研究ノオト63 Bob Woodward, Plan of Attackを読んで

2004/07/18 第1稿

 

【テクスト】

 

Bob Woodward, Plan of Attack, Simon and Schuster, 2004.

 

【コメント】

 

 先日翻訳も出ましたウッドワードの最新ベストセラー、最初はWashington Post紙のExcerptをダウンロードして読み、さらに行き帰りの電車の中でなんとか読みこなした次第です。先日この本について若干お話をする機会もありましたので、以下に気付いた点を備忘録的に、多少記しておきたいと思います。

 

イラク戦争の策定

 

 これについては、第1に2001年11月の段階で、ブッシュ大統領がラムズフェルド国防長官に、戦争計画の策定を命じた、ということ、それから第2に、ブッシュが当選して大統領に就任する直前に、チェイニーが前国防長官のコーエンに対して、引継のブリーフィングをする際に、Topic Aはイラクであるべきだ、と既にこの段階でチェイニーが標的をイラクにおいていたこと、などがあげられます。これらが、ブッシュ政権が表向きに査察との絡みで主張していた大量破壊兵器やテロリストとのつながりの信憑性云々以前に、Threatとしてフセイン政権を見ていたことの1つの証左となっている、というわけです。

 

 良く知られているように、その後の調査や指摘によって、WMDの存在やアルカイダとの関係が結局明確には立証されないで現在まで来ているわけですし、それらを根拠にブッシュ政権の戦争計画を批判する、という意見の方向性に対してウッドワード本は十分答えてくれていると思いました。9.11はいわば引き金に過ぎない、という議論になるわけですが、そうなってくると9.11的なテロへの戦争と、イラク戦争とがアメリカの戦いにおいて質的に峻別されるのか、されるべきか、されるとしたらどうなるか、というところが問題になるのかもしれないという印象があります。

 

グローバルな規模で様々なテロが起きる蓋然性が高まっている、という趨勢はアメリカだけの問題ではなく、その意味でのテロに対する戦いが国際協力を基礎に行われることには(テロリストの側でない限り)かなり正当性があり、それはひいては単なる国家間の伝統的安全保障を越えた安全保障をどう実現していくか、という安全保障論の論点とぴたりとかみ合う話です。一方後者の、「アメリカのように」テロに対する戦いをやるべきかどうか、ということになると、これはさまざまな論争の余地があるわけです。その意味で、イグナチェフやカルドーなどの議論も、この2つの区別をつけつつなされているような気はしています。

 

スラム・ダンクとトースト

 

 2002年12月に、閣僚たちの前でテネットとマクラフリンが、CIAのつかんだ情報についてプレゼンをやります。このマクラフリンのプレゼンは非常に曖昧で、ブッシュも不興、他のメンバーも納得しない、という状況になり、その時にテネットが、これは「スラム・ダンク・ケース」だから間違いない、とバスケ好きのテネットがバスケの身振りまでして2度まで強調した、という下りが出てきます(一度目は、”It’s a slam dunk case!”、二度目は”Don’t worry, it’s a slam dunk!”。249−250ページ)。ここも大変有名になったシーンで、テネットが辞任の意向を表明した時も、この話がひたすら引き合いに出されていました。もちろんこのエピソードだけがテネットの辞任の原因ではないですが、彼らがある意味やっきになっていたところが窺い知れる話です。そしてマクラフリンのプレゼンよりも、普段こうした断言をしないテネットがここまで言った、ということが、WMD関係の情報について政権担当者たちの確信を増幅した、という話になっています。その後今度はリビーがプレゼンをすることになって、こちらの方はもう少し説得力があった(と言うか強気な人々には、という程度のようですが)、ということになっています。

 

 もう1つ印象的だったのは、03年1月11日に、駐米サウジ大使のバンダール王子が招かれて、チェイニー、マイヤーズ、ラムズフェルドに、イラク戦争の開戦が間近であること、そして大きな地図を見せられて、その作戦の概要を教えてもらう時のエピソードです。こちらは、本当にイラクを攻めるのか、そしてフセイン政権はどうなるのか(湾岸戦争の時のように生き延びてしまうのか)という点を非常に懸念していたバンダール王子に対して、そのときまで口をほとんど開かなかったチェイニーが、”Prince Bandar, once we start, Saddam is toast.”という非常に強い言葉でバンダールを納得させた、という話で、バンダールが帰ったあと、ラムズフェルドがどういうつもりでそこまで言ったのかを聞いたほどだった、というわけです(263−268ページ)。これは、猜疑心や不安に駆られているサウジを安心させて動揺を防ごうというチェイニーの意図でもあると同様、まさにunwaveringなイラク戦争への意志を感じさせる、というわけです。

 

パウエルとチェイニーとブッシュ

 

