研究ノオト73 ゴールドスタイン本をよむ(1) 第1章その1

2006/04/24初稿

 

(はじめに)

 

 Joshua Goldstein, International Relations, Pearson/Longman.という、アメリカでもっとも広く使われているという教科書を、少しずつ読んでいこうと思います。現在は第7版が2005年に刊行されていますが、ここで使うのは2004年の第6版です。このほかに短縮版が2005年で第3版まで出ています。

 ゴールドスタインを選ぶ理由は、それがもっとも優れたものであるとか、個人的にもっとも評価できるから、ということではありません。とはいえ、単に欠点を批判することは、批判の対象となるものを書くよりも比較にならないほど容易であり、またそれによってなんとなく自己満足する結果になりがちなので、自分が国際関係論の基礎を教えたり書いたりするならばどうか、という、なるべく、読み手(消費する側)よりも書き手(生産する側)の立場から、考えていこうと思います。自分が教えるとしたはこうは教えない、という面もあると思いますし、ここはこう教えるのか、なるほど、という面もあると思います。そうした、違和を感じること自体から、また、コツを学び取ること自体から、翻って自分自身が持っている、国際関係論に対する考え方も見つけることができればいいな、というところです。

 

以下、地の文はゴールドスタインの梗概、※印は芝崎の記述です。番号はゴールドスタインは降っていませんが、便宜的につけています。また、01、02という頭からの文章は、巻末のCHAPTER SUMMERYを繰り込んで、その大意を示したものです。

 

第1章 国際関係を理解する (前半)

 

1 国際関係の研究

 

厳密に定義すると、国際関係は世界の諸政府間の関係である。ただしそれに加えて、様々な主体、社会構造、地理的歴史的な影響が絡み合っており、多くの異なる分野が重複している。

 

※ゴールドスタインは、いわゆる現象としての「国際関係」と学問としての「国際関係論」を、ともにIRと大文字で表記しています。オヌフなどのマナーにしたがうと、前者が小文字のir、後者は大文字のIRなのですが、ゴールドスタインはあまり気にしていないようです。また、この後の記述もそうですが、いわゆる学問としてのIRの理念としての学際性と少なくとも英語圏における政治学の一分野としての個別性のかかわりについては注意を払っているようです。

 

1 国際関係と日常生活

 

01 国際関係は日常生活に大きな影響を与えている。我々はみな国際関係に参加している。

 

※ここでは、国際関係は政治家たちだけのものではなく、みんなが関わっている、ということを強調しています。特に、国際関係が我々の生活に影響を及ぼす(就職や戦争など)だけでなく、我々の選択が国際関係に影響を及ぼす、という相互作用を指摘しています。興味深いのは、戦争は、日常生活に対してもっとも影響を持つ国際的な出来事であって、子どもたちは戦争のおもちゃで遊び、メディアは戦争のイメージを再生産し、世界経済は軍事産業に少なからぬ部分を負っている、というところです。「子どもたち・・・」の部分は、サキの「平和的玩具」を思い出させます。

 

PHOTO 戦争の影

 

※ここで1枚の写真があります。国際関係が日常生活に影響を及ぼす例として、ベトナム戦争記念碑(Veterans Memorial)を訪れる人々の写真があげられています。別にイラク戦争を戦っているから、というわけではない、アメリカにとっての戦争の持つ意味を考えさせられる写真です。ちなみにChapter1の扉の絵は、母親を殺された(誰に?は書いていない)イラクの小さな女の子が、あぐらをかいている大きな海兵隊の兵士にいだかれているものです(2003年3月撮影)。

 

2 学問分野としての国際関係論

 

02 国際関係論は政治学の一分野であり、主に国際安全保障や国際政治経済に関する政治現象を説明することを目的としている。

 

※ここではまず、政治学のサブフィールドとしての国際関係論、という位置づけが明確になされます。ただし、ある程度は学際的で、国際政治と経済、社会学などの他分野とかかわらせるとはいっていますが、基本的に政治、あるいは政治的関係を扱うものである、と規定しています。

 

※その後に、国際関係論の近隣領域として、比較政治学を紹介しています。国内政治が国際政治に与える影響、という意味で両者は重複しているものの、逆にそれ以外の点は分析に入れない、という形で棲み分けが成立している、という説明です。

 

