だて(これは見なければわからないので書きませんが・・・)、でした。久しぶりに頭の底が抜けるような痛快な気分転換ができました。

 ではそんなところで。

 しばさき

 


ありがとう 夢路いとしさん(2003) 投稿者:しばさき  投稿日:1026()100625

http://www3.nhk.or.jp/omoban/main1019.html#17

ほんとうに残念なことでしたが、60年以上もの長きに渡る名コンビ、いとし・こいしのいとしさんが亡くなられ、至宝とも言うべきこの二人の漫才を生で聴く機会がなくなってしまいました。この番組は、いとしさんの死を悼んで、こいし氏をはじめとする何人かのインタビューをふまえつつ、3本の漫才を放送したものです。

1本目:こいし氏が一番思い入れがあるという「交通巡査」。昔からの十八番ですが、鉛筆をなめなめお巡りさんのこいし(以下敬称略)がいとしにはぐらかされる、という二人の漫才のいちばんおいしい部分が堪能できるネタです。これは10年ほど前の収録。この息の合い方はまさに宝物です。

2本目:こちらは20年ほど前の収録の「花嫁の父」。これも何度聴いたかわからないくらいですが、実にわかわかしい二人が、いとし:花嫁の父親、こいし:結婚や式でのふるまいをアドバイスする知り合い、という役回りでやっていくお話。基本的には「松竹梅」などでみられる、落語における「長屋のご隠居」が「与太郎」もしくはそれに類する人に何かを教えて、いちいちしくじることのおかしさ、というやりとりを原型に持った「かけあい」の真髄がいとし・こいしの漫才のすばらしさだと思いますが、例の「ジンギスカン」のネタなどと同様、結婚式という漫才のネタとしてはどちらかというと陳腐にさえ聞こえかねない題材をここまで極めるのは並大抵の芸ではないと思います。

3本目:最後の出演となった今年8月の収録、「結婚記念日」。こちらも、いとしが結婚記念日で奥さんをフランス料理につれていく、ということになって、それをこいしが指南する、という王道パターンになります。ノーカット版で20分を越える放送は実に楽しく、晩年の地味あふれるお互いへの心配りを感じさせる、暖かい雰囲気の高座に酔いました。

庄司歌江、立川談志の2人がインタビューに出てきたのみで、あとは大阪近辺を歩きながら、こいしさんが(黒い服を着て)思い出を語ります。はじめのほうでは「思い出というても・・・ないですなあ・・・」と仰っていたのですが、最後に大阪の放送局の前で語るときには、たくさん思い出があり、というような言葉になり、常に感情的になることなく、礼儀正しい、そしてお葬式の時も決して涙をみせなかったこいしさんが最後に感極まり、必死に涙をこらえて「ごめんなさい」と深々と頭を下げられたのを見ていて、お二人の2万近い出演回数が物語る絆の深さとお二人の間ではぐくまれてきた兄弟愛の深さに改めて思い至り、心打たれた次第です。

ではそんなところで。

しばさき

 


マイケル・ムーアの「恐るべき真実」第2巻 その1  投稿者:しばさき  投稿日:10 2()221425

エピソードその1:

番組全体を通してのコーナーは「温かい保守主義」の紹介(笑)で、高収入の金融トレーダーたちがチーム・ダウとチーム・ナスダックに分かれて、「ホームレス落とし」「貧乏人にパイ投げ」などなどおばかなゲームを連発。これはやりすぎです・・・

メインテーマ1は、リモコンや財布、髪留めなどを持っている黒人が拳銃所持と間違われて射殺される事件が相次いでいることをネタに、黒人が多く住むエリアの道ばたで黒い財布を蛍光オレンジの財布に交換するキャンペーン敢行。スニッカーズでも誤射された、ということで、オレンジのパッケージのナットレージャスをすすめ、危なそうなものを蛍光オレンジのスプレーで塗ってあげる。はては両手を挙げて町を歩くのが一番安全とみんなで実演し、騒ぎに集まってきた警官たちを巻き込んでキャンペーン大成功。。。。これはおもしろいです。

メインテーマ2は、知事時代のブッシュはろくに公設弁護士や控訴の制度もないテキサスで死刑を執行しまくったのに対して、弟のジェブが遅ればせながら死刑を再開したことを題材に、死刑執行レースと題してフロリダとテキサスで死刑賛成のサポーターとなってほめ殺し作戦。ジェブに突撃取材するも追い出される。これもまあまあでした。

エピソードその2:

番組全体を通してのコーナーは、「どの国の人が死体に最初に声をかけるか」競争で、マンハッタン、カナダ、イギリスの三カ国で、道ばたに人が倒れておいて競争開始。当然のようにどの国でもみんな知らん顔。イギリスで最初に声をかけたのはアジア系の非イギリス人だった。結局カナダの人が優勝。果たして日本で同じことをやったらどうだろうか。。。自分なら声をかけるだろうか、どういうときなら声をかけ、どういうときならかけないか、などと考え込んでしまいました。。。

メインテーマ1は、ニューヨークからポルノショップを一掃しようと法律で締め上げたジュリアーニが、自分自身愛人や不倫騒動を抱えていることを逆手にとって、店内の商品の60%はノン・セックス商品でなければ行けないという彼の規制通り、40%をポルノグッズ、60%をジュリアーニのグッズでそろえたお店を開店して大繁盛。警察も駆けつけるが、法律違反ではないので打つ手なし。警察官は10%引きだよ!と声をかけるムーアにむっとする警官たち(笑)。これは映像的にはちょっとどぎついですが、いかにもムーアらしいしっぺ返しでした。

メインテーマ2は、老人介護における虐待事件が絶えない問題の多い介護ホームを標的に、中国人のカンフーの先生のもとカレン・ダフィー率いる老人・老女(車いすの人含む)が入門し訓練。問題介護ホームの経営者の居場所へアタック。当然追い払われるが、では事件頻発だったホームへと直行し、そこで老人たちに反撃の練習をさせる。老人ホームの支配人は、太極拳は健康によいので、などとまるでわかっていないところがおもしろいです。虐待の現場を偶然撮影したシーンなどもあり、実際に訴訟になって社会問題化し(死者も出ています)たケースへのアプローチでした。

このAwful Truthのシリーズは、基本的にタイムズ・スクエアの中州(笑)でムーアが司会をして、23分30秒の番組を(1)全体を通して行う企画(2)テーマ1(3)テーマ2という構成で見せていきます。(1)がいつも一番ちゃちくて、いかにもアメリカンな「おばか」なものやシンプルな内容、(2)(3)が突撃取材(カレン・ダフィーまたはジェイ・マーテルが代行する場合も多いです)、さらにその合間に、本物のノミ屋レニーの「なんでもオッズ」が入って(これがまた実にシュールです)、という感じです。ちなみに、(2)(3)を紹介する際には必ず、そこら辺を歩いているひとを捕まえて話を聞き、「老婆をゆでる話、なんて読んだことある?」「え、そんなのはないな」「じゃあ、これを見てみよう!Watch This!」と言ってその人にカメラが寄っていく、という演出になります。この辺、無名の人をどんどんカメラの前につれてくる「軽さ」が好感が持てます。

