研究ノオト53 新しい中世

2003/07/21初稿

 

【テキスト】

 

田中明彦「21世紀の国際社会を見通す」&「グローバリゼーションをどう捉えるか」『ワード・ポリティックス』筑摩書房、2000年、第1章&第2章、1620ページ、3155ページ。

 

【目次】

 

01 国際関係の「時代認識」

02 時間と空間の観念の変貌

03 20世紀末のグローバリゼーション

04 グローバリゼーションと国際政治

(1)新しい中世

(2)三つの圏域

(3)第一圏域(新中世圏)

(4)第二圏域(近代圏)

(5)第三圏域(混沌圏)

05 グローバリゼーションの課題

 

【内容】

 

01 国際関係の「時代認識」

 

 直接的な時代認識のあり方とは、理解したい対象を構成する最も重要な部分あるいは部分間の関係を一言で直接的に表現するやり方であり、最も正統的な時代認識の方法である。

 

 間接的な時代認識のあり方には、相違型と相似型がある。相違型は、時代間の比較を行い、その異同を見いだすことで、当該の時代の特徴を表現する方法である。相似型は、時代間の比較を行い、その類似点を見いだすことで、対象となる時代の特徴を描き出す方法である。間接的な時代認識は、直接的な時代認識と関連がなければ単なるシンボル作成にしかならないが、認識を深めていくステップとしては有効である。

 

(「新しい中世」という考え方は、相似型の時代認識である。)

 

02 時間と空間の観念の変貌

 

 グローバリゼーションとは、物事が地球規模に拡大発展することであり、相互依存の深化や時間と空間の観念の変貌がもたらしたと考えられている。ジュール・ヴェルヌ、マルクス、エンゲルス、ポランニーなどを読むとわかるように、グローバリゼーションは新しい現象ではなく、19世紀後半から20世紀初頭にも同様な現象があったと考えることができる。この時期と現在に類似点があるとすれば、この時期が戦争に帰着してしまったことを考えると、現在を楽観視して良いとも言い切れない。

 

03 20世紀末のグローバリゼーション

 

 20世紀末のグローバリゼーションは19世紀末のグローバリゼーションに比べると次のような5つの特徴を持っている。

 

 第一の特徴は、情報通信技術の発達によって、国際金融市場がかつてない規模で統合されたこと。第二の特徴は、モノの取引がグローバルな規模で垂直分業から水平分業へ転換しつつあり、多国籍生産が日常化しているということ。

 

 第三の特徴は、多国籍企業やIGOINGOに代表されるグローバルなアクターが飛躍的に増大したこと。第四の特徴は、多くが国際レジームとしての役割を果たす、国際的なネットワークが数多く併存し、それらがグローバリゼーションが引き起こす問題を防止したり危機管理したりしているということ。

 

 第五の特徴として、グローバリゼーションを支えるイデオロギーとしての政治的・経済的自由主義が他を圧倒しているということ。この点は19世紀末と状況が似ているが、現在の自由主義は「埋め込まれた自由主義」としての管理を繰り込んだ内容になっており、必ずしも1930年代の再現をもたらすとは限らない。

 

04 グローバリゼーションと国際政治

 

(1)新しい中世

 

 「新しい中世」とは、現代の「近代的」な世界システムが、グローバリゼーションの進展によって変質する方向性をさしている。すなわち、相似的な主体間の単純な関係から構成されていた近代の国際政治が、多様な主体が複雑な関係を取り結ぶような世界システムへと変化しつつあるということ。

 

(2)三つの圏域

 

 「3つの圏域」とは、現在の世界に存在する、「新しい中世」的傾向が顕著である第一圏域(新中世圏)、「近代」的国際関係が優越している第二圏域(近代圏)、グローバリゼーションに参加する基盤さえ崩壊しつつある第三圏域(混沌圏)をさす。これらの圏域は、ある国の体制が持つ政治的自由主義・経済的自由主義の成熟度によって区別される。

 

(3)第一圏域(新中世圏)

 

 第一圏域では、政治の争点は経済における適切な分配、公正なルール作りなどの調整が特徴である。主体は多様であり、国内政治と国際政治の区分は不明確である。行使される手段は、経済的手段や説得であり、国家間の戦争はほとんど起こらないが、圏域外からの攻撃や紛争の波及、テロや犯罪の増大などが問題になる。最大の問題は人々のアイデンティティに与える影響、特に「公」と「私」の区別などであろう。

 

 

(4)第二圏域(近代圏)

 

 第二圏域では、政治の争点は領土保全や開発であり、対立が特徴である。主体は主に主権国家であり、国内問題と国際問題は峻別される。軍事的手段が経済的手段と並んで行使され、国内での圧政や対外的な脅威などが常に存在しうる。この圏域のグローバリゼーションとの関係が、国際政治の不安定化と最も緊密な関係を持つ。

 

(5)第三圏域(混沌圏)

 