※さらに、国際関係論の2つの大きな下位分野として(1)国際安全保障と(2)国際政治経済をあげ、それぞれに説明を加えています。(1)国際安全保障に関しては、「安全保障」の範囲が、5060年代を中心とした冷戦期における大国の軍事力を中心としたものが、80年代の平和研究やフェミニズムの挑戦を経て、90年代以降には大国の軍事的対立以外を含めたものへと定義を拡張していった、という経緯を説明しています。(2)国際政治経済に関しては、7080年代くらいまではやはり大国間の関係に主に着目していたのが、90年代に入って南北格差の問題も俎上にのぼるようになった、という整理をしています。

 

※国際安全保障については納得がいくのですが、南北格差の問題を、東西対立が終わった90年代からより注目されるようになってきた、というのは、ゴールドスタインの、あるいはある程度まではアメリカの国際関係論一般の、とらえかたを反映しているかのようなところかもしれません。ちなみに、この本は第2章から第7章までが(1)国際安全保障、第8章から第13章までが(2)国際政治経済、となっており、南北格差は第12章になって、国際開発は最後の第13章になって、やっと出てくる、という案配です。

 

※さてその後、(1)と(2)が近年はますます相互に関連するようになってきた、という指摘があります。

 

3 理論と方法

 

03 理論は国際関係上の出来事や結果に関する記述的な語りを補完するが、研究者たちは国際関係を研究する際に(特定の)単一の理論や方法に基づいて行うわけではない。

 

※ここではまず、(1)いわゆる単なる記述、と(2)理論的な記述の違いを説明し、続いて方法論として、(1)経験的考察と帰納(特殊から一般へ)、と(2)理論的考察と演繹(一般から特殊へ)、の違いを説明しています。ゴールドスタインは、IRpractical disciplineであり、特にアメリカの特色として、実務との関わりが濃い点を指摘しています。さらに、量的考察と質的考察の違い、冷戦の終焉に見られるような国際関係の予測不可能性の高さ、いちおうリアリズムが優勢ではあるものの理論や方法に関する統一的な合意がないこと、にふれています。

 

※ここで図11というのがあり、(1)保守、(2)リベラル、(3)革命、という国際関係に関する基本的な見方を三角形で示しています。

 

 

価値

目的

構造

優越

単位

保守的

秩序

現状維持

変更せず

社会>個人

国家

リベラル

自由

現状改良

漸進的変更

個人>社会

国家

革命的

正義

現状転覆

急激な変更

社会>個人

階級

 

これはよく使われる3分法で、ビオティ&カピ、マーティン・ワイトなどを思い出させるところです。「社会」と「国家」の切り分け方、単位としての「国家」と「階級」の対置などについては、やや疑問が残るといえば残るような気はします。

 

この後は、現実にはこうきれいに3つに分かれるわけではないことを補足しています。さらに、安全保障の分野ではリアリズムネオ・リアリズムが、国際政治経済の分野では「アイデアリズム」やネオリベラル制度主義が、それぞれ優勢であった、としています。

 

 「アイデアリズム」がリアリズムとの対抗関係で存在し、ネオリベラル制度主義がそれにつながる、という切り分けは、アイデアリズムはむしろ革命的要素を含むはずでは、という話と整合性が取りにくくなるという論点とつながります。また、革命的、という話と、彼の整理で最近出てきたラディカルで批判的なアプローチ(フェミニズム、ポストモダニズム、コンストラクティビズム、平和研究を併置している・・・)とのつながりがやはりうまくついていない、というところも、よく問題にされる論点です。Ole Waeberがいみじくも述べたとおり、この三角形は教えやすいが現状を反映していない、というところがよく出ています。しかしゴールドスタインの教科書で勉強することを想定されている学生達にとっては、この程度でよいのかもしれない、という判断が逆に裏書きするものが何なのか、ということを考えてみる必要がありそうです。

 

※このページに関連したコラムTHINKING THEORETICALLYでは、理論の果たす役割は何か、と題して、理論が持つ一般化、科学性について言及し、しかし国際関係に関する知はtenuousであって、1つの理論で最初から決めてかかるのではなく、さまざまな理論的な説明のうち、特定の現実を最もよく説明するものを探していくべきである、という話をしています。

 

2 主体とその影響力

 