田中さん>お疲れ様です。サイードは、ずっと病気でしたからね。。。カザンはずいぶん前に引退していたので、実質・・・というところがありましたし。ではそんなところで。

しばさ

 


ゆきゆきて 神軍(1987)その2 投稿者:しばさき  投稿日: 927()171206


 今までに何度か見たのですが、今回もまた改めて、圧倒されました。思い出すこと、語り継ぐことということは、それを直接体験した人とそうでない人にとってはまったく質の違う問題であり、そこに記憶と忘却をめぐるさまざまなせめぎあいがあるわけですが、暴力も辞さない奥崎の執拗な問いかけ、そして遺族を前にしたときとそうでないときの元兵士たちの姿勢の相違、さらに単に真実が明らかになるという話(実際、殺されたこと、殺したことは明らかになったが、その理由は依然として謎でしかない・・・謀殺の方は食料を盗むということで、ということのようだが)というよりは、真実の周りをぐるぐるめぐりながら、そこに少しずつ近づいたり遠ざかったりする語りそのものから受け取れること自体の真実があるように思います。

 奥崎の暴力論は、むろん「神様代行」の名の下の独善的ないし自己中心的な部分で説明がある程度つくのですが、規律正しい態度と暴力も辞さない態度とが奇妙に同居する彼の「武器」自体が、大日本帝国の軍隊が生み出した「武器」であったことを考えると、それを生み出したものに対して、それによって生み出されたものによってしか挑めないという逆説があるように思います。それ故でしょうか、彼の言動を見ていると、そのことに対して奥崎自身も自分でどうしようもない(そういう風に仕立て上げられてしまったという)、自分に対する憤りすら感じさせるように見えます。

 責任、という問題で言うと、彼は兵士たちに銃殺・謀殺の責任をとれ、といっているのではなく、「真実」を語る責任を追及しているように思えます。しかし古清水を襲ったように、そこには暴力論や神様論同様に、数多くの矛盾があるわけです。「人それぞれ考え方(または責任のとり方)が違う」という元兵士の何人かの反論との衝突にしても、明確に何がどういう意味で「正しい」「善い」「誤り」「悪い」のかを分けきれないような問題が、無数にからみあっているように思います。そうした混沌とした関係性すべてを生み出すのが戦争という事態であり、奥崎という存在が持つ含意が個人レベル、集団レベル、国家レベル、世界レベルのあらゆる戦争と平和の問題に及んでしまう底知れなさなのではないでしょうか。

 ではそんなところで。

 しばさき


ゆきゆきて 神軍(1987)その1 投稿者:しばさき  投稿日: 927()170721

ゆきゆきて 神軍(1987)

 「神軍平等兵」「神様代行」と自称する元独立工兵第36連隊所属の日本兵奥崎謙三。彼は99%が死亡した部隊から生還した兵士の一人である。戦後は悪徳不動産業者を傷害致死させて懲役10年、その後「ヤマザキ、天皇を撃て!」という言葉でも有名になった天皇パチンコ事件、さらに天皇ポルノビラ事件でそれぞれ服役している。その彼が終戦直後に日本軍内部で起きた銃殺・謀殺事件の謎を解明するべく当時の上官や仲間を「アポなし」で訪問していく過程をカメラマン兼の原一男が、奥崎本人とも何度も衝突しながら撮りきった、日本で作られて最も重要なドキュメンタリー映画。

 冒頭は奥崎の、奥崎夫妻にとっての平凡な朝の情景から始まり、彼が仲人を務める結婚式の様子が紹介される。さらに例の車に乗って上京し、もう一人の生き残りである山田氏を病床に訪問。天皇誕生日には都内で車に立てこもって大音量で天皇の責任を問う演説を敢行、弁護士遠藤誠の会に出席。その他神戸拘置所に独居房のサイズを測りに行くシーンでのもみあいなども記録されている。

 命を落とした人々の慰霊をして周る奥崎。島本上等兵の老母と墓参し、一緒にニューギニアへ行こうと誘う。そして、彼の「アポなし突撃訪問」(ムーア風に言えば)が開始される。最初は一人であったが、途中から、終戦23日目に銃殺された野村・吉沢両氏の弟と妹(彼女は巫女さん)と行動を共にし、三人で次々に当事者に面談していく。彼らの重い口、そして自己弁護を伴った語りが少しずつ明らかにしたことは、戦病死となっていた二人は実際には名目的には「敵前逃亡」の罪で銃殺されたこと、当人たちは否定しているが5名の人々がすべて、上官であった古清水の命令に従って銃を向けたことであった。

 当時は4キロ四方に1万数千人が包囲されており、食糧も尽き駆けていた。二人の銃殺の謎に関係してあきらかになったのは、「白豚」「黒豚」「代用豚」などと言う名称での人肉食の事実である。二人の遺族は人肉食と銃殺の関連性を確信するが、確たる証拠はない。二人は見解の相違から奥崎とは別行動をとり、奥崎は代役を立てて古清水を訪問するが、そこでも水掛け論に終わってしまう。

 奥崎はもう一つの謀殺事件をつきとめるべく、退院した山田宅を訪問、それまでにも増して緊迫したやりとりのなか、ようやく当時の状況の幾ばくかが明らかになる。その後島本の母は死去してニューギニア行きはかなわず、原と奥崎が現地で撮影したフィルムは没収されてしまう。そして奥崎は古清水宅に進入し古清水の息子に発砲、懲役12年の刑が確定するが、その直前に妻シズミも死去する。

(続く)

 


東京物語(1953) 投稿者:しばさき  投稿日: 925()182309

 夏。尾道に住む老夫婦(笠智衆・東山千栄子)は小学校教師をしている末娘(香川京子)と一緒に暮らしているが、東京にいる子供たちを訪問するべく遠路上京する。最初に訪れたのは町医者をしている長男(山村聡)の家。しかし医者の仕事が忙しく、両親を構うひまがない。せっかくの休みも急患で出かけ損ね、孫たちは不平顔。その次に泊まることになったのは美容師をしている長女(杉村春子)の家。こちらも仕事に追われて、東京見物をさせてあげるゆとりさえなく、二人は2階で日がな一日過ごしている。杉村春子は戦争で亡くなった次男の嫁で現在は一人暮らしをしている紀子(原節子)に頼んでみると、紀子は仕事を休んで義理の両親である彼らを東京見物に連れ出して、ささやかな夕食をとり、やさしく尽くす。