 第三圏域では、政治の争点は生存であり、ホッブズ的戦争状態が特徴である。この圏域はグローバリゼーションから取り残されており、しかもグローバリゼーションの影響を免れないために、経済変動や他の圏域の関心や介入の有無によって、深刻な打撃を被ったり、無視されてしまうことで「混沌のデベロップメント」がさらに進むことも多い。こうした状況を阻止し改善する特効薬はないし、そこで起こった悪影響が外部に及ばないようにするほかないのかもしれない。

 

05 グローバリゼーションの課題


 第一の課題は、「新しい中世」における公共性の問題で、3つの圏域で表現されるような多重で重複した社会関係の中からいかにして最小限の「公共性」に対するコンセンサスを生み出すかがポイントとなる。第二の課題は、グローバリゼーションの積極面を活かし、反動を出来る限り防ぐような体制作りである。第三の課題は、混沌をできるかぎり防ぐための最低限の秩序形成、社会的インフラの整備であり、これが最も困難であろう。

 

【コメント】

 

 この、大変有名な議論に対しては、その構成がparsimonyを追求するという意味ではWaltz好みでさえあるかもしれないほど単純明快に本質を突いているが故に、その単純明快さに対する「複雑」さの提示、という形でいろいろな反論があり得るわけです。

 

 ただし、あくまでこの議論は「仮説」に過ぎない、ということは理解しておいた方がよいと思います。事実の記述や命題ではなく、物の見方としてそれを仮に採用してみる、というのが出発点である、ということです。こうした種類の議論は流通するにつれて次第に仮説だったものが一人歩きして命題化してしまい、命題化した状態に対して議論がなされることがよくあります。

 

 最初に言えるのは、この議論は「新しい中世論」であるというよりも、それを含んだ「三つの圏域論」である、ということです。その意味で、ナイの3つのチェスゲーム論や中西さんの3つの位相論などとも関連づけると同時に、さらにはおそらくこの議論の直接の先祖である中心・準周辺・周辺という古典的な世界システム論(や従属論)との関わりを考えていかなければならない、ということです。

 

 圏域を分ける指標はこれでよいのか(政治的自由度・経済的自由度・平均余命・一人当たりGDPなどですね)、ここでは単純化されているが実際には3つの圏域は世界大でも存在すると同時に、一国の社会内でもいわば飛び地的に存在しているのではないか、といった議論もまた、そうした関わりと一緒に考えていくことになるのだと思います。

 

 また、ここでの目線はあくまで「新しい中世」圏にある先進国のものでしかない、という批判もあり得るでしょう。もちろん、先進国において先進国の人間が現在の世界を理解する上で、だからこそこれだけ説得力があるものとして、日本人が書いた国際政治の本の中で近年稀に見る評価を得たわけですし、そのこと自体は別に責められるべきことではないとは思います。

 

 ただ、確かに時代認識の問題を云々するならば、この世界がどのように全体として「分けられる」かというよりはむしろ、どのように全体として「関わっている」かを見せていくことの方が大事である、という議論はあり得るでしょう(たとえばこの本を「近代」圏、「混沌」圏の人が読んだらどう思うか、など)。

 

 世界システム論や従属論などを待つまでもなく、たとえば経済人類学を専攻する丸山真人氏が指摘するように、中心の産業文明はある時期までは環境収奪的でない経済を運営してきたにも関わらず、20世紀にはいると中心では重工業と化学肥料を使った農業を、そして周辺では中央の食糧需要を支えるために環境収奪的な農協を続けてきたことによって、資本主義と環境破壊は世界大で緊密な連携を取ってきたのであり、中心にいると周辺での事態はある意味関係がないかのように扱われるのですが、実際にはそれらが全体として人類を活かしている構造であるわけです。こうした視点は、大量採取大量生産大量消費大量廃棄によって形成される資本主義を軸とした現代社会が外部を不可視化してしまっている、という見田宗介氏の指摘をも想起させます。

 

 もちろん三つの圏域論は、圏域間の関係を無視してはいませんが、たとえば「圏域外からの攻撃」が第一圏域の最大の脅威となりうるという指摘の裏に、なぜそうなるのか、という世界全体の関係性が(その祖先である世界システム論や従属論と比べても)必ずしも十分に描かれているように見えないのも事実です。区切ることは関連づけることとしても作用すると同時に、外部化して無関係なものとみなすこととしても作用するわけで、そのあたりがこの議論では十分に検討されていないように思えます(「混沌」を混沌にしたのはそもそも誰か、という考察をはじめれば、害が及ばないように封じ込める、悪影響が外部に及ばないように、というような発想や発言はおそらくそう簡単にはできないはずである、など)。

 

 とりあえずここまでにしておきます。

 

【参考文献】

 

(田中明彦)

 

『世界システム』東京大学出版会、1989年。

『日中関係1945-90』東京大学出版会、1991年。

『新しい「中世」』日本経済新聞社、1996年(日経ビジネス人文庫、2003年)。

『安全保障』読売新聞社、1997年。

『ワード・ポリティックス』筑摩書房、2000年。

『複雑性の世界』勁草書房、2003年。

 

 

 

(芝崎厚士)

 

 

 

 

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