※国際関係の主体はといえば、それは世界の諸政府である、とゴールドスタインはばっさりと書きます。しかし実際にはいろんな主体が重要な役割を果たしている、ということで、説明に入っていきます。

 

1 国家主体

 

04 国家は国際関係においてもっとも重要な主体(アクター)である。国際システムは(約200の)独立した領域国家の主権に基礎を置いている。

 

05 国家は人口も経済の規模も多様であり、小さなミクロ国家から大国まで、人口規模も経済規模も多様である。

 

※ここでは、(1)主権(2)領土(3)人民、という国家の3要件をあげ、state, nation, countryという言葉が互換的に使われる、という程度に話をとどめてあります。国家には首都があり、指導者がいる。国家によって構成される近代の国際システムは500年ほどの歴祖を持ち、現在の国家はナショナリズムを基礎に置く国民国家であり、国連には191カ国が加盟しているが、台湾やバチカンのような立場の国、クルディスタンや西サハラなど、国家たろうとする所もある。人口5000万人以上の国は23カ国ある。GDPを比べると、国家間の格差は非常に大きい。アメリカは中でも超大国と呼びうる唯一の国であり、以下大国、強国がある(superpower, great power, power)。

 

 ※この項目では、ブッシュ大統領とブレア首相がイラク戦争開戦後に会談したときの記者会見の一こまの写真が、「権力者たち」として紹介され「アメリカは世界で最も力のある国家である」と説明があります。

 

2 非国家主体

 

06 多国籍企業、NGO、国際機関といった非国家主体は国際関係においてますます大きな影響力を持つようになっている。

 

※非国家主体の分類として(1)利益団体や外国人などサブステート(国家内)な主体と、(2)多国籍企業、NGO、国際機関などのトランスナショナルな主体、をわけ、それぞれについて説明を与えています。注目したいのは、NGOとしてテロリスト・ネットワークも入れることができる、という指摘、と、ローマ・カトリックをあげていることでしょうか。ゴールドスタインがあげている数字は、NGOは25000,国際機関は5000,というものです。カルドーたちのGlobal Civil SocietyではNGOは6万くらいカウントされていたのですが。。。

 

※ここでブッシュとブレアの次に乗っている写真が、IN THE ACTION(行動に出る)という、前ローマ法王の故ヨハネ・パウロ2世の写真です。OXFAMとかGreenpeaceとかではないところが面白いと思います。

 

(3)情報革命

 

これはほんの少ししか載っていません。いちおう本編では扱っている箇所があるので、そこでまた考えることにしましょう。

 

07 情報テクノロジーの世界規模にわたる革命は、国際関係の主体の能力や選好を根柢から再編していくことになる。その再編の様相を我々はまだ十分理解できていない。

 

(4)分析レベル

 

08 個人・国内・国家間・グローバル、という4つの分析レベルは、(同時に用いられることで)国際関係において観察されるさまざまな結果に対する多様な説明を与えてくれる。

 

09 グローバルな分析レベルは、最近加わったものであり、テクノロジー上の変化と、産業化された北と貧しい南の間の富のギャップに、特に注目する。

 

※ここでは表11として、(1)グローバル(2)国家間(3)国内(4)個人、」という分析レベルを説明しています。(2)国家間については「国際またはシステム的」、(3)国内については「国家または社会的」という説明がパラレルに入っています。異なるレベルに着目すると異なる説明が得られること、レベルが上に上がれば上がるほど変化の度合いが少なくなること、などを論じています。おもしろいのは説明の最後で、国際関係事象の説明は、病気や交通事故の原因を解明するのに似ている、という指摘です(それから、個人レベルのところに、Great Leadersと並んで、Crazy Leadersと書いてあるのも注目です)。

 

3 地理

 

※ここは世界地図やGDP比較などの表を出してきて、世界の基本的な状況について説明を加えている部分です。

 

※ちょっとひっかかったのは、2002年のGDPデータをつかって、「北」の20%の人々が世界の富の60%を、「南」の80%が世界の富の40%を持っている、というイタリックで強調している部分でした(19ページ)。もちろん統計の取り方にもよるでしょうが、たとえばNIEOの頃には7030の割合が語られ、最近では8020の割合が語られる、という数字になじんできたので、この数字はどうしてだろう、という印象を持ちました。

 

とりあえずここまでということで。

 

(芝崎 厚士)

 

 

 

 

Home 演習室へ戻る