 山村聡と杉村春子の兄弟は、ろくに面倒も見る暇がないので、二人を熱海の温泉へ2,3日泊まりに行かせることにする。そこは風光明媚で日中はよい雰囲気だが、夜は宴会や徹マン、流しが歌を歌いというにぎやかすぎる場所で、二人はかえって疲れてしまい、一日で帰ってくる。二人は翌日帰ることにするが、長女の家にも気兼ねして泊まる気にもなれない。そこで笠智衆は尾道の知り合いの家へ行き、東山千栄子は紀子の家へと行く。笠は知り合いたちと子供の愚痴を語り合いながら大酔して知り合いを連れて長女宅へ夜中に戻る。東山千栄子は紀子の慈しみを受けつつも、もう死別して8年になるのだから、機会があれば新しい人生を歩んでほしいと優しく言葉をかける。

 翌日の夜、夜行で尾道へ戻るが、途中東山千栄子が具合が悪くなり、大阪の三男(大坂志郎)の家に泊まる。その後元気になって尾道へ戻ったが、ほどなく危篤状態に陥り、家族が集まってくる。医師である長男の見立てではもはや余命は尽きており、出張先から急行した三男が着いたときには、すでに大往生を遂げたところであった。葬式も済み、家族たちはそれぞれの生活の場に戻っていく。そのふるまいに冷たさを感じた末娘は紀子にその思いをぶつけるが、紀子はそれを受け止め、さとす。残っていた紀子もまた帰る時が来て、笠に挨拶をするが、そこで彼は紀子の身の振り方について(東山千枝子が泊まった際に話したように)話をし、紀子はそれまで誰にも打ち明けなかった自分の真情を話す。紀子は形見の懐中時計を大切に握りしめて尾道を去り、末娘は学校で紀子の乗る汽車をそっと見送り、笠は一人家で、思いをかみしめるのだった。

 やっと正規版のDVDがリリースされた小津作品、画質も音質もかなり見事に修復されており、満足のいくクオリティになっていると思います。最初に見たときは、どうしても、義理の両親に尽くす紀子の優しさ 対 血が繋がっているにもかかわらず両親に冷たい、自分の生活ばかり考えている兄姉たち(末娘と三男は微妙ですが)、という対立にばかり目がいき、香川京子ではないですが自分はそうはなりたくないものだ、などと思ったりしたものです。しかしその後、乏しいなりにいろいろなことを経験してくると、兄姉たちの気持ちもよくわかってきたりします。自分の家族を持って生活を確立している長男・長女、独立しているが未婚(らしい)大坂の三男、仕事を持つが一緒に住んでいる末娘(私は相変わらずこれですが(苦笑))、それぞれの親との距離や感覚、表面的な言葉遣いや行動だけでは判断しえないさまざまな思いが空間を飛び交っていること、などが前よりは見えてくるような。

 思いやりの問題ということで言えば、紀子の場合血が繋がっていないが故につねに何らかの行動によってそれを示し、与えようとし続けることと、内面の葛藤との間にあるギャップということがあり、兄姉たちの場合はその逆に規定された形でいろいろなことが表に出るように思います。異なる世代の共生、そこでのお互いの関与や介入の仕方、距離の置き方などを見るたびに学ぶ気がし、同時に自分がどれだけ他者との関係において、そして自分を律するという意味において、ここで見られるような人間関係に対する感覚や実践を自分のものにしているのかを考えさせられます。

 物語全体から受ける印象ということで言えば、人間が生まれ、生き、死んでいくことすべてが一体どういうことなのか、どういうこととして経験され得るのか(特にあの時代のこの日本で)、そして子から親になり、親から死を控えた老人になっていくという老夫婦だけでなく、孫たちの世代、末娘京子の世代、紀子の世代から長男たちの世代に至るまでと、あらゆる世代の視点から、人間というもの、そして個々の人間の死を経て人間たちがどう引き続き生きていくのか、ということが示されているように思いました。私にはとてもそのすべてを受け取れるだけの力はありませんが、それがこの映画の偉大さの一つなのではないかな、と感じた次第です。

 


戒厳令(1973) 投稿者:しばさき  投稿日: 920()184046



舞台はウルグアイ。弾圧的な独裁政権と学生を中心にした反体制運動との対決が続く中、反体制グループがブラジル領事、アメリカ大使館書記官、アメリカ人の国際開発局役人の3名を誘拐した。書記官はすぐに解放された。交換条件は政治犯の釈放であるが、メディアの人々はなぜ国際開発局のサルトーレが誘拐されなければならないかがわからない。

必死に捜索を行う警察と軍。しかし見つからない。一方で、反体制グループのリーダー、ユーゴはサルトーレを尋問する。そこで明かされるのは、国際開発局が実は多少なセクションに関与し、特に南米各国の警察組織に食い込んで、アメリカで警察官たちに運動撲滅のための爆破や拷問などのトレーニングを行い、共産主義弾圧の手兵として養成しているというからくりであった。そして、サルトーレは数年ごとに南米のさまざまな国を渡り歩き、それぞれの弾圧や教育を「通信・交通担当」の名の下に指揮してきたのだった。

サルトーレとユーゴとの間で何度も交わされる、冷静でありながらも激しい議論。しかし時間は刻一刻と過ぎていく。その尋問の結果を含め、政府を批判し釈放を求めるコミュニケが次々と発表される中、それに基づき日常的に拷問が行われていることなどを左翼議員たちが知って議会で追及、政府は次第に追いつめられていく。

この国をずっと見てきたベテラン・ジャーナリストは、政府が閣僚、アメリカ系の企業家や銀行家などが続々と官邸に招集されるのを見て、政府は大統領の辞任と新大統領の就任、そして政治犯を再審にかけて無罪として釈放する、という手段(つまりは反体制派の勝利)をとらざるを得ない覚悟を決めたと判断し、原稿を書き上げる。

ユーゴはさらに尋問をすすめ、サルトーレたちが養成した元警官や軍人を集めて、非合法な殺人集団を作り上げたこともほぼ認めさせ、さらにもう1人を誘拐して圧倒的な優位に立つ。しかしロペス大尉率いるその裏警察部隊が彼らの連絡場所を突き止め、大部分を逮捕する。それに対して残った革命家たちは、24時間以内に当初の要求をのまない限り、サルトーレを処刑すると宣言。

しかし政府は何もしない。サルトーレも「私が政府の立場であれば、やはりなにもしないだろう」と悟りきり、妻への最後の手紙を書く。アメリカ大使が外務大臣と最後の交渉をするものの政府の決意は変わらず、外務大臣は老新聞記者の最後の問いにもまともに答えない。そして処刑は実行されるが、しばらくするとまた、アメリカからサルトーレの後任が着任してくるのだった。。。

ウルグアイで起きた実話をもとに、アジェンデ政権下のチリでロケーション敢行、という奇跡のような映画。コスタ・ガブラス、イブ・モンタン(サルトーレ)、マイク・カコニアス(音楽)の産んだ文句なしの政治サスペンスの最高峰の一つでしょう。

