研究ノオト52 国際政治とは何か

第1稿 2003/07/16 第2稿 2003/08/23

 

【テクスト】

 

 中西寛『国際政治とは何か 地球社会における人間と秩序』中公新書、2003年、1928、5081ページ。

 

【目次】

 

01 国際政治の構造

02 国際政治のトリレンマ

03 「国際政治」の3つのイメージ

04 3つのイメージの競合

05 国際秩序の再建

06 文明の転回

07 「宇宙船地球号」 Spaceship Earth

08 「仮想の地球社会」の挑戦

 

【内容】

 

01 国際政治の構造

 

 国際政治は、個人を基本単位とした一つの社会の中で行われる「政治」とは異なり、国家内における通常の意味の政治、国家間での政治、国境を越えて個人間や集団間において生起する政治、といった異なる政治空間によって重層的に形成されている。

 

 国際政治は3つの位相によって構成されている。第一の位相はウエストファリア・システムとも呼ばれる「主権国家体制」で、国家が唯一の基本単位で、主権は不可分・不可譲で、個人の自由は主権国家を持つことで実現され、国際社会はアナーキーではあるが共存という最低限の価値は共有している。第二の位相は「国際共同体」で、主権国家以外の国際機構や社会集団や個人も一定の範囲では主体であり、主権は部分的には分割・委譲可能で、諸主体は一定の価値・目的を共有可能である。第三の位相は「世界市民主義」で、国際社会の基本単位は国家ではなく個人で、国家は擬制に過ぎず、世界統一によって平和が実現される。

 

02 国際政治のトリレンマ

 

 3つの位相はそれぞれ妥当性を持っているが、それらは相互に異なる政治行動を要求するため、同時に実現させることは不可能である。したがって、この3つの矛盾する首尾一貫した論理をある程度妥協させながら、国際的な活動を行っていくほかない、ということ。独善的外交と現実的外交の違いはここに生ずる。

 

03 「国際政治」の3つのイメージ

 

 国際政治の第一のイメージは、19世紀欧州の「権力政治」が地球大化した、という意識である。この意識はドイツのウィルヘルム2世の「世界政策」に典型的に現れているが、ヨーロッパ全体において共有されており、彼らは地球規模の権力闘争が国家の命運を握るのだと思っていた。

 

 国際政治の第二のイメージは、技術の発達に伴って増大した国境を越える交流を管理する越境的行政としての「国際統治」という考え方で、これは19世紀中盤以降ヨーロッパで進展した相互依存の深化を背景としており、それを円滑に機能させるために一定の取り決めや管理が望ましいと考えられたために生じた。エンジェルやウルフの議論はその代表的なものである。

 

 国際政治の第三のイメージは、相互依存が高まることによって世界市民意識が普及し、世界国家や世界政府が樹立される、という考え方であり、ウェルズの議論が典型であった。文明の発達と理性の普及によって世界政府が実現するというのは啓蒙思想の論理的帰結であり、同時代的には広く影響力を持っていた。

 

04 3つのイメージの競合

 

 第一次大戦後の世界政府の構想は、戦争の惨禍を繰り返さないために平和を求める人々の思いが反映されたものであり、アメリカとソ連という新たな担い手によって主張された。しかし、国際連盟などのウィルソンの理想は現実には反映されず、ソ連共産主義の世界革命という理想も失敗に終わった。こうした挫折は、世界市民主義が結局は少数のエリート支配を前提としている点にあった。

 

 世界市民主義的発想に基づく実践は、不戦条約にみられる国際法の強化、ILOなどの国際組織の強化など、いわゆる機能主義的な活動として20年代に促進されていった。しかし大不況のあおりをうけて主要国家はブロック経済に走り、国家は社会にいっそう介入し、管理するようになっていき、国際協力が困難になっていった。

 

05 国際秩序の再建

 

 1930年代には、国民国家が行政的機能を拡大したことを前提とし、第一に、世界経済が分断状況にあることのマイナスが認識されたこと、第二に、自助による安全保障の確保という原則以外の要素による国際政治の安定的な運営の必要性が高まったことによって、国際協力の範囲を拡大していくことが合意され、国際連合が設立され、ブレトン・ウッズ体制が生み出された。しかし、行政国家を基礎とした国連体制は3つの位相に安定した均衡を形成することができず、特に価値意識の対立を解決することは困難であり、それが冷戦へと繋がっていくことになった。

 

06 文明の転回

 

 スプートニクの成功はアメリカにミサイル・ギャップ意識を植え付け、それに対抗する大規模な計画を進行させ、人類の月面着陸やインターネットの開発をもたらした。そして宇宙に出た人間は、地球を外側から観ることによって、「外へ」向かう視点から「内へ」向かう視点への物の見方を転換するようになり、外部への拡張、巨大さ、量といった価値から、ネットワーク化、精密さ、小ささという価値を追求するようになった。

 

07 「宇宙船地球号」 Spaceship Earth

 

 「宇宙船地球号」的な発想に代表される「有機的世界像」に依拠した文明が開始されることによって、人々は国境を越えて一体感を持つようになり、人間の活動は容易に国境を越えるようになって、国家による国境規制の壁が無効化し、冷戦という疑似秩序は機能しなくなった。IGONGOの数の増大、国連特別総会の開催や大規模の国際会議の開催数はそうした変化の表れである。

 

08 「仮想の地球社会」の挑戦

 