 ラムズフェルドとマイヤーズ、そしてそれぞれの部下との間における、戦争計画の策定の流れも非常にすさまじいものです。45−45−90といった形で、戦争の段階を分けてそれぞれ何日かかり、何がいつまでどのように必要かを絞り込んで、その計画をどんどんリファインしていく二人のせめぎあいは読み応えがあります。

 

 パウエルとチェイニーとブッシュの関係も、非常に良く書けています。チェイニーが常にパウエルの上官であったこと、そして大統領選挙を巡るパウエルとブッシュの緊張関係、さらにパパ・ブッシュに使えていたチェイニーとブッシュの信頼関係。この3者のせめぎあいが1つの大きな焦点になっています。「冷蔵庫」に入っていたと賞されるパウエルが国連などを通した外交で活躍する一方で、戦争計画策定や戦争の意志決定に関しては、ブッシュからは相談されるというよりはむしろ結果を通告されることしかなかったこと、わずかに与えられたアドバイスの機会(と言うよりは2人だけで会って胸襟を開く機会さえ数回しかなかった)での会話なども貴重です。この辺で、ウッドワードはパウエルに甘いというか、パウエルがこういう路線で自己演出するような形でウッドワードに協力したのではないか、といったことも囁かれるゆえんが出てくるということになりましょう。

 

安保理

 

 安保理関連でのせめぎ合いでは、第1にブレアとの話し合いで、政権崩壊を防ぐために国連での決議を必要として、またさらに1441以後も最後まで決議を模索しつつ、最後の最後にはブレアに、政権崩壊のリスクがあるのであれば、開戦段階ではイギリスは引いてもいいよ(戦後の復興の際に入ってくれればいい)とまでブッシュは譲歩を示しますが、ブレアはI’m with youというわけで、ついていくわけです。2002年9月の短い会談でもそうした侠気を示したブレアにたいして、ブッシュはブレアの閣僚に、ブレアにはcojonesがあるね!と言って、この時の会議を cojones meetingと呼んでいた、という挿話が興味を引きました。

 

 第2はドピルパンやシラクとの話し合いで、二人の言葉遣い、そして最終的にはシラクが、2つの異なるモラルがあって、アメリカとフランスは別のモラルを選ぶことになったわけですな、という形で、”There are two different moral approaches to the world and I respect yours.”と述べた、というあたりが見所でした。

 

 第3はNHKスペシャルでもやったように、最後の安保理での新決議を出すかどうかというせめぎ合いの際に、ブレアの願いからブッシュが、キャスティング・ボートを握っていたメキシコのフォックス大統領とチリのラゴス大統領に電話をかけるところも非常に読み応えがありました。フォックスは曖昧に返事をして病気の治療を言い訳に明言を避け、ラゴスは堂々とノーと言い切る、というあたりです。この背景にあるローマ・カトリックの精神的な支え、というNHKスペシャルで提示された要素を考えると、さらに興味深いところでした。

 

エリ・ウィーゼル

 

 03年1月後半に、ノーベル平和賞受賞者のエリ・ウィーゼルがブッシュのところへやってきます。ちょうど、バチカンの使者が訪れたのと同じ時期だと思います。「戦争とは悲しみである」というウィーゼルは、アウシュヴィッツの生き残りとしての観点から、イラクへの武力行使を全面的に支持するのです。イラクはテロ国家であり、介入することがmoral imperativeである、と言い切るウィーゼルは、もし1938年にナチに介入していたら、ホロコーストは起きなかったであろう、という議論をその背景に持っており、ブッシュもその論拠を自己のイラク戦争の正当化の論理へ援用します。

 

 「あのような死」を避けられるくらいなら、連合軍に強制収容所を爆撃してほしかった、というのがウィーゼルの根幹にあるわけです。これはホロコーストに対して十分明確な態度を示せなかったローマ教会にとっても非常に厳しい問題であり、またアウシュヴィッツの近くのクラクフで生まれ、その後ホロコーストという過去とも向き合いつつも、イラク戦争では明確に反戦を唱えて動いたヨハネ・パウロ2世にとっても、こうしたウィーゼルの問いは非常に思いものがあります。現在「ショアー」を見ている私も、このウィーゼルの問いには考えさせられるものがあります。

 

「悪の枢軸」

 

 これは、スピーチライターのマイケル・ガーソンをめぐる話です。もともとは「悪の枢軸」ではなく「憎しみの枢軸(axis of hatred)」として、しかもイラク1国のみをあげていたのだそうです。そこで枢軸とは、つまりはテロリストとテロリスト支援国家(つまりはWMDを渡す)ということを意味していたわけです。ところがこれに対して、ライスやハドレーは、どちらかというと中立的なhatred概念ではなく、宗教的なネガティブ・イメージを含むevilがいいと言うこと、しかしイラク1国だけでは戦争の意図が見え見えになってしまうので、北朝鮮、そしてイラクを付け足すこと、という形で、「悪の枢軸」演説ができあがったということでした(86ページ以下)。ちなみにブッシズムではなくてブッシュの演説集は、We will Prevailというのが出ています。2003年5月までの演説が乗っています。最近もう1冊出ているようです。