マイケル・ムーアとはまた違った意味で、むしろチョムスキーの議論をサポートするかのような内容でありますが、映像の緊迫感と省略を多用した会話のテンポが作り出す、これぞハードボイルドの極致(たとえばジンネマンの「ジャッカルの日」に比肩する)というドライなテンポに圧倒されます。拷問シーンなどどぎつい映像もいくつか入っていますが、それが浮き上がらないようなドラマの構成の強靱さに言葉も出なくなりました。

では、そんなところで。

しばさき


ガルシアの首(1974)  投稿者:しばさき  投稿日: 919()125229

メキシコの大地主の娘が、女たらしのアルフレッド・ガルシアという男に妊娠させられた。娘は惚れた男の名前を腕を折られるまで言わなかったが、口を割らせた親は激怒し、ガルシアの首に100万ドルの賞金をかけて、dead or aliveということでならず者たちに声をかける。そこでメキシコやアメリカのやばい連中が目の色を変えてガルシアを捜し回る。

中でも大々的に捜索をしていた白人のマフィア連中。腕利きの二人が場末のとある酒場にたどり着き、ガルシアの写真を見せると店員たちの顔は微妙に引きつる。そここそガルシアが入り浸るみせだった。軍隊上がりでピアノ弾きのアメリカ人ベニーは男たちの連絡先を聞き出して、店の連中にガルシアの居場所を聞く。すると、歌手であるメキシコ人の自分の彼女であるエリータとガルシアが三日三晩遊んでいたことを知る。怒りをにじませつつ彼女に聞いてみると、ガルシアは交通事故で死んだという。

組織の幹部と、1万ドルで話をつけるベニー。そこでエリータとともにガルシアの墓を探しに行く。途中不良暴走族に襲われそうになったり、今までの二人の関係をすっきりさせて結婚しようという話をしたりして、二人はお互いの存在の必要性を確かめ合う。お金なんかいらないから墓から首を切り出すなんてやめようというエリータだが、ガルシアは聞かない。やっと墓を見つけ出して夜中に掘り起こして首を切ろうとした瞬間、ベニーたちをつけてきた二人の男に襲われて首を奪われる。

墓に生き埋めにされた二人、ベニーははい出すがエリータは死んでしまう。エリータをそこにおいてベニーは彼らの後を追い、二人を倒して奪い返すが、墓荒らしを許せない地元の人々に追撃されててまたも奪い返される。そこに組織の二人の白人が到着し地元の人々を皆殺しにするが、隙をみてベニーはさらにその二人を撃ち殺して奪い返す。むなしい気持ちを袋に入った首に話しかけることでいやすベニー。組織の幹部のいるホテルに行き、ほんとうはいくらで売るんだと追求し、一瞬のタイミングで連中を倒して100万ドル賞金の主の居場所を知り、そこに乗り込んでゆくが・・・・

10年近く前に見たはずで、それっきりだったのですが、本当にどうしようもなく好きな映画として強烈に印象に残っていました。今回久々に見て、その思いはさらに深くなりました。前半のエリータとの道行きでの、深く傷ついたもの同士にしかわからない悲しくいとおしいいたわりと愛情(木陰でベニーのプロポーズを受けるシーンの荘厳さ、おそわれそうになった後、シャワーを浴びて座り込むエリータをやさしく受け止めるベニー・・・)。メキシコの荒涼とした風景の中生きる人々の、キアロスタミ映画にもある種通じるたくましさ。何度も繰り返されるペキンパーの美学が炸裂する銃撃戦のシーン、そしてラストのドライさと情感が奇妙に同居するすばらしさ。

これを見て当然「ピアニストを撃て!」を思い出さざるを得ないわけです。両方ともほんとうに、私にとっては大切な映画です。そういえばこの作品もDVDが出たようですが、私はブックオフの950円コーナーで迷わず購入しました(笑)。

ではそんなところで。

しばさき

 


The Big One (1997) 投稿者:しばさき  投稿日: 917()171931

ベストセラーとなったDownsize this!の販促のための全米ツアーは、単に講演会やキャンペーンをするだけでなく、それぞれの地域での大企業のレイオフや雇用者への圧力へ対抗すべくアポなし取材をしまくる、全米を舞台にしたドキュメンタリーフィルムのロケとなった、実に痛快な作品。 最初は講演の風景(というか、彼の講演はほとんどスタンダップ・コメディのノリなので抜群に楽しい)で、その本でも紹介された「政治家はどんな団体からの寄付でも受け取るか」の実験の話から。もうここで爆笑の渦が始まり、その痛烈な皮肉とユーモアの同居ぶりが爆発します。 イリノイではペイデイ(スニッカーズみたいなやつ)の工場を閉鎖したリーフ社の元工場員たちの抗議活動に参加して工場に乗り込み、アイオワではムーアの講演会を拒否した(一部では中止した)ボーダーズ・ブックストア(医療保険制度もなく格安で雇っているのに保険料を差っ引くというすごさ。時給は6ドル!)の店員たちが組合を結成しようとしている秘密集会(笑)に参加。ロックフォードではメディア・プレイの講演会でその日リストラされたという女性を慰め、あんたの本は参加者の3%しか買っていないし、バーンズ&ノーブルでは仕入れてさえいない、などという店員のいい加減なコメントを思いっきり反証。さらに「外出中」のはずのチープ・トリックのリックの家へ行って一緒にギターを弾いて盛り上がり、「時代は変わる」を歌う。

ミルウォーキーでは工場を閉鎖してメキシコへ移転するジョンソン・コントロールへ乗り込み、ダウンサイザー賞を手渡す。「従業員には十分前から説明していた」というのに反して、閉鎖が知らされたのは前日だということが証言からわかる。で、その証言者の彼をマンパワーの本社へ連れて行って登録してくれないかと交渉してしまう(笑)。その日の講演会では、「憲法には株主なんて言葉はない、あるのは人民だ」と「そんなに金儲けしたいんならGMは麻薬を売ればいい。そうすれば5年で失敗して麻薬撲滅になるよ」とジョークを飛ばすと聴衆大受けで、すかさず「CIAにはかなわないさ!」とヤジが飛ぶ。マディソンでは福祉手当をカットされた黒人女性たちが知事室の掃除をして勤労意欲を示そうと公邸に押しかける活動に参加し、報道官と丁々発止。講演では全米の企業への補助金は社会福祉予算の3倍にも上ることを鋭く指摘する。セントポールではやばそうなあんちゃんに話を聞くと殺人犯のムショあがりであることが判明。驚くことに、TWAのチケット予約をはじめ、スポルディング、マイクロソフト、エディ・バウアーなどなどは刑務所の囚人たちをただ同然で刑務所内雇用しているのだという。さらに政府の補助金で第三世界向けの宣伝をしているというお菓子会社のピルズベリーへも突撃取材。

