研究ノオト56 アメリカへの警告?

2003/12/31 第1稿

 

【テクスト】

 

 ジョセフ・ナイ・Jr.「新しい時代の国益」山岡洋一訳『アメリカへの警告 21世紀国際政治のパワー・ゲーム』日本経済新聞社、2002年、第5章。

 

【目次】

 

00 はじめに

01 アメリカの力の限界

02 総合戦略と世界的公共財

03 人権と民主主義

04 単独主義者と多国間主義者の戦い

05 国家主権、民主主義、国際機関

06 将来を見通す

 

【内容】

 

00 はじめに

 

 世界的情報時代における国益の規定を行う上では、孤立主義者の主張も新単独主義者の主張も誤りである。これらの考え方は結果的にはアメリカのソフト・パワーを弱め、他国に反米同盟の結成を促し、長期的にはハード・パワーをも弱めることになる。

 

(中略)

 

 民主主義のもとでの国益は国民の意見を反映させなければならない。戦略的な国益だけでなく、人権や民主主義といった価値観も含める必要があり、特に国民が熟慮の上そうした価値観を認める場合、コストが重いとしても指導者はそれを含めて考えるべきである。十分な情報に基いて、国民が議論を深めた上で国益の広狭を規定しなければならない。

 

01 アメリカの力の限界

 

 世界的な情報時代においては、各国間の力の分布は三次元のチェス盤のような構造になっている。最上層には軍事力があり、アメリカが一極支配している。中層は経済力で、世界の三分の二をアメリカ、ヨーロッパ、日本がしめる。最下層は国境を越えた多国籍関係で、政府の管理はあまり効かず、力は分散している。最上層の一極支配の様相だけで行動を規定することは誤りである。

 

 さらに、ソフト・パワーの重要性も高まっている。外国人留学生、映画やテレビ番組、アメリカの自由など、「アメリカが傲慢にならない限り、世界各地の人たちがアメリカを尊敬し、アメリカの指導に従いたいと望んでいることは重要である」(これはナイの表現をそのまま使いました)。ソフト・パワーの源泉となっているのはアメリカの価値観である。世界情報化時代にはソフト・パワーの資源を保有するものが多数になっている、アメリカは全体として、ソフト・パワーを活用できる立場にあるが、ソフト・パワーの多くは社会の力が生み出す意図しない副産物なので、政府が操作するのは困難なことが多い。ソフト・パワーは強制力を持たず、重要であるがそれだけでは不十分であり、ハード・パワーとソフト・パワー両方が必要であり、ハード・パワーはソフト・パワーを損なわないように行使しなければならない。

 

02 総合戦略と世界的公共財

 

(中略)

 

 19世紀のイギリスは、(1)ヨーロッパの大国間の勢力均衡の維持、(2)国際経済体制の開放性の促進、(3)公海の自由、海賊の駆逐などによる国際的な共同地の自由の維持を行った。21世紀のアメリカはこれに対応して、(1)地域の勢力均衡の維持、(2)世界市場の開放性(国内の保護主義を抑えつつ)、(3)海洋(南沙なども含め)、環境、生物多様性、宇宙、サイバー空間などの国際共同地の自由な利用などの国際公共財を守っていくべきである。さらに新しい公共財として、(4)国際法と国際機関に基づく貿易、環境、兵器の拡散、平和維持活動、人権、テロリズムなどへの対処、(5)経済開発の重視、(6)紛争の調停、などについて役割を果たさなければならない。

 

03 人権と民主主義

 

 アメリカの主要な国益は、(1)国の存続に関わる国益、(2)世界的な公共財の提供、(3)人権と民主主義の3つである。人権と民主主義という価値観の問題は、マハティール首相(当時)が批判したように、文化の相違などのさまざまな困難があり、他の2つと統合するのは難しい。価値観の国益への反映についてアメリカには、(1)孤立主義(2)現実主義(3)リベラル(4)保守といったさまざまな立場がある。ブッシュ大統領は「世界の警察部隊になることは出来ない」という現実主義の立場だが、主導的な新保守主義者たちは人権、信教の自由、民主主義を外交政策の優先事項にするように求めている。

 

(中略)

 

 クリントン政権の閣僚ペリーとカーターは軍事力の行使を必要とする可能性がある脅威を三分類している。A分類は国の存続にかかわる脅威(ソ連、将来の中国?、核兵器など)、B分類は国益を直接脅かす脅威(朝鮮半島、ペルシャ湾)、C分類は間接的にアメリカの安全を脅かす(コソボ、ボスニア、ソマリア、ルワンダ、ハイチなど)もの、である。人道的介入はCに分類されているが、冷戦後はこの問題が最も多くなってきている。また、メディアなどを通して可視的になりやすいものもC分類である。しかしC分類は解決が簡単なものもあるが困難なものもある。

 

(中略)

 

