研究ノオト61 資本主義とは

2004/06/20 第1稿

 

【テクスト】

 

岩井克人「資本主義とは何か」『会社はこれからどうなるのか』平凡社、2003年、第8章。

 

 

【目次】

 

01 資本主義とは何か

02 商業資本主義、産業資本主義、ポスト産業資本主義

03 IT革命、グローバル化、金融革命

04 金融革命とおカネの力

05 日本における産業資本主義からポスト産業資本主義への移行

06 アメリカのポスト産業資本主義は60年代から始まっている

07 後期産業資本主義と組織特殊的人的資本

 

(以下略)

 

【内容】

 

01 資本主義とは何か (略)

 

02 商業資本主義、産業資本主義、ポスト産業資本主義

 

 商業資本主義は、2つの市場の間の価格の差異を媒介して利潤を生み出す方法で、遠隔地貿易に携わる商人が地理的に離れた2つの市場を行き来して活動することが典型例である。一方の市場で安いモノを他方の市場で高く売ることによって利潤を獲得するというこの原理は、全ての資本主義に通じるものであり、それ故に資本主義を「利潤を永続的に追求していく経済活動」として定義することができるのである。

 

 産業活動を通して利潤を生み出す方式が産業資本主義であるが、より厳密には、産業革命によって上昇した労働生産性と農村の産業予備軍によって押さえられた実質賃金率との間の差異性を媒介して利潤を生み出す方法、をさす。産業革命によって労働者の生産性が飛躍的に向上した状況において、農村の過剰人口を産業予備軍として流入させることによって実質賃金率の上昇を食い止めて、労働生産性と実質賃金率との間の差異性から利潤を生み出そうとする活動である。

 

 ポスト産業資本主義は、「新しさ」、他を自己と区別する差異性を意識的に作り出すことによって、その差異から利潤を追求しようとするものである。先進資本主義国は20世紀の後半に実質賃金率と労働生産性の間の構造的な差異性に依拠できなくなった結果、つねに「新しい」技術、製品、組織形態、市場を追求し続けなければならなくなっているのである。

 

03 IT革命、グローバル化、金融革命

 

 IT革命によってポスト産業資本主義が成立したという一種の技術史観は誤りである。差異性の意識的創出による利潤追求というポスト産業資本主義の本質的性質が、その窮極形態としての差異そのものを商品化して売る、という情報の商品化を促し、それをよりよく実現するための情報技術の発達がもたらされたのである。

 

 交通機関の発達や情報通信の高速化がグローバル化をもたらした、とのみ考えるのは一面的である。産業資本主義が国内だけでは安い労働者を調達することができず、また大量生産した商品の販路を世界中に求める必要が生じた、つまり世界全体を舞台として産業資本主義の原理を追求するようになった、という変化がその背景に存在するのである。

 

 ポスト産業資本主義の時代においては、ただおカネ(資本)を持っているだけでは利潤は得られない。そのため、金融市場における人々の好みや必要性の差異を媒介とした利潤の追求という商業資本主義以来の原理に依拠する金融市場が、自由化の圧力やIT革命の影響もあり1980年代からグローバル化していき、グローバル金融市場が成立し、さらにデリバティブに代表されるように、差異性が意識的に追求され、人々の差異性がさらに細分化されて媒介されるようになってきたのである。

 

04 金融革命とおカネの力

 

 産業資本主義時代においては、おカネを使って機械制工場を設立し安価な労働者を雇用すすれば一定の利益が確保できたので、おカネさえ持っていれば支配的な立場に立てた。しかしポスト産業資本主義時代には、ただおカネを投資するだけでなく、常にそこから差異を見いだし、作り出さなければならない。ただおカネを持っているだけでは、支配的な立場には立てなくなったのである。その結果として、おカネの所有者たちはそれが少しでも利潤を上げるように、グローバルに投資先を探すのである。こうした変化によって、お金の支配力がまずます低下していくことになる。

 

05 日本における産業資本主義からポスト産業資本主義への移行

 

 日本の高度成長期は、1950年代に始まり60年代に終わった。高度成長を支えたのは、産業資本主義の発展に不可欠な産業予備軍としての農村人口の都会への大量移動であった。安価な労働力を潤沢に確保できたことによって、実質賃金率が生産性の上昇率を上回ることを防ぐことができ、利潤が拡大し続けたのである。しかし60年代後半になると農村の産業予備軍が枯渇し人口移動の速度が急激に落ち、都市労働者の賃金率が急速に上昇し、高度成長は終わりを告げることになる。