シカゴでは私の一番好きなアメリカ人ジャーナリストの一人であるスタッズ・ターケルのラジオ番組に出演。オクラホマのテロに大して工場の閉鎖と破壊を「経済テロ」と位置づけていく二人の会話のうまさは白眉。さらにペイデイを作っているリーフ社へ乗り込んでの警察を巻き込んでのひどい対応をすべてカメラに納めてしまう。ここも見所でしょう。シンシナティではP&Gの本社へリストラを批判しに行くが、ここでは多少穏やかな対応。ラジオ番組に出た際には、United States of America なんて国名はやめてThe Big One(でかい国)に、星条旗よ永遠なれもやめてWe will rock you(ってクイーンの曲ですが。。。)にしたほうがいいのではとユーモアセンス爆発。

このほか各地のオムニバス映像が出てきたあと、ポートランドで世界最大の靴メーカー、ナイキの社長フィル・ナイトの招待を受けて対談。最終的には1万ドルづつ2万ドルの共同寄付(工場を閉鎖したフリント(ムーアの故郷)の小学校に)を勝ち取りますが、ここでの会話がクライマックス。「20万人も人々を殺した政権の国に進出して心が痛まないのか」と言われて「文化大革命の時にはどれだけ死んだと思う?」などとつい言ってしまったフィル・ナイトがいいです。最後にはボーダーズの店員たちが各地で組合建設を勝ち取るうれしいニュースも入ってきます。

コロンバインよりもリラックスした作りで、恐るべき真実よりはシリアスにという感じで、とてもなごむ作品でした。「大統領候補に!」という声援に対して「ボクは悪い見本でしかない」と言える彼の良心もさることながら、各地の人々の生の声、そして出版元のガイドたちの人柄などもあって、アメリカの今(といっても1997年ですけど)を知るロード・ムーヴィーとしても素晴らしいです。スポットを浴びて長い時間放映されている場所の多くが、普段メディアでじっくり紹介されることのない場所ばかりなのも、ムーアらしいです。単品発売されていないのが実にもったいないです。

 

 


私を変えた9.11(2003):世論調査概要  投稿者:しばさき  投稿日: 9 9()102615

参考 世論調査メモ(2003年8月、NHKとシカゴ大のコラボ、1330人対象)

あわてて書き留めただけなので、Q&Aの文面、順番は必ずしも正確ではありません。世論調査関連のサイトを当たってみたのですが今のところ見つからなかったので、速報としてあくまでご参考まで。。。

質問01 9.11、イラク戦争、アフガン戦争が、人生を考え直すきっかけになった。

はい 41% いいえ 18% どちらとも言えない 41%

質問02 アメリカは他の国に比べて良い国である。

はい 80% いいえ 5% どちらとも言えない 15%

質問03 たとえ間違っていても、国を支持するべきである。

はい 30% いいえ 41% どちらとも言えない 29%

質問04 アメリカの平等や公平さを誇りに思う。

強く思う 24% いくらかは思う 43% 思わない 33%

質問05 アメリカの価値観や行動様式を世界に広めるべきだ。

はい 31% いいえ 33% どちらとも言えない 36%

質問06 9.11以後、アメリカが失ったもの。

安全 79% 自由 64% 異文化への理解 55% 政府に対する批判 45%

もし正確な資料が載っているサイトなどありましたら、ご教示下さい。では。

しばさき


私を変えた9.11(2003)  投稿者:しばさき  投稿日: 9 9()101827


NHKスペシャルその2です。

今回の番組は、偶然世界貿易センタービルの近くにいて、9.11を目撃し、撮影することになった5人のアメリカ人に焦点を当てたドキュメンタリーです。

一人目は、アーカンソーに住む主婦テイラーさん。彼女は、ハイジャック機突入の瞬間など、何枚かのもっとも衝撃的な写真を撮影し有名になりました。典型的な中南部の片田舎の白人である彼女は、ボーン・イン・ザ・USAが好きだそうです。しかし、地元で講演会を開いたりしているうちにいろいろなことを考えるようになったそうです。しかし、保守的な近所の隣人たちには、自分が持っている複雑な感情(現在のアメリカの行動の正統性に対する疑問)を立ち入った形では言うことができずにいます。

二人目は、ミルウォーキーに住むマクダウェルさん。以前差別が根強く残る地域出身の黒人である彼は、生まれて初めてニューヨークに行って、珍しいもの全てをカメラにおさめようと嬉々としていたところで遭遇。いろいろな映像を撮りますが、特に有名なのは、テロ直後、人々が不安そうにツインタワーを見つめるなか、どこから物売りがやってきて1ドルで国旗を売り始めるという愚かしいシーンです。

彼はミルウォーキーの黒人居住地帯に住む親戚たちと話をしますが、そこでは白人たちのような両手をあげた戦争賛成論など全く聴かれません。むしろ、犯罪を見ても野放しにするような警官たちが象徴するような、貧困と犯罪と差別と立ち向かう、日々の日常生活との戦いがシビアなわけです。でっぷり太った主婦のおばさんへのインタビューが印象に残ります。

三人目は、マンハッタンを自転車で走るのが好きだというグラフィック・デザイナーのコバレンコ。仕事場のすぐ近くで起きたこの事件を、彼もくまなくビデオに収めて、仕事柄でしょう巨大なStudio DIsplayFinal Cut Pro用のキーボードを前にして、涙ながらにそれを紹介してくれます。とはいえ彼もまた、この戦争に対しては欺瞞を感じ、反戦デモに参加し仲間と語り合います。彼が好きなのはブルース・スプリングスティーンではなく、ディスポーザブル・ヒーローズなわけです。しかしより保守的な兄と話をするとき(一緒にその映像を見るわけです)には、政治の話をするのはとても難しいことだといい、苦慮しています。

四人目と五人目は、ツインタワーから2ブロックほど離れた高層マンションに住んでいた写真家のクゥエンと俳優兼脚本家のリーグルです。二人は事件の瞬間を間近に体験し、さらにツインタワー崩落の際に避難をしており、その様子をカメラとビデオに収めています。二人がその後マンションに戻ってきたときに撮影した写真が有名になりました。

二人は事件を体験して命の短さを思い知り、これからの人生を周囲に愛を注いで生きていこう、と決意し、結婚を決めます。今年の7月、二人は婚約します。クゥエンの両親はサイゴン陥落時の脱出してきた人々で、父親は南ベトナム軍兵士。リーグルの祖父母は1938年にナチスの迫害から逃れるべくドイツからアメリカに脱出してきたユダヤ人です。リーグルの祖母アイリスは、ホロコーストと今回の事件を重ね合わせつつ、普通の人々にとっての幸せを政府の役割について静かに、力強く語ります。クゥエンたちは8月に、西海岸へ引っ越していきます。