 ウィルソン流の手放しの理想主義とブッシュ大統領の視野の狭い現実主義との間にある適切な途を選ぶ際には6つの基準がある。(1)関心の程度と介入の程度を明確にすること、(2)目的が正当で成功の確率が高いことを確認する(リスクを考えて介入しないこともありえる)、(3)人道的関心を他の関心で補強する(人道的関心だけで介入することは避けるべきである)、(4)地域の主要国に主導権を握るよう求める(常にアメリカが主導権を握ればよいと言うわけではない)、(5)ジェノサイドの定義を明確にする(訳者は「民族大虐殺」と訳していますが、ジェノサイドの正確な意味はそれではとらえられません。なお、よく使われる「集団殺害」という訳も、的確ではないと思います)(軍事介入は大量虐殺のケースのみ)、(6)民族自決権を巡る内戦には慎重に対応する(どちらかに肩入れしない、など)。

 

(中略)

 

04 単独主義者と多国間主義者の戦い

 

 他国との関係の持ち方については、(1)孤立主義、(2)単独主義、(3)多国間主義(国際協調主義)がある。現在は主に単独主義と多国間主義の対立が中心になっているが、両者は程度問題である。純粋な単独主義でもなく、純粋な多国間主義でもない途を選ぶ方針を決めていく必要がある。

 

 (中略)

 

 それには7つの基準がある。(1)国の存続に関わる問題かどうか(単独主義を否定し得ないが、可能な限り協力を得るべき)、(2)軍事と平和に与える影響はどうか(多国間主義でも、対人地雷全面禁止条約と朝鮮半島の関係、国際刑事裁判所と米兵の不当な訴追の可能性、等の場合は避けるべき)、(3)単独主義行動で公共財を強化できるか(冷戦期の国際経済におけるアメリカ、京都会議でも場合によっては単独行動主義によってよい模範を示すことが出来たはず)、(4)アメリカの価値観に一致しているか(一時期のユネスコやNIEOなどには多国間でも価値観に反するので乗れない)、(5)本来的に国際協力によって解決すべき問題か(地球環境問題、伝染病、世界金融市場の安定化、貿易制度、大量破壊兵器の拡散、ドラッグ密輸、国際犯罪、テロなどは多国間主義で)、(6)各国間の責任分担の手段になるのか(責任を分担して世界公共財を提供する多国間主義は、価値観の共有を促進する)、(7)ソフト・パワーにどのような影響を与えるか(軍事力やハード・パワーに偏ると、壊れやすいソフト・パワーが破壊されかねない)。

 

(中略)

 

05 国家主権、民主主義、国際機関

 

(中略)

 

 民主主義の欠如への懸念へ対応し、国際機関と国際ネットワークの説明責任と正当性を強化してグローバル化の時代に必要な統治の仕組みを確立するために、アメリカが実行すべき課題は以下の通り。

 

 (1)国内の民主的過程が機能するように設計する(WTOなどの国内手続き)、(2)議員を代表団や顧問団に加える(と訳者はまとめていますが、透明性を向上させるために非政府組織や政府、国際機関、議員などが参加したさまざまなシステムを活用するということで・・・と思ったら、原書ではinvolve legislatorとなっているので、まあいいんですが)、(3)間接的な説明責任を利用する(評判、市場など)、(4)報道機関、非政府組織、ウェブ・サイトなどを活用して透明性を高める、(5)民間セクターの説明責任を強化する。

 

(後略) 

 

06 将来を見通す (略)

 

【コメント】

 

 ナイの有名な著作の結論部分です。今回のナイに対する若い学生の皆さんの反応は、意外に「この人って結局アメリカが世界で一番だといいたいみたいだ」といった、アメリカ中心主義的な論調に対する拒否感が多いようです。Bound to lead以来、あるいはPower and Interdependence以来、どちらかというとナイは「いい人」みたいに刷り込まれてきた私にとっては、そうした感想を聞いてちょっとびっくりしたりしました。

 

 しかし、とはいっても実際、この本での議論は非常に内向きだと思います。世界全体に問いかけていると言うよりはむしろ、アメリカでエスカレートがちな孤立主義や新保守主義といった立場に対してバランスを取るべく警鐘を鳴らしている、という意図でかかれているところがあるわけです。それ故に、The Paradox of American Powerという題名を「アメリカへの警告」と訳した訳者のセンスには、納得させられます。

 

 議論がアメリカ中心主義的になるのは、そうしたアメリカ中心主義的に、ハード・パワーによる覇権によってのみ対外関係を考えがちな人々にも受け入れられるように、中庸を取るべくして、単独行動主義にもずいぶん妥協しながら議論をしているところがあると思います。京都議定書でのとりうべき行動や、対人地雷全面禁止条約や国際刑事裁判所などの議論などにそれがよく現れています。

 

 さて、問題になるキー・ワードはいくつかあるのですが、最大のものはやはり、ソフト・パワーだと思います。これについてはまた機会を改めて、また年を改めて議論をしたいと思います。ちなみにナイがこの春出す本の1つは、そのまんまソフト・パワーというタイトルです。では。

 

(芝崎 厚士)

 

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