研究ノオト59 学術の社会的役割

2004/05/08 第1稿

 

【テクスト】

 

日本学術会議「学術の社会的役割委員会報告」(平成12年6月26日)、第1章、第2章より抜粋  原文はこちらをクリック

 

【目次】

 

第1章 学術の本来的使命

第2章 現代社会における学術の役割

 21 学術と社会の新しい関係−社会の期待と学術の状況−

 

 22 現代社会における「学問の自由」−「負託自治」の理念

 

 23 科学者の社会的・倫理的責任−「負託自治」の倫理

(以下略)

 

【内容】

 

第1章 学術の本来的使命

 

学問とは本来、純粋な知的好奇心を動機に持ち、人類の財産である「真実の知」を創造することをその使命としており、それが存在すること自体に社会的な役割がある。しかし同時に実践的・功利的な関心から社会に影響を与えたり奉仕したりすることも要請されている。かつての学問に対する考え方派は、そうした実践的関心から距離を置くことが求められてきた。

 

現在の学術は、単なる真実の知の探求としての研究や教育だけでなく、社会的役割を果たすことが求められている。それは研究成果を社会へ還元するという意味で「負託自治」の責務を果たすことによって、社会的要請に対して能動的に貢献することであるが、そのためには研究者の側が社会のニーズを感受し、現代社会の諸問題を研究していく「開いた学術」となることが使命となっている。

 

第2章 現代社会における学術の役割

 

 21 学術と社会の新しい関係−社会の期待と学術の状況−

 

現代社会は、科学技術の発展によって維持され、また大きな影響を受けているが故に学術に期待をかけているが、同時に科学が悪用されることで、あるいはさまざまな科学が複雑に絡み合うことで、必ずしも意図しないような、またはその原因の解明が困難な問題を生じさせているという危惧の念を持っている。つまり現代社会は科学技術に依存しているが故にそこから生じる功罪両面を享受し甘受しなければならないが、そこで生じる問題も科学技術によって解決することを期待する、というジレンマに陥っている。科学はこうした局面において人々に「行動規範の根拠」を提供することを期待されており、そのことはグローバル化した世界の中で学術が「象牙の塔」にこもっていることが許されないことを意味する。

 

近代科学は17世紀ヨーロッパで自然科学を中心に、「観察と実験」および「数学的定式化」を基礎にして、対象としての外的世界を普遍的・形式的な客観的因果律において認識する知識体系である。それは主観と客観を対置し、自然・社会・文化の関連を分断することで、因果性の論理を貫徹させていくことになった。その内部で専門化・細分化が進行したことによって制度化が進み、科学研究の組織や職業人としての科学者も確立していった。

 

要素還元主義の立場に立つと、要素化の論に基づき現象をひたすらより小さい構成要素に分解していくことが本質に到達する方法であるということになり、数量化の論理に基づきすべてを量と量の数式的な関係に表現しようということになる。それによって、科学は要素化・数量化しやすいものほど急速に発達することになり、その追求のために巨大科学が要請されることになる。しかし政府が巨費を投じる巨大科学は莫大なコストがかかるため、科学者の側には説明責任があり、国民の側はそれにコンセンサスを与えるかどうかでチェックをすることになる。

 

仮説演繹法に依拠することによって操作性を増大させた近代科学は、現代文明の発展をもたらしたが、そうした科学的手法には、範囲を限定すればするほと精度が高くなるため、個々の学問領域はより「真実の」知ではなくより「精密な」知を得るために専門化、細分化していくことになる。学術研究の高度化、情報化、加速化はその傾向をさらに助長した。その結果として、現代社会の複雑性を複合的に把握するような視点が失われていくことになったのである。

 

現代社会の問題は複合的であり、多様な構造連関を持っている。その結果として、さまざまな学術の成果が組み合わさることで予期しない結果が生じたり、また個々の分野では扱いきれないような問題群が形成されている。細分化・専門化した個々の学問ではこうした問題に対応できないし、また近代科学が依拠している「無限の拡大」という前提も現在では失われている以上、学際的、超領域化が求められる。 

 

グローバル化にともなって、一方では地球全体に統一的に適合するような知見が追求される傾向が生じており、総合的な開かれた学術はそれを目指す面を含んでいる。その一方ではそれぞれの場所に応じた特殊性や文化的な多様性を尊重するような学問や論理が必要であることも認識されており、いずれの方向からも学術の革新の必要性が明らかになる。

 

 22 現代社会における「学問の自由」−「負託自治」の理念

 

学問の自由や大学の自治の、その基本的な性格を否定する必要はなく、学問は自由であるべきであり、大学は自治を行うべきであることは変わらない。しかし、その自治は単なる固有の自治だけではなく、人々の行動規範の根拠となる情報を提供するという意味での負託の自治を提供するものでなければならないし、そうしたニーズに応えるための学術を俯瞰的に見る視点を確立しなければならない。そうした前提を踏まえて、あくまで研究者の自主・自律性を基礎においた積極的な社会的貢献を果たしていくことが、新たな学問の自治や大学の自由のあり方である。

 

「固有自治」と「負託自治」の両立、大学の社会奉仕機能の実現の仕方、専門分野と総合的分野の研究と教育、リベラル・アーツとユースフル・アーツのバランス、それらを実現するための大学の制度・組織・運営方法の改善、具体的には業績主義や講座制がの改革などが求められる。日本の場合特に負託自治や学際化、といった方向性の強化が考えられるが、実際には改革の方向性は多様であってよい。

 

 23 科学者の社会的・倫理的責任−「負託自治」の倫理

 

象牙の塔に安住し、知識の生産はそれ自体無条件で善であり、真理を探究していることによって免罪され、それによって生じた結果には責任を持つ必要も感じる必要もない、といった科学中立的な考え方が、これまでの科学者の間では一般的なものであった。

 

今後は、結果に対する責任を意識し、認識の一面性を自覚し、説明責任が義務であることを意識し、研究や研究を行う自己や組織が持つ社会性を自己確認するだけでなく、社会のニーズに対する感受性を持ち、広角的・歴史的な視野をもって人類の福祉や平和に役立とうとする、という考え方が必要である。

 

【コメント】

 

(芝崎 厚士)

 

 

 

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