いわゆる「普通の人々」が偶然巻き込まれたことでいろいろなことを考えるようになったプロセスを上手に描き出しており、チョムスキー的なアメリカ批判でもなく、現政権的な一方的なアメリカ礼賛でもなく、といういろいろな視点を一気に見ることが出来るという点でとても優れている番組だと思いました。政府の政策として何をどうするべきか、国際社会として何をどうするべきか、といった(私の友人の形容を借りれば)「天下国家系」の議論も大事ですが、こうした体験や事態を、一人の人間としてどのように考え、受け止めるのか、ということに大して、示唆するところきわめて大でした。たしかコバレンコが言っていたのですが、自分の感じたこと、思ったことを素直に、勇気を出して表現することが大切なのではないか、という実践を、アイリスやテイラーさんは躊躇しながらも出来る限りやろうとしているように思えました。なお、番組中で紹介される世論調査ですが、私が書き留めたものをこれのあとに載せておきますので、ご参考まで。

ではそんなところで。

しばさき


バーミヤン 仏像はなぜ破壊されたか(2003) 投稿者:しばさき  投稿日: 9 7()153440



田中さん>とうもありがとうございます。芸術の終焉といえば、この事件もまた別の意味で何かを指し示しているのかもしれません。

さて、NHKスペシャルです。

今回は、2001年3月に実行された、タリバンによるバーミヤンの石仏破壊がなぜ起きたのかを、タリバン内部の状況の変化をもとにより厳密に理解していこう、というねらいで作成された番組です。通常、タリバンの愚行として、タリバン内部を過激な原理主義者として一枚岩的に理解しがちですが、実際にはそうではなかったことを、国連のミッションとしてタリバンと交渉した田中浩一郎氏、パキスタンの元内務大臣、さらにユネスコの担当官らの証言、さらに破壊に最後まで抵抗を続けた情報文化省のホタキ氏とオマルの側近で外務大臣だった国際派のムタワキルの次官の証言をもとに、検証しています。

話の大筋としては、1997年頃に一度、偶像は破壊するべきであるとして石仏の小さい方に現地部隊が攻撃を加えた際に、ホタキが尽力し、ムタワキルを通して石仏保護の命令を引き出したことがまず紹介されます。そしてホタキは、2度にわたるアメリカ訪問(合計半年)でメトロポリタン美術館の仏像展示やラシュモア山の石像を見て、文化遺産としてのアフガニスタンの仏像を保護していくべく、カブール博物館で初めて、仏像の展覧会を開きます。そこには各地のタリバンの指導者たちが集まり、ムタワキルも参加、大きな感銘を受けることになったわけです。さらに、アメリカ人女性の文化人類学者を招聘して仏像について彼ら指導者にレクチャーする(仏教美術についてキリスト教徒の女性がタリバンに講演する!)という画期的なことをなしとげます。

しかそその直後にイージス艦への自爆テロが起こります。さらに、経済力にものを言わせて、当初は名前さえもろくに認知されていなかった客分に過ぎなかったビン・ラディンがオマル師に取り入って、次第にタリバン全体に大きな影響力を持つようになっていき、絶対的な強権を持っていた勧善懲悪省(すごい名前ですが、言語はどういう意味なんでしょうね)とともに、情報文化省を圧迫し、カブール博物館に武装した勧善懲悪省の部隊が押し入り、仏像を没収し、たたき壊してしまいます。その映像も強烈でした。

この辺、ナチスの略奪美術などの話にも重ね合わせることが出来ますし、石仏破壊と併せて、バクダッド陥落直後から、イラクの歴史的美術品がマーケットに流れ始めたという話とも、一緒に考えなければならないでしょう。

ホタキは解任され、すでに外務省として体よくカブールに追い払われていたムタワキルはその後も画策を試みるものの、結局止めることが出来ず、仏像破壊へと至ることになります。破壊の日は、ビン・ラディンも近くに来て見物していったそうです。

むろん、それを認めたとしても大仏を破壊する行為を正当化することはとうていできませんが、イスラム諸国の神学者たちを招聘して説得を試みるムタワキルに対して、ソ連が去った後放置したアメリカ、その後飢えに苦しみ続けた状況を無視した国際社会に対する憎悪があること、そしてその憎悪が仏像に向けられたことは、マフマルバフなどの議論ではないですが、この番組でもきちんと提示されています。

同時に、清廉潔白であったはずの、純朴な神学校の教師であったはずのオマルが(ある意味ではそれゆえに免疫がなかったのかもしれませんが・・・これは憶測にすぎません)お金に動かされていく変化もよくわかりました。

今朝方の日曜美術館でもアレクサンドロスがもたらした東西文化交流の諸相が紹介されていましたが、文化を尊重することを通して国際社会に理解を求める姿勢と、文化を破壊することを通して国際社会にアピールしようとする姿勢とのせめぎあい、そしてホタキらの真摯な努力よりもテロリズムをより多く報道したメディアの問題(それに破壊の責任がどれだけあるかはわかりませんが・・・)などなど、国際文化論的な観点からみても大変考えさせられる番組でした。タリバンと100回以上交渉したという、PowerBookG4を駆使して手書きのメモを整理する田中氏の姿も印象的でした。

NHKスペシャル、今日の夜もやりますね。ではそんなところで。

しばさき

 


マイケル・ムーアの「恐るべき真実」第1巻(その2) 投稿者:しばさき  投稿日: 9 3()011704



 エピソード3:全体を通して、共和党政権の遺産であるホームレス問題(彼の言葉によると現在60万人)で、NYのホームレス一掃対策(これは痛烈な皮肉なわけですが)として、(1)月30ドルで借りられる貸倉庫を使えば?と実際に取材し市議会議員に提案、(2)リサイクル資源回収のバケツの横にホームレス回収バケツを置く、(3)路上駐車の車のトランク、(4)さらには防水テントを無料で配布してくれるというオランダへコンテナに乗せて船便に送る(と実演してフェデックスの人が持っていってみせる)などなどをやります。これはかなり悪のりですね。ニューヨーク市がホームレス対策として税金をたくさん使っている割に実があがっていないことへの批判がこめられているわけです。

 1本目は、コロンバイン銃乱射事件後に提起された銃規制法案の廃案と、十戒を教育機関などに掲示することを促進する法案の可決が同時期に行われたことを皮肉って、国会議員たちに抜き打ちインタビュー。十戒のある部分を言えるかテストしたり、聖書の数々の言葉を記した額やトロフィーなどを渡して、そこから彼らの献金や資産などに対する疑問をぶつけてみせるところは実に見事です。聖書で安心させておいて、一気に相手の守銭奴ぶりを批判していくムーアの手法はみごと。