 

サウルとティム、ロックスター

 

 こちらはいわゆるparamilitaryというか、CIAの情報戦に関する話で、これがサブストーリーとして大変ビビッドです。二人の名前は匿名ですが、基地を作り、大量の100ドル札をばらまいて協力者をつのり、クルド人勢力を支援し、ロックスターと呼ぶイラク人の内応者を要請してコントロールしていくプロセスが生き生きと描かれています。CIAは3億ドルもの資金を投入したといわれるこの作戦によって、イラク戦の初動となったDora Farmへのミサイル攻撃も実現できたわけです。

 

 ちなみにあまりに100ドル札を投入したために、おつりなど当然ない場所ではコーヒー1杯飲むのにも100ドル札1枚必要になった、などという逸話もあります。

 

日本

 

 さて、日本に関する言及は、この本の中ではほんの数えるほどしかありません。1つはイラク占領後の民主化を日本になぞらえたり、9.11をパールハーバーになぞらえたりするものです。もう1つはKabuki Danceというパウエルもよく使うフレーズで、これは国連などで形式的な手続きに即して(つまり実質的な底を割った話ではなく)、型どおりに議論が進んでいくということを揶揄したものです。それからこれは最初のジャンルに入りますが、2003年10月に来日したブッシュが小泉首相に、「もし我々が1945年に正しく振る舞っていなければ、日米首脳会談は存在しなかっただろう。私はイラクの大統領がいつか、民主的で繁栄したイラクを一緒に作って同じ感懐を抱くことを望んでいる」ということを発言した、という箇所、が目に付くところでしょうか。この発言もまた、いろいろな意味で受け取る側の反応は複雑なところだと思います。

 

これは「帝国」か?

 

 最近アリソンの政策決定モデルを見直す機会がありましたが、今回のこの本は基本的には第3モデル的な雰囲気で、政府内政治のさまざまな文脈をたどっていくという所に読ませる売りがあると思います。その一方で軍事作戦にしろ国連にしろCIAにしろ、やはり組織という単位での行動や組織間のデマケによるアウトプットの問題が非常に関わっているという意味で、第2モデル的な要素もかなり分析できます。アリソンが暗黙のうちに念頭に置き、対外政策の教科書では第4モデルとして言及されることもある心理状態についても、たとえば戦争を決定した直後のブッシュの心の動揺、そしてラストでのウッドワードとの会話などが非常によくそれを示しています。

 

 これは「帝国」か?と大げさなことを掲げましたが、この本を読む限り、これは明らかに1つの主権国家の政策決定であり、『決定の本質』とは反対にいかに戦争を回避したかではなく、決定したか、その過程がよくわかる本です。「帝国」の政策決定は、「帝国」でない政府の政策決定とは同じなのか違うのか?この話はいろいろな問題を吟味しないとうまく話せませんが、たとえばイラク戦争的でないグローバルな脅威としてのテロにグローバルに対処していく、という場合、これはアメリカはその一部でしかないネグリ的帝国的なイメージのさまざまなポストモダン的なネットワーク間の拮抗関係、みたいなものを想定していくことになるのかもしれません。

 

そういう意味でのテロに対する戦争への政策決定は、(テロが伝統的な「戦争」でないのと同じように)おそらくこの本が示すようなものとはまた違うものになるのかもしれません(たとえばアリソンの第2モデルが示唆するようなアウトプットは、カルドー的な警察的・法律的アプローチとむしろなじむのか、など)。その一方で、現実問題としてテロを撲滅しようとする場合、「帝国」的国際秩序の管理を主導的に引き受けている国家の政策決定というものは、結局の所未だにアリソン・モデル的なものから遠く離れるものではない、ということも言えそうです。

 

もし現在存在する脅威の性質と、それに対応するべき組織や制度が持っている伝統的な政策決定や意志決定によってくみ取りきれない、対処しきれないようなものである場合、それはテロへ対抗する手段や戦略の問題以前に、テロへの戦争への有効な対処を実現する上で制約となるのか?ではなにをなし得るのか、といった方向に検証することもできると思っています。この点と関連して、ウッドワードの議論を読んでいて思うのは、ではこうした形で日々必死の思いをして動いている人々が共通して前提としている何か、は何か、彼らは何によって前提され、制約され、それを意識するしないは別として、その枠組みの中で考えているのか。別の言い方をすれば、何を固定することによって、何をどう動かそうとしているのか、ということになるでしょうか。

 

以上こんなところで、勇み足ばかりの勝手な感想としたいと思います。また後日、気付いた点はただしていきたいと思っています。

 

 

(芝崎 厚士)

 

 

 

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