 地球政治の可能性を意識したさまざまな議論が1970年代以降、そして冷戦以後登場し、国際政治における主権国家の比重の低下を強調している。しかし20世紀は主権の大量生産が行われた時代でもあり、主権国家は以前に比べると4倍に増えているのも現実である。地球社会はある意味でテクノロジーに依存した「仮想」に過ぎない面があるが、それが現実に大きな影響を与えていることも事実であり、そうしたユートピアとリアリティの境界が曖昧化しているのが現実であろう。

 

 

【コメント】

 

01 国際政治の構造

 

 国内政治・国家間政治・国境間政治の複合体として国際政治を捉える、という議論は、おそらく誰がどう教科書的記述をしたとしても否定できない主張であり、妥当性を持っていると思います。一つ思ったのは、複合体という説明を行う際に、異なる層が複合しているだけでなく、層の間での(相互)作用が働いている、ということをもう少し書いても良かったのかもしれないな、ということです。両刃の外交的な発想もあれば、内政干渉もあり、また国際交流のコントロールと自由の問題、国際世論などの話などなど。。。

 

 そこが、おそらく、3つの位相論における、主権国家体制・国際共同体・世界市民主義の三層構造について、「異なる政治空間が重なり合う」「位相が混ざり合う」ということの意味に含まれていくのではないかな、と思いました。

 

 それから、「国際政治と国内政治は性質を異にするものである」というテーゼが本書でも繰り返し前提にされており、そこでは主権やアナーキーといった概念が根拠になっているのですが、果たして本当にそうなのでしょうか。むろんそれをたとえば来栖三郎・村上淳一氏的な意味での仮構(フィクション)であると考えれば別に問題はないのですが、その仮構を置かなければ困るのはおそらく現実の世界を生きる大多数の人々であるよりは国際関係研究者の方なのかもしれない、とも最近思っています。

 

 さらに言えば、その仮構を置かず、ただの程度問題(つまりは質ではなく量の問題)として政治をとらえなおしたり、大文字の政治と小文字の政治といった国際政治の外の学問領域では既に市民権を獲得している考え方とも接続しながら国際関係における政治を考えて、そうした見方から国際関係を把握し直すようなことも不可能ではないのかもしれないな、とは思っています。

 

02 国際政治のトリレンマ

 

 内政不干渉規範、国際協力規範、国家脱却規範、とでも言うべき3つの規範のせめぎ合い、なわけですが、「最良の政策を選択する」と書いているように、日本外交のあるべき方向性に対する批判的提言でもある部分です。

 

03 「国際政治」の3つのイメージ

 

 権力政治power politics・国際統治international governance・世界国家&世界政府、という3つのイメージ論は、リアリズム・リベラリズム・アイデアリズムといったイメージと重なるものになっています。近年の国際政治研究、特に国際関係史や国際関係思想の研究で、欧米の国際政治理論に依拠して研究している人々が必ずしも十分に消化していないような部分をきっちり使って書いているところは、04,05と並んで本書の白眉といえるでしょう。

 

 ここでは歴史的展開に即して書かれているわけですが、イメージとは何か、ということ、誰のために何のためにイメージが必要になり、なったのかということを私はつい考えてしまいます。また、それらの相互関係は、時代の現象の変化によって変容するものであると同時に、3つのイメージを一つの時代や思想の中でどうバランスさせているのか、ということを検討することでも問える問題であるように思います。

 

04 3つのイメージの競合

 

 ここも03と同様に、この時代を専門とする中西氏ならではの光彩を放つ記述が続きます。ウィルソンとスターリンを世界国家・世界政府構想の提案者として並べるあたりは見事です。

 

 さて、そうした構想が失敗した理由として、世界国家の条件としての科学技術を利用した少数エリート支配に人々が抗したのだ、というのが中西説ですが、これは果たしてどの程度妥当でしょうか。自由の抑圧、個人の自由を基礎に置いた世界観、国際関係観という意味ではなるほど説得力がある主張ですが、この場合の「人々」とは誰なのだろう、と考えてみる必要はあるように思いました。うがった見方をすれば、結局大多数の大衆が抗したというよりは、「少数」に絞りきれないほどの、実際に世の中を牛耳っていた当時の多数のエリートたちが自分たちが除外されることを望まなかった、というこのなのかもしれない、ということもあり得るような印象も持ちました。

 

 また、機能主義的国際主義と行政国家の登場(夜警国家から福祉国家へ)をパラレルに書いていくあたりも大変勉強になり、国際関係史の新しい理解を定式化していっていると思います。

 

05 国際秩序の再建

 

 冷戦の部分はやや書き急ぎかもしれませんが、30年代後半の債権の動きを国連と結びつけていくこともまた、近来のアカデミズムの成果を十分に咀嚼した大枠の提示となっており、見事です。

 

06 文明の転回

07 「宇宙船地球号」 Spaceship Earth

08 「仮想の地球社会」の挑戦

 

 アポロとインターネットの併記などの目配り、マンフォードなどの古典への言及など、が注目に値します。ただ、ネットワーク社会論的な発想やグローバリゼーションの問題は、やや古典的な落としどころ(主権国家の数が増えたこと)で蓋がされているところがあり、主権概念の実効性や主権国家の仮構性などを考えると、もう少しふくらみのある議論ができるようにも思います。また、ユートピアとリアリティという定式化も、仮想と現実の錯綜した状態(real virtuality & virtual reality)を考えるともう少し話ができるような気はしています。

 

 

(芝崎厚士)

 

 

 

 

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