 2本目はブッシュジュニアがいかに優遇されてきたかを(アファーマティブ・アクションと見なして)批判して、ブッシュのおかげで一流学校に入れなかった人に呼びかけをする、というもの。もう一つの話題としてはギュルビッチの3度目の結婚で、派手な女性関係で知られる彼にみんなでプレゼントをあげよう、という実に過激な企画で、どこまでが本当か解らない強烈な商品紹介が楽しめました。

 エピソード4:こちらは番組全体を通して、ジャック・ウェルチの引退(年収9400万ドル、引退後も年金800万ドル!)を祝して彼の悪口を徹底的に言いつのるのが白眉。リストラの鬼としての彼が、業績を上げると同時に従業員を半分に減らしたことで失業者を殖やしたことがやり玉に挙げられます。

 テーマ1本目は、国連のOil for Food計画を皮肉って、自らガソリンスタンドを借り切って、ガロンあたり60セントと市価の4分の1近くの値段で売る代わりに、食料をドネーションしてもらう、という、「サダム・ガソリン」作戦展開。もちろん店員はムーアの他はアラブ系アメリカ人。スタンドはたちまち長蛇の列で、集まった食料はNGOに預けて、実際にイラクでそれを渡す映像も紹介されました。経済制裁によって毎月5000人もの子供が死んでいると同時に、99年だけで3万回に及ぶ空爆がなされたように、湾岸戦争はちっとも終わっていなかったという話を、国連の制裁に反対して国連をやめた多くの職員たちの一人との話できっちり明らかにしているところがみそ。

 2本目は、湾岸戦争病、とよばれるさまざまな症候群に悩まされる元兵士たちの苦しみを紹介して、彼らにチャリティー・ウォーキングをさせて、それとイラクの子供たちが走り回る映像とを交互にうつして競争だ!などと言って(この辺は思い切りやらせというか、どの過ぎたお遊びでしょう)みるわけですが、湾岸戦争病という状況は実際深刻で、戦争時には147人だった死者数に比して、戦後亡くなった兵士の数は実に9600人に及ぶことをしっかり紹介しているところがよかったと思います。最後はウェルチがかつてPCBを大量に廃棄したハドソン川でとれた魚を、元GE社員で今は月に566ドルしか年金をもらっていない老人に料理させて、通りがかりの人たちと一緒にみんなで食べながらお別れ。

 ムーアはタイムズ・スクエアのど真ん中に立ってパーソナリティーを務め、そこらにいる普通の人たちをいつも誰か隣に置いて、彼らとフランクに話していきながら番組をすすめます。そこが一つの親しみやすさでもあります。思い立ったらすぐに行動するわけですが、そこでのおもむろな行動への転換が実にユーモラスかつエネルギッシュで、思わず見習いたくなりました。これは映画同様、文句なしに必見の価値があると思います。ほんと、こういう映画を撮れば絶対おもしろいはずなんだけどなあ、となんとはなしに思っていたことを、いとも簡単にやれているところがうらやましくなってしまいました。

 ではそんなところで。

 しばさき


マイケル・ムーアの「恐るべき真実」第1巻(その1) 投稿者:しばさき  投稿日: 9 3()011532

 一部はボーリング・フォー・コロンバインでも流用された、CS放送されて絶賛されたドキュメンタリー番組です。ムーアの、アメリカ人らしい底抜けにバカバカしいギャグセンスもさることながら、そこに漂うペーソスとユーモア、さらに事実に対する鋭い視点(といっても知っている人は知っていることも多いわけですが)の指摘も忘れない、なかなかも傑作揃い。第1巻は番組4本分、1本23分ほどで合計94分弱の構成。

 エピソード1:大企業の告発を信条とするムーアが、「これからは心を入れ替えて大企業を応援します」と言って、町中の前科者の男女たちにコークやアメックスなどを宣伝させます。メインのお話は2本で、1本目は、大統領選挙のくだらないディベートなんかやめて、モッシュにダイブしてくれた候補を無条件で指示してしまおう、とトラックにモッシュ要員の若者たちを乗せて、Rage against the machineをBGMに候補全員にアポなし交渉。

 当然みんな断るか相手にしないが、なんと保守派の黒人キーズ候補がダイブ!これが大いに話題になり、アイオワではキーズが大健闘してしまうという珍事も発生。メディアでも当時は大きく取り上げられて、大統領候補者の討論でも登場したほど。2本目はNRAの怪しげな子供の銃教育キャンペーンに対抗して、ピストル・ピートなる銃の形をした着ぐるみを伴って、レポーターのジェイ・マーテルが銃の展示ショーやNRAに乗り込んでいくお話。これはおもしろいですが、ちょっと無理があるかも。

 エピソード2:この回から、ノミ屋のハリーがへんてこなテーマにオッズをつけるコーナーが登場。ムーアもハードワークで疲れるので、代役を募集。石油精製会社で多数の事故死者・負傷者に保証を拒んできたトスコにアポなしで直談判に言って成功したグループを代役にする、というオーディション開始。第1弾は幼稚園の子供たちで、失敗(笑)。第2弾は下着モデルの女の子たちで、彼女たちは交渉の話し合いに応じるところまで成功。セキュリティの人々の対応がみもの。

 2本目はカレン・ダフィーのレポートで、ありきたりでないNYバス・ツアーを企画。ウォール街はアメリカで2番目に大きな奴隷市場があった場所で、黒人の墓地もあったということ、汚職警察めぐりや世界最大規模の格差で貧富の差が分かれるパーク・アベニュー96丁目の交差点、ダコタ・ハウス(レノン暗殺の場所)、教育の腐敗などなど、表面はつるつるで中身は腐りきったビッグ・アップルの矛盾をついて痛烈。

(以下続く)

 


金日成のパレード(1989)  投稿者:しばさき  投稿日: 829()203815

田中さん>無事のお帰りをお待ちしております。おみやげ、あります(笑)?

 さて、一部では大変有名なドキュメンタリー映画ですね。

 ソウル・オリンピックが開催されていた同時期に、北朝鮮では建国40周年記念式典が大々的に行われていた。ポーランド国営ポルテル社が北朝鮮政府の許可を得て、その式典の模様と、北朝鮮の国情をつぶさに紹介していくことによって構成されています。

 記念式典で嬉々として踊る人々、マスゲームの数々、パレードでの意趣をこらした台車、ひたすら「親愛なる首領様」金日成の名前(と「敬愛する指導者」金正日の名前)を称える数々の儀式やスピーチや歌舞音曲などなど、式典関係の部分だけでも圧倒的です。北朝鮮に関するメディアの報道は、金日成死去後、そして近年の情勢によってかつてないほど大量に流れていますが、未だに、この作品ほど、北朝鮮の社会主義独裁体制やナショナリズムの動員の手法をあからさまに表現している映像作品はないように思います。

 まったくフィクションなしで、北朝鮮が許可した、というかおそらく北朝鮮が胸を張って海外に示そうと思った、彼らの考える国威発揚的な内容が、かえって変な裏事情や秘密撮影の紹介映像以上に、北朝鮮という国の本質を伝えてしまっているところが逆説的です。佐藤慶の怜悧な名ナレーションもすばらしい。