 

 1970年代から80年代の日本は、産業構造が徐々に転換しつつあり、ポスト産業資本主義的なあり方への移行が課題となっていたにもかかわらず、産業資本主義的構造を維持したまま成長を継続していった時代であった。このような状況になったのは、もともと低かった日本の生産性がこの時期向上したことによって利潤を獲得できたためである。しかし80年代後半には既存の技術ストックが枯渇し、先端技術を模倣改良することが難しくなり、産業資本主義の行き詰まりに直面せざるを得なくなっていく。

 

06 アメリカのポスト産業資本主義は60年代から始まっている

 

 アメリカの場合、60年代中盤以降から会社の買収合戦が盛んになったが、このことはアメリカがポスト産業資本主義への移行を開始した証左であった。その後80年代までアメリカの経済は低調であり、産業資本主義を継続していた日本は一時的に、日本よりも早くその変化に対応していたアメリカよりも成長しているかのように見受けられた。しかし、90年代にはアメリカのポスト産業資本主義化が一段落し、その逆転が一時的であることが明らかになった。アメリカも移行時に低迷を経験したが、現在の日本の低迷の方が非常に深刻で長期的である。

 

07 後期産業資本主義と組織特殊的人的資本

 

 チャンドラーは、規模の経済と範囲の経済という概念を基礎におき、第二次産業革命以後における後期資本主義の利潤獲得活動が規模の経済、範囲の経済の双方を最大限に活用できるかは、大量の資金を調達して大型の機械設備を準備することによる可能性としての物理的特徴だけでなく、それを最大限に活用するための組織特殊的な人的資産を体現した熟練労働者や工業技術者、専門経営者を育成しなければならないと考えた。

 

 日本型の資本主義は、組織特殊的な人的資本の蓄積が重要な役割を果たす、チャンドラーが分析したような後期資本主義に高度に適応したものであった。特に戦後の日本の会社は、株式を持ち合って株主のホールド・アップの可能性を排除して、終身雇用制・年功賃金制・企業別組合制を基礎においてこうした人的資本が熟練やノウハウを体得していく環境を形成していた。しかしこうした体制があまりに後期資本主義に対応しているため、ポスト産業資本主義への移行がかえって困難になっているのである。

 

【コメント】

 

 今回の議論は、ほぼ日でのインタビューを見てもわかるように、資本主義、市民社会、倫理・信任(これはギデンズやフクヤマの議論などへとつながっていくのではないかと思いますが)といった方向へと話が広がっていくものなのですが、その前提としての資本主義の歴史的展開と日本経済の歴史的展開をたいへんわかりやすく説明した部分でした。このあとの分析も大変興味深いものがありますが、貨幣論や21世紀の資本主義論などでみられた議論と併せて、岩井さんの議論がどんどん発展していっていることが如実に見て取れます。経済学者が資本主義とは何か、貨幣とは何か、会社とは何か、を問うことはある意味危険というか、そういうことを考えない方が「主流」に乗っていけるにもかかわらず、あえてそうしなかったことで学問論的な、というか、単なるhowではなく、それを構成しているwhyのレベルから考察していくこと、そしてただ単にwhyだけを追求して満足するのではなく、whyから問い直してそれを現在の社会の問題へと一気に還元していくというスタンスをとっているところが魅力だと思いました。

 

 さて、ポスト産業資本主義とグローバル化の部分ですが、ここでの議論はどちらかというと産業資本主義の世界大の拡大であって、ポスト産業資本主義の議論ではないのではないか?という疑問があります。私の読み違えかもしれませんし、またそれでも議論は崩れないのかもしれないのですが、念のため記しておきます。

 

 ちなみに、前回の資本主義論では、ハイパー・インフレーションの防止のために世界中央銀行を設置することが理想であるが、それは諸国家が分立しているために困難であろう、という議論がなされていました。これは、私から見ると、戦争の防止(といってもこの場合国家間に限りますが)のために世界国家を設置するべきであるが、それは諸国家が分立しているために困難であろう、という、カント、そしてウォルツあるいは世界国家論者の多くが考える様々な議論とパラレルであるように思います。この点は個人的な問題関心ともかなりクロスオーバーするところですので、これからじっくり考えていきたいと思います。世界経済運営、世界政治運営、世界法運営がもつ世界大の単位での統制管理の妥当性や有効性を認める・拒む論理と、それを理想として認めつつ否定したり肯定したりする論理との関係、という論点です。

 

(芝崎 厚士)

 

 

 

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