 式典の合間に挟まれる、映画産業、工業、農業、教育などの国内の状況、さらには金日成同志の英雄化のためのさまざまなモニュメントや史跡もたっぷりと紹介されます。ここで父子が何をしてくださったか、そして何回訪問されたか、がどこを紹介する際にも必ず語られます。名前の前につけられる「親愛なる・・・」と「敬愛すべき・・・」はいったい何回発話されたのでしょうか・・・

 テリー伊藤のお笑い北朝鮮ではないですが、日本の植民地支配の桎梏がこうした国家を生み出した最大の原因の一つでもあること、そして世界中にこうした類の政権が興亡し、現在でも(たとえばフセイン政権もそうだったわけで)それは完全になくなっているわけではないということ、などを考えると、単に北朝鮮が日本の隣国であり、現在のように安全保障上の最大の差し迫った脅威であり、拉致問題に代表されるように外交上の最大の難題でもある、ということだけではない意味合いが、ここで示される徹底した全体主義の不気味さからは読みとれます。

 特に印象に残ったのは、やはり子供の教育の部分と、金父子の著作の紹介の部分でした。こういう風に教育されることの恐ろしさ・・・と言ってしまえばそれまでですが、では日本やアメリカなど先進国の教育の中に、程度の差こそあれこうした偏りが全くないか、と言えるかといえば疑問であったりします。東側諸国を歴訪した外交の部分もなかなかすごいです。この映画が公開された1989年には、既に崩壊の憂き目を見ていた諸国首脳との会談、特にチャウシェスクと歓談している写真などは、89年当時の情勢の中でみるとまた格別だったと思われます。そして当然ながら最後の方には「南朝鮮」との国境板門店が出てきて、彼らのメッセージが伝えられます。あの国境は、このあいだNHKスペシャルでやっていたインド・パキスタン国境の映像を思い起こさせる(アンダーソンのspectre of comparison ですね)ものがあります。

 チュチェ(主体)思想の紹介も当然ふんだんに盛り込まれていますが、よく考えてみるとチュチェ=主体というのは例のsubjectの両義性という話にあまりにも完璧にはまるわけですね。

 ではそんなところで。

 しばさき

 


チョムスキー 9.11 Power and Terror (2002)  投稿者:しばさき  投稿日: 820()220010

チョムスキー 9.11 Power and Terror (2002)

 村上本、今度は何票はいるかな・・・目指せベストレビュアー(笑)?>田中さん

 監督ジャン・ユンカーマン、撮影は小川プロの大津幸四郎、音楽は忌野清志郎というスタッフで作られたドキュメンタリー。全部で70分ほどです。

 基本的には2002年3月から5月にアメリカ各地で行われたチョムスキーの講演会の模様と、MITの研究室?らしきところで行われたインタビューによって構成されています。インタビューによって講演の内容のバックグラウンドの説明や前置きを補いつつ、各所の講演のいろいろな部分を抜き出しています。

 講演の内容は、すでに発売されている『ノーム・チョムスキー』(リトルモア、2002年 研究ノオトで一部を取り上げました)に収録されているものから摘要してあるという感じです。従って、文字ベースでの情報量という意味では同書を読んだ方がいいと思います。この本は並み居るチョムスキー本の中でも、最初の1冊として読むには最適の質と量を持っていると思います。

 しかし、その内容がどのように語られているか、ということを知ることは、単に文字面を追うこととは全く別の経験を我々に与えてくれるのであって、その意味で彼の語り口を体験することには大きな意味があります。チョムスキーのCD、ビデオ、DVDは他にも出ているので、そちらもお勧めです。

 「対テロ戦争における南米の役割は?」と聞かれて、「対テロ戦争という言葉自体が眉唾であり、アメリカがそうした言葉を使う資格はない」と切り返してアメリカの南米における蛮行を蕩々と述べる冒頭から、トルコ、南ベトナム、北朝鮮との関わり、日本やイギリスの蛮行、知識人たちの自主的箝口、パレスチナ問題、悪の枢軸論、アフガン論などなど縦横に語ります。73歳のチョムスキーの語り口はとても静かですが、堅苦しさはなく、わかりやすい英語で同時に品格を失っていないところが魅力だと思います。

 講演会の模様が実にいい感じです。私も過去に何度も経験しましたが、ああした場でのやりとりのおもしろさをうまくくみ取っていますし、終わった後の論壇の周りでの質疑応答やサイン責め、講演の前の司会、など、その場の雰囲気がとても良く伝わります。確か3000人以上集まったバークレーでは、車いすの人たちが前に位置取り、また手話での同時通訳もついていたことも特筆に値します。

 知識人に関して「歴史の目的を語ることによって支配の根拠を示す」役割に堕すると述べ、30−40年代の日本の知識人の話も例に出して語っているところ、「真実を語る」という言葉は嫌いで、真実は謎で荒り、それをみんなで話し合っていこう、と述べるくだり、権力の中枢に向かって語りかけないのは何故か、と問われて、「その権力を倒そうと思う人々の側に語りかけたいのだ」と反論し、こうした運動に人生を賭けるに値するかと聞かれた時にも立派な答えぶりをしていて感銘を受けました。「我々はアフガンを援助するのではなく、アフガンに賠償するべきなのだ」と述べて喝采を浴びるシーンも、宜なるかなというところです。

 彼の議論で注目したいのは、(1)市民の自由はメディアが自主統制しがちな現在であっても、40年前に比べれば遙かに拡大しており、どんどんよくなっているのであり、すべては我々次第であること、(2)資本主義、人権、経済開発など自体に問題があるというより、それらはまだまだ真の十全な状態になっていないということ、などがあげられます。特に資本主義に関するコメントは、もう少し確かめたい部分がありました。

 最後に「参加しなければよい」というチョムスキーの有名な主張について、この映画を通してじっと考えていたのですが、これはある意味、それをポジティブな解決策として信仰しているというよりは、こう言い放つことを通して、我々が一見何も関与していないように見えて、何もしないでいるように思いこむことによって実際には思い切りそうしたテロに力を貸してしまっていることを皮肉っている発現でもあるのかもしれないな、と思った次第です。

 おまけで鶴見俊輔とC・ダクラス・スミスの対談が入っていますが、これはたぶん『グラウンド・ゼロからの出発』あたりの話の延長線上にあるものではと思います。

 このほかには、メディアや有名人のチョムスキーに対するコメントが字幕で紹介されるところがいいですね。最後にはチョムスキー夫人も登場です。清志郎の音楽は過去の作品からの使い回しですね。「あこがれの北朝鮮」とか入れれば良かったのに(笑)。ラストの「あふれ出る涙」はRCの最後の名曲の一つです。

 ではそんなところで。

 しばさき

 